第2話 妖精組

 あれから四年。

 四年も経って、中学三年生にもなれば、当時と色々変わっているのが当たり前だと思う。

 例えば光君はあれからどんどん背が伸びて、すっごく男の子っぽくなって、本当に野球部のエースで四番になった。朝早くから一人でトレーニングをしたり、夜遅くまでバットを振ったりして、野球尽くしの毎日を送っている。

 紫苑ちゃんは六年生にあがった頃に無事女の子になるやいなや、読者モデルのオーディションに合格。人気も上々で、こちらも毎日忙しそうだ。

 多忙なふたり。それでも朝は子供の時のように、ボクに付き合って一緒に登校してくれている。

 ただ、それでもひとつだけ。ボクたちの関係にも大きく変わったところがあった。

「あ、あのね?」

「ん? どうした、あゆむ?」

 いつもボクの左隣を歩く光君が見下ろしてくる。

「なに? あゆむ?」

 そして同じく子供の頃から変わらずボクの右隣をキープする紫苑ちゃんが、ドキっとするような笑顔で微笑んできた。

 よ、よし、今日こそ……

「えっと、せっかく三人揃って登校しているんだから、みんな仲良く」

「イヤだ!」

「イヤよ!」

 あうっ。「しようよ」と言い終わる前に、ふたりから鋭くツッコミを受けてしまった。

 てか、紫苑ちゃん、天使のような笑顔がいきなり鬼の形相になったよ?

「そんなことよりも昨日はクッキーを焼くんだって言ってたじゃないか。どうだ、上手く焼けたか?」

「それよりあゆむ、最近ちょっと筋肉がついたんじゃない? 筋トレ、続けてるの?」

 そしていつものように別々の話題を持ち出してきて、

「おい、紫苑」

「なによ、光」

「あゆむはクッキーを作ったり、料理をするのが好きなんだ。筋トレとかあゆむには似合わないだろ」

「残念。あゆむってば結構筋トレとかやってるんだから。野球ばっかで、あゆむにかまってあげられないあんたは知らないでしょうけどね」

 紫苑ちゃんが小馬鹿にしたようにクスクスと笑い、

「なんだと!?」

「なによ?」

 やっぱりお約束のようにボクを挟んで睨み合いを始めてしまった。

 元を辿れば光君が男の子になった時からだろうか。ホントいつもいつもよく飽きないなぁと呆れる反面、仲良しこよしだったボクたちがこんな風になってしまった原因を考えるとしゅんとしてしまう。

 原因は言うまでもなく、ボクにある。

 ふたりの気持ちを知っているのに、ボクはずるずると決断を引き延ばしていて気がつけばもう中学三年の六月。

 目指す進路もそろそろ決めて、本格的に自分の人生を選択しなくちゃいけない時期だというのに、ボクはいまだに自分が男の子になるのか、女の子になるのかさえ決めかねていた。

「もう、ふたりとも喧嘩はやめようよぅ」

 今日も今日とて調停が不調に終わったボクは、仕方なく事態の収拾に努めることにした。

 鞄から昨日焼いたクッキーを取り出すと、まずは紫苑ちゃんの口の中に投下!

「んっ!? ……ん~、美味しいぃ~」

 鬼のような形相が一転、蕩けるような笑顔になって、紫苑ちゃんがボクに抱きついてきた。

「あわわ」

 子供の頃からよく抱きついてきた紫苑ちゃんだから馴れているけど、最近はその、体つきもすっかり女の子になっていて、柔らかいものを押して当てられると男の子でもないのに正直ドキドキしてしまう。

「お、新作だな? どれ、オレもひとつ」

 紫苑ちゃんに抱きつかれて身動き出来ないボクに、光君のごつごつとした手が伸びてくる。

 子供の頃はボクと変わらなかったのに、四年という歳月と、その努力を感じさせる手だった。

「うん。美味い! さすがあゆむだ!」

 もっとも夏のお日さまみたいな、ニカっとした笑顔は相変わらずだけど。

 なんとか場を収めたボクは、さらにクッキーの入った小袋をふたりに手渡すと、みんなでつまみながら再び学校へと歩き出した。

 食べ物は心をおおらかにするよね。一時休戦とばかりに、ボクたちは最近のボクがこつこつやっている筋トレの話から、紫苑ちゃんがお仕事で体験した面白かった出来事、さらにはこの夏、軟式中学野球で頂点を狙う光君の調子なんかで盛り上がった。

 他愛もないけれど、とても大切な時間が流れる。

 だから。

 ――どちらかを選ぶなんて、本当にボクは出来るのかな……。

 そんな不安を悟られないよう、ボクは頑張って笑っていた。


「じゃあな、あゆむ。また明日」

「あゆむ、授業中に居眠りとかしちゃダメよ」

 昇降口で上履きに履き替えると、ボクたちが一緒にいられる時間は基本的に終わりになる。ボクとふたりはクラスが違っているからだ。

 おまけに光君は部活、紫苑ちゃんはモデル活動で忙しい。だから帰りも一緒になることはない。

 それでも三年生に上がる前までは、ボクたちの時間はまだしばらく続いていたんだ。たとえクラスが違っていても、お昼ご飯は三人一緒に摂るのが日課だったから。

 だけど三年に進級してから、そうも行かなくなった。

 妖精組。

 いまだ男の子にも女の子にも変われないボクたち幼生が纏められ、一般生徒とは完全に隔離された教室を、どこの誰が言い始めたのかは知らないけれど、みんながそう呼んだ。

 隔離までして妖精組では一体何をしているのか? と言うと、これがちょっと変わっている。普通の授業は一切なくて、ただひたすら男の子か女の子に「変態」するための特別カリキュラムが課されるんだ。

 でも、別にすごく特別なことをやるわけじゃないよ?

 男と女の先生のもと、プラモデルを作ったり、刺繍をしたり、格闘技の真似事をしてみたり、クラシックバレエを踊ったり。男の子らしかったり、女の子らしいことをやることで、身体に変化を促す刺激を与えるんだって。

 正直、お遊びみたいなもの。高校受験に向けて、さらに難しくなる授業を受けているみんなからすれば羨ましいかもしれないけど、その分だけ妖精組は勉強が遅れちゃう。

 一応教科書は貰えるから、ボクは家で勉強しているけれど、過去の妖精組の中には変態が遅れたばかりに中学浪人になった人までいるそうだ。

 そこまでしてどうして妖精組なんてものを作るのかは知らない。

 ただ一般生徒から完全に隔離されて、勉強もさせてもらえず、お遊戯みたいなことをさせられる……たいていの人は変態しなくちゃって気持ちが強くなる。

 だから四月には十人もいた妖精組も、一学期の半ばにはボクを含めて三人になっていた。

「お、おはよう」

 教室に入ると、すでにボク以外のふたりが席についていた。

 ひとりは窓辺で本を読んでいる相田(あいだ)かなめさん。長くて艶のある黒髪がまるで日本人形みたいに奇麗で、この人がボクと同じ幼生だなんて信じられないぐらいの美人さんだ。いつも本を読んでいて、妖精組の授業にもまるで参加しようとしない不思議な人だった。

 そしてもうひとりは

「おはよう、上月。今日は女の子の授業の日よね。一緒に女の子になれるよう頑張ろうね!」

 急に伸びるわけもない髪にエクステを付け、馴れないスカートを穿き、懸命に女の子っぽい話し方をする桐山瞬(きりやま しゅん)さん。これでも春先まではどちらかと言えば男の子っぽくて、妖精組のみんなに「一生幼生のままでいようぜい」なんて言っていた。だけどみんなが次々と妖精組を卒業していった今では女の子になろうと必死だ。

「う、うん。がんばろう」

 朝からテンションの高い桐山さんに圧倒されつつ、ボクは自分の席に座る。

 やがて女の子の授業を受け持つ先生がやってきて、女の子の意識を刺激する授業『女の子ごっこ』をすることになった。


 教室に女の子っぽい、どこか甘いような匂いが充満している……。

「ほーら、あゆむちゃんもすっごく可愛くなったよ。鏡、見てごらん」

「う、うん」

 先生に渡された手鏡を恐る恐る覗いてみると、すっきりと眉毛が整えられ、眼がぱっちりと強調されたボクがいた。

 頬にはチークが乗せられ、唇もリップの加減でいつもと比べて瑞々しい。

 まるで紫苑ちゃんが載っているファッション雑誌の女の子みたいで、自分のことながら驚く。

「うわっ、あゆむちゃん、カワイイ!」

 突然、にょっきと鏡とボクの間に桐山さんが顔を出してきた。

 いつもはボクのことを「上月」と苗字で呼び捨てにする桐山さんだけど、授業中はルールに従って下の名前で、男の子の授業なら「君付け」、女の子の授業なら「ちゃん付け」で呼ぶ。

「そんなことないよ、瞬ちゃんもカワイイよ」

 だからボクも桐山さんを下の名前で、ちゃん付けで呼んだ。

 なんでも君付け、ちゃん付けで呼ばれることで、それぞれの性への意識を高めるんだそうだ。

「瞬ちゃんも? ってことはあゆむちゃん、自分で自分のことをカワイイって思ってるんだ?」

「え、いや、それは言葉のあやって言うか」

「しかもさっきのは自分のほうがカワイイって上から目線での言い方だ!」

「そ、そんなことないよ! ねぇ、先生、ボクより瞬ちゃんの方がかわいいよね?」

 劣勢なボクは先生に助けを求める。だけど

「はい、あゆむちゃん、減点一。自分のことをボクなんて言っちゃダメよ、女の子なんだから」

 言葉使いを諫められた。

「あ……ご、ごめんなさい」

「うん、ちゃんと意識しないとね。……それから瞬ちゃん、女の子の可愛らしさは顔だけじゃ決まらないの。例えば洋服ひとつでも大逆転も可能よ」

「だよねー、って先生ェ、それってあたし、顔じゃあゆむちゃんに完敗してるって事?」

「あはははは。女の子は細かいことを気にしちゃダメよー」

「それは男の子の方だぁ!」

 桐山さんがぽかぽかと先生を叩く。

 その叩き方は女の子っぽいなぁと思ったのだけれど……。

 お化粧が終わって、学校が用意してくれた女の子の服の中から、自分に似合いそうなものをお互いに着てみたら、桐山さんがボクをぼーと見つめてきた。

「な、なに? 瞬ちゃん?」

「あゆむちゃん……あのさ」

 桐山さんの視線が妙に熱っぽい。

「ちょっとくるっと一回転してみてくれる?」

「え? えーと、こう、かな?」

 桐山さんのリクエストに応えて、右足を軸にしてくるっと回転してみる。

 着慣れないスカートがふわっと広がる。ちょっと焦った。

 加えて

「うわっ! も、萌えーッ!」

 桐山さんの咆哮に、もっと焦るボク。

「うーん、もしかしたら瞬ちゃんは女の子より男の子属性の方が強いかもしれないわね」

 先生が苦笑してそんなことを言った。

 だからかな?

「どうやら俺、やっぱり男の子属性の方が強いようだ」

 翌日、桐山さんはエクステを外すどころか、頑張って伸ばしていた髪の毛までばっさりと切って、おまけにお兄さんに借りたという学ランを着て登校してきた。

「自分の本当の属性がようやく分かった。これも全て上月のおかげだ。ありがとう!」

「えっと、ボクは別に何もしてないけど?」

 うん、ホントに何もしてない。

「そんなことはないぞ。上月の女の子姿、めっちゃ可愛いかった。綿貫が上月一筋なのも納得だ」

 桐山さんがうんうんと頷く。

 ちなみに綿貫ってのは、光君の上の名前だ。

「俺も綿貫の立場なら、どんなに女の子に言い寄られても上月が女の子になるまで待つぜ」

「……」

「ホント、上月は絶対女の子が似合っているよ。綿貫の為にも早く女の子になってやれよ。な?」

 軽く言ってくれると、桐山さんは「一日も早く男になるために、ちょっと筋トレすっか」と教室の片隅で腕立て伏せを始めた。

 だからボクが唇を噛み締めているのは気付かなかったと思う。

 ……悪意がないのは分かっている。だけど、簡単に言って欲しくないなぁって気持ちはどうしようもなかった。

 光君がボクのために、女の子の告白を悉くお断りしているのは知っている。

 光君は隠しているけれど、人の噂まで隠すことはできない。

 それに光君にフられた女の子や、そのお友達に意地悪されることだって、みんなと一緒に授業を受けていた時は何度かあった。

 上履きを隠されたり、足を掛けられて転ばされたり。酷い時は校舎裏に呼び出されて「気持ち悪いんだよ、あんた」って面と向かって言われたことだってある。

 ボクだってね、光君のために女の子になってあげたいよ?

 でも、もしボクが女の子になっちゃったら、光君と同じように想いを寄せてくれる男の子たちを断り続けている紫苑ちゃんはどうなるの?

 紫苑ちゃんだって光君と同じくらいボクのことを大切に思ってくれているんだ。その気持ちを裏切ることなんて出来ない。


 だからボクはずっと迷っているんだ――


 数日後。

 桐山さんは無事男の子になった。

 大喜びで先生に報告して、ボクたちに挨拶して、その日のうちに一般生徒のクラスに編入していった。

 

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