道中下落
――――
―――
足音が聞こえた。流石伝達屋だあの距離をこの速さで戻ってくるのかと鼻を伸ばしそれを自慢してくる昴を予想し鬱陶しいと溜息を洩らす。背後に回りまた抱き着いて来たら川に沈めようと思いぼんやり顔を見上げその影の主を見る逆光で顔が見えない。その手に握る短い刃は鈍く光り瞬間弥凪にそれを振り下ろした。
「ぇ…っ!?」
焦げ茶の髪を掠め間一髪で避ける。
相手と数歩か距離を取り状況を理解しようと頭を働かせる。
振り下ろした刃の正体は短剣。以前昴が大切に頬擦りしたあの短剣の形と同じだが装飾品に豪華さは感じずシンプルなものだと感じる。
その短剣は弥凪が先程座る岩に深く突き刺さり、刺さる刃を真横に動かし亀裂が走り岩を割る。割れた岩に驚いたが軽い身のこなしで態勢を整えた人物に目を疑う。
「チッ」
大きな舌打ちをし未だにその短剣を構える人物はこの辺では見ない服装の見覚えがある幼い少女だった。昨夜日の当たる場で色が確認出来た藍色の布を頭に深く被り銀色の髪が隙間なら覗く。色素の無い髪色に茶色の瞳少しい大き目の厚手の黒いベスト付けズボン状の袴を太腿の端から膝の丁度真中の短さで履き足には白い布を巻き付け下駄や草履は見当たらない何とも不思議な恰好だ。
「昨日…シンの隣にいた海賊…!?」
弥凪の言葉に少女はぴくりと細い眉が動き鋭い目付きをぎらつかせる。
「やっぱり昨日にいたんだ。ふーん…」
少女の低く呟いた声に背筋が凍るのを感じ一歩踏み出し後退りをする。
この口振りだと昨夜あの古屋に忍び込んだ事は他の仲間に知らせていないようだ。確証がなくとも襲うのか、理由は貯まり場としている古屋が近いからか。まだ古屋に仲間が潜んでいるのかも知れない。昴は無事だろうか。暫くこちらを睨み付けていた少女は「まぁいいや」と口元を緩める。
「臣はアタシの全て、臣の喜びはアタシの喜び。臣の邪魔をする奴は許さない」
少女は地を蹴り上げ割った岩に飛び乗ると短剣を握る力を強める。
「だから、貴方…死んでよ」
岩を蹴り増した高さから刃は風を裂き振り下ろされた。相手から目を離さず着地を予想し右に避け刃は地面に食い込み先程足元にあった小石を弾き飛ばす。
顔を強張らせ刀を地面から抜く。
(次は左、右)
少女から振り下ろされる刃を予測し身体を動かす。茶屋で長年働き観察眼だけは鍛えられている。この少女は冷静さを失いただの町娘だと甘んじ闇雲に刃を振り下ろしていた。一歩間違えただけで斬り殺される。心臓の鼓動が大きく息を乱らせる。
「何で当たらないのよ!」
苛立ちを見せる少女は眉を顰める。
刃を顔の前で立て荒げた息を整え集中し始めた。
冷静さを取り戻す少女に弥凪は焦る。次の攻撃が読めない。
ざりっと弥凪が履く草履が土を擦る。
遅れた恐怖に身体を震わせた。避けれない。
少女は地面を蹴り前方に走り出す刃を突き出し勝利を確信し顔を歪ませた。
弥凪の喉元を刃で切り裂くまで数ミリの所で背後で誰かが声を荒げた。
「止めろ! 靖花(セイカ)」
男の低い叫び声が響いた。
その声に硬直した少女はぱっと振り返りその男の名を呼び、背後ながらに鋭い視線を感じた。
もう一度少女の名前を強く呼ばれ肩を跳ね上げらせた少女は渋々弥凪に向けた刃を納め後ろに下がる。前後に挟まれ狼狽したくなる気持ちを抑え相手の出方を窺う。
「臣! 何でこの子を庇うのよ!」
少女は納得いかない様子で弥凪の後ろにいる臣に言葉をぶつける。
声の距離からして数歩離れているらしい。
「…庇う? 誰が」
砂利を踏む音が聞こえ堪らず弥凪は振り返る。
雨が降るの形跡がない晴天の青空で笠を被り臣の表情が認識出来る。
笠から見える口元は楽しげに歪めている。
息をのみ見守る靖花を後ろに向けられる鋭い殺気で足が竦む。
空気が鋭く震え息をするのを忘れてしまう。
「俺が殺る」
単調に言葉を並べゆっくりと鞘から刃を抜いた。土を蹴り崩さぬ姿勢で真っ直ぐ弥凪に刃を振り下ろす。あまりの素早さと殺気当てられ瞬きする事無く向けられた鈍い光を放つ刃をただ眺めるしかなかった。
―――カキン
甲高い音が空気を震わせた。
弥凪の耳元を何か掠め背後から飛んできた物を臣は刃で受け止めた。
それは刃に跳ね返り周囲を僅かに欠けらせ足元に転がり落ちた。
「…小賢しい」
そこから次々と背後から飛び出すものを刃で受け止め或いは弾き飛ばし後ろに大きく跳ね間を取り、背後から少女の情けない声が響く。これは勿論少女から投げられたものではない。地面に転がる何かを確認するとそれは中くらいの石が辺りに散らばっていた。
「何者だ」
笠を更に深く被り表情読み取れなくなる臣の側に背後から少女が回り込み身を顰めた。頭を押さえ小さく震える少女は涙目ながらも弥凪の背後を睨み付けていた。
「真昼間から物騒ですな、お二人さん」
風に乗り聞こえるその声に振り返る。
息を荒げ額に汗を滲ませながら疲れを表情に出さずに、ぽんと石を宙に投げては乾いた音を立て胸元で捕まえる。
「昴っ!」
「正義の味方、只今参上っ…って痛っ!」
二度目に投げた石が綺麗に昴の頭に直撃し間抜けな声を上げ優しく摩る。頭から転げ落ちた石を八つ当たりに睨み付けると道端に投げ付けた。いつもの調子でまったりとした歩幅で進んでくる無事な姿を見て弥凪は安堵の表情で静かに息を洩らす。
「刀振り回して野蛮だね。栄養足りてないんじゃない? 特にその笠被った短気そうなあんちゃん。ちゃんと食べなきゃ駄目だよ人間食べる事が大切だよー!」
蕎麦や串団子を想像させるような手振りをしにんまり笑う昴は弥凪の前に立つ。
「臣の悪口は許さない!」
臣を侮辱されたと背後に隠れて怒りに身体を震わせ納めた短剣に触れるが、靖花の視界を臣の着物の袖が邪魔をする。その行為に疑問声を上げる靖花を無視し未だ歯先をこちらに向ける臣が口を開く。
「…これはお前の仕業かい?」
臣は足元に転がる石を昴の方へと蹴る。
石は転がり目の前で止まり昴はゆったりとした動作で顔を上げる。
「どうだろうね。俺の前に誰かいたかもな。」
先程石を宙に投げ遊んでいた昴は白を切る。
当たり前だがこの一本道、昴の前に人など通っていない。
互いに暫し沈黙が続き、様子をじっと見詰めていた臣は諦めたかのように刃を納めた。
「…帰るぞ靖花」
「え、うん」
臣の言葉に靖花は頷き前進する。昴は弥凪を後ろに隠したまま道の隅に追い警戒を解かず二人が通り過ぎるのを待つ。すれ違い様に笠越しにあの鋭い視線が肌に刺さる。臣の隣で不貞腐れたような顔付きで歩く靖花も弥凪をひと睨みし一本道を歩き進める。その小さくなる背中を視界に消えるまで見詰め終えると弥凪は全身の力が抜けた感覚がし地面にへたり込む。
「え、ちょっと大丈夫か!?」
「…死ぬかと思った」
昴は慌てて屈み声をかける。
顔を上げ苦笑いを見せた弥凪に一呼吸をし「あれは本気で斬るつもりだったぞ」と言葉を洩らした。
鋭く細められた瞳は正しく獣、弱肉強食の世界であの瞳は弱者を狩る瞳。背の汗を吸った着物が風に当たり冷たい。
「あれが以前言っていたシンか…笠で顔が見えなかったけど、かなりの腕の持ち主だな」
屈み膝に手を置く昴の腕が微かに震えていた。それを眺められてるのに気付き「後から震えが出てきやがった」と昴は奥歯を噛み締め笑っていた。
「…大丈夫?」
自分の我儘で昴を危険な目に合わせてしまった。申し訳ない気持ちでそう呟くと茫然とした顔を見せ頭を強く一発殴られ目の前を星が散った。
「馬鹿か! 人の心配より自分の心配をしろ。俺が戻ってこなきゃ殺されていたんだぞ!」
真剣な顔付きで怒る昴を見て反論しようと口を開くが唇が震え息を洩らす事しか出来なかった。唇から始まる震えはやがて全身に回り呼吸が乱れた。
―――怖かった。
未だに震え続ける唇で何とか言葉を洩らすと昴は安心させようと微笑みかけ背中を摩る。
「俺も怖かった」
抜けた腰でへたり込む弥凪を背負い短い石段を降りる。昴の歩く振動で揺れる背に泣き晴れた顔を隠すように擦り寄り目を閉じる。
お互いに沈黙したまま人通り多く賑やかな場所を選んで歩き出した。
――――――
―――
「昼間から行動するなと言ったよな靖花?」
「うっ、ごめんなさい…」
臣の言葉に身を縮込ませ頭を垂れる。
小道を歩き古屋を目指す足を止めず道端に倒れる草を踏み付ける。
昨夜の件を仲間に伏せていたのだが臣の観察の鋭い靖花は仲間から情報を集め以前接触した事がある茶屋の娘に辿り着いた。本日はたまたま用事があり昼間から古屋に向かう途中に岩で休憩をする娘を見付け嬉々として襲撃したという。
「だってあの女邪魔だったんだもん。色々嗅ぎ回ってるみたいだし潰した方がいいって」
「雑魚は何匹集まろうが雑魚だ。構っているだけ時間の無駄だ」
呟く臣だが先程娘を始末しようと刃を振り下ろしたのではと反論しようとしたが飲み込んだ。臣の機嫌が悪く周りの空気がざわめいている。気まずい雰囲気のまま古屋の手前に到着しそこで靖花は屈む。敷地に入る手前の小道の最後、小道の左右にある背の高い草を結び障害物を作る。こうしておけば留守中に侵入者が入ったか分かるものだがたまに野生動物が壊していくから厄介だ。毎度壊され臣に飽きれもうやめるように勧められたが最後の最後であたりを引いたようだ。動物なら壊しそのままだが短くなった葉は新しく結ばれていた。
「中も少し荒らしたみたいだな、微妙に荷物が動かされている」
古屋を先に覗く臣は中身が空の木の箱や中身のない水瓶のフタの微妙な位置修正に「変に几帳面な奴」だと小さく笑う。
先程の様子だとここに訪れたのは茶屋の女の連れだろう。まさか山猿の如く石を投げてくるのだから驚いた。鋭く光らせた目でこちらを睨み付ける癖に口調は何処か調子に乗っているのかあの場にいた女を和ませるためなのか。靖花を先に行かせ遅れて向かったが中々面白いものを見れた。それに比べ茶屋の女、青褪め身動き1つ出来なかったな所詮はただの町娘か。
「準備が出来たよ臣」
古屋の裏で支度を終えた靖花が臣の元へ戻る。この古屋は既に蛻の殻、必要な物は全て次の拠点に移し終えた。今日は最後の用事を済ませるために訪れた。今日はよく晴れ清々しい気持ちになれる。この腐った木材の匂いとも別れか。土臭く雨水が滴り落ちる野生の動物に見張られボロ臭い古屋、不快な思い出の方が多そうだ。
小道通り一本道へと戻る最中臣は前を向いたまま背後の靖花に声掛ける。
「いいか次回はないぞ。昼間動くのは人目で情報が出る。ああ言う目立つ行為は一切禁止だ、そうでなければお前を元居た場所に送り返す」
臣の言葉に行きを詰まらせ顔を青褪める。前を進む臣の袴を手を伸ばし握り締め互いに足を止める。振り向かない臣の背中に靖花は抱き着く呟く。
「…あそこはアタシの居場所じゃない。アタシらの思い出は今は深い海の底で寝ているよ」
寂しげに口を開く靖花を振り向き見下ろす。暫く靖花の頭に深く被る布を眺めていると薄ら笑いを臣に向けた。背中から抜け出し横に並ぶと二人はそのまま歩き去る。
小道の先の無人の古屋は周りを木々に囲まれ昼間はお喋りな鳥の声が響き渡る。
その声に隠れるように小さなバチッとした音と共に数枚の木材が転げ落ちた。
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