想い想われ

騒動の後、茶屋に足を踏み入れた弥凪に利玄は真上から強く拳骨を食らわせた。

鈍い音が響き、弥凪は涙目を利玄に向けた。

腰に手を当て、未だ拳を下げない利玄の表情は酷く切ない顔付きで何かを堪えるように細められた瞳を見て、弥凪は「ごめんなさい」と小さく呟いた。



「あははは! 弥凪ちゃんは愛させてるねー」



机の上に湯呑を置き、黒い着物の男が笑うのを横目に見て正面側に弥凪は座った。


「心配かけちゃいましたから…別に愛されてるとかじゃ…」



先程の利玄の顔が頭に浮かび、弥凪は口を紡いだ。

「心配してくれるっていうのは愛されてる証拠だと思うな! そうじゃなきゃあんな顔はしないよ」と頬杖をつき、優しそうな表情で話すその男を見て弥凪は頬を朱に染めて恥ずかしそうに俯いた。




「まぁ…次またあんな事したら強めの拳骨がくるね」

「うん利玄様、怒ると怖いから…」



そっと利玄の方を見つめ、二人は小さく呟いた。



あの拳骨を貰った弥凪は、茶屋の座敷の畳の上に正座し利玄から数十分程度の説教を食らい何とか許しを貰った。


今はこうして男と二人ゆっくりと話し合うことが出来た。

男は先程の説教を聞いて、自分が助けた少女の名が”弥凪”というのを知ったのだった。



―――コトッ

机の上に団子が山になった皿が置かれ、お礼だからと利玄が男に進めていた。

男は一度は断ったが、利玄の言葉に甘え団子を口に頬張った。



「そんなつもりじゃなかったのに、悪いね!」

男は団子を持っていない手で湯呑の茶を啜る。




「遅くなりましたが、先程は有難うございました」

弥凪は椅子に座ったまま深く頭を下げて男に言った。

男はきょとんとした表情でやがて高々と笑った。



「男が女を守るのが当たり前なんだから、気にすることないさ!」

湯呑を置き、前に乗り出して弥凪の頭をぐりぐりと撫でた。




「よく逃げなかったな! 弥凪は強い子だ!」

その言葉が凄く照れくさく、弥凪は小さく笑って見せた。



「…ワシとしては、そういう場合は逃げてほしいものだね」




小さく呟いた声に驚き顔を上げると隣で茶を啜った利玄が見えた。

男は苦笑いをして、上げていた腰を下げた。



「先程は弥凪を助けて頂き感謝している! えーお名前は?」

「これは失礼! 俺は滝川源(タキガワゲン)と申す、旅人で一月前にこの町に参りました」



軽く頭を下げて滝川は話した。


「一月前に来たのに今日初対面じゃな。旅人と申していたが宿は?」

「あの川を渡った側の宿屋にお世話になっていまして、今日初めて橋を渡り来た所存です」


この町はT字に流れる川の隙間に作られその間を整備の行き届いていない木々が町全体を挟み、三桁にもならない人口が食べていけるだけの田畑は湯屋のすぐ側、南側の川を挟み両方面に広く設けられている。

町には小さいながらも橋は3つ存在し、T字の川を横に跨ぎ北橋と南橋、北橋を渡り暫く川辺を左に右に長屋を歩くとその先町の外へ繋がる大橋がある。

宿屋は町に2つあり1つは茶屋のある方面西区と滝川が世話になる宿屋は隣の方面東区だ。敷地は西区の方が広く人口も多い、東区は整備途中で近い将来間切りする木々を切り倒し広げるそうだ。


西区の長屋商家を挟んだ通りが町で一番広い道がある。

その道を挟むように様々な店が立ち並ぶ。商家並ぶT字川側の一番角の場所にこの茶屋がある。

今回話に出ている東区の宿屋は余所から来た旅人が都合がいいように商家が近場にまとめてある。その東区の宿屋は茶屋からすぐ川の先見える距離であるが北も南も橋は遠く綺麗にその間に建てられている。余程用事がないと此方側に渡る事はないと頷ける。




「滝川さんはお一人で旅を?」



弥凪に用意された茶を一口飲み、滝川に話掛けた。

その質問に滝川は何とも困り果てた表情を浮かべ口元を緩めながら喋り出した。



「旅は一人だが…俺も二十六だからな嫁さんが家で待ってるんだよ」



何とも幸せそうでとけた表情の滝川に弥凪は思わず苦笑いした。

「俺の嫁さんはそりゃ美人で気品が良くてなちょっと気が強い、弥凪ちゃんは若い頃の嫁さんにそっくりだな。あー早く会いてぇな…」



嫁恋しさに遠くを眺め滝川は小さく溜息をついた。



「この町にはご帰宅の途中で?」

黙って話を聞いていた利玄は滝川に話掛けた。

滝川は首を縦に振ると身軽に立ち上がり茶屋出入口から顔を出す。


「こっから見えるあの山の向こうに住んでいます!」



滝川が差す山を見るため、利玄と弥凪は店先に立つ。

南橋の先に見える山を指差していた。この町で一番近場の山で町側の斜面に山菜を取りに登る人もいる。

裏側には小さな村もあるらしくそこに滝川夫婦は暮らしているのだという。



「ほぉ! あそこは八月には山百合が綺麗に咲いているじゃろうにな!」

「利玄様、あの山知っているのですか?」



長椅子に戻り深く腰掛けた利玄に弥凪は問い掛ける。

「昔に一度だけあの山まで行ってな、山百合が咲き乱れていた…まぁ今は九月だから枯れてしまっていると思うがな…」




目を細め、利玄はその光景を思い出していた。

弥凪の頭には夏に川辺に咲いた一輪の山百合を思い出していた。

その甘い香りが鼻を擽り、心がぽかぽかと温まった気がした。



(その山百合がたくさん…凄く綺麗なんだろうな)




想い更けている弥凪を置き空になった皿を持つ利玄は台所に戻る。

その様子をこっそりと見届けると、弥凪は滝川の隣に座りに小声で話し掛けた。



「ねぇ、さっきのどう思う?」

「うーん…」



真剣な表情で話す弥凪に、滝川は眉を潜めて呟いた。



「どうって…俺の嫁は世界一の美女としか…」

真顔でそう答えた滝川に弥凪はガクリと首を下げた。



「違う!さっきってのは、シンのことだよ!!」

軽く机を拳で叩くと、滝川は思い出した様子で、短く”おぉ”っと呟いた。



「あの男ね! …そういえば、あの時シンって言ってたけど、知り合いか?」

滝口に問われ、弥凪は苦笑いをした。



「うん、ちょっとね…やっぱりシンが辻斬りなんだ…」

目を伏せながら、弥凪はぼそっと呟いた。



「辻斬りね…最近噂のアレか…」

滝川の温くなった茶を啜る音が茶屋に響いた。



「お役所に届けるも、シン達の本拠地が分からなきゃな…」

余りにも情報不足過ぎてお役所に届けられないと頭を抱えて机に伏せた弥凪を滝川は見つめる。



「…俺に心当たりがあるぜ」

「えっ!」



勢いよく顔を上げ瞳を輝かした。

その豹変ぶりに滝川は口元をひくつかせた。



「危ないから止める気は…ないようだな。まぁヘタに一人で行動するよりかはマシだろ」

台所に一瞬確認し、懐から一枚の紙と筆と墨の入った小瓶を取り出し机の上に置いた。


「?」


すらすらと書きだした紙を弥凪は覗き込む。

そこにはしっかりとした字で文字が現れた。


”オヤジさんに見つかったら大変だから、ちょいと外で散歩がてら話さないか?”


滝川がわざわざ文字で伝えてきた意味に気付き、二人は顔を見合わせて人差し指を口元に持っていき、しーっと白い歯を見せた。



「はぁー絶対怪しまれたよね…」

「…そりゃ、こんな時だからな」




川辺を歩く弥凪と滝川は深く溜息を付いた。

外は辻斬りに恐怖し、人が少なく先程のような侍がうろついている。

そんな中、散歩など普通では考えられないことで、当の弥凪も利玄にそう話した時は、利玄の目付きが鋭くなった。


何も言わずに無言で弥凪を見つめる視線に背中に汗が伝うのが分かった。

隣にいる滝川が説得させ、何とか外に出た。

ただし条件付きで、夕方までに帰って来ない場合は、騒動が治まるまで外出禁止のこと。


「騒動って、いつ治まるか分からないのにね」

「愛されるのも大変なんだなー」



苦笑いし、空を見上げた。

山の向こうに少し茜色が交ざり、夕焼けの影で黒い雲が千切れ漂い遠くから鴉の鳴き声が聞こえる。斜め横から赤トンボが飛び交い、約束の夕方まで時間がないことが分かる。



「もう夕方だな…まぁ、今日が今日だからな! 明日はいくらか話す時間が増えるだろう!」

滝川がそう呟くと真剣な表情で弥凪を見つめた。




「弥凪が首を突っ込もうとしていることは、とても危険なことだ。もしかしたら命を落とすかも知れないよ?」



その表情をきょとんとして聞いていた弥凪は、やがてにんまり笑ってみせた。

「私はこの場所が好き。それを守りたいのが私の意思。確かに危険な事だけど、滝川さんが私のこと守ってくれるんでしょ?」




そう云われた滝川はある言葉を思い出す。


”男は女を守るものだ”


そうだ。確かにそう言った。

滝川は「しまった」と呟き頭を掻いた。

どうやら弥凪の方が上手の様だ。



「云ったよね? 私に何かあったら利玄様が黙ってないんだから」



宿舎の場所も、自宅も教えてしまった。

意地悪そうな笑顔が向けられ、滝川は小さく溜息を付いた。



「まぁ、俺がいるからって今日の外出も許したんだろうけどな。よしきた。

ちらっと見て帰るだけだからな。それ以上の探索はしないこと。見た情報をお役所に届けたら終わり。弥凪はただの茶屋娘なんだから」

「了解です!」




きりっとした表情で、腕捲りをして張り切った様子の弥凪の頭をグリグリ撫で「ほんと、危なっかしい娘だこと」と溢す滝川はやがて、最後に撫でる仕草から軽く頭を叩くと歩き出した。




「明日のこの時間、北橋前に待ち合わせな! 頑張って外に出てこいよな」

「え! ちょっと!?」



ぐるりと一回り散歩をし茶屋の前まで戻っていた。

台所から包丁がまな板叩く音が聞こえた。それは恐らく利玄が夕食にと野菜を切る音だろう。その音に肩を跳ね上げ滝川から離れ店内へと駆け出す。



「利玄様、今日は私の当番だったはずです」



叫ぶと弥凪は店先の暖簾を片付け台所に向かう。

そのうち二人分の楽しげな話し声が店内に響いた。


「また明日な」



その様子を見届けた滝川はここから少し遠い場所にある橋をを目指し歩き出した。

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