侍と刀

≪刀とはその持ち主の魂である≫


以前、利玄が言った言葉を思い出し、弥凪は紅の紐が揺れる刀をぎゅっと抱き締めた。



昴が江戸を出て数日。

江戸は切り裂き魔曰く辻斬りの話で持切りだ。



「また人が斬られたんだって? 怖いね…」

「何でも腕の立つ男ばかり狙われてるって話だぜ? あいつもここらじゃ有名だった男だからな…」



川辺付近のシダレヤナギが垂れ下がる中、野次馬が群がっていた。

土の色が濃く変わり、太陽の光に水が反射するワラが見える。

そのワラから一本、程良く筋肉が付いた腕が伸び、大きな傷がやけに目立っていた。軽く握られた指や不揃いの爪が普段の変わりない日常を物語っている。


その生々しい姿に思わず顔を背ける者は多かった。

(どんどん被害が大きくなる…)


野次馬に紛れ、その様子を見ていた弥凪は食材を入れた袋を持つ手に力が入ったのを感じた。狙われるのは腕の立つ侍だ。毎日朝になると誰か一人は襲われ命を落としている。


どの家も辻斬りを恐れて、外に出るのを極力避けている。

当の弥凪も一週間分の買いだめと外に出てきたのだった。


当然のように客の出入りがなくなった茶屋は、久しぶりの静寂した空気に溜息が出る一方だ。それでも人々の安全を考えたら打倒の答えと思うから複雑だ。


重い足取りで茶屋に向かい茶屋入口の暖簾を潜ると、何とも見る限りガラの悪そうな男二人組が団子を食べていた。


その二人を横目に見て、弥凪は台所に向かった。

中で団子を丸めていた利玄に弥凪は小声で話し掛けた。


「利玄さま、お客様ですか?」


こんな時、外に出歩き茶屋で茶を啜るなど、怖いもの知らずな客もいたもんだと心の中で弥凪は思う。


「団子を三十注文があったな弥凪も手伝ってはくれないかの?」

利玄は団子を丸める手は止めずに、弥凪に言った。


「分かりました! では、すぐに」

水で手を洗おうとした時に、野太い声が響き渡った。


「おーい、団子のおかわりまだですかー?」

「もう俺たち、食べ終わっちゃったんですけどー?」

「はい、ただいま」


忙しい利玄の変わりに、弥凪が答えた。客が少なくなり作り置きの団子の数も余りない。急いで作り終え小皿に乗せた団子を持って弥凪は駆け足で客の元へと向かった。


「大変お待たせしました」


団子を置く机を眺めるとその異常さに弥凪は茫然とし思わず口を閉じるのを忘れた。小太りで前を大きく着崩した男らは1人長椅子に浅く座り贅肉に膨れ上がった腹を垂らし足をだらしなく投げ出し通路を横切り1人は長机の上に草履を履いたままの足を乗せていた。

幸い泥が付着していない草履は机を汚すことはないが、とても見苦しいものだった。足を乗せ置く場所を失った皿を未だにお盆から外せずにいると男の1人が声を荒げた。


「おせーよ! こっちは腹減らしてんだよ! 餓死したらどうしてくれるんだ」

「すいません、何せ時間がかかるものでして…」


弥凪は目線を下げ文句をいう男の腹を見る。

(こんなぶよぶよに膨れた腹で餓死なんかするもんか)


心の中で毒付きながらも、笑顔で応対した。

もう一人の足を乗せる男が弥凪を舐め回すような目付きで見つめられ、思わず鳥肌が立った。その視線に気付いた腹の出た男が顔を上げ下手くそな口笛を吹いた。


「…団子が出来るまで、俺らの話し相手になってよ!」

少し汗ばんだ手が弥凪の腕の細く白い肌に吸い付いた。

足を長机から降ろすのを見届け隣の長椅子に置いたお盆に未だに残る皿とお茶を開いた片手で置く。


「時間がかかるんだろ? 俺たち暇なんだよねー」

投げ出された男の足が弥凪の足の間に滑り込み両足を塞ぐ。

鼻息が激しく前のめりになった男の手はそろりそろりと弥凪の小ぶりな尻へと伸びていた。


(気持ち悪い…というか暑苦しい凄く不快)

いい加減我慢出来ず掴まれた腕と伸ばされた手を叩こうそした時背後から声が聞こえた。


「お待ちどうさま、これで全部で二十の団子になります!」


その声に振り返ると、大皿を抱え額に汗を光らせた利玄がそこにいた。

男達は舌打ちをし渋々団子を口に運び出した。


「弥凪よ、大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます利玄様」


台所に戻る途中、小声で利玄に言われ、頭を二回ぽんぽんと叩き優しく安心する。先程の事もあり、弥凪は利玄に言われ台所で洗い物の手伝いをしていると時間をかけて食べているのか先程の男二人の話し声が聞こえてきた。


「それにしても、あの男もバカだよな!」

「だよなーまぁ、この世のゴミが一つ減ったってことで良かったんじゃねぇ?」「あの傷のあるオッサン俺たちにぶつかってきやがって、いい気味だよ!」


下品な笑い声が響き、弥凪の洗い物をする手が止まった。

男の言葉に弥凪はさーっと熱が冷めていく感覚がした。

(傷のある…って川辺の!!)


心臓が自棄に煩い手が汗ばむ。

台所からひっそり顔を出し、男二人組の顔を見る。

顔を覚え、お役所に届けようと弥凪は考える。


1人は着崩れした腹の出た男は丸い印象で太く短い丸太のような腕に白い布が巻き付けられている。歳は脂肪のせいで肌艶見た目だけでは判別し辛い。

1人は細身な体格で顎髭を生やした三十路くらいの男だろうか目付きは鋭い。

どちらも腰にはしっかりと刀が見えた。


やがて2人で三十近くの皿の団子を片付けたようで男は席を立つと、茶屋出入口に向かって歩き出した。机の上には大皿と小皿しかなく銭が入った袋が見当たらない。


(食い逃げだ!!)


慌てて台所を飛び出すと外にいる男たちに向かい「御会計がまだお済じゃありません」と叫ぶと弥凪の声に男たちが振り向いた。


「…姉ちゃん。俺らは侍だぜ?」

「はい?」


男の言っている意味が分からず、弥凪は首を傾けた。


「団子を食べる者は皆銭を払います。それがお侍様でも同じことです!」

勘定を男に突き付け、団子を乗せていた皿を指差した。


「…分からないねー姉ちゃんも」


後ろに立っていた顎髭の男が刀に触れ、鞘から刃を取り出した。

ニヤ付いた笑みで刀を抜き、弥凪の喉にそれを向けた。


「俺たちは侍だ。姉ちゃんに向けているのは云わば人殺しの道具だぜ?」

喉から頬へと移動し冷たい刃の平で軽く叩く。


「侍はな、いつでもどこでも人を殺せるんだよ。だからよーこんな可愛い面に傷付けられたくないだろ? だったら俺の言いたいこと分かるよな?」

「はい、御代をお支払下さい」


弥凪の目は頬を叩く刃でもなく、男を真っ直ぐに見つめていた。

背中には汗が伝い、強がっては見たものの何とも情けないが微かに足が震えてしまう。それは仕方がない事であり、頭に過ったのは殺された傷のある男である。

自分もあんな風に殺されるかもしれないと、弥凪は心の中で呟いた。

でも自分の口が閉じることはなかった。


「刀とは、その人の魂。思いを受け刃はその人に応えてくれる。そんな自分より弱い者を脅すだけに成り下がった粗末な刃を私に向けないで下さいな!」


まるで汚物を見るような瞳で頬に当たる刃を見つめ、そのまま目の前の男に視線を移した。舌打ちをし情がさめた男は刀を持つ力を強めた。きっとこの男に取っては飽きてもう遊ぶことのない玩具を置き場所に困り邪魔だと壊すかのように人を斬る。興味がない無感情で醜悪で愛らしい小さな子ども。

その玩具を作った職人やそれを手渡した親の思いも蹴散らして自分の欲望のままに身勝手壊すのだ。


利玄に名を呼ばれたような気がする。

足音が段々と近付いてきた。


光る刃に映る弥凪の瞳は強く、真っ直ぐとしたものだ。

振り下ろされる刀の下でも弥凪は、目を背けることなく男たちを睨み付けていた。


刃は風を切り、砂埃が空に舞う。



―――カキン

甲高い音が響き、それが刃と刃がぶつかり合った音だと気付いたのは数秒も後のことだった。開かれていた瞳の左方向から、大きな黒い壁が弥凪に立ちはだかった。


「こんな町娘に手を上げちゃいけないねー!」


昴と同じようなおちゃらけた台詞だが、その声のトーンは低い。

広く逞しい大人の背中、襟が乱れることがなくキチンと黄色の帯を締め着物は黒地で全体的に薄鼠色の三筋柄、腰には括り付けられた太刀の鞘が残され受け止めた刃は前方の男らに向けその人は弥凪の前に立つ。振り向かれた横顔から見えた少し垂れ目な黒瞳。短髪だが額を出し後ろに流し鬢付け油で固めたようなここらで見ない髪型。その男の印象はまさに黒一色。横入りしたその男から感じる殺気に男二人は後退りした。


「何だ、テメェ…!」

今まで後ろで眺めていた丸みのある男も刀を抜き構えた。


その人は弥凪の肩を抱き茶屋の店内へと押し込む。

「遠くから娘さんに絡んでるのが目に入ってね! 物騒なもん振り回しちゃいけないねお侍さん!」

男はそう前の二人に言い放つ。


「そういう、テメェも侍だろうが!!」

男達は刀を振り上げ、黒い着物の男に斬りかかった。

左右から同時に振り下ろされた二人分の刃を受け止め足を一歩前に踏み出し体重をかけたそれを跳ね返す。

返しの強さに空気を切り裂くような音が響き、突風が吹き荒れる。

黒い男の着物の袖が風に舞い、弥凪の前方を隠した。


男二人の低く短い悲鳴が聞こえ、弥凪が次に男達を見た頃には、衣服の所々が斬られ青ざめた表情だった。


「い、今のは何だ…!!」


すっかり腰を抜かした丸みのある身体を微かに震わせる男ににんまりと笑って見せ砂埃にまみれた黒い着物を叩く。


「必殺かまいたち、なんてな。えーっと、御代は…まぁ、大体こんなもんだろ?」


黒い着物の男は、萌葱色の小袋を手にしており、中に手を突っ込んでいた。

適当に握り出された銭を手の平に広げ、弥凪の手から風で真上に飛んだ請求書を奪い取り中身を読む。細かい銭を後から付けたし請求額分を手渡した。


「え、でも…この代金はあの方達に払って頂かないと!!」


手の平に広げられた銭と黒い着物の男を交互に見て、弥凪は慌てた口調で言う。

対しての男は、きょとんとした表情で口を開いた。


「いや、これアイツのだし」


黒い着物の男は、萌葱色の小袋を摘み上げると、丸みのある男に向かいそれを投げ付けた。小袋は男の胸元に当たり、贅肉で跳ね返り少し離れた場所でチャリと中身の音を立てて地面に落ちた。

一方で鳩が豆鉄砲を食らった顔をしていた投げられた男は懐に手を伸ばした。

斬られたと思われる着物は、懐部分には大きな切り口はなかった。


「ん、あれ…ねぇ!? 俺の銭入れがねぇぞ!?」


そんな馬鹿な、と男は騒ぎながら反対側の懐も漁ってみるも、目的の物は見付からなかった。懐部分に切り口があれば、そこから滑り落ちたと理由が付く。

だが、それがなくただ懐から取り出したというのか。

男はそろりと黒い着物の男を見て目が合い、また後退りをした。


「だから、ソレだって」


黒い着物の男は未だ転がる小袋を指差した。

そして、ゆっくりとした口調で話し出した。


「それにしても、中に白蛇の抜け殻なんて…随分と洒落たものですね」

黒い着物の男が云う言葉に、男は身体を硬直させた。


「…おい、確かテメェの銭入れに蛇の抜け殻入れたって…!!」

隣でただ黙って見ていた男が、額に汗の玉を浮かばせながら話掛けた。

丸みのある男は、更に青褪めた表情で黒い着物の男を見た。


視線に気付いた男は請求書を持っていた手からあるものを取り出し、それを自慢げに揺らす。真っ白な白蛇の抜け殻だった。この銭入れは確かにあの男の物だ。


それを見て男はまた短い悲鳴を上げた。

悔しさから奥歯を噛み締め隣にいた顎髭の男は丸い身体を更に丸めた男の首根っこを引き上げる。重さで起立は無理だが首元が締まり顎髭の男を見上げた。


「いっ、いったん引くぞ!!」

「お、おう!!」



足元に転がる小袋を拾い上げ、男二人は川辺の方へと逃げて行ってしまった。


「え、ちょっと待って!!」


弥凪は辻斬りの男たちの情報を集めたい、今なら本拠地が追跡出来るのではないかと考え、足を踏み出した。


「おい待てって! お前が追いかけてどうするんだよ」


黒い着物の男はそれを見逃さずすぐさま弥凪の手首を掴んだ。

その反動で前のめりに倒れそうになるが、男の力で引き寄せられ倒れずに済む。


「離して下さい! 今ならアイツらを捕まえられる!」


本拠地が見つかれば、すぐにお役所に届けて捕まる。

弥凪は心の中で強く叫んでいた。


「…捕まえるって、幕府の犬じゃあるまいし。アイツらに関わるのは止めておけって! 悪い噂ばかり聞く」


呟いた男が川辺の方を見て息を呑んだのを感じ、弥凪もその視線の先を見た。

そこには先程逃げた男たちが立ち止まり安堵とした様子で突き当りの道に向かい頭を下げているのが見えた。


その影から笠を被った男が現れた。着物の色その背格好と弥凪の頭にある男の姿が浮上した。


刃のような鋭い視線、深緑の着物でそれより色の濃い袴。

着物が肌蹴け胸には包帯が巻いてあり、頭に布を斜めに巻いきピアスをした男。


(シン!)


あの日、弥凪に刀を抜こうとした危険な侍だ。

こちらの視線に気付いたのかシンは男2人に目配せをし長屋の裏へと消えた。


「あの男、凄い殺気を感じた…」

ぼそっと呟いた男を見て、弥凪は頬に汗が伝い喉を鳴らした。


(シンが辻斬りの仲間…いや、シンが辻斬りそのものなんじゃ…)


辻斬りと言うのは組で執り行われている事かもしれない。

組はどれくらいの人がいるかは予測出来ない。

それだったら更に被害は増えていくのではないだろうか。

遅れてきた恐怖で手が震えた。

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