第二章 辻斬り

危険な侍

その日は空が暗かった。曇天の空。今にも降り出しそうな空に身震いをする。早く帰ろうと足を動かすも背後で何か気配を感じて後ろをゆっくりと振り返った。



――――

――


店先から眺めた曇天の空に思わずため息が出た。

どうして人は暗い空を見ると共感したかのように心重しく感じるのだろう。八つ当たりに空を睨みつける弥凪は箒を掃く手を再度動かし始めた。

それを見ていた昴が近付いた。


「なーにカビ臭い溜息ついているんだよ! そのうち頭に茸が大量に生えるぜ!」


悪戯気な笑みを浮かべ両の手を頭の上に持ち上げて巨大な茸の形をなぞり空を切る。今日も相変わらず当店ご自慢の団子に夢中で訪れた昴の頭上の手を掴み胸元で竹箒を持たせて「手伝って」とにこやかに笑い外に置いた昴をそのままに弥凪は店内に戻ろうとする。


「最初は俺は客だ」と騒いでいた昴だが「手伝いしたら団子二割引き」という甘い言葉に惑わされ目の色が変わり黙々と外の掃き掃除をする。

昴を横目に台所の方面へ歩きそこに続く和室は今日はきちりと襖を閉じていた。


本日利玄は軽い風邪で襖の奥に籠っている。

喉だけなら出てくる仕事だがどうも咳が出てしまい気になる。口元に布を巻き付ける事も案に出たがそれは最終手段である。


今日は天気が悪く客足が少ない。1人で切盛りするには問題はない。

それよりも弥凪は利玄の体調が気になってしまう。人生五十年と言われる今のご時世、今年で四十七になる利玄もう立派な高齢者。

それでも五十を過ぎても元気に茶屋に足を運ぶ常連客もいて、五十という目安はあくまで平均的のようなもので、健康を気使い病を患わなければ平均以上を生き抜くことは可能だ。


そんな健康体である利玄が今年初となる風邪を患ってしまった。

たまに聞こえる噎せる声はとても苦しげである。


「そんなに心配?」


先程から真剣な面持ちで襖を見ている弥凪に掃き掃除が終わり箒を片付け終えた昴は話し掛けた。


「利玄様とても苦しそう」としょぼくれた犬のように幻覚の耳を垂れ下げ、先程より大きな溜息を付いた弥凪に昴は苦笑いした。


「じゃあさ、何か消化の良いものを食べさせてあげたらどうかな?」



丁度食事時だと目を輝かせた昴は弥凪の腕を掴んだ。



「いやさ、さっきちらーっと食料庫漁ったんだけど、そんなに食材ないじゃん?

だから買出しにいかなきゃ!」

「何勝手に漁っているのよこの泥棒!」

「ほーら! 早く行かないと雨降り出しちゃうよ?」



台所裏口からそろりと外を窺い言葉を洩らし弥凪の背中をぐいぐい押した。

先程の意地悪そうな顔が一辺し傘を持たせるか悩み眉を寄せていた。

自分の心配をしてくれる昴に素直な気持ち嬉しいと思うが、昴一人に店番をして大丈夫だろうか。

出会ってまだ浅いこの男、昴を信用していいのだろうか。

利玄も床に伏せている今、金銭を盗まれて気付かない。


それでもここ何日か共に過ごし出会い頭の嫌悪感は薄れていた。

先程も店先で掃除を任せる行為も信頼から出てきたものではないか。

そんなに悪い奴だとは思わない。懐にある銭が入る袋を強く握り締めた。


その様子を見た昴は満面の笑みで口を開いた。


「大丈夫だって! 弥凪がいないうちに団子食いまくるとか、弥凪の衣服が入ったタンスを漁ろうなんて」

「やっぱ止める」

「…冗談だって」


強く睨み付けられた昴は縮こまり顔を歪め静かに笑う。


「信じてよ何もしないから! 誰かここに残ってないとオジサンに何かあった時困るだろ? 伝達屋は信頼され任される仕事なんだぜ」


真剣な表情で弥凪の両肩を掴みガクガクと上下に揺する。その行為に弥凪は眉を顰めたが暫し考え「信じて貰わなきゃね。…そうねじゃあ信じてみる」と呟いた。

その言葉に眩しい笑顔で昴は礼を言う。



「…もし店や利玄様に何かあったらそこの川に沈めるからね。 腰部分に紐で岩を括り付けて川魚に寄り添って挨拶して貰うわね」


にっこりと笑い外出の準備をする弥凪に青褪め苦笑いをした昴は”いえっさー”と弱々しく呟いた。



―――――

――――



欲しい品が売り切れてしまい予想以上に遠出をしてしまった。

近所で済ませる予定だったので雨の心配はないと傘は置いてきたのがいけない。

野菜を入れ膨らんだ袋を片手に、草履が脱げないように気を付け小走りする。

いつもは通行人の多い道だが、今日のような曇天の空の下人の影はない。

雨が降る前の湿った空気が鼻を掠め、足を速めた。


紅葉が美しい今の季節、曇り空では空気が冷たくぶるりと身体が震えた。


「お願いだから、雨だけは止めてよね…」


独り言を洩らしながらも足を止めることはしない。冷たい雨に打たれれば身体が急激に冷え込み確実に風邪を患うだろう。細々と生活し営業していた茶屋で2人共にダウンする訳にはいかない。再度空を見上げ足元が凡そかになってしまい、小石に躓いてしまった。身体がぐら付き抱える袋の商品が転げ出てしまい、足元を止めてしまう。


拾い上げ袋に入れ込み一息。

久しぶりに走ったせいか心臓の鼓動が激しく息が乱れた。

これから肌寒い季節になると言うのに走るとどうしても汗を掻く。

額に汗で張りつく前髪を掻き上げた。


柳の木が重く垂れ下がる通り、石の壁に覆われた川が流れそこで魚が軽く跳ねた涼しい音が聞こえた。


「あーもう! 疲れた!」


もう歳かなと乾いた声で笑い冗談で呟いた十六歳の茶屋看板娘は深く溜息を付いた。早く帰宅し利玄の元へ行きたい。手に入れた材料で粥を作ろう。

それでも気持ちとは比例して身体は疲れを訴え、足を引き摺り今度はゆっくりと歩き出した。ふと前方に馴染み客である魚売りの優しい夫婦がこちらに歩いて来るのに気が付き口元を緩めた。


「こんにちは」


元気よく挨拶をし会釈をした。二人は”こんにちは”と声を揃えて弥凪に言う。

いつもは挨拶の後に二三、口を出してくる夫婦に弥凪は首を傾げた。

何処かいつもより元気がないように感じる。


「どうかなさいましたか?」

弥凪の言葉に夫婦は一瞬顔を見合わせ苦い顔付きになり、奥さんが重い口を開いた。


「最近ここらに切り裂き魔が出るっていうのよ…怖いったらないわね」

妻の言葉に夫は深く頷いた。切り裂き魔が出るという情報は茶屋では耳に入って来ない。隣町ほど遠出はしてないが、茶屋より幾分か離れている。その切り裂きまの噂はもう少し先の隣町から出てきているのだろうか。

伝達業の昴にさえ、忠告を受けていない。そう言えば買い出しの際に近所に行くと言葉を洩らした気がする。昴は仕事柄話を聞き出すのが上手いようだ。


「弥凪ちゃん危ないから早く帰った方がいい。おじさん達も早く家に戻る予定だからね…」


夫婦はそれから空を眺め雨を心配し「気を付けて帰るんだよ」と念押すと早足で弥凪が通る道を駆けて行く。



「…切り裂き魔」

弥凪はぼそっと呟いた。

今のご時世切捨て御免は珍しくない。プライドの高いお侍さんが無礼だと感じたら切捨てる。人殺しの道具を腰にぶる下げる。


冷風が背中を撫で寒さで身震いし両手に持つ袋が胸に当たる。

帰宅したら昴に話を聞こう。この曇天の下でいつ雨に降られてもおかしくない状況を打破しようと休まった足を動かす。

弥凪は袋の中身が落ちないようにし走り出すため土を蹴り上げた。




―――ざり


それと同時に、背後から土を草履で擦り付けた音が聞こえた。

異様な気配を感じゆっくりと振り返った。


恐る恐る振り返ると数歩離れた距離に笠を深く被り口元しか見えない人がそこにいた。上は深い緑の着物に下は更に暗い緑の袴。着流し胸に巻くサラシか傷を覆う白い布か分からぬ物を巻き付けている。後から背格好で男だと言う事が分かる。そして腰には刀が二本鞘に納まった状態だ。


笠で顔が見えないはずだが弥凪は強く鋭い男の視線を感じていた。



「…何か御用ですか?」


緊張した空気を打ち砕くため、弥凪は男に問い掛けた。

何時の間に背後に現れたのだろう。

先程夫婦の背中を見た際は人影はなく気配は感じ取れなかった。


(切り裂き魔)


弥凪の心に一つの解答が浮かんだ。

男は弥凪の問い掛けに反応せず、相変わらず沈黙し体勢を変えることはない。

遠くの空から低いゴロゴロとした音が聞こえ、それが雷だと気付き、頬に落ちた滴に肩がビクついた。ポツポツと可愛げがあった雨も数秒も経たないうちに激しく地面を叩きつけ雨と混じる土の匂いを強く感じる。


「…」


雨音が静寂の中響き互いに沈黙が続いた。

男と違い雨水を凌げる物を持たない弥凪は水分を吸い重くなり続ける着物に気付き眉を寄せる。


男は自分に特別要件はなく、ただそこで沈黙し立ち耽ける。

そういう解釈でいいのだろうか。


弥凪が考えが纏まり結論付けようとした時、強い雨音に雑ざり低い声が耳を掠めた。


「邪魔だ」


男は呟くようにそう吐き捨て腰にある二本のうち一本の刀に手を掛けた。

その行動に肝を冷やしたが感付かれないように口元を緩めた。


「邪魔ですか? なら私の横をすり抜けて行けば宜しいのではないでしょうか」


理不尽な言葉と行動に弥凪は苛立たせる。

自分は今切捨てられようとしているのか。冷やかしで茶屋に来る昼間から酒に溺れ隠れた醜い本性を晒す輩も少なからずいる。「常に冷静な判断能力を忘れるなかれ」という利玄の教えを忠実に守りいつも笑顔で応対してきた。


男は弥凪が邪魔だと呟き手に触れている刀で切り捨てようとしているのだ。

この思考は切り裂き魔と同じだ。

茶屋で客に席を勧めるかのように横に空いた片手で差す。

男はその行為を見て鼻で笑い口元を歪めた。


「俺様が端を歩くか。さっさと真ん中を空けろ。女そこを退け」

「退かないと、今貴方の握っている刀で斬るとでも言うのかしらお侍様」


理由は純粋に道を通る事による障害物の除去。

ここより遠く離れた城下町ではお侍様は道の中心を歩くと噂で聞く。その際農民や町娘らは道の端を歩きお侍様の逆鱗に触れないように身を縮こませ生活する。

だがこの町は城下町ではないこじんまりとした町だ。

城までの道は数多く存在しこの町は特に綺麗な観光地でもないので滅多に侍は通らない。


城下町などで一般ある仕来りはこの町にはない。


もし刀に触れていなければ快く道を開けよう。だが男は手を振り解く様子は見られない。互いに動かずただ見詰め合っていた。

相手が次に取る行動を予想し動かなければ危険だ。もしも前方気にせず突き進んで間合いを詰められてしまえば無力に刃で斬り付けられる。


再び沈黙の空気に耐え「いい加減身体が冷えてきたと」すっかり湿ってしまった袋を持ち直した。その音に反応し男は重い一歩を踏み付け前進させ水溜りが音を立てた。



「あ、いたいた! しんさーん!!」



男の背後から張り詰めた空気を解かすような気の抜けた声が聞こえた。

前方からは和傘を差し、もう1本和傘を持ち駆け寄るのは目の前の男と同じ格好の見た目若そうな男だった。

若い男の出現で完全に空気が解かれ、笠を被る男は刀から手を引き振り返る。

その若い男に”シンさん”と呼ばれた笠を被った男は歩き出し、差し出された和傘の下に入りそれを受け取る。


傘の下に笠をした男、なんとも言葉遊びのような不思議な光景に目を丸くする。



「捜しましたよ臣さん! 今日は総会があると言ったハズですよ! さぁ皆さん待っています! ほら行きますよ!!」



小走りで前を行く男に小さく溜息を付いた様子で、湿っていた笠を取った。


「じゃあな女」


臣と呼ばれる男は和傘の中で薄く笑っていた。

感じていた鋭い視線はそのままに弥凪を見下ろす。


深い黒に近い青の長髪を結ぶと鎖骨くらいの長さを高い位置に一つ後ろに、何故か濃い藍色それ程太さのない布を右上から左耳を隠す程に斜め縛り、左下の肩部分に縛り余った布がぶら下げる。着物は深い緑で着流された襟から見える胸は白布で覆い左腰には刀が2本、太刀と脇差の通常の組み合わせではなく太刀が2本それを支える不自然に頑丈な黒い袴を履き右耳に縦長で少し装飾が施された橙色の目立つ小物を耳にぶる下げ盗賊か侍か、色々と中途半端な風格の男だ。



やがて男は笠を小脇に歩き出す。和傘の下から一つに結んだ髪が揺れる。

その後ろ姿を眺めて弥凪は「危険な奴」と呟いた。


身体が完全に冷え背筋が震えた。雨は降り止まないらしい。

鼻がムズ痒くて弥凪は大きなくしゃみを一つして駆け足で目的の場所へと向かっていった。

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