迷惑な男
頭の右側に一本の毛が上に他は皆下向きに毛先は跳ね上げ黒髪真後ろ項辺りで短く結い、柄物の派手な羽織に中は藍色の着物で下は黒地の袴を履く青年は、先程からガツガツ団子をかけこむ。
ここまでの量を平らげる人は見たことがなく目の前にいるこの男は人間ではなく妖怪ではないかと疑い始めた頃、皿が四十に達したという所で一息尽き高さがある皿の後ろに隠れてしまった湯呑みを掴み、少し温くなったお茶を啜った。
「いやぁ、助かったよお姉さん!危うく餓死する所だったよ」
膨れた腹を満足気に撫でながら男は言う。
先程お姉さんと言うこの男、見た目は弥凪と大して変わらない歳に見える。一本の立ち上がった癖のついた毛がぴょこぴょこ左右に揺れ嬉しさを表現しているようにも見えた。
重なった四十の皿を数回に分け台所に持っていく。
帰宅して早々に大量の団子作りをし皿が足りないと先程購入した新品の皿を使う始末だ。夕暮れ時で客足が途絶えた頃で良かった。もしこのような珍光景を見たらお年寄りが驚いて喉に団子を詰まらせるかも知れない。ノリのいい酒屋のオジサンが煽り店内がお祭り騒ぎで賑わっていただろう。注目されるのはいいが変な噂を持ち込みたくない。薄汚れた着物に餓死寸前だと言う正体不明のこの男とはあまり関わりたくないと感じた。
「よく食べる奴だ! 作りがいがあるってもんだい」
帰宅するなり見知らぬ男を連れてきた弥凪に一瞬眉を顰め怪訝な面持ちだった利玄だが理由を話すといつもの明るい表情になり早速団子作りに勤しんだ。在庫がなくなり途中から男の食べる様子を見ていた利玄は気持ちよく綺麗に平らげた男の背中を一度叩き喜びを表現した。男にしてみたら胃の中の団子が出てしまわぬ様に口元に手を当てた。声を出して笑う利玄を横目に見て、清算書を眺めた。
「それにしても、お金足りるのかしら…前例にない金額よ?」
驚愕とした表情の弥凪が渡した清算書を見て青年は顔を青褪めた。
「あ…やべ、お金足りんね」
胸にしまっていた袋の中身と清算書を交互に見て冷汗を掻き始める。
無断飲食は見付け次第、治安を守るお役人様に報告。
そう呟きながら店を出て行こうとする弥凪の足に青年がしがみ付く。
「それだけは勘弁してくれ!! 今、手持ちにないだけで、俺の屋敷にあるんだよ!!」
「…信用出来ないわ、離しなさい! このスケベ!」
誰が見ても分かる嘘泣きをしつつ弥凪の無駄な贅肉がないスラリとした白い足にしがみ付き、手元が太ももに上がってきた所で店の外にある箒で頭を殴る。鈍い音と青年の悲鳴が響き渡る。
「次、変な真似したら台所から包丁を持ってくるわよ」
不埒な行為に低いトーンで呟いた弥凪に青年はごくりと唾を飲んだ。
「まぁまぁ、弥凪。こやつを信じてみようではないか」
「利玄様!? こんな男を信用しろと言うのですか!? 無謀です!」
両手を顔横に持ち上げ手のひらをこちらに向けた青年を強く睨み付け、弥凪は利玄を見詰めた。前例、煎餅を食べられた事もあり弥凪はこの青年に好印象を持ち合わせていない。
「うむ、でも確かに。行き成り信用しろと言われても無理な話かの」
弥凪の意見を聞き入れた利玄は、ちらりと青年を見て溜息を付いた。
青年はバツが悪そうなから真剣な表情に変え暫く悩んだ末に懐から一本の短剣を取り出した。
短刀ならよく見知っているが短剣は初めて見る。国外からの輸入品だろうか鍔の部分と持ち手に細かい装飾品が組み込まれていてとても高価な物だと言える。
「…では、この小指を俺の覚悟として!」
「小指?」
弥凪は青年の言っている意味が分からず首を傾けた。
それとは反して利玄は青年の頭を強く殴り「馬鹿野郎」と怒鳴り付けた。
「ここは茶屋の店先だ。血生臭いのは避けくれないかい。代わりにそれをここに置いて行け」
殴られた頭をさすりつつ、指名された短剣を強く握り締めおずおずと顔を上げた青年に利玄はにかっと安心させるように笑い見せた。
「腹が減っていたんだろ? 流石にこの量をご馳走する程懐持ち合わせていないもんでな。見た所大切な物のようだしお前さんなら逃げ出さないだろうよ。なーに、金を持ってきたら短剣は返すからよ!」
タダ働きさせるという案もあるのだが、当人の青年が仕事に支障が出るとそれを拒んだ。屋敷に出向き2人どちらかと共に取りに行かせる案は薄ら暗くなり始める空の下それは出来ない。弥凪を夜道歩かせるのは勿論無い事だが利玄が出向き店に1人で娘を残す事も避けたい。
「あ、ありがとうございます!!」
青年は頭を深く下げ手に持つ短剣を名残惜しそうに利玄に手渡し、何度も振り返り店先に立つ2人に頭を下げて歩いて行った。
青年の後姿を見ながら店先の下がる暖簾を片付けている利玄に弥凪は呟いた。
「利玄様は優し過ぎます。あの人が嘘をついていたらどうするのですか?」
弥凪の問いに懐に仕舞った男から預かった短剣を出しそれを手渡した。
「あの青年嘘をついているようには見えなくてな。それに置き逃げだったらコレを渡した時あんな顔はしないからの。刀はその人の魂。意志の強さ。即ちワシはあやつの魂を預かっているのだよ」
そう思うと怖い取引じゃろ?と不安げに見上げていた弥凪の頭を軽く撫でた。とても温かく安心する撫で方に思わず目を瞑る。
確かにあの青年は短剣を渡す際とても寂しく不安に満ちた表情だった。まるで自分の半身を奪われたような失望感。へらへらした間が抜けたイメージだった青年が、こんな表情も出来るのかと驚いたものだ。
「刀は魂…」
台所から名を呼ぶ声が聞こえ慌てて小走る弥凪は、ふとあの紅い紐の刀を思い出し手元にある短剣を強く握り締めた。
あの男が食べ終えた大量の皿を洗う最中、利玄に聞いた話だがこの男は悪い人相ではない自分の直感を信じたそうだ。その直感を信じきっと自分は拾われたのだと弥凪は小さく笑ってしまった。
―――――――――
―――――
「よぉ!!」
台所で今朝方届いた材料を蔵に入れている最中背後から突然声がして振り返る。
がさっと何かが擦れる音と鼻の衝撃、顔に押し付けられたのは煎餅が詰まった袋と背後で出会った頃と同じように楽しげに笑う青年だった。
「これくらい返せる金はあるってもんだい!!」
蔵に通した利玄は青年から払い受けた銭の入った袋を抱え、預かっていた短剣を手渡した。青年は弾けるような笑顔でそれを受け取り愛おしそうに頬擦りをした。どうやら利玄さまの言葉は正しかったようだ。
頬擦りに満足したようで、懐に短剣を仕舞いにかっと笑う青年は弥凪に向けて手を差し出した。
「…何ですか?」
「何だお前、握手も知らないのか?」
小馬鹿にされたような顔で言う青年に眉を顰め棘がある口調で答える。
「それくらい知ってますけど、どういう流れで貴方と握手しなければならないのですか?」
理解に苦しむ弥凪はちらっと利玄を見ると何とも苦笑いをしていた。
「知り合ったのだから握手は必須だろ?
また会うんだからな! 宜しくってことだ!」
しぶしぶ手を差し伸べる弥凪に青年は言う。それを見届けた利玄は仕込みをしに台所に向かった。
その行為が嬉しいと頬を染め照れるような表情になる青年に弥凪はふと出会い頭で思う所が有り口を開いた。
「そう言えば、昨日のあの下駄。当たり屋のつもり? 道端に何で下駄転がせておいたの? 転んだの?」
「はは、お姉さんじゃあるまいし違うよ」
青年は思い出したように悪戯に笑い未だ握手で繋いでいた手を左右にゆらゆら揺らす。
「女性に身体をぶつけて痣が出来たらどうするんだい。俺はすぐ側の木の後ろで隠れてあの運命の下駄で転んでしまうドジっこ天使ちゃんと地面の間にスライディングで滑り込みあの柔らかな身体の下敷きになりラッキーなアレを期待してたんだけどね、お姉さんの時は空腹の方が強くてそれで丁度煎餅の匂いがしてね!!」
へらっとした顔に握られていた手を振りほどきそれで風を切り青年の片頬を思いっきり力の限り一発殴る。
「ビンタは痛いよお姉さん!」
「予想以上に不純な話で反吐が出るわ」
強く握られた拳を見て青年は怖い怖いと両手を胸の位置に上げた。
ひょいと軽く弥凪から距離を取り準備中のため暖簾がかかっていない出入り口へと逃げ出した。
「俺の名は
昨日の礼は利子を付けて返させてもらうよ。それじぁね、東雲弥凪さん」
大きく手を振り、さっさと歩いていってしまった。
「何あの男!」
どうして自分の名を知っていたのだろうか。
そんなこと考えるよりも先に、今はあの男に対しての怒りが強い。
常連さんの1人にあの男の被害者がいる。愉快な男で面白く転んだ所を助けて頂いた心優しい青年と穢れのない笑みでそれを話す被害にあった女性を思うと心が痛い。
「二度とごめんよ」
顔はもう見たくないと未だに沸々する怒りを抑えるために営業時間が迫る店内を台所にいる利玄の仕込みを手伝うために早足で向かうのであった。
―――――――――
―――――
「やぁ! 繁盛してるかね?」
今朝と同じでへらっとした笑みを投げ掛けられた。
茶屋の台所にある小窓から声が聞こえ、正直驚いた。
「これ…貴方の仕業? 一体どんな魔法を使ったのかしらね?」
小窓から顔を出し弥凪に向かってにっと笑って見せた。
「そうさ、俺は魔法使いさ! お姉さんの茶屋に客を呼ぶくらい、お茶の子さいさいですぜ! 言っただろ? 利子を付けて返すって!」
時間がないため細心の注意を払いながら新しい皿を用意するため洗い続ける。あまりの忙しさに長屋を貸す大家の茶屋常連さんんである兄夫婦が無償で手伝いに来てくれているありがたい話である。勿論貴重な時間を頂いているのできちんとお礼はする予定だ。オープン当初よりも前例にない行列が店先に並んでいた。流石に2人でこれを回すのは無理がある。細々と営業していた身であり昨夜のこの青年のせいでいつも以上に多めに今朝材料を入れて貰って正解だった。これもこの男の作戦なのかと疑ってしまう。
「ここの茶は天下一品。何でも長寿の源らしいな!」
「美味しい茶菓子でお肌がつるつるですって? それ二十個頂けるかしら?」
今朝一番に来たお客が弥凪にそう尋ね、いそいそと椅子に座る。同じような事を言う客で店は一杯になり、今じゃ開店してから無休の働きづめだ。
「何か騙している感じで気が乗らないんだけど…」
「そう言うわりには、手が休み無く動いてるね」
悔しくも否定は出来ない弥凪を見て青年、風逸昴は邪気のない笑みを浮かべる。
「騙してなんかないさ! ここの茶と菓子はまじ絶品だぞ? 話に尾びれがついていたとしてもそれを嘘だと疑わない程の美味さがこの菓子たちには有ると思うぜ」
「…余り物でよければ、水羊羹でもどう?」
茶屋のことを褒められたのは素直に嬉しいものである。
先程利玄に休憩を貰い、昴を台所から続く和室に招き入れた。
「それにしてもどうやったの?」
奥から水羊羹を器に入れそれと共にお茶を手渡すと昴は茶を啜り一息付く。
「方法は秘密だけど、俺伝達屋だから! 伝達はお手の物だよ!!」
「伝達屋ねぇ…」
名前からして何かを届け伝える仕事のようだ。
何処の町まで伝達したか知らないが見知らぬ顔のお客さんが多いので隣町は確実に回っているだろう。
”ごちそうさん”と湯のみと水羊羹の入った器を手渡し満足そうに畳の上に寝転がる。
本日の仕事は終わりらしく満足したら帰るそうだ。自由気儘な性格らしい。
「そう言えば今朝、あれだけの金額一括で払えるなんて、貴方って「風逸昴!」
弥凪の言葉を遮るように昴は叫んだ。
一瞬声を荒げられた意味が分からずその理由に気付きしぶしぶに口を開く。
「・・・えー風逸は、もしかして高家の人ですか?」
その言葉に昴は吹き出して腹を抱えて前屈みに笑う。
弥凪自身は相当勇気のある質問である。
高家の人であったら今朝殴った手が無礼と見なされ切り落とされても不思議ではないからだ。
「そんな偉い家柄じゃないよ! 普通の村人さ!」
懐に仕舞っていた短剣を取り出しくるくると手遊びを始める。
普通の村人は装飾品輝く国外の品を持ち合わせていないのではと思いながら自分用の水羊羹を頬張る。
「ただの物知りな、村人だよ! 弥凪ちゃん!
それに風逸じゃなくて昴って呼んで欲しいな!」
同い年だと告げられ”ちゃん”付けと最後の言葉に心底嫌そうな顔をした弥凪に向かい、にししと昴は悪戯気な笑みを浮かべた。
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