ひろいもの

記憶を失った原因は不明だ。意識が浮上した時には既に記憶が欠落していた。

記憶障害の原因は頭に強い衝撃を与えられたことによるものでそれは直接的なものや精神的によるものだと利玄に運び込まれた宿に呼ばれた医者がそう告げた。

自分が目覚めたあの村で少女の顔を知っている人はいないそうだ。

聞けば今いる村より上流に2つ程別のここより小さな村があるそうで、そこから来たのではないかと宿の女将は利玄と話していた、だがその村に通じる道はこの台風で今は塞がれてしまっている。


この小さな村は利玄の故郷であり、茶屋を出したいと夢を見て念願の長屋の一角を少し離れた小さな町で借りることが出来た。本日は必要な物を取りに来たと馴染みである宿の女将に告げた。

何年か前に利玄の妻は病で他界したそうで、その茶屋の夢は夫妻2人によるものだった。

台風のせいで予定が大きくずれ急ぎで明日にはすぐ町を目指すそうだ。

そして次の朝、少女である弥凪も共に連れて行った。

あれから上流にある村の話は聞いていない。


名前も居場所も微かな記憶しかない先の見えない不安な暗闇で泣いている自分を利玄は暖かな光を照らしてくれた。

今は新しい名前も居場所も与えられた。とても幸せだ。


だけども―――



「やっぱり過去の記憶がないというのは、気分が晴れないよね」


弥凪はお客が食べ終わった皿を片付けるために台所の暖簾を潜る。

順風満帆なこの2年気持ちに余裕が出来たからか自分の過去について考えてしまう。

大切な人だからこそ自分の全てを知って欲しい。あの村の上流に過去の自分を知る手掛かりが有るかも知れない、だが2人きりで他に従業人がいない小さな長屋の茶屋にそんな余裕はなく歯痒い気持ちである。


「弥凪よ、ちょっとお使いを頼まれてはくれないか?」

「はい。いつもの陶器屋ですか?」


台所に顔を出した利玄は風呂敷に包んだ荷物を持ち弥凪に言う。

水を汲み桶に入れた並べた皿の汚れを落としながら弥凪は問い掛けた。


「そうだね、あの陶器屋で皿を買ってきてくれるかい?」

「お皿ですか…大きさはどれくら」


弥凪は洗い終わった皿を少し湿った布で拭いていたが手が滑る。

ぱりん、と甲高い音が響き足元に破片が散らばった。


「…そうだね、丁度さっきのサイズの皿を十枚と思っていたけど、もう一枚追加で頼むよ」と告げると苦く笑いを見せた利玄は箒を取りに奥の倉庫へ小走りで去る。


「…ご、ごめんなさい」


思い出せばここ最近仕事中に派手に台所で転び、中皿を割ってしまい、その枚数は確か十枚だった。


「ぼーっとする癖早く直さないと…店中の皿が粉々になる…」


ゴクリと唾を飲んだ弥凪は粉々の皿を見て利玄に申し訳なく感じ身を縮ませた。




―――――――――

―――――




長屋立ち並ぶ店先で水撒きをしている従業人に挨拶をし、虫を追いはしゃぐ子どもを横目に頼まれたお皿と煎餅が入った袋を持った弥凪は茶屋に向かい足を運んでいた。


馴染みの陶器屋の主人にお使いを褒められ煎餅の袋を渡してきた。

頭をぐりぐりと撫でられ何だかこそばゆい感覚で、とても落ち着かない。

まるで子ども扱いだ。


弥凪も十六になる。

大人に見られたい年頃だが、周りの人から見たらまだまだ可愛い子どもらしい。

転んで折角の皿を割らないように足元に気を付けて歩く。


「ひょ!?」


何かに躓き前のめりに倒れる。

(お皿が割れちゃう)



弥凪は瞬時に状況を把握し、すぐ隣の川辺で洗濯をしている人を見つけ近くにある枚数がありいいクッションになると思い洗濯物の籠に狙いを定める。


「飛んでいけッ!!」


短い距離ながらも慎重にルートを計算をして皿の入った袋を投げ付けた。

小さいながらに弧を描いて袋は籠に入りぼすっと柔らかな洗濯物に包まれた。


女性は驚き短い悲鳴を上げ、弥凪は顔面を硬い地面に打ち付けた。

激しく鼻が痛いが急いで立ち上がり、素早く籠の中の袋を確認する。

(割れていない!よかった)


どうやら陶器屋の亭主が気を利かせ皿を縛った厚手の布を何枚か多く使っていた事を中身を確認した際に気付き心の中で亭主の顔を頭に浮かべ拝んだ。

ほっと胸を撫で下ろし、悲鳴を上げた女性に謝りその場をすぐに立ち去ろうとした。

だが何か違和感を感じ、抱き締めた袋を見て思い出す。


「あれ? 私のお煎餅はどこ?」


麻袋の中に確かに入れたお煎餅の小さい袋を探し、きょろきょろと周りを見回すとその探し物を持った青年が、袋に手を突込み中身を口に運んでいた。


「んまいんまい。この煎餅絶品だなー」


薄汚れた青年が人の煎餅をこれは元から自分の持ち物でしたという平然とした顔で食べている。突然のことで呆然とする弥凪に青年は呟いた。


「んまいけど…これ湿気ってるな 煎餅なのにバリバリ言わないし」


弥凪が転んだ原因である「何か」道のど真ん中に普通は転がっていないであろう下駄を裸足の指先でひょいと拾い上げ器用に履く。

口元に付く食べかすを舌で舐め取りながら、青年は弥凪に言う。


「俺、今すごくお腹減っているんだ! 何処かご飯食べれるところないかな?」


にへり、と笑う青年が私に歩み寄り薄汚れた服を叩いていた。

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