第3話世界がなんだと彼は言う。

私は、道標の神様だ。



人に自分の進むべき道を教えて、正しい人生を歩ませるのが私の仕事である。

一人一人には個々の人生がある。その説明書のようなもの(これを人生ノートと言う)を持ち歩いては、私は一人一人をよく見ている。


人の人生というものは、母親の腹に命が宿ったその瞬間に、終わりまでの予定が全て決まる。


いつの日に歩けるようになって、いつの日に怪我をするのか、いつの日に受けた学校に受かり、いつの日に結婚をし……。




そしていつの日に、人生の終わりを迎えるのか。




そうした予定は一寸の狂いもあってはならない。もしそのレールから外れてしまいそうな時は、私が力を使って元に戻す。


この人生ノートには、この世に生を受けた人間一人一人の一生が記されている。皆、これに従って今を生きている。


だが今まさに目の前では、その予定を《狂わせようとしている》男がいた。

厄介なのは、彼が私の存在を認知しているということだ。私は神なる存在、人に姿を見られる事は決してなかった筈なのに、何故か彼には私の姿が見えていた。


それだけに、彼に神の力が通じるかどうか。


「何をしているんですか?」

「見て分からない?こいつが溺れてたから、助けたんだよ」


人からすれば浅いだろう川の中で、小さな子犬が流されていた。それを見兼ねたのか、散々私にしつこく話しかけていた彼が助けていた。


「そんな事は見れば分かります」

「ならなんなのさ」

「何故助けたのかと聞いているのです」

「??不思議な事を聞くんだね」


子犬も彼も、川に浸かっていたせいでびしょ濡れだ。子犬の方は寒さに震えているようで、小さな身体を丸めて必死に暖を求めている。


「じゃあ聞くけど、この子このまま僕が助けず放っておいたら、誰か助けに来た?」


私は答える。


「いえ。本来ならこのまま百メートル先の橋の麓に引っかかり、そのまま衰弱死するはずでした。ご覧の通り辺りには人はいません、それこそその犬は吠えるどころか鳴くことも出来ないほど弱りきっていたので、誰も気付くはずがありません」

「ならなおのこと、助けて正解だったじゃないか」


子犬の頭を撫でながら彼は言う。この男は何故分からない、自分のしでかしてしまった事の重大さを。


「あなたが助ける必要は無かったはずです」

「じゃあ誰が助ける?」

「誰も」

「そらみろ、僕が助けなかったらこいつ死んでたじゃないか」

「それでいいんです」


その犬は今日あと少しで死ぬという運命だった。だが彼の愚かな行動によってそれは遮られた、運命を変えられてしまった。


人生ノートにない現実が、作られてしまったのだ。



「世界は記された通りに進めなければならない。これは決定事項です、予定外の出来事は許されません。

さもなければ」

「《世界の終わり》が来るって?」


私の考えを見透かしたように彼は言う。


「分かっているなら尚更、何故助けたんです」

「しつこいな、助けるのに、理由がいるのかい」

「貴方、消されますよ?」

「そりゃ怖いね。明るいうちに帰るようにはするよ」

「殺されるんじゃありません《消される》んですよ。

存在自体が。

あなたの情報が。

あなたが生まれここまで成長したという証が。


あなたはこの世界にとって、《元々いなかった存在》になるんです」

「なんでさ」

「そうしなければ、世界は不安定のまま。貴方を消すことによって、貴方がしでかした愚かな行為が」

「消えるってのか?それで、本当に《崩れたと思われる世界》が修復されるのか?」

「はい」

「何を根拠に」

「とにかく、貴方は招いてしまった。生きとし生けるモノが恐る《世界の終わり》を」

「その人生ノートに従って皆が皆助け合わなかったら、それこそ世界の終わりだ」

「なんですって?」

「君の言う《世界の終わり》というのが、何を指しているのか分からないけど、僕たちからすれば見て見ぬ振りをする人間に溢れてしまったら、この世界はもう成り立たない。


目の前に救える命があるのに見捨てる?馬鹿な事を言わないでくれ。この子だって生きてるんだ、ゲーム盤の駒じゃない、一度死んだらもうこの子の人生は終わりなんだ。

人は弱い、だから助け合うんだ。


少し手を差し伸べれば助かる命を、みすみす見殺しにさせるのが神様のすることか、大したもんだい」

「神を愚弄するおつもりですか」

「この世にはいるかどうかも分からない君たち神様を崇めている人たちだっている。信仰が君たちの力になるんじゃないのかい」

「それは神によって違います。


ともかく、打開策は見つかりました」

「???」

「その犬を、今すぐこの川に捨てなさい。そうすれば貴方を消さずとも世界は崩れるに済むでしょう」

「……興ざめってやつだね。さよなら神様、もう二度と会うこともないだろう」

「ま、待ちなさい!その犬をどうするおつもりですか!?」

「連れ帰ってウチに住まわせるさ。ウチのアパートはボロっちいけど、融通は利くんでね」

「そうなればもう、貴方を消す他方法は無くなります……!」

「勝手にしてくれ。《助け合わない世界》が君たち神様が目指すものなら、こんな世界にいたって、胸糞悪くなるだけだ。この子を助けないで他の人を助ける、そんな偽善者の世界をどうぞお造りになってください」

「消されたら、もう学校へ行けなくなります」

「単位を取らなくて済む」

「バイトも出来なくなる」

「店長とはウマが合わなくてね、丁度いい機会だ」

「スタバにも、行けなくなります……ッ」

「あそこの席、割と好きだったんだけど、仕方ない」

「わ、私の……話し相手には、一体誰が」

「それは唯一の楽しみだった」

「貴方は……一体何を考えて」

「世界がなんだというの?」

「……!」

「人の可能性も希望も、全部そのノートに任せっきりで、目の前の小さな命だって助けてやれないいや助けない、だって台本には無いシナリオだから。


それで君の望む世界が出来上がるのかい?


その世界はそれをしてまで、価値のある素晴らしいものなのかい?」


思わず私は息を呑んだ。

まさか、人間の言葉に耳を貸し、尚且つ彼の話に言葉を詰まらせるとは。


「ああ、そう。消すならこいつも一緒にしてくれ。僕がいなくなった後、誰も面倒を見てくれないんじゃ可哀想だ」

「影響を及ぼす膿は残さず消します。


言われ、なくとも」

「そりゃ良かった」






それから彼は、子犬を抱きかかえたまま帰って行った。



日付の変わる少し前、私はこの人生ノートについて上司に話した。


これが無くても成り立つ世界をどうか出来ないかと。


《愚かな考えを持ち込むな》


たったそれだけ吐き捨てられ、日付は変わった。



その時には既に、《彼》はもうこの世に……いや、この世界にはいなかった。


数日経って、私はあの川へ足を運んだ。川の両端を囲うガードレールを乗り超えて、何を思ったか私は川に身を投げていた。


川は思っていたよりも深かった。小柄な私だが、水位は腰よりも上まで来ていた。

これでは子犬が流され溺れるのも、無理はない。


流れに身を任せて百メートルほど流れていると、橋の麓にぶつかった。


胸が締め付けられているようだった。気が付けば、彼の姿が頭から離れなくなっていた。






ひとしきりに彼の名を心の中で叫んだ後、私は声を殺して泣いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界はこうあるべきだと神は言う。 泉紅葉 @voled

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ