寝れない夜に贈る短編集

五分前とあいつ

やぁ、こんにちは。

…こんにちは？

あぁ、気づいてくれてよかった。

そう、あなたですよ、あなた。

確かにこんなシルクハットを被った怪しい風貌の人に話しかけられたら

戸惑うのもわかりますが、無視は傷つきますね。

何の用かって？

用というほどのことでもないんですが。

ちょっとした私の趣味ですよ。

何のことかわからない？

…まぁいいです。

少しばかりこの怪しい私の与太話に付き合ってはくれませんかね？

ありがとうございます。

では、早速なんですが…

「世界五分前仮説」

というものを知っていますか？

あぁ、大丈夫ですよ知らなくても。

実に意味は簡単な思考実験の一つです。

いいですか？

世界は実はここだけの話、五分前にできたんですよ。

ビックリですね、カップ麺並みですよ。

そんなわけがない？

事実、私の年齢は五分を超えているだって？

証明できますか？

あなたが五分前に生まれたものではないということが。

…確かに今日の記憶はあるでしょう。

起きた、食べた、話した…。

ただし、それが誰かに植え付けられた偽物の記憶だとしたら？

五分前に世界と共に生まれたあなたが抱いている妄想だとしたら？

…どうです？面白いでしょう？

あなたはあなたがあなたであることを証明できない。

あなたの記憶は常に曖昧です。…かくいう私もそうですが。

実際、今私があなたの頭をはたいて「今日何かを食べた」ということを忘れさせれば

あなたは記憶では食べてないことになるでしょう？

ん？あぁ、大丈夫ですよはたきませんはたきません。

そんな野蛮なことは致しません。

とまぁ、そういうことです。

「世界五分前仮説」のニュアンス程度は理解していただけましたか？

…ありがとうございます。理解が早くて助かりますよ。

では…そろそろ…

ん？何ですか？

素性を教えてほしい？

この私のですか？

あなたは何回教えても覚えていてくれないじゃないですか…。

私との関係を説明しても、何を説明しても、あなたには時間が足りないんですよ。

たった五分間だけの現実。五分間だけの触れ合い。

私も変な趣味を持ってしまったものです。

…次は朝食を食べていないパターンに設定しますかね。

データも溜まってきましたし、そちらの質問の傾向もわかってきました。

あなたは現状に対しての質問が多いですね。

お前は誰だ、それは何だ、何のことだ…。

説明してからしか反応できない…。

いい傾向です。これならこの「世界五分前計画」も実行に移せそうですね。

せいぜいこの実験が終わってもとの世界に戻っても、そうやって理解した現状にだけ

疑問を抱いていてください。難しいことは考えず、調べて理解してくださいね。

なんです？

…なんど言わせるんですか？

説明してもわかってくれないといったはずでしょう？

まだ戻していませんよ、誤作動しないでください。

これはただの知能テストなんですから。

あなたは余計なことは考えない葦になればいいんですよ。

そんなことより、だんだん意識が薄れていきませんか？

そうでしょうそうでしょう…。

大丈夫ですよ、寝てしまっても。

では、お休みなさいませ…。

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あなたはけたたましい音に脳をゆすり起こされる。

あなたは目覚ましを止め、着替えたシャツに腕を通しながら

コーヒーを入れにキッチンへと向かう。

だがあなたは気づかない。気づけない。

これが初めての「起きる」行動だということも。

今から初めての「飲食」をすることも。

五分前に世界が作られたことも。

あなたが五分前に新しく生まれ変わったことも。

あなたの頭上の見えない位置、死角に

あいつが、忘れてしまったあいつが、記憶から消えたあいつが、世界を消したあいつが、好き勝手に世界を変えたあいつが、家を作り変えたあいつが、妻子を消したあいつが、もとは研究所で働いていた自分の職業を記者に変えたあいつが、危険思想だと判断されて研究所から追放されたはずのあいつが、支配者に憧れていたあいつが、

まるで子供がいたずらをして、ばれていないことを面白がっているような

憎たらしい顔を

にやにやと

けらけらと

覗かせていることにも。