忘却の王子とはじまりの魔女:2

「ところで、調合は進んでいますか?」

 窓からひょいと部屋の中を覗き込んで、エリクさんが問いかけてくる。魔法使いだから、やっぱり魔法薬にも興味があるのかもしれない。

「今から煮詰めていく作業に入ります。時間がかかるので夜にじっくりやろうかと思って」

「希望はフィオ様にかかっていますからね、頑張ってください」

 にっこりと明るく笑うエリクさんにつられて微笑み、しっかりと頷く。こういう状況でも明るいエリクさんには精神的にも助けられている。

「ああそうだ、血が必要だと聞いていたんだが」

 ジルベルト様が思い出したように問いかけてきた。狭い鉄格子の窓でのやり取りはもどかしい。

「はい、クラール様の血縁者の血が必要で……ほんの一滴でいいんですけど」

「明日の朝では時間がないだろう」

 かちゃ、と扉の向こうで音がする。首を傾げていると、鉄格子の間からジルベルト様の指が顔を出した。指先から血が流れている。ナイフか剣か――どちらかで指を傷つけたんだろう。

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 慌てて机に戻って小皿を取ってくる。滴る血を数滴、小皿に落とすとジルベルト様は指を引っ込めた。

「ありがとうございます、ジルベルト様。傷はちゃんと手当してくださいね」

「これくらいは舐めていれば治るさ」

 けっこう深く切れていたようなので念を押すけれど、ジルベルト様は手当てするつもりがなさそうだ。私はため息を零してハンカチをポケットから取り出す。

「ジルベルト様、指を出して下さい」

 有無を言わさずにそう言うと、ジルベルト様は素直に傷ついた指を差し出した。まだ血が出ている。ハンカチをくるくると指に巻いて、簡単に手当てをする。高い位置に窓があるせいで上手く出来ない。

「本当はきちんと消毒もしたいんですけど」

「これで充分だ」

 ジルベルト様が眦を下げたのが見え、笑ったんだな、と思う。ジルベルト様は一番目に表情が現れやすい。

「あと、これを」

 ジルベルト様が小さな隙間から、小瓶を差し出す。見慣れたそれは、いつもよりも一回り小さな瓶に詰められた菫の砂糖漬けだ。

「ありがとうございます。そういえば、熱を出した時にも届けてくださったんですよね。部屋に置いてきたままだと思いますけど」

 ほんの少ししか食べてなかったのにな、と思うのは食い意地が張っているからではない。もちろん好物ではあるけど。

「……いや? 確かに手紙を届けた時にあとで持ってこよう、とは言ったが」

 ジルベルト様が驚いて首を傾げる。私も予想外の反応に「え」と戸惑ってしまった。確かにあの時、菫の砂糖漬けをもらった。侍女を介してだけど。

「もしかして、それに薬か何かが入っていたんじゃないですか? そうでなければ寝てる人をここまで運ぶなんてことは難しいでしょうし」  

 エリクさんが会話に割り込んできて、一つの可能性を示す。

「そういえば食べてすぐに眠くなった気が……」

 クラール様やジルベルト様が用意したものだと思わせれば、私が警戒心なく口にすると考えたのだろう。その通りだから悔しい。

「まったく、とことん卑怯ですね。そこまでしなきゃならないことですか? そもそも王子は部屋から出ていないじゃないですか」

「それだけ要注意人物だと思われているんだろう。フィオは。クラールに一番影響を与えているのはフィオだけだからな」

 嫌な気分だ。綺麗な思い出まで、私を騙す道具に使われているような気がして。

 ふと、クラール様の言葉を思い出した。ここは卑怯な人間ばかりがいると。

「奴らの考えることが分からないわけじゃない。だが、やり方は間違えているな。クラールに変わって欲しいと望むのなら、クラールにそう言うしかない。あいつだって耳を貸さないほど愚かじゃないさ」

 冷静なジルベルト様の声に、苛立つ私の気持ちもわずかに落ち着きを取り戻した。理不尽な仕打ちには慣れているつもりだったけれど、やはり腹立たしい。

「おまえはおまえのやり方で、間違いを正せばいい」

 フィオ、とジルベルト様が微笑む。不思議だ。名前を呼ばれるだけで、心が落ち着いてくれるんだから。

「魔女の呪いを、魔法使いが解くことはできません。出来たとしても、今のままの中途半端な魔法ではクラール様の身が危ないと思います」

 エリクさんもうん、と頷いてくれる。私は間違ってない、と確信を持てる。

「魔女の呪いは、魔女が解きます」

 誓いのように宣言して、私は決意を固める。

 国一番の魔女になるということは、そう簡単なことではないよ。

 クラール様が私を諭すように言った言葉。私は国一番の魔女になんてならなくてもいい。あなたの呪いを解くことが出来れば、それでいいの。

 ヴィンカの遺したレシピを使って、私は魔法薬を作る。自分の実力じゃない。でもそれでいいのだ。


 私の願いはひとつだけ。クラール様の記憶に残ること。




 ジルベルト様とエリクさんは一度準備をしてくる、と塔を下りていった。食事が運ばれてくる時間がはっきりしないので、早朝から待ちかまえるらしい。

 ジルベルト様はお強いからいいけれど、エリクさんは大丈夫なのだろうか。

「でも、私は私のやるべきことをしなくちゃ」

 隠していたすり鉢と、材料を出す。

 ランプに火をつけて、カラドンナの植物油と一緒に万年蝋とユーカリプタスを煮詰める。すり鉢には白露水と浸しておいた常磐苔を入れてさらにすった。万年蝋の香りが部屋の中に染みていき、ぐつぐつと煮えたところですり鉢の中の材料も一緒に混ぜる。

 とても美味しそうには見えない緑色のどろどろとした液体になってきた。

「血と勿忘草の種を入れて……あとは濾す」

 少し冷ましてから、と書いてあるので火を止めて鍋を置いておく。

 なんとも言い難い匂いが部屋中に漂っているので、私は窓を開けた。夜風が部屋の中を浄化するように吹きこんでくる。昨日と同じように細い月が、なんとも頼りなさげに地上を照らしていた。

 ジルベルト様からもらった菫の砂糖漬けを食べる。甘いものは集中力を高めるのにも疲労回復にもいい。けれど小さな瓶だ、すぐに食べ終わってしまうのがもったいなかった。

「冷めたかな?」

 鍋を覗き込むと、冷たい夜風のおかげだろうか。わりと早くに熱が冷めてくれたようだ。

 用意したガーゼと器で鍋の中身を濾すと、どろどろしていた液体はなんとか飲めそうなものになった。一滴も無駄にしないように小瓶に移す。先程まで菫の砂糖漬けが入っていた小瓶だ。零れないように蓋をして、月明かりにかざす。


「……完成、かな?」


 出来上がっても、私にはあまり自信はなかった。これで本当に呪いが解けるのかどうかは、やってみなくては分からない。ただレシピ通りにはできたと思う。

「いたっ」

 指が痛んで、慌てて小瓶を机の上に置く。見てみると、あちこちに肉刺や火傷が出来ている。作業に没頭している時には全然気づかなかった。手当てするにも道具がないし、火傷を冷やすにも水はない。

 このくらいの傷、下働きの頃は当たり前だった。

「うん、平気」

 自分に言い聞かせるように頷く。休んでおこうかとベッドを見るが、眠気はやってきそうにない。

 窓の傍に椅子を寄せて、静かに星空を見上げた。冷たい風は昂ぶった気持ちを落ち着けるのにちょうどいい。

 月が沈んでいくのを見て、夜明けが近いことを知る。冬の朝だ。

 もしかしたらそろそろジルベルト様たちがやってくるかもしれない。

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