6:I'll never forget you

忘却の王子とはじまりの魔女:1

 呪いを解く準備が整いました。


 フランクと共にやってきた魔法使いは僕にそう告げた。

 解呪のためにも、御身を清めていただきたい。しばしの間、人との接触を断っていただけますか。

 いかにもそれらしいことを述べて、僕に部屋から出ないように念を押す。そんなことされなくたって、今さら逃げないよ。

 僕は逃げ続けてきた。王子という重い責務から。けれどそれも潮時らしい。

 一人きりの時間を潰すことは苦ではない。フィオがやってくる前までは、誰かとの会話を楽しむわけでもなく、たった一人で長い一日を過ごしていたから。

 フィオ。彼女は今どうしているだろうか。

 熱はちゃんと下がっただろうか。確かめる術がなくて苛々する。

 記憶が戻ったら、王子として王宮に戻ることを要求されるだろう。その時、彼女はどうすればいいだろう。

 王宮に連れてくれば、今回のように下世話な噂で騒がれるのは間違いない。

 あの子が望むのなら、屋敷を譲ってもいい。ジルベルトに頼んで養女にしてもらうのも悪くない。あそこの夫婦だったら喜んでフィオを受け入れてくれるだろう。

 変わらずに二人で、あの屋敷に戻れるのならそれが一番いい。けれど周囲はそれを許さないだろう。ただ穏やかに暮らしたいというささやかな願いを。

 今さら僕が王宮に戻ったところで、生まれるのは混乱だけだろうに。

 解呪が叶わないからという理由で僕は王位継承権は放り捨てた。

 けれどこうして王宮に来てみればどうだ。少なからず僕に王位を継ぐことを求める輩はいる。兄弟で王位をめぐって争わせたいのか? とことん悪趣味な話だ。

 いっそ魔法使いの解呪が失敗したように振る舞ってしまおうか。

 ……逃げる癖が染みついている僕は、そんなことばかりを考えている。


     *


 運ばれてきたスープとパンを食べながら、今日は時間をかけて調合しようと私は心に誓う。

 どうせ食事が運ばれてくる時には隠しておかなければならないだろう。レシピを食い入るように見つめながらパンを口の中に放り込んだ。こんな食べ方をしていたらマルティナ様に叱られてしまうな、と苦笑する。

 机の上にある数々の器具を引っ張り出して、使い方を確認する。

 そう難しいことはないようだ。草をすり潰すための鉢と、煮詰めるための鍋、小さなランプがあるのでそれに火をつけるのだろう。引き出しにはマッチがあるけれど、まだ使えるだろうか。

「白露水を一滴、清草とともにすり潰す」

 すり鉢に放り込んで、ごりごりと清草をすり潰すと、青臭さが部屋の中に広がった。匂いが残るかもしれない、と窓を開けて冷たい空気を部屋に入れる。

 まだ春を迎えていない外の空気は湿り気を帯びて雪の香りを運んできた。

「雪なんて積もってないのに」

 どこか遠いところからやってきた風なのだろう。お屋敷は雪に囲まれているかもしれないと思うと懐かしさがこみ上げてくる。

「雪待花と、ヒソップを加える。常磐苔は残っている白露水に浸しておく」

 小さな器に常磐苔と白露水を入れてしばらく置いておく。

 どういう効果があるのかは知らない。私の知識なんてこのレシピに込められたものと比べ物にならないくらいに乏しいものだ。でも想いだけは負けない。クラール様を想う気持ちだけは。

「あとはユーカリタプスと万年蝋を煮る……だけど、中断した方が良さそうかな」

 一時間もすれば昼食が運ばれてくる。煮詰めなければならないから、時間がかかる作業だ。夕食のあとからじっくりやる方がいいかもしれない。

 明日には解呪の式が始まる。

 今日は寝ずに調合することになりそうだ。ひとまず開けていた窓を閉め、鉢を一番大きく深い引き出しの中にしまった。残っている材料をベッドの下に隠す。

 お昼まで仮眠しよう、とベッドに横になった。眠れる時に寝ておかなければ体力が持たない。

 しかしすぐに階段を上る足音が聞こえた。かちゃかちゃと食器の音もするので、エリクさんではない。いつもよりも一時間くらい早い。

 鍵を開ける音がすると、こちらの承諾も得ずに部屋に女性が入ってくる。格好は侍女と同じものだけど、本当に侍女なのかは怪しいものだ。

「……今日は少し早いんですね」

 話しかけても、女性は反応しない。顔色一つ変えず、机の上にトレイを置いて私のことをちらりとも見ずに出ていく。

 開いた扉の向こうには大きな男の人がこちらを睨んでいた。

 ばたん、と乱暴に扉が閉められて、また静けさが戻ってくる。運ばれたばかりのスープだというのに、少しぬるくなっているのはここが厨房よりも遠いからなのか、嫌がらせなのか――どちらでもいいや、と早めのお昼にする。




 夕食もいつもより早めに運ばれてきた。

 その少しあとにエリクさんがやってくる。足音が二人分だったので首を傾げていると、小さな鉄格子の窓の向こうに、ジルベルト様が顔を出した。

「ジルベルト様!」

 久し振りに見るその顔に、私は無条件で嬉しくなった。

「フィオ」

 ほっとした顔でジルベルト様が私の名を呼ぶ。

「元気そうで良かった。来るのが遅くなってすまない」

「いいえ、大丈夫です。ジルベルト様もご無事で良かった。もしかしたらジルベルト様も何かあったのかなって思っていたんです」

 たぶんフランク様はクラール様と私をそれぞれに孤立させようとしていたに違いない。一番に味方になりそうなジルベルト様が無事だったことに私は胸を撫で下ろした。

「いくらフランクでも、俺にまで手を出すことはできないだろう。安心していい」

 国王陛下の甥であるジルベルト様は、私が思っている以上に偉い人なのかもしれない。どんなに偉くてもただの貴族が手を出せる人ではないのだろう。

「解呪が行われるのは明日の正午です。明日の朝、朝食を運んでくるタイミングで脱出をしようと思います。本当は夕食の時に、と思ったんですけど、そうすると向こうに警戒されて動きにくくなるでしょうから、短期決戦ということで」

「分かりました、お待ちしていますね」

 気を引き締めて、私は頷く。

 一晩どこかに身を潜めているわけにもいかないし、それなら明日動き出すのが一番だろう。


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