ただ一人のあなた:3

 ベッドが揺れていた。いや、もしかしたらベッドから落ちたのかもしれない。

 ふわふわの布団がどこにもなかった。それにお腹が圧迫されているようで苦しい。一度起きてベッドに戻ろう、と目を開ける。


「え?」


 視界に入ってきたのは寝室ではなく、暗く狭い階段だった。ぐるぐると螺旋状になっている階段をひたすらに上っているようだ。私を肩に担いだ男性が。

「な、なんで」

「目が覚めましたか。少し早かったですね」

 ひんやりとした、冷たい声。その声に私は眉をひそめた。少なくとも今会いたいと思える人ではない。

「……フランク様。どういうことですか、ここはっ」

 肩に担がれている上に階段を上っている途中だ。上手く話すことができずに言葉が途切れてしまう。

「黙っていなさい、下手すると舌を噛む。ここは王宮の一角にある塔だ」

 塔? 私が問うようにフランク様を見ると、小さくため息を吐き出した。

「以前、国一の魔女が幽閉されていた塔だ。君にはしばらくここにいてもらう」

 何のために。そう問おうとすると、急に視線が下がる。放り投げられるようにして下ろされた。ふわりとした絨毯にお尻を打ちつける。

「近々クラール様の呪いを解くことになった。それまで辛抱してくれればいい」

 声のする方を見れば、扉を開けたままでフランク様が私を見下ろしていた。

「呪いを解くって……魔女は見つかったんですか?」

 魔法使いたちが考えていた魔方陣は完成していないはずだ。魔女の手助けが必要になると、エリクさんが言っていた。

「魔女など見つからずとも、王宮の魔法使いは優秀だ。クラール様も納得されている。だがおまえが要らぬ入れ知恵をしてクラール様の気が変わってしまっては困るからな」

「そんな……無謀です、中途半端なもので呪いを解こうなんて!」

 フランク様に掴みかかろうと起きあがると、さっと扉を閉められる。外側からがちゃりと鍵を閉められた。

 扉には人の頭くらいの大きさの窓があるが、鉄格子を嵌められている。

「フランク様! 待って下さい、フランク様!」

 小さな扉の窓から何度叫んでも、フランク様は返事ひとつしなかった。かつんかつんと階段を下る音が徐々に遠くなり、ついには何も聞こえなくなる。

「そんな……」

 私はそのまま座り込んで、部屋を見回した。

 簡素なベッドと、何かの器具が置いてある机。窓があるけれど、扉のものと同じように鉄格子が嵌められている。壁には花の絵が飾られていた。

 罪人を閉じ込めるには立派な、けれど明らかに人を閉じ込めるために作られた部屋だ。

「……魔女のいた部屋って、言っていたよね」

 魔女が――ヴィンカが亡くなったのは何年前だっただろうか。主を失った部屋は妙に物悲しく、時がずっと前から止まっているようだった。

 埃をかぶっているところがないから、誰かが掃除していたのだろうか。

 机の上にある器具を触ってみる。どうやら魔法薬を作るためのもののようだ。使いこまれた器具は、どこかヴィンカという人のぬくもりを感じさせる。

「私がいなくなれば、クラール様だっておかしいと思うはず。ジルベルト様やマルティナ様だって。きっと探してくれるはずだもの」

 だから大丈夫。自分にそう言い聞かせて、私は窓の外を見た。

 細い月が夜空に浮かんでいる。おそらく寝ていたのは半日くらいだろう。

「むしろ魔女がいた部屋に閉じ込められたんだから、何か呪いの手がかりを探そう。ぱっと目につくようなものは既に回収されているだろうけど……」

 きょろきょろと部屋の中を見回す。ふと壁にかけられた絵に目がいった。

 青紫色の花は、どこかクラール様の瞳の色と似ている。小さな花は寄り添うように色を深めている。

「好きな花だったのかな……これ、勿忘草よね」

 花の名前を呟いて、はっとする。勿忘草の花言葉は「私を忘れないで」だったはず。手記に記された最後の言葉も同じだ。

 まさか、と思った。こんな都合のいいことがあるわけがない。けれど運命のような気もした。

 私は絵を壁から下ろすと、裏返して額から外した。はらりと一枚の紙が落ちる。心臓がどくどくと早鐘を打った。

 手を伸ばし、紙を拾い上げる。目に入った文字は、手記のものと似ていた。


 ヴィンカ・フロックス。ラティフォニアの魔女の名において、真実を記す。


 その下に綴られているのは材料の名前だった。さらにその下に調合の手順が、丁寧に書かれてある。ごくりと唾を飲み込んだ。目の前に希望がある。

 これほど朝を待ち焦がれたことはない。朝になれば、きっとクラール様が私の不在に気づいてくれる。

 ここから出ることができれば、この紙に記されているとおりに薬を作ってもらえばいい。それだけで、クラール様の呪いは解けるのだ。

 眠気がやってくることはなく、私は空が白んでくるまで紙を握りしめたままベッドに座っていた。

 朝が来た、と思った途端に緊張の糸が切れてベッドに倒れるようにして眠りにつく。目覚める頃にはクラール様が迎えに来てくれるに違いないと信じながら。




 フィオ様、と私を呼ぶ声で、私は目を覚ました。窓から差し込む光は明るく、それだけでもう朝ではないのだと知る。


「フィオ様。……いますか?」


 扉の向こうから声が聞こえて、私は起きあがった。誰かが寝ている間に来たのだろうか、机の上には冷めたスープとパンが置いてある。

「俺です、魔法使いのエリクです」

 扉の鉄格子の向こうには、エリクさんの顔が見える。その瞬間に寝ぼけていた頭は覚醒して、慌てて扉に駆け寄った。

「え、エリクさん? どうしてここに!?」

「魔法使いの連中が話していたんです。魔女の塔に女の子がいるらしいって。まさかと思ったんですけど、本当にフィオ様だったんですね」

「昨日の夜に、閉じ込められて……なんだかクラール様の呪いを解くのに邪魔だとか言っていました」

 エリクさんは眉をひそめて「……やっぱり」と呟いた。

「俺も三日後に解呪の式をすると上司から言われたんです。まだ完成したとは言い難いものなのに、急かされているみたいで。それで下っ端は変だなって話をして、それでフィオ様のことを聞いたんです」

 エリクさんの言葉に、私は眉を顰めた。

 三日後。あまり時間がない。

「それに合わせて王子も部屋から出られないようです。潔斎だとかいう理由をつけられて。本当は、俺が出してあげられたらいいんですが……」

 エリクさんが試しに扉を揺らすけれど、びくともしない。そう簡単に壊れるようなものではないということだ。

 クラール様に私のことを伝えることもできない。このままではフランク様の思惑通りになってしまう。

「では、どうにかしてジルベルト様かマルティナ様に伝えてもらませんか? あと、今から言うものを用意してください」

 私はレシピに書いてある材料をゆっくりと読み上げた。エリクさんが首を傾げる。

「えーっと、それは?」

「希望の薬の材料、です。お二人にも簡単に近づけないかもしれません。今言ったものを持ってくるのを優先していただけますか」

 私は扉の向こうのエリクさんににっこりと微笑んだ。

「了解しました。あ、マルティナ・アスマン夫人ですが」

 踵を返したエリクさんが、一度くるりと振り返る。

「今朝早くに、お屋敷に戻られたはずです。ご夫君である宰相補佐官の言いつけで。なので、どうにか接触できそうなのはジルベルト様だけですね」

「……そう、ですか。すみません、お願いします」

 フランツ様は私の味方になりそうな人を排除したいらしい。唇を噛み締めて俯いた。どうしてそこまで、という気持ちが大きい。

「大丈夫ですよ、希望の薬を作るんでしょう?」

 力強い言葉に、私は頷いた。エリクさんはそれじゃあ、と手を振って階段を下りていく。

 私はベッドの端に腰を下ろして、冷たいスープと固くなったパンを食べた。こんな状況、苦にもならない。私はもっと惨めな暮らしを知っている。パンが食べられて、ベッドに眠れるだけ幸せだ。

 だから泣かない。負けたくない。




 エリクさんは思ったよりも早く材料を持ってきてくれた。

 その日の夜、月が空に浮かんでいる頃にはほとんどの材料が揃っていた。鉄格子の隙間から受け取って、私はレシピにあるものと見比べる。

「万年蝋、雪待花、ヒソップ、常磐苔、ユーカリプタス、清草に、白露水……合っていますね」

「それほど珍しいものじゃないですからね。あとこれ、勿忘草の種です。さすがにまだ咲く時期ではないので」

「ありがとうございます。種で大丈夫です」

 黒く小さな種が袋の中で揺れていた。

「勿忘草って、ただの花ですよね? 本当に使うんですか?」

 エリクさんの疑問はもっともだ。勿忘草は、魔法薬で使われるような植物ではない。

「使いますよ。たぶん、効能とかを期待しているんじゃないと思います。これは、おまじないみたいなものじゃないかな」


 ――私を忘れないで。花言葉に込めた想い。


「魔女がおまじない、ですか」

「ええ、おまじないです。植物はこれで全部ですね」

「あと必要なのは?」

 エリクさんに問われ、私はレシピをじっと見下ろす。一番手に入れるのが難しいものだ。

「……血縁者の血、です」

「それは……」

 エリクさんも言葉を失う。血縁者――つまりクラール様と同じ血が流れている人の血。

「心当たりといえば、ジルベルト様くらいです。従兄弟だとおっしゃっていたので、条件としては充分なはず」

「そりゃあ国王陛下に頼むわけにはいきませんからねぇ」

 おどけて笑うエリクさんにつられて笑いながら、私は集めた材料を大事に抱えた。

「血は最後に混ぜるものなので、今すぐじゃなくて大丈夫です。これからちょっと調合してみますね」

「今夜は休んだ方がいいですよ、あまり顔色が良くないので」

 寝ていないんでしょう? と問いかけられ、朝方に倒れるように寝ただけだ。今日一日緊張していて眠っていない。

「ごはんは? 食べました?」

「ちゃんと運ばれてきましたよ。部屋に入ってきたのは女の人でしたけど、外に男の人もいました。突破して脱出……というのは無理そうですね」

 小柄な私が暴れたところで、簡単に取り押さえられるのは目に見えている。女の人にだって負けるかもしれない。

「食事の頃には鍵を持っている人間が来るってことですよね。覚えておきます」

 あまり長くいるわけにもいかないので、エリクさんは手短に情報交換をして帰っていく。

 私は揃っている材料を見て、どうしようかと思案した。急かす心は早く調合したいと騒ぐけれど、時間も材料も少ない今、慌てて作って失敗してしまっては元も子もない。

 ベッドの下に隠して、とりあえず今日は休むことにした。

 簡素というよりも粗末なベッドは、旦那様のところで働く前の、御主人様のお屋敷を思い出させた。

 こういうベッドを並べて、同じくらいの年頃の、同じ下働き同士で身を寄せ合って眠った。寒かったわけではない。お互いに心細かったのだ。誰かのぬくもりがあれば、悪夢を見ることもなかった。

 狭い物置で寝ていた時は、夢を見るほど深く眠ることも許されなかったので、悪夢など見る余裕もなかった。

 久々に嫌な夢を見そうな気がする。猫のようにベッドの上で丸くなって、ただ悪夢がこないようにと祈った。


 どうせ見るなら、クラール様の夢がいい。

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