最後の魔女:3
私のことは王子の逆鱗だと、噂は瞬く間に広がり、クラール様が心配しなくても私に話しかけようとする人はあまり多くなかった。
王宮の偉い魔法使いたちは私の話を聞くと、実に興味深そうにメモをとっていた。やはり彼らも初めて得る情報が多かったらしい。
ちらほらとクラール様の話も聞くようになった。周囲の人々が話すクラール様は実に優秀だけど、冷たい人だという。
さすがにもう私も気づいてはいたけれど、私の知るクラール様とはまるで違った。
魔女は植物を使って魔法薬を作る。けれど魔法使いは魔方陣を描き、奇跡を起こす。
やはり性質は似て異なるものだ。多少なりとも勉強していたので、ある程度の意見をすることはできても、私はほとんど手が出せなかった。
王宮の魔法使いはクラール様が王宮を去ってからも呪いを解く方法を模索していたそうだけど、それもここ近年では停滞していたようだ。原因は分かりきっている。クラール様がいなかったからだ。
「魔女の呪いを、魔法使いが解くということは可能なんですか?」
そう広くない部屋の中で、大きな紙を広げて魔方陣を描く人々を眺めながら私は一番近くにいた一人に問うた。
「え?」
何気なく問いかけただけなのに、若い魔法使いは私の顔を見るなり慌て始めた。しどろもどろになりながら視線を泳がしている。
「……私から話しかけたのですから、クラール様は怒ったりしませんよ」
クラール様がつけた条件は、王宮中に浸透しているらしい。ひどい時は侍女に話しかけても同じような反応をされた。
私の問いに、答えるべきか否かを迷っているのだ。答えないのは失礼だし、かと言って迂闊に逆鱗を刺激したくないのだろう。慣れてきた私はいつも大丈夫だと答えるようにしている。
「え、えっとですね。魔女の扱う分野と我々魔法使いが扱う分野は違います。しかし共に奇跡を起こす術であることには違いありませんから、魔女の呪いを魔法使いが解くことも可能だ……というのがお偉方の見解です」
「つまり、確実に解けるかどうかも分からないってことですか?」
「……そうなります。本来、魔女の呪いは魔女が解いてきましたから。そもそも呪いというのは魔法使いからしてみれば専門外でして」
実はけっこう無理難題なんですよね、と笑うその人に、私もつられて笑ってしまった。若い人だからだろうか、他の魔法使いよりも接しやすい。
「それならやっぱり、魔法薬を調合することも考えた方がいいのかもしれませんね。クラール様が飲んだ呪いの薬があれば、もっと手がかりが分かったんでしょうけど……」
「薬は残っていませんが、魔女の手記は保管されていたと思いますよ。すぐには出せませんが、あとでお届けしましょうか?」
独り言のつもりだったが、聞いていたらしい。思いがけない申し出に少し驚いた。魔女の手記。そんなに重要な手掛かりが残っているとは思わなかった。
「お願いできますか? ええと……」
「エリクです。エリク・リーチェルと申します。フィオ様」
「エリク様」
「やめてください、エリクで充分です。様をつけて呼ばれるほど偉い人間じゃありませんよ」
年上で、しかも王宮に仕えている魔法使いというだけで充分に偉い人だと思うのだけど、あまりにも慌てられるので私も困る。
城にいる人々は、もともと下働きしていたような私が呼び捨てにできるような人ではない。
「じゃあ……エリクさん。私もフィオで大丈夫ですよ」
「それは無理です。俺の上司でさえフィオ様と呼んでいるんですから」
やんわりと、しかししっかりと断られて、私は苦笑する。困ったことに、庶民では一生顔を拝見することがないような偉い人々も、「クラール様のお気に入り」である私を丁重に扱うのだ。
お屋敷の使用人にそう呼ばれるのさえ慣れるのに時間がかかったのに、自分よりも年上の貴族様にまで様をつけられると居心地が悪い。
けれど彼らにお願いしても仕方ないことなので、強くは言わない。クラール様の影響力を実感するばかりだ。
「そろそろ戻りましょう、フィオ。あなたの王子様が待ちくたびれているわ」
付き添いのマルティナ様が時計を見て急かす。気がつけば時計の長針は二周している。
「それじゃあエリクさん、また」
ぺこりと頭を下げて部屋を出る。エリクさんは小さく手を振ってくれた。
最初は部屋を出入りするたびに大仰にあいさつされたけれど、やめてくださいとお願いしたら彼らは研究に没頭するようになった。やって来たことにも気づかない人がいるくらいだ。
王宮の中を歩いていると、あちらこちらから視線を浴びせられる。
こういう時マルティナ様というお手本が傍にいて良かったと思う。胸を張り、真っ直ぐに前を見て、ゆっくりと優雅に歩く。私が俯いて歩いていたら、馬鹿にされるだろう。
たとえ目を見張るほどの美人じゃなくても、背を丸めて歩いているより胸を張っている方がいい女に見えるのだと優秀な先生が教えてくれた。
「良かったのかしら、あんな風に気軽に声をかけて?」
意地悪げに微笑みながらマルティナ様が問いかけてくる。
「別に、悪いことはしてないですよ? あのくらいのことなら他の人とだって話すじゃないですか」
「相手はおじさんか女の人だったじゃない。若い男と知り合った、なんてクラール様が知ったら怒るかもしれないわよ?」
「クラール様はそんなに心の狭い人じゃないです」
マルティナ様が茶化すように笑っているけれど、私には意味が分からなかった。クラール様は私には不用意に人に近づくな、とは言わなかったし、私が誰かに話しかけても怒らなかった。
「あなたがそう思っているだけよ。あの人、たぶん本当はすごく独占欲が強くて嫉妬深い人だと思うわ」
マルティナ様の言葉に、私は首を傾げた。独占欲が強くて、嫉妬深い? それはとてもクラール様のイメージには合わない言葉だ。少なくとも、私はその二つをクラール様とは結びつけない。
マルティナ様は私を見て微笑み「今に分かるわ」と言ってそれきりだった。相変わらず、私の先生は素直に答えを教えてくれない。
私の部屋は、クラール様の要望通りにお隣さんだ。お屋敷の部屋の二倍近くあって、かつ内扉で続いている寝室も無駄に広い。ジルベルト様の部屋もすぐ近くにあるらしい。
部屋の前でマルティナ様と別れ、扉を開けると、いつも一番に紫色の瞳と目が合う。隣に部屋があるというのに、クラール様は昼間の暇な時間のほとんどを私の部屋で過ごしているのだ。
「おかえり、フィオ」
「……ただいまです」
暇な時間、というのは語弊がある。クラール様はテーブルの上に書類を広げてくつろいでいるのだから。つまりは私の部屋に、仕事を持ち込んでいる。
「今日はどのくらい進んだのかな?」
昨日とあまり変わっていないようでした。けど、あとで魔女の手記を届けてもらうことにしたんです。何か手掛かりがあるかも」
クラール様の向かいのソファに腰を下ろすと、クラール様は散らばった書類をまとめて一つにした。
私の前が広くなって、すぐにお茶が運ばれてくる。クラール様が私に餌付けしたがる癖は変わらない。
「手記ねぇ……まぁ、読むのはいいけど、夜更かししないようにね」
「夜更かしはしません。思えば私、魔女がどういう人なのかも知らないんですよね……」
クラール様に忘却の呪いをかけた、国一番の魔女。自ら命を断ったと聞いているけれど、それ以上の情報はない。名前すら知らないのだ。
「彼女のことを不用意に語るのは、禁じられているんだ。暗黙の了解みたいなものでね。だから誰も話さない。王国一の魔女として名を残すはずだったのに、皮肉なものだね。今やその名前を口にする人間はいないんだから」
「クラール様は、その人のことは覚えているんですもんね」
いいなぁ、という本音は飲み込んだ。
たぶん、私はその人の気持ちがすごく分かると思う。クラール様の記憶を奪って、その中に自分だけを残す。それは、報われない恋心を救うための捻じれた呪いだ。
「そうだね、覚えているよ。……聞きたい?」
「クラール様が辛いなら、いいです。でも、もしも平気なら教えて欲しいです。どんな人だったのか」
素直だね、とクラール様は微笑んだ。目を通していた書類を置いて足を組む。
「彼女は変な人だったよ。いつも重そうな本を持って、暇があれば薬草園で薬草の世話をして、すごくぼんやりしているのに、魔法薬の話になるとすごく生き生きしていた。僕より六つ年上だったけど、小柄な人だから子どもっぽかったな」
「……仲が良かったんですか?」
「悪くはなかったよ。王子っていう立場上、よく接していたしね」
王子と魔女、というのが結びつかなくて、私はティーカップを持ち上げたまま首を傾げた。クラール様が苦笑する。
「十歳を過ぎたあたりから、毒に慣らされていたらしいよ。王族は毒殺される可能性があるからね。弱い毒から徐々に強くして、身体に慣らすんだ。まぁ、覚えてないけど」
私は何か言おうとしたけれど、言葉が出なかった。
手が震えて、カップの中の紅茶に波紋がうまれる。クラール様がするりと手を伸ばして、私の手からティーカップを取り上げた。
「彼女はいつも泣きながら僕に毒を与えていた。呪われた本人が言うことじゃないんだろうけど、彼女はきっと、優しい人だったんだと思う」
クラール様は曖昧に微笑んで、私から奪ったティーカップに口をつける。こくりと紅茶を一口飲んで、静かにソーサーの上に戻した。
悲しい話を聞かされた直後なのに、目の前で起きたことに眩暈を起こしそうだった。……私に、このティーカップでお茶を飲めというの?
「フィオ様、エリクという魔法使いが来ておりますが」
真っ赤になった顔をどうしようと悩んでいると、使用人の一人が声をかけてきた。ちらりと扉の方を見れば、エリクさんと目があった。天の助けと立ち上がる。
「い、今行きます!」
素早く部屋の入り口まで行くと、エリクさんがにこりと笑った。
「お届けものです。……って、なんか、顔赤くありません?」
エリクさんが布に包まれた例の手記を差し出して、私の顔を見る。顔が赤いのは自覚しているので聞かないで欲しい。
「ちょ、ちょっといろいろありまして。大丈夫です。……手記、ありがとうございます。読んだらお返ししますね」
「大丈夫ならいいですけど。一応は王宮の保管品になるので、扱いは丁寧にお願いします」
「はい」
白い布に包まれたそれは、随分ぼろぼろになっていた。臙脂色の表紙は色褪せている。それに中は破り捨てられたような部分があった。
「これは……」
「ああ、手記の後半は、発見された時にほとんど破かれていたんです。だから肝心の呪いに関する記述はあまり残っていないんですよ」
ごっそりと破かれているその部分は、なんだか強い決意を感じさせた。さらりと表紙を撫で、私はまた大事に布に包み直す。
「……お預かりします。わざわざありがとうございました、エリクさん」
「そんな大層なことはしてないですよ。ではまた」
手記を胸に抱いてお礼を言うと、エリクさんは照れくさそうに笑って手を振った。エリクさんと話しているうちに、頬の熱もどうにか落ちついてくれた。
手記を手に戻ると、クラール様がもう閉まった扉を見つめている。
「今のは?」
「エリクさんのことですか? さっき話した、手記を持ってきてもらったんです」
布で包んだ手記を持ち上げてみせると「ふぅん」と味気ない返事が返ってきた。
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