先生と魔女見習い:4
一年の終わりは静かで、一年の始まりも、今年は穏やかだった。
ただ眠りから覚めただけで、新しい年を迎えていた。
クラール様のもとにきて初めての年明けの時のように、呪いとかなんだとかに驚かされるようなこともない。
ごく当たり前の日常と同じく、起きて朝食をとり、暇な一日の時間をどう潰そうかと考える。このお屋敷の本は大抵読んでしまったし、課題も終わっている。
庭に出ても今は寒いだけで、私が暇を潰せそうなものは何一つない。このままでは退屈に殺されてしまいそうだ。
「フィオ様、お客様ですよ」
部屋でぼんやりとしていた私に、カルラが声をかける。
お客様? と首を傾げて私は客間へと向かった。私を訪ねてくる人なんて限られていて、そして今日は誰かがやってくるような予定はなかったはず。
扉を開けた途端にきらりと輝く金の髪が目に入って、私は目を丸くした。
濃紺のドレスを着ている美しい客人は、私の先生だ。そしてその隣に、藤色のドレスを着て穏やかに微笑む小柄な女性。
「マルティナ様! それにアリーセ様も!」
思いがけない客人に、私は歓喜の声をあげる。二人は私を見て微笑んだ。
マルティナ様は強い瞳で妖艶に、アリーセ様は優しく綻ぶように。対照的な二人がそろっていることも驚きで、私は目を丸くしながらソファへ腰を下ろす。
「お二人とも、どうなさったんですか?」
今日は授業がないからマルティナ様が来るはずもないし、アリーセ様はジルベルト様のお屋敷から出ることがあまりないので会うこと自体が珍しい。
「あなたが一人で留守番していると聞いて、きっと退屈しているのではないかしらと思って」
「私は、あなたが課題をきちんとやっているか確認に来たのよ」
それぞれの理由はらしいといえばらしい。けれど私にはわかる。お二人はただ純粋に、退屈をしている私のために来てくれたのだろう。
「とても暇だったので、嬉しいです。お二人はお知り合いだったんですね?」
別々にやって来たにしてはタイミングが良すぎるから、二人で一緒に来たのだろう。問うと、アリーセ様が笑顔で「ええ」と答える。
「マルティナとは幼なじみのようなものよ」
「幼なじみですか」
性格は違うのに、仲が良さそうなのはそのせいなのだろう。アリーセ様の隣に座るマルティナ様は、黙ったまま紅茶を飲んでいる。
「そう、幼なじみ。恐れ多いけれど、クラール様も同じようなものなの。クラール様は、覚えていらっしゃらないけれど」
少し寂しそうに微笑みながら語るアリーセ様の話に耳を傾けながら、そういえばマルティナ様が以前に呪いにかかる前のクラール様のことを話していたな、と思い出す。
「ジルベルト様は違うんですか?」
アリーセ様とジルベルト様はとても仲睦まじいご夫婦なので、昔からの知り合いなのだとばかり思っていた。
クラール様は呪いのことがあるから仕方ないのかもしれないけれど、どちらかというとジルベルト様と幼なじみだと言われる方が納得できる。
「ジルベルト様と知り合ったのは、クラール様がああなってしまってからですよ」
「そうなんですか? お二人ともすごく仲が良いので、てっきり小さな頃からのお付き合いなのかなと思っていました」
「まぁ、嬉しい」
仲が良いなんて、と微笑むアリーセ様は少女のように可愛らしい。
私の誕生日のパーティでもジルベルト様がアリーセ様を大事にしているというのはすごく伝わってきた。お互いがとても大事にしあっているという雰囲気で、少し憧れてしまう。
「アリーセ様も寂しいですよね。ジルベルト様が王都に行ってしまって」
「それはつまり、あなたも寂しいということね」
ずっと黙っていたマルティナ様がからかうように言うので、私は自分の無自覚の発言に顔を赤くした。
「もう、マルティナはフィオさんをからかって!」
「素直でいいわねって言っているのよ。それでね、実は私たちこのまましばらくこの屋敷に滞在させてもらおうと思っているんだけど」
「え……?」
耳を疑う言葉に、私を振り返ってマルティナ様を見る。
緑色の瞳は悪戯を考えている子どものように光っていた。困ってアリーセ様を見ると、アリーセ様はマルティナ様の言葉を認めるように、にっこりと笑った。
「いくら教育された使用人がそろっているとはいえ、十五歳のあなた一人にしておくのはどうかと思って。ジルベルト様からも、クラール様からも許可は頂いているの。あとはあなた次第なのだけど、どうかしら?」
アリーセ様の説明を聞いて、今度はマルティナ様を見る。マルティナ様はにっこりと笑うだけで何も言わない。
「ええと、それはまさか毎日授業、なんてことになりますか?」
「あら、嫌なの?」
マルティナ様にじろりと睨まれて、私は苦笑いを零す。
「いや、そんなことはないです、けど」
「もう、マルティナは意地悪ね。そんなつもりないくせに」
アリーセ様が隣でマルティナ様をじろりと睨んでいるけれど、マルティナ様は素知らぬ顔で紅茶を飲む。
「一人で退屈していたところですし、お二人がいてくださるなら嬉しいです。じゃあ部屋を用意してもらいますね」
「あら、すっかりこの屋敷の女主人ね」
近くにいた使用人に声をかけると、アリーセ様はふふ、と微笑む。
無自覚にやっていたことなので、そう言われると恥ずかしい。女主人、なんてまるでクラール様と対等であるかのような言い方。
「そ、そんなんじゃ、ないですよ……」
真っ赤になった私を見て、アリーセ様とマルティナ様はくすくすと笑った。そんなお二人の姿を見ていると、幼なじみというのも納得だ。すごく息が合っている。
「正直ね、あなたってすごく興味深いわ。どうしてあなただけはクラール様の特別なのかしら」
特別。
以前は確かに自分でもそう思っていたけれど、果たして今はどうなのだろうか。年が明けて、クラール様の記憶はなくなっている。
クラール様は、私のことをどうやって知るのだろう。去年のように、何かきっかけを残していてくれるのだろうか。
「……そんなことない、って言いたそうな顔をしている」
私の中でうずまく不安を、マルティナ様は適確に言い当ててしまう。そんなに顔に出るのだろうか、と私は両手で顔を隠した。
「まったく、世の中の男って本当にどうしようもないのね」
「ええ、本当に」
アリーセ様が呆れたようにため息を吐き出す。
「話すなって言われたけど教えてあげるわ。私たちはね、クラール様に頼まれたからこの屋敷に来たのよ。フィオ、あなたが一人で心配だからって」
「え……?」
まるで知らされていない事実に、私はティーカップを落としそうになった。慌ててソーサーの上に戻す。
「ど、どういうことですか? だってクラール様は一人で大丈夫だよねって……」
「大丈夫だと分かっていても、やっぱり心配だったんじゃないかしら。あなたがしっかりしていても、心配するかどうかはクラール様の心次第だもの」
アリーセ様が微笑みながらそう言う。その隣で、マルティナ様は何食わぬ顔でケーキをつついている。
私の頭は混乱して、アリーセ様の言っていることの半分も理解できなかった。
「だから言っているでしょう、クラール様はあなたが可愛くて仕方ないのよ。出来ることなら四六始終甘やかしていたいんでしょうね」
「でも、クラール様は王都に行ってしまったじゃないですか。私、本当は行ってほしくなかったのに」
甘やかしたいと本当に思っていてくれるのなら、王都になんて行かないでここにいて欲しかった。お仕事だってそう。以前のように二人でこのお屋敷で過ごせたら、それだけでいいのに。
「それをきちんと言葉にしてお願いしていたら、どうなっていたか分からないわよ?」
「……そんな、クラール様が困ると分かっていて、できません」
「いい子ちゃんばっかりしていると、相手にはちっとも伝わらないわ」
マルティナ様は諭すようにそう言って、黙り込んでしまう。あとは自分で考えろ、ということだ。マルティナ様はいつもそうやって先を示す。
もう充分に我儘を言っているような気がするけれど、それではダメなのだろうか。
行かないでと言えば傍にいてくれた? 傍にいてと言えば良かったの?
けれど私はクラール様に養ってもらっているだけの子どもで、恋人でもなければ婚約者でもない。クラール様を独占する権利なんてない。
我儘を言うことに慣れたくない、という気持ちもあった。たぶん、私が素直に願望を口にしてしまえば、クラール様を困らせるのは目に見えている。
……何よりも叫びたいのは「忘れないで」の一言だからだ。
しかめ面で黙り込んだ私を一瞥して、マルティナ様は小さくため息を吐き出した。頑固ね、と呟かれた言葉は、聞かなかったふりをした。
お二人が来てからは、呪いを解く手がかりを探している暇がなかった。あんまり部屋に籠っていると、どちらかが様子を見に来て私を連れ出してしまうのだ。
今日の午前中も結局一ページも読み進めることが出来なくて、午後になってようやく解放されてから、私は自分の部屋で本を開く。
ヒントになりそうなところをノートに書き写しながら、本を読む。
「暇さえあれば、そうやって本ばかり読んでいるの? そりゃあクラール様も心配になるわ」
集中していた私の耳に、呆れたような声が聞こえる。マルティナ様の声だ。驚いて振り返ると、いつの間に部屋に入ったのだろう。マルティナ様が少し後ろで腕を組みながら立っていた。
「マ、マルティナ様!」
「年頃だっていうのに勉強ばかりじゃ、視野が狭まる一方よ。学ぶことは大切だけど、本と向き合うことばかりが学びじゃないわ」
ふぅ、とため息を吐き出したマルティナ様は、つかつかと歩み寄って机にあるノートを取り上げてしまう。
「そ、それは!」
「知っているわ、クラール様の呪いのことでしょ? でもね、あなたが考えつくようなことは既に王宮の魔法使いが考えたことなのよ? どんなにあなたが努力したところで、解呪の手がかりが……」
ノートを流し読みしていたマルティナ様の言葉が不自然に途切れる。視線はノートに注がれていた。
「マルティナ様? 何か、変なことでもありますか?」
ほとんどヒントを書いているばかりのノートだ。走り書きだらけで読みにくいところも多い。
「……あなた、これは、どういうこと?」
ノートを机の上に置いて、マルティナ様はあるページを指差した。
そこに書いてあるのは「クラール様の器」「蓋をした」などの言葉と器に見立てて描いた絵がある。以前にクラール様から呪いについて聞いた時の話を整理していて、思ったことだった。
「それは……以前にクラール様が自分の性格や名前などの記憶と、呪いをかけた魔女のことだけは覚えているとおっしゃっていたので……それならもしかしたら、記憶は消えているんじゃなくて、クラール様の中で隠されているだけなんじゃないかなって、思ったんです。その時のメモなんですけど……」
ちらりとマルティナ様を見ると、目だけで「説明を続けて」と言われた。
私は机の上にあった紙を引っ張ってきて、ノートの隣に並べる。ペンをもってもう一度描きながら説明した方が分かりやすい。
「クラール様が、喩えるならクラール様という器の形を変えられて、それが本来あるべき形よりも小さくされてしまったから記憶が一年しかもたなくなった、と仰っていました。クラール様という器の基礎は変わらないから、自分のことは覚えているって。でも本当そうじゃなくて、ただ一年という単位で器の中に蓋をされているんじゃないかなって思ったんです。料理の時に一回り小さな蓋を落とすことがあるじゃないですか。あんなふうに」
「落とし蓋ね」
「はい。器自体は変わっていないんです。だから、本当は呪いにかかったあとの記憶も、見えないだけでクラール様の中に蓄積されているんじゃないかなって思うんです。問題なのはこの蓋であって、これを取り去ることができればいいのかなって……抽象的な話ですけど」
一応はひとつの仮説として考えてはいたけれど、結局は喩えの話なのでヒントくらいにしかならなかった。少なくとも私にとっては。
「……いいえ、もしかしたらすごく重要なことなのかもしれないわ。王宮の誰もが考えなかった。だって、記憶は消されたとばかり考えていたから」
マルティナ様は説明を描いた紙をじっと見つめたまま、何かを噛み締めるように呟いた。
「フィオ、すぐに出かける準備をして。王都へ行くわ」
「え? お、王都に? どうしてですか?」
マルティナ様の話についていけなくて、私は目を白黒させるだけだ。
王都。今クラール様がいるところ。
マルティナ様は自信に満ちた顔で、私に告げる。
「決まっているじゃない。この仮説を王宮へ持っていくのよ」
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