呪われた王子様:4

 部屋に戻るとちょうどカルラが運び込まれたたくさんのプレゼントを整理しているところで、着替えを手伝ってもらうことにした。

 アリーセ様はいくつかある箱の中から一つを持ってきて、私に手渡す。

「どうぞ、開けてみてくださいな」

 プレゼントですから、フィオさんが開けなくてはいけませんものね、と微笑むので、私はリボンを解き、箱を開けた。

 クラール様からのプレゼントを開けた時ほどの高揚感はない。どんなドレスを着ても一緒だよ、と卑屈な私が囁いていた。

 箱の中からは、鮮やかな赤いドレスが出てきた。肩を大きく出すデザインのそれは、大人っぽいけれど少女らしい甘さもあった。裾には金糸で刺繍が施されている。

「……きれい」

 クラール様からもらったドレスも綺麗だけど、この赤いドレスはまた違った美しさがある。

「フィオさんは綺麗な黒髪ですから、こういうはっきりした色が似合います。もちろんそのドレスもとても似合っていらっしゃいますけどね。クラール様はなんとなく、こういった鮮やかな色を避けているように見えますわ」

「えっと、どうしてでしょうか?」

 似合わないと思われているんだろうか。確かに私自身この赤いドレスを着こなす自信はない。

「……あまり大人になって欲しくないのかもしれませんわね」

 アリーセ様は意味ありげに微笑みながら、私の髪につけていた髪飾りをとる。

「私は、早く大人になりたいです」

「もう充分素敵なレディですよ。子どもだと思っていたいのは、殿方の勝手な都合ですわ」

 よく分からなくて首を傾げると、アリーセ様は「いつか分かります」と誤魔化されてしまった。

 淡い黄色のドレスを脱いで、鮮やかな赤に袖を通す。なめらかな光沢のドレスは、動くたびに輝いているようだ。黄色のドレスが野に咲く花だとしたら、このドレスは大輪の花のよう。

「髪は結いましょうか。そして白い薔薇を飾りましょう。きっと綺麗だわ」

 アリーセ様はてきぱきと動いて、使用人に薔薇を持ってくるように命じる。

 庭の薔薇はまだ咲いていないけれど、温室のものならもう咲いているはずだ。薔薇が運ばれてくると、カルラがそれを使って私の髪を結いあげる。うなじに風を感じてすうすうとした。

「はい、出来ました」

 渾身の出来なのだろう。カルラは満足げに頷いた。鏡に映る私は、ほんの少し前に映っていた人と同一人物だとは思えないほど印象が違った。

「じゃあ、最後の仕上げよ」

 こっちを向いて、と言われてアリーセ様の方を見る。アリーセ様は赤い口紅を持って、筆でその色を私の唇にのせた。

「これで魔法はおしまいです、フィオさん。これなら誰が見ても綺麗だって言ってもらえますよ」

「……ほんとう、ですか?」

 問うと、アリーセ様は笑う。すごく綺麗な笑顔だ。

「恋をしているのね、フィオさん。あなたの顔には、クラール様が大好きだって、顔に書いてあるわ」

「えっ!」

 咄嗟に顔を両手で隠すけれど、それでも耳まで赤くなってしまえば隠し通すことなんて出来ない。

「ちが、違います、私には恋をする資格なんて、ありません」

 もともとは下働きの、奴隷の子どもだった私が、王子様であるクラール様に恋なんて。

 ただ偶然、私の命は助かって、ジルベルト様と出会って、クラール様のもとへやって来ただけなのに。

「まぁ、おかしなことをおっしゃるのね。恋をするのに、資格なんて必要ありませんわ」

「でも」

 どう考えても、不相応だ。アリーセ様は人差し指を私の口元に突き出して、それ以上は言わせないと言外に告げた。

「誰かを好きになるのに、身分も生まれも関係ありません。想いは大切にするべきです」

 にっこりと微笑むアリーセ様に、私はそれ以上卑屈な言葉は口にできなかった。

 行きましょうか、という声に導かれて、私はまた広間へと向かう。胸を張って、前を見て、そして微笑んでいてください。そうすればどんな女性でも魅力的に見えるんですよ。

 アリーセ様のアドバイスを頭の中で何度も何度も繰り返す。

 廊下を進むたびに音楽が近くなってきた。

 同じ使用人がゆっくりと扉を開ける。さっきとは違う音楽が流れていて、私はその音楽に合わせて一歩、また一歩と進んだ 。

 不意に、恋をしているのね、と言ったアリーセ様の声が頭の中で響いた。心臓が跳ねる。

 紫色の瞳と目が合った。その瞳は驚いたように大きく見開かれていて、私を真っ直ぐに見ている。言葉もなく、ただ優雅な音楽が流れるだけだ。

「……クラール様?」

 一言も感想がないことを不安に思って、私はクラール様を見上げて名前を呼ぶ。クラール様は夢から覚めたようにはっとして、何度か瞬きをした。

「その……似合い、ませんか?」

 問うと、クラール様は少し慌てたように「いや」と呟いて、また黙る。視線が彷徨い、やがて覚悟を決めたように私を見て微笑んだ。「……すごく似合っている。綺麗だよ、フィオ」

 その一言は、魔法だった。

 アリーセ様がかけてくれた魔法よりも強力な、幸福の魔法。私はクラール様のたった一言で、いとも簡単に素敵な女の子になれた。

 アリーセ様と目が合うと、ほらね、とでも言いたげに微笑まれた。その隣にいたジルベルト様は少し驚いているようだ。

 まだ大人にはなりきれないけれど、でももう、子どもではないんですからね、と私は胸の中でこっそりと笑った。

「せっかくそんなに綺麗になったんだから、僕と踊りませんか? お姫様」

 クラール様に手を差し出されて、いつものようにその手を取りそうになる。

「そんな……! わ、私、踊りなんて分かりません」

「大丈夫、ただ僕に合わせていればいいよ。失敗しても笑う人はここにいないし、気楽にしていいから」

 クラール様は強引に私の手を取って、ゆるやかな音楽の流れの中へと私を連れ出す。腰に添えられた手と、触れ合いそうなほどに近い顔。睫毛まではっきりと見える距離に、私の心臓は壊れてしまいそうだ。

 睫毛も髪と同じ白銀なんだった。紫色の瞳は宝石みたいに綺麗で、その宝石の中に困った顔の私が映っている。

「足を踏んじゃってもいいよ。フィオは軽いから、いくら踏まれたって平気」

「わ、私が平気じゃないです……!」

 流れるように踊るクラール様に寄りそっていると、身体は自然と動いた。

 もちろん何度かクラール様の足を踏んでしまって、そのたびに私は「ごめんなさい」と繰り返す。気を散らしていないと、抱きしめられているようなこの距離を意識してしまう。

 いつの間にかにジルベルト様とアリーセ様も踊っていて、たった二組の男女がこの小さな舞踏会を独占している。

「フィオ、今日は楽しかった?」

 クラール様が私を見下ろしながら問いかけてくる。間近にあるその顔は、少し寂しそうに見えた。

「すごく、楽しいです。今までで一番の誕生日になりました」

 その寂しさを打ち消すように笑うと、クラール様は良かった、と微笑んだ。けれどすぐにまた寂しげに紫の瞳が揺れる。

「……クラール様?」

「うん、僕もすごく楽しかった。だから、少し残念かな」

「残念?」

「こんなに素敵な一日が、来年の僕の記憶には残らないから。フィオが可愛くて綺麗だったことも、こうして一緒に踊ったことも、何もかも、僕の中には残らないから。それが、残念」

 忘れかけていた事実に、私の胸は締めつけられた。たとえば来年の今頃に、去年はこうだったね、なんてクラール様と思い出を語り合うことはできないんだ。理不尽な呪いのせいで。

 私は唇を噛み締めて、涙を堪えた。辛いのはクラール様なのに、私が泣くなんて卑怯だ。

「大丈夫です、クラール様。来年も、再来年も、何年後でも私はお傍にいますから。だから、毎年一番素敵な誕生日にすればいいんです」

「それは、どんどん難易度があがっていくね」

 クラール様はくすくす笑いながら、未来の自分を憐れんだけれど、私はいいえと首を振った。

「平気ですよ。私は、クラール様がいてくださるなら、それだけでいいんですから」

 だから簡単ですよ。そう笑うと、クラール様は嬉しいような、困ったような、そんな顔をした。

「……フィオは、無欲だね」

 抱きしめられているような距離で、心臓の音さえ伝わってしまいそうな距離で、クラール様は遠いものを見るように私を見た。

「いいえ、クラール様。私はすごく欲張りですよ」

 私はそんないい子になれません。

 私は苦笑しながらクラール様を見上げた。クラール様の前ではいい子になろうと、頑張っているだけですよ。本当は強欲で、我儘な人間なんです。

 あなたを縛り付ける呪いを消し去りたい。あなたのためにじゃない。私のために。私は、あなたの記憶に残りたい。あなたの思い出になりたい。一年後も、二年後も、十年後だって――クラール様の中に私を刻みたい。


 そんなことを願う私が、無欲であるはずがないのです。

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