呪われた王子様:3
花月の二十日。
ジルベルト様と奥様のアリーセ様がたくさんの荷物と共にやって来た。自分の部屋から馬車が近づいて来るのが見えると、私は大慌てで階段を駆け下りて玄関へ向かった。
階段の一番最後の段を降りた時に、ちょうど玄関の前に馬車が止まる。
従者が馬車の扉を開けると、正装のジルベルト様が先に下りてくる。そして奥に座っていた女性にそっと手を差し伸べて、エスコートした。その女性は、熱で寝込んでいた私を看病してくれた人――アリーセ様だ。
「ジルベルト様、アリーセ様、わざわざいらして下さって、ありがとうございます」
正装の二人を前に、普段着のままの私はワンピースを少しだけ持ち上げて見よう見まねで淑女のあいさつをする。
「フィオさん、元気になって本当に良かったわ。背も随分伸びましたね」
「はい。アリーセ様、あの時は本当にありがとうございました。お礼を言えずにお別れしてしまって、ごめんなさい」
アリーセ様はいいのよ、と言って私を抱きしめてくれる。甘い香りがした。砂糖菓子でもはちみつでもない、高貴な花の香り。
アリーセ様の胸に顔をうずめながら、私は大人の女の人だ、と思った。
「おやおや、主役が先にあいさつに来ていたんだね」
アリーセ様に抱きしめられていると、くすくすと笑う声と一緒にクラール様がやって来た。アリーセ様は慌てて私を離して、優雅に礼をした。
さっきの私のお辞儀なんて子どものお遊戯のように見えるくらい、とても綺麗な礼だった。
「失礼しました、クラール様。ジルベルトの妻の、アリーセと申します」
「ようこそ、話はよく聞いているよ。……はじめまして」
おそらく本当は「はじめまして」ではないのだろう。けれど、今年クラール様がアリーセ様に会うのは初めてなのだ。アリーセ様は表情を変えなかったけれど、はじめまして、と返す言葉が少し沈んでいた。
「ほら、主役のお姫様は準備してこないと。部屋に僕からのプレゼントを運んだところだよ」
ぼんやりと三人を見つめていると、クラール様が急かすように言う。
今日はいつも使わない広間を使って、四人で食事をするのだ。準備している様子を覗いたら、食べきれないような豪華な食事と、音楽を奏でる人々まで用意されて、まるで舞踏会のようだと思った。
クラール様も正装を着ていて、普段着の私は四人の中で浮いていた。こくりと頷いて階段を上り、部屋に急ぐ。
食事の時間まではまだ余裕があるけれど、せっかくのパーティだ。私も着替えなくてはいけない。
「フィオ様、クラール様からの贈り物ですよ」
自室の扉を開けると、カルラが私を待っていた。大きな箱と、小さな箱が一つずつある。開けてみたらいかがですか、と言うカルラに促されて私は大きな箱のリボンを解いた。
箱を開けると、そこには春が広がっていた。淡い黄色のシフォンドレス。腰のリボンは萌黄色で、まるで野原一面に咲いた黄色い花のようだった。小さな箱の中には、真新しい白い靴がある。
「……ドレス」
「今日はこれを着て欲しい、とのことでした。さ、着替えましょう」
ドレスはいつも着ているワンピースよりも長く、裾は足首まである。動くたびにふわふわと揺れた。
「髪はそのまま下ろしましょうか。髪飾りをつけるだけにして」
カルラは私の髪を梳いて、真珠の髪飾りをそっと耳元に差す。いつの日だったか、マーガレットを添えたように。
ほんのりと薄化粧をして、唇に淡いピンクの口紅をのせて、カルラは鏡に映る私を見て頷く。
「はい、完成です。十五歳のお誕生日、おめでとうございます、フィオ様」
鏡に映る女の子は、まるで私じゃないみたいに綺麗になっていた。
楽しんできてくださいませ、と微笑むカルラにお礼を言って、私はゆっくりと広間へと向かった。裾の長いドレスでは走りにくかったし、走って魔法を崩してしまいたくなかった。
広間が近づくにつれ、音楽が聞こえ始める。ゆったりとした曲は、私の鼓動を速めるばかりで、緊張を和らげてはくれない。
どこか変じゃないだろうか。この綺麗なドレスは、私に似合っているだろうか。そんな不安が広がっていって、広間へ行くのが怖くなった。クラール様は、なんて思う?
緊張と不安で重くなりながらも、私の足はゆっくりと広間へ向かう。音楽が大きくなっていき、とうとう扉の前まで辿りついた。
入り口には使用人の一人が立っていて、すぐに扉を開けようと手を伸ばした。
「まって」
心の準備が出来ていない私は、小さく叫ぶ。使用人が私を見た。緊張している私を見て、優しく微笑む。
「準備が出来ましたら、どうぞお申し付けください」
そして一歩後ろに下がって、私から距離を置く。深呼吸を繰り返し、私は自分の姿を見下ろした。ドレスに汚れはない。髪も乱れないようにゆっくり歩いた。そっと耳元の髪飾りに触れて、位置がずれていないことを確認する。
目を閉じて、肺の中に溜まった息をゆっくりと吐きだした。
「もう、だいじょうぶです」
開けて下さい、とお願いすると、使用人はにっこりと微笑んで扉を開けた。
音楽が溢れる。扉を閉めていても聞こえていた優雅な曲は、広間の中を包み込んでいた。
一歩踏み込んだまま呆然としていた私を見つけて、クラール様がおいでと手招きをする。
別の世界に迷い込んだかのようだった。足元はふわふわとしていて、現実味がない。ゆっくりクラール様のもとへ向かいながら、仲良く寄り添う合うジルベルト様とアリーセ様が見えた。今なら夫婦だと言われて納得できる。二人の間にある空気は、隣にいることを当然として、お互いを支えていることが伝わってくるような――そんな素敵なものだった。
いいなぁ、という本音は、心の隅で呟いておく。
「よく似合っているよ、フィオ。思ったとおりすごく可愛い」
「ああ、そうだな」
「そうだな、じゃなくて素直に可愛いと言って欲しいところかな。僕の見立てだし」
口数の少ないジルベルト様をからかうように、クラール様は笑う。さっきまでは歩くたびに揺れた綺麗なドレスが、可愛いの一言でひどく子どもっぽいもののように見えてきてしまう。
「改めて、お誕生日おめでとうございます、フィオ様。本当に、とてもよく似合っていますね。さすがクラール様と言うべきでしょうか」
フィオ様のことをよく分かっていらっしゃいますね、と微笑むアリーセ様の言葉を否定したくなる。
私は、可愛いなんて言って欲しいわけじゃないの。子どもであることを主張したいなんて思わない。この姿でも、クラール様と釣り合わないの?
精一杯おしゃれしたつもりだったのに、可愛いという一言で全て否定されたような気がした。褒められているのに、と自分を叱りつける一方で落胆している自分の方が大きい。
「私たちからのプレゼントもたくさんあるんです。後でゆっくり見てくださいね」
「……ありがとう、ございます」
心躍るたくさんのプレゼントも、今は色褪せて見える。何をもらっても、何を着ても同じ。私はいつまでも小さな子どものまま。
お礼を言うにも口が上手く動いてくれなくて、言葉が詰まってしまう。
「フィオ、どうかした?」
私の様子に気づいたのか、クラール様が心配そうに私を見下ろす。
「なんでもないです。こういうのは初めてだから、ちょっと緊張して」
咄嗟に笑顔を作り、誤魔化した。せっかくのプレゼントが心を沈ませている原因だなんて知ったら、クラール様は傷つくに違いない。
それに、このドレスが悪いんじゃない。たぶん、着ている私が子どもっぽいから、どんなに綺麗なドレスを着ても「可愛い」という賛辞しかもらえないのだ。
「緊張なんて、することないのに。ここは僕らしかいないし、フィオはこんなに可愛いんだから、自信を持っていいんだよ」
曖昧に微笑んで流すけれど、心の中ではクラール様に可愛いと言われるたびに何かが刺さった。嬉しくないわけじゃないのに、悲しい。クラール様の中で私は可愛い女の子でしかない。
食事にしようか、といつもより豪華な食事がテーブルを埋め尽くして、クラール様がたくさん食べるんだよとあれこれ取り分けてくれるけれど、そのすべてが心の上をさらりと通り過ぎていってしまう。ありがとうございます、と言葉にしておきながら、頭の中では考えることを止めてしまっていた。
「このあとはケーキも用意してもらっているんだ。少し休憩してからにしようか、フィオはそんなにいっぺんに食べられないもんね」
「もう、お腹いっぱいですよ」
ケーキまで食べられるかどうか、と呟くとクラール様は微笑む。
「フィオは甘いものが好きだから、きっと食べられるんじゃないかな。いつもデザートは残さず食べるもんね」
何気ないクラール様の一言も、私には幼さを強調するもののように聞こえた。
怒りたいような、泣きたいような気持ちになって、私は湧きあがってくる汚い感情を飲み込もうと口を閉ざす。
クラール様は気づいた様子もなく、ジルベルト様と話していた。
「……ケーキを食べる前に、よろしいかしら? せっかくだからお色直ししましょう、フィオさん」
「え……?」
にっこりと微笑むアリーセ様の提案が、私はすぐに理解できなくて目を丸くする。実はね、とアリーセ様は少し恥ずかしそうに話し始めた。
「私たちのプレゼントも、ドレスだったんです。せっかくなので、着たところを見せていただきたいなぁ、と思って」
「いいんじゃない、フィオ。着替えておいでよ」
クラール様が退出を許すと、アリーセ様の動きは早かった。すっと立ち上がって座ったままの私の手を引いて立たせる。私は急な展開にされるがままだ。
「それではしばしの間、ここに花はいなくなりますけれど、どうぞ殿方同士でゆっくりお話でもしていてくださいな」
アリーセ様は有無を言わせぬ笑顔でそう言い残して、私を引きずるようにして広間から連れ出していく。
たとえクラール様がいいよと言わなくても強引に進めたんじゃないだろうか。
「あ、あの、アリーセ様?」
ずんずん進むアリーセ様に話しかけるけれど、アリーセ様は黙ったままだ。階段を上り、広間の音楽が遠くなったところでアリーセ様は振り返った。
「せっかくのお誕生日なのに、楽しまなくては損ですよ、フィオさん」
苦笑交じりの言葉に、私は思わず俯いて「ごめんなさい」と答えた。私がパーティを楽しんでいないことに、アリーセ様は気づいていたんだ。
「いつも同じことしか言えないような鈍感な殿方には苦労しますわね。私も似たことで散々悩まされましたわ。……クラール様に、綺麗だって言ってもらいたいんでしょう?」
「な、なんでそれをっ……!」
不機嫌の理由まで言い当てられてしまって、私は動揺した。まさか心の中でも見えるんだろうか。
「分かりますわ、女ですもの。だから、私がフィオさんに魔法をかけてさしあげます」
「え? アリーセ様は魔法が使えるんですか?」
クラール様の呪いの一件以来、このラティフォニア王国では魔女の姿を見かけなくなったと聞くけれど、ただの噂だったのだろうか。
「ふふ、そうですね、ある意味で魔法かもしれませんけれど、私は魔女じゃありませんよ。ただの領主の妻です」
誇らしげに微笑むと、アリーセ様は私の手をとる。
「さて、フィオさんの部屋はどちらかしら?」
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