呪われた王子様:2

 春になると、お屋敷の庭は賑やかになった。ライラック、デルフィニウム、カモミール、デイジー、控え目なものから華やかなものまで、色とりどりの花が美しさを競っていた。

 クラール様と出会って、初めての春だ。クラール様にとってはいつだって最初で最後の春。

 私はこの数カ月でどうにか読み書きはできるようになって、今は子供向けの本から読み始めている。

 クラール様がもう少ししたら家庭教師を雇わなくちゃダメかな、なんて笑っていたけれど、私はクラール様に教わるままでもいいのに。

 春になるまでに、ジルベルト様が何度かこのお屋敷にやって来た。そのおかげもあってか、クラール様のジルベルト様に対する警戒は解けて、私が二人と出会った時のように仲良く過ごしている。

 ジルベルト様とそのことを話すと、毎年のことだから慣れたよ、と笑っていた。

 春になるまでは、よく来るようにしているんだ、あれとの関係を作るために。

 ジルベルト様は何でもないことのようにそう言っていたけれど、領主様としての仕事がたくさん抱えているジルベルト様にとって、それが容易なことじゃないということくらいは、私にも分かる。

 クラール様の呪いのことを考えると、私の頭の中はもやもやする。

 そういう時、私はポケットの中から瓶を取り出して、その中にある菫の砂糖漬けを口に入れた。甘い味が口に広がると、少しだけもやもやが晴れるような気がした。

「フィオ様、クラール様が探していましたよ。お勉強の時間だそうです」

 声をかけられて振り返ると、そこにはカルラがいた。カルラは私のお世話をしてくれるこのお屋敷の使用人だ。私よりも三つ年上だけど、すごく大人っぽい。

「もうそんな時間だったんだね。ぼーっとしてた」

 あたたかくなってきたから、庭を歩きまわるのが楽しいんだけど時間を忘れてしまうからいけない。そのたびにカルラが私を呼びに来るのだ。

「葉っぱがついていますよ、フィオ様」

 慌てた私の頭についている葉っぱをとって、カルラが笑う。そしてポケットから櫛を取り出した。

「そんな姿のままクラール様のところへ行くつもりですか? 綺麗にしてあげますから、後ろを向いてください」

 言われるがまま、私はカルラに背を向ける。庭の中を好き勝手に歩き回った私の頭はぼさぼさになっているに違いない。大人しくカルラに髪を梳いてもらう。

 みっともない格好をしていたら、クラール様に笑われちゃう。

「はい、最後の仕上げです」

 カルラをそう言いながら私の耳元に花を差す。マーガレットだ。

「フィオ様の綺麗な黒髪には、白い花がよく映えます」

 きっとクラール様も褒めてくれますよ、なんて耳元で囁かれて、私の頬は赤くなった。

 今着ている黄緑色のワンピースは、クラール様が用意してくれたもの。何を着てもクラール様は可愛いよって言ってくれるし、毎日のように私を褒めてくれる。けれど、欲しい言葉とはどこか違っていた。

 今日こそは、いつもと違う言葉が聞けるだろうか。自分自身でさえどんな言葉を求めているか明確には分からないでいるのに、無理難題な注文だと思う。

 可愛いという言葉も、いい子だね、と言われるのも、まるで小さな子どもに言うようで、少しだけ悔しい。

 いってらっしゃいませ、と私の背中を押してくれるカルラにお礼を言って、私は髪が崩れないように小走りでお屋敷の中へ入る。自分の部屋にあるノートを持って、クラール様の待つ部屋へ。

 勉強する部屋はいつも一緒だ。天井まで届きそうなほどに高い本棚にびっしりと本が詰まっていて、私とクラール様は窓際に置かれた机でいつも勉強している。

「ごめんなさい、クラール様。遅くなりました」

 そう言いながら扉を開けると、窓からの日の光を背にクラール様がこちらを向く。白銀の髪がきらきらと輝いて、まるで冬の名残の雪が太陽に照らされているみたいだ。

「時間はしっかり守るようにね。でもフィオは時計を持ってないから、仕方ないのかな。今度フィオに似合う時計でも探しに行こうか」

「……時計は、なんだか縛り付けられているみたいであんまり好きじゃないです」

 そもそもお屋敷の外へ出ることがない私には、必要性を感じない。私が守るべき時間は、こうしてクラール様と勉強するための時間だけだ。いつもは余裕を持って行動しているから、遅刻することもない。

「そうだね、遅刻だって今日が初めてだし、フィオは真面目だから必要ないかもしれないなぁ。庭にいたんだね」

 クラール様が自分の耳元を指差して、そう言う。私は耳元に差したマーガレットを思いだして恥ずかしくなった。気づいてくれた。気づかないはずがないくらいに白い花ははっきりと主張してくれているのに、そう思う。

「はい、その、ちょっと考え事をしていて」

「最近あったかくなってきたしね。まるで春の妖精さんみたいだ、可愛いよ」

 可愛いなんて褒め言葉が欲しいんじゃないのに――そう思うのに、やっぱりクラール様に褒められるとくすぐったくて、嬉しい。

 悔しいと感じる心もあるのに、それ以上に喜びの方が大きくなって、私は火照る頬が早く冷めるようにと祈る。

 クラール様はお伽話の王子様みたいなことを平気で言うから、余計に恥ずかしい。

「さて、じゃあ始めようか」

「はい」

 ぺちぺちと頬を叩いて気を引き締める。読み書きを勉強していた頃と違って、最近ではクラール様に地理や数学を教わっている。難しい文字は今でも読めないけれど、簡単な本なら自力で読めるようになってきた。

 暇な時はこの部屋で図鑑を眺めたりもしている。クラール様には内緒だけど、ときどき薬草の本を読んだいたりもする。書いてあることは難しくてほとんど理解できないけれど、クラール様の呪いを解く手掛かりが見つかったらいいな、と思ったのだ。

 魔女は、薬草やまじないを取り扱う職だ。薬学を学ぶことは、魔女の分野に触れることでもあるから、魔女が嫌われている今はあまりいい顔はされない。けれど周囲にどんな反応をされても、私には関係ない。私にとって重要なのは、クラール様だけだから。

「じゃあ、復習しようか。僕らがいる国がここ、ラティフォニア。花の乙女の国と呼ばれている。北と南で気候違うから、いろいろな花が咲くんだ。建国神話の中に花の乙女も登場する。隣国はステルンベルギア。こちらは代々女王が国政を行っている、だから女王の国とも呼ばれているね」

「北はアングレカムですね。万年雪の国。南がシネラリア」

 広げられた周辺諸国の地図を指差しながら私が答える。北のアングレカム、万年雪というのは言い過ぎだけどね、とクラール様は笑っていた。つまりはとても寒いということらしい。

「うん、正解。じゃあ今度は国内の地理を覚えていこうか」

 そう言いながらクラール様はまた別の地図を広げて、ここが王都、ここが僕らのいるところ、と指を差しながら教えてくれる。

 私はクラール様の指を追うように地図を見つめて、地名を覚えていく。このお屋敷があるジルベルト様の領地は、国の一番北、アングレカムとの国境にある。私がいたあの村はここよりももっと北にあるらしい。

「ジルベルト様はクラール様の従兄弟なんですよね? 王様の親戚なのに、どうしてこんな端の領主様なんですか? もっと王都に近い方が便利なんじゃないですか?」

 王都があるのは国の中央だ。花の都とも呼ばれる、ラティフォニアの中心。王様の親戚なら、王様に近いところに住むものじゃないのかな、と私はなんとなく思っただけだった。

「いい質問だね、フィオ。それはね、信頼できる人だから離れた場所を預けられているんだよ」

「信頼している人は、傍にいる方がいいんじゃないんですか?」

 首を傾げてさらに問うと、クラール様はそうだね、と認めた上で続けた。

「でも王様が本当に信頼できる人は少ない。これは難しい話になってしまうけど、国と国の境目は、いつだって不安定な場所だ。他の国がもっと国を大きくしたいと願ったとする。けれどご覧、余っている土地はない。余っている場所がないなら、他の国から奪うしかなくなるね。その時最初に狙われるのは、真ん中じゃなくて端っこだ」

「だから、信頼できる人に守ってもらうんですか?」

「うん、そういうことになるね」

 これは地理じゃなくて、政治の勉強になっちゃうけどね、と笑いながらクラール様が再びラティフォニアの地名を教えてくれる。

 クラール様の声は穏やかで、甘やかで、私は何時間聞いていても飽きることがない。

 いつだって私はクラール様を一人占めしているけど、勉強している時はクラール様と二人きりになれるから、どんな時間よりも好きだった。

「もうすぐ、君の誕生日だね、フィオ」

 地図をしまって、少し休憩にとお茶を飲んでいると、クラール様がそう切り出す。

 花月の二十日は、私の生まれた日――ということにしてある。本当の誕生日を知らない私は、以前ご主人様のお屋敷にいた頃の仲間と誕生日を決め合った。それが、花月の二十日。

「お祝いをしようね。ジルベルトも、奥方を連れて来てくれるそうだよ」

「本当ですかっ?」

 ジルベルト様に会えるのも嬉しいけれど、奥様に会えるのはクラール様のお屋敷で暮らすようになって初めてだ。直接お礼を言うことができなかったから、それがずっと心残りだった。

「喜ぶのはまだ早いよ。当日はたくさんお祝いするからね、楽しみにしていて」

「今からすごく楽しみです!」

 笑顔で答えた私の髪を撫でて、クラール様は優しく微笑んでいた。




 誕生日はすぐそこだ。私はわくわくして仕方なかった。今まではそれほど重要だと思っていなかった誕生日だけど、今年はすごく楽しい一日になりそうだ。

「そんなにそわそわしなくても、誕生日は逃げませんよ?」

 くすくすと笑いながらカルラが私の髪を梳く。寝る前に必ずやってもらっているのだ。私はそんなことしなくていいのに、と言ったのだけど、カルラが「これは私の楽しみなんです」と言うので、それから日課になっている。

 肩までしかなかった黒髪は、少し伸びて背中に届くかどうかという長さになった。

「当日はいつもより気合いを入れて綺麗にしましょうね。ドレスは何がいいかしら」

 髪を梳きながら当日の相談をするカルラも、いつもより饒舌だ。楽しみなのは私だけじゃないみたい。

「綺麗って、言ってもらえるかな」

 鏡を見ながらぽつりと呟く。鏡に映る私はやっぱりまだ子どもで、以前よりも背が伸びたけれど、まだクラール様の肩にも届かない。黒い髪は幼さを強調しているようで、クラール様の白銀の髪がとても羨ましかった。

「いつも可愛いと褒めてくださるじゃないですか」

 カルラが微笑みながらそう言うけれど、私は俯いて「違うの」と答えた。そう、可愛いじゃ嫌。いつもの褒め言葉はまるであいさつのようで、私の心をいっぱいに満たしてはくれない。

「綺麗だねって褒めてほしいの。あんなに綺麗なクラール様に比べれば、私なんて全然綺麗じゃないけど」

「フィオ様は綺麗ですよ」

 カルラが鏡越しに私を見てきっぱりと答えた。

「でも、私は小さいし子どもっぽいし。いつも可愛いってしか言ってもらえない」

 贅沢な悩みなのだろうか。褒めてもらっているのに、それじゃあ不満だなんて。

「クラール様がにぶいんですね、いつかきっと、綺麗だって言ってもらえますよ」

 いつかじゃ嫌なの。そう言おうとして、駄々をこねる子どものようだと気づいた私は、ただ黙って膝の上にある自分の小さな手を見つめた。

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