第34話 玉葱ぐるぐる
高校の時体験したことがなかった私にとって、大学生になってやってみたいことの一つは、アルバイトであった。
まだネットで見つけるなんて時代じゃなくて、バイト探しは火金発行の情報誌であったり、友人の紹介だったり、お店の張り紙だったりした。
はじめて情報誌を買って、蛍光ペンでマーカーをつけた日のわくわくどきどきを覚えている。何をやりたいかより、世間にはどんな仕事があるのか見ては大興奮だったのである。およっ、こんな募集があるよっ。
友人と一緒に、あーでもないこーでもないと言いながら見つけた広告。
それは、お茶を売る仕事だった。なにせすごい日給なのだ。今ならどのくらい怪しいのかすぐ見抜けるのだが、働く世間にデビューしようとしているひよっこの私たちにはわからず、どうする?とか言いながら、まずは履歴書なるものを買いに東急ハンズに行くことにした。我々の活動範囲は池袋中心であった。
さて、その怪しい仕事の発信先の会社は、サンシャインビルのオフィス部分にあった。志望動機とか聞かれるのかな、どうしようとか言いつつ、まず電話をしなくてはいけないという二人とも得意ではない関門を突破するのに勇気が出ないまま、サンシャインに行くまでのお店でバーガーを食べた。
心のどこかで、きっとこれは胡散臭いぞってわかっていたんだろうな。練習で書いてみた履歴書をしまって、結局この日は断念して帰ることにする。
そのまま忘れていたのだが、後日談がある。
私が印をつけたまま、ぽいっと置いておいた情報誌を見た高校生の弟が、いつのまにかそこに面接を受けに行っていたというおまけがあったのだ。
「ねーちゃん、あの会社だめだわ。あの金額、ノルマ達成しなきゃくれないよ」
弟の素早い行動力と、危険回避能力の低さのダブルパンチに、目を丸くする姉であった。強引に引き込まれるとかなくてよかったよ。
*
学生時代やってみた様々なバイト。
洋服屋さん。
池袋パルコの中のすきなお洋服の店の張り紙を見て応募。バックヤードで先輩の売り子さんたちが全員スパスパ煙草吸ってたのが印象的。表の顔と裏の顔のギャップが新鮮だった。あのにこやかな接客の顔を作るのに、すごいストレスがかかるのね。私はその接客が苦手で、服をたたんでばかりいて、ある日くびになった。
洋服屋さんその2。
懲りもせず、今度は地元に近いお店で働く。裏で値札をつけるお仕事。ああ、そうなんだな。まず印字してから、こうして赤でわざわざSALEみたいに値下げした金額を書いて策略するのね。2000円より1980円って安く思えるものね。20円より大きな差に見える。
販売員の男の人が男前なのに、おねえ言葉で親しみやすかった。系列の店の中で成績トップだったのは、すごい観察眼があったからかな。私が時々ほしいなぁってちら見してたブラウス覚えてて、最後にプレゼントしてくれたもん。レースの襟でパールのボタンのピンク色のブラウス。お気に入りだった。
面白かったのが、ジャム漏れ検査。
大学に募集の張り紙があった輸入商社の仕事。ホテルの朝食などにつく小さいジャムあるでしょ。あれが容器からはみ出してないかチェックするだけなのね。ちょっとでもあやしいと、はじいてそれもらえちゃう。しかも同じ大学の女子たちと部屋でお喋りしながら。タイムカードもなくて自己申告で、なんかゆるくてしあわせ。
そして、ぴあ本社でのチケット電話受付。
電話するのは苦手だけど、受けて定型的なことを喋るのはなんとかなった。でも人の名前聞き取るの、難しくて大変だったな。当時はある程度の時間が経過すると、希望のコンサート取ってもらえるから、バイト代はほぼコンサート代に消えちゃったけどね。オフィスにいる正社員の人たちの格好が自由人って感じであこがれたなぁ。
世間を知るには、色々な世界に入ってみるのも大切だ。
バイトも正社員も合わせて、今の仕事で11こ目の世界。まだまだ少ないかな。
*
さて、話はもどって、はじめてのバイトのことである。
ファーストアルバイトは、不思議な縁ではじまった。
そこは、今はなきサンシャイン通りのビヤホール。よく入ってたバーガー屋さんの隣。確か、ウェイトレス募集の張り紙を見たんだ。
夏休みのバイト探しで、友人と二人で試しに面接に行ってみることにした。電話が苦手だから直談判。いきなり厨房で働かせてほしいとかけあったのだ。はっきりいって二人とも全然料理とか得意でもないのに、どうしてそんなことを言い出したのか、私たち。
お店の人には、え? 女の子ならかわいい制服(チロルの少女風)が着たくて、普通は応募してくるんだけど?と言われ、ああ、でも料理長に聞いてくるわ、とかけあってくれた。
その料理長はでっかくて髭はやしててハワイのパパって感じの人で、厨房に女の子を入れたことはないなぁ、と苦笑しながら、まあいいか、仕事作ってみるか、と採用してくれた。
はじめての女の子ということで、ものすごくかわいがってもらった。厨房の制服も男用しかなくてぶかぶかだったね。
お昼は定食だけで、懐石弁当のような黒の容器にサラダを詰める係になった。調理といってもプチトマトや缶詰のビーツを切ったりするくらいで、サラダ担当の方が作ったシーフードサラダをきれいに盛り付ける仕事。紫色のビーツの缶詰を初めて開けたのもここでだった。
中でも私が期待されたのは、玉葱のスライスであった。玉葱切ると、目にしみて涙が出てくるでしょ。しかも、レストランだからその量も多い。でもね、あれってコンタクトしてると全然大丈夫なの。友人は視力がいいから涙が止まらなくて、私が担当になった。
包丁使う訳じゃなくて、なんか鉛筆削りみたいな機械があって、それをただぐるぐる回すだけで、スライスが山になっていく。
*
さて、夏休みに色々予定を入れてしまった私はさほど熱心にバイトに行かず、一方の友人は慣れて来て一人でもせっせと働くようになった。そしてシェフの一人といつの間にか熱愛するようになっていた。
この友人は同じ高校だったが、クラスが一緒になったことはなく、友人の友人でお互い顔は知っていた。実は私はめっちゃ意識してたんだ。
だってね、私がすきだった人と高校時代唯一つきあってた彼女だったんだもん。まさか大学に入って同じクラスになって、こんなになかよしになるなんて想像していなかった。
切れ長の目。とても不思議な色気のある人で、こういう女の子に男は弱いのだろうなと思っていた。人とのつき合いはあまり得意ではないクールな彼女は、他の誰にも似ていなかった。
声が低くておとなしく見えるけれど、やることは大胆。初対面の誰かと話すのが苦手なくらい臆病かと思えば、一人で何でも出かけていく人だった。
映画もコンサートも、はては外国も一人でも行く彼女の影響が、私にもたらしたものは大きいと思う。行きたいところは行けばいいんだ。
外国に女ひとりとか、事件に巻き込まれたりしたら怖くない? そう聞く私に彼女は、死んでもいいと思ってやってるからって、ぽつりと言った。今思えば極端な思考だけど、その時私は単純に、すごいな、そう思えば何でもできそうだなと思った。
あ、書いているうちに思い出したよ。
彼女は平衡感覚がない人で、大学内で紙コップのアップルティーを運ぶのが苦手で、こぼさずにテーブルまで歩くことができなかったから、いつも私が自分の分と二つ運んであげていたんだった。だから、ウェイトレスは無理だって話だったんだね。
彼女がつきあったシェフに、私もほんの少し好意をもっていたので、なんだか取り残された気持ちになって、先にバイトをやめてしまった。
ああ、まただなって、高校の時を思い出してしまったんだ。すきだった彼が選んだ人。もうその時は、自分には別にすきな人がいたんだから気にする必要もないのに、敗北したような変な気持ちになったんだ。
私が嫉妬という感情を覚えたのは、彼女が初めてだったかもしれない。しかも二度。
きっと一緒にいたら、いつも男を取られてしまうような気がして、自分がすきな人は紹介したくないなと思った。サークルの先輩がいきなり大学に来た時は、会わせたくなくてどきどきした。会っても大丈夫だった時の、妙な安堵感を思い出す。
彼女のことはとてもすきだ。でも、つかず離れずお互いの世界は別に持っていた。そうしないとだめだったんだろうな。狭い了見の私。やきもちやきは、今も変わらず。
あの時ぐるぐる回してたのは、玉葱なのか、もやもやしたきもちだったのか。コンタクト外したら、そのせいにして泣けただろうか。
あれ、バイトの話がすっかり逸れてしまったよ。
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