第20話 文学全集の過去


 これは、第一話「父の本棚」のその後の話である。


 先日、父の本棚にある例の日本文学全集について、いつからあるものなのかと何気なく母に尋ねた。私はその意外な答えに、ぽかんと口を開けた。


 なぜ父の生前に聞かなかったかというと、気がつけば当たり前のようにそこにあったことと、勝手にある推測があって聞かずともそれが合っているだろうと思い込んでいたからであった。



 父は高校入学時から、故郷の石川県を出て東京に一人、下宿暮らしをしていた。地方では神童だったらしく、都内の有名高で学ぶことになったわけだ。しかし、一人でいたらよほど根性がないと堕ちていくわけで、大学に入ってからは下降、堕落の道を順調に歩んで行ったらしい。


 父の話は本人から聞いたものではない。あまり自らは過去の話をしなかった。本来無口な方なので、自分について語るようなことはなかった。

 だから、私の中にある若い頃の父の姿というのは、母から聞いた話と、箪笥の引出しの中の父の若かりし頃の写真を、頭でつなぎ合わせた少々勝手なものだ。


 しかも、母は私と同じB型なので、話をおもしろくするために若干盛ってるような気もしないでもない。

 台風の日に屋上のビアホールに飲みにいったら、すごい風でおつまみのポテトチップスが飛んでいってしまって、代わりに隣のテーブルの人のが飛んで来て、ちょうどお皿に着地したのでお互い笑いながら食べちゃったんだよ、とか言う人だ。この話すきなんだけど、まあ都合はいいよね。


 石川の祖父は校長先生であった。他の親族も教師が多く、御多分に洩れず父も教職の道を目指していたはずだった。祖父は書もたしなみ、家系的には文系が多く、父も本好きの文学部であった。文系の血は私にも引き継がれている。つまりはあまり理系がいない。

 男兄弟の中でも一番祖父に顔が似ていたこともあり、教師となって故郷に戻ることを期待されていたのであろう、父。


 しかし、大学生になりちゃらんぽらんになった父は、結局故郷には帰らなかった。 詳しい経緯はわからないが、なぜかデパートに就職して食器売り場に配属されたらしい。そのお陰で荷物の梱包が得意で、美しい小包を作る名人だった。まぁ、この後父は三回転職することになるのだが。


 この辺りの話を聞いていて、私は貧乏な苦学生をイメージしていた。だから、あの文学全集は、文学青年であった父に祖父が贈ったものに違いないと、ずっと思い込んでいたのだ。



 父は、パンが苦手であった。下宿先の一階がパン屋で、一生分のパンの匂いを嗅いだからだそうだ。

 

 父と母がどうやって知り合ったのか、そこは歯切れが悪く、よくはわからない。多分、飲み屋でナンパか何かしたのだろう。

 写真の父はなかなかいい男で、背も高いし、当時は髪もふさふさだったから、ある程度もてたのではないだろうか。

 母が出会った時、父にはとんかつ屋の彼女がいたらしい。とんかつ屋、どれだけ腹が減っていたのかと想像を巡らせてみる。その人と結婚したら一生食いっぱぐれないとか脳裏に過ったのかもしれぬ。つき合いの動機に不純っぽい匂いがぷんぷんする。


 父と母はよく洋画を観に行ったそうだ。その時いつも父はハンバーグを食べていたので、母はずっと、この人は余程ハンバーグがすきなんだわと思っていたらしい。しばらくして、その店の一番安いメニューだったからだと判明した。母はきっと全然気付かずに、エビフライとか好きなものを注文していたに違いない。


 結婚の決定打になったのは、母が盲腸で入院したことがきっかけだった。母も地方から出てきて、頼るのは自分の姉というふらふらした人だったから、毎日のように見舞いに来た父と、なんとなくそんな流れになったらしい。父もああ見えてここぞという時には頑張ったんだな。なぜか見舞いの品が鯖の缶詰だったらしいので、パチンコの景品かもしれないが。

 弱っている時にやさしくされると、人は運命を感じるものなのだ。


 すっかり脱線したが、この頃にはまだあの文学全集は、父の本棚に存在していなかった。



 祖父が贈ったと思い込んでいた臙脂色えんじいろの文学全集。

「え、あの文学全集? あれは、Kちゃんが持って来たのよ」

 そう母は言った。私の想像は全く外れていたのだ。


 Kちゃんというのは、父の年の離れた一番末の妹で啓子というのだが、私はこどもの頃から「おばさんと呼ばないで。けいちゃんがいいわ」と言われていたので、いい年になった今でもずっとKちゃんと呼んでいる叔母のこと。

 余談だが、うちの親戚にはKと発音する人が多過ぎる。啓子、桂子、啓治、圭。けいちゃんと呼ぶと四人位、振り返ることになる。


 私が生まれ、弟が生まれ、我が家は私が小学校に上がる前に、都内から田舎に家を買って引っ越しをした。その頃も、私はこのだいすきな叔母にほんとによく遊んでもらっていた。

 そして、私が小学三年の時にめでたく恋愛結婚した。相手の方は姿も品もよく、ちょっと細かいところがあったが、大雑把なKちゃんとお似合いだった。

 どこで知り合ったの?と聞いた小学生の私に、Kちゃんが

「会社のお昼休みにね、公園のベンチに座っていたら、いつの間にか隣にいたの」

と言ったのを覚えている。その後、私がどこかのベンチに座るたびに、ロマンスを期待してしまう女の子になってしまっても、仕方ないよね。


 その後、Kちゃんの家にもこどもが生まれた。

 その時に、例の文学全集がわが家に持ち込まれたというのだ。こどもできて狭くなっちゃうから置かせてと言って持ってきたそうだ。

 私が生まれた時からさもあったかのように記憶していたあの全集は、私が小学生の時にやってきたということになる。全然、搬入された日の記憶がない。私は留守だったのだろうか。


 父の文学全集、ならぬKの文学全集。

 父が亡くなった今、あれは誰のものということになるのだろうか。

 つい最近、三回忌で顔を合わせたというのに、終ぞ知らぬ私は叔母の前で話題にすることもなかったのだ。


「そういえば、持って来たきり、あれについてはKちゃんは何も言わないわね」

 そう母はのんびりと言う。

「でもさ、Kちゃんが本を読む人だってイメージないよ。あれは、Kちゃんの旦那さんの齊藤さんのじゃあないの?」

「そうね、それらしいわね、きっと」


 きっと一番近い答えだ。あれは父の全集ではなく、Kの全集でもなく「齊藤さんの文学全集」だったのかもしれない。なんだか不思議な気がした。あの本の内容を父と話す時に、そんなことは微塵も感じさせなかったから。いかにも、俺の、という風情で。


 齋藤さんはナイスミドルな叔父で、とてもスマートでお洒落な上に行動力がある人で、思い立ったらちょっとバイクで築地市場に買い物、なんていう人。あちらのモノをこちらに移すのも面倒な父とは雲泥の差。

「叔父上の全集」うん、出所は悪くない。


 Kちゃんに電話して聞いてみようかとも思ったが、また今度会った時に、事の真相を聞いてみようと想う。そういうのを人生に取っておくのも悪くない、そんな気がする。

 最近会うのが、結婚式より葬式が多いのが切ないけれど、これが年を取る人間の真っ当な流れなのだろう。


 まだまだ全集の過去は、全貌を明かさないままでいこう。






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