水無月の残り香

第21話 時間差ギャラリー


 社会人向けの写真教室に通ったきっかけは、またもや父であった。

 私の人生の重大決定事項は、何故かいつも父からはじまる。


 いつものようにふらりと散歩に出かけた父が、ある日突然、一眼レフカメラを買ってきた。近くの商店街の写真屋で休憩した、そのついでに。


 一眼レフというものは、そう気まぐれで買うものではない。

 これからは散歩にカメラを持って出掛けるのだろうか。そう思っていたが、一向に持って行く気配はない。


 大体、父は写真を撮るのが天才的に下手だった。だた簡単にピントが合う全自動カメラでも、シャッターと一緒にカメラも下に押されるため、人物の頭は切れ、目は獲物を狙う動物のように赤く見えた。


 ぽつんと書棚に置き去りにされた可哀想な一眼レフ。

 そこで見るに見かねて立ち上がったのが、同じくカメラセンスゼロの私だった。



 さあ、やるとなったら突如夢中になる私は、とりあえず説明書なるものを熟読してみた。普段はこの手のものを全く読まない、読むより慣れろ派の私だが、さすがに緊張する機械を手に取り、素直に従う。


 そして「一眼レフの撮り方」みたいな指南書を買ってきたが、専門用語がチンプンカンプンで、早速嫌になってきた。被写界深度ってなんだよぉ。 非社会派かぁ?


 そんな時に見つけたのが、日本写真学園の生徒募集広告だった。さまざまな年代の人たちが、カメラという共通の目的で集まって来る場所。初級コースは紅組、白組の二クラスあった。ともかくえいっと入門。


 講義よりも即実践。ほとんどの授業は撮影しながら学んでいくスタイル。撮影は室内も外もあり。はじめてきれいなお姉さんのモデルに向かってシャッターを切った。みんな自分のカメラに愛着を持っているみたい。クラシックカメラの巻き上げ音が響く。個性的な人たちがたくさんいて、なんだか刺激される。


 ここで知り合った友人たちとは、今もって交流している。今後も時折私が書くものに登場してくるだろう。(第八話酔ゐ人で、酔っ払いとして既出。)今度の土曜は、いざキャバクラ(鎌倉)に撮影に行く予定である。不測の事態で若干熱っぽいけど、きっと行く。



 学校に通いはじめて、写真がすっかりおもしろくなった。

 撮るのも楽しかったが、何よりも暗室でモノクロ写真を焼くのが、一番わくわくした。未知なる世界に一歩足を踏み入れた感覚。


 そんな暗室で、私の先生になってくれた人がいた。

 整ったやさしい顔立ちで、落ち着いた雰囲気の年上のその人は、ファインプリントという、より美しいモノクロプリントを焼く、上級クラスの人だった。初心者の私は、プリント技術やフィルム選びのことをたくさん教えてもらった。


 ゆらゆら揺れる液体の中から像が浮かび上がってくる時、その一枚をひらひらさせながら、その人が私の写真をどう見つめるのか、気になってどきどきした。

 その人は、写真の仕上がりには厳しかったけれど、決して人の写真を批判することのない人だった。この切り取り方は、この視線はおもしろいねって、下手な写真の中の何かを見つけてくれた。



 彼はよく私に電話してきて、いつどこでこんな写真展があるよと教えてくれた。 最初は誘われているのかと思ったが、いつもひとしきりその写真家について語った後、「では」と電話は切れた。


 前に、アンドレ・ケルテスがすきだと言ったからだろうか。

 私好みのモノクロ写真が多く、お陰で更にすきな写真家が増えた。自分の心の中の宝物コレクション。


 カルチェ・ブレッソン、ブラッサイ、マン・レイ、イジス

 スティーグリッツ、ラルティーグ、ロベール・ドアノー

 エリオット・アーウィット、そして、ユージン・スミス。

 アンセル・アダムスのような、ファインプリントの時もあった。


 静謐で、きりりと締まった空間を切り取るフォトグラフの世界。その前に立つと、いつしか背筋がピンと伸びるような気がした。見ているのに、見られているかのような。



 写真展にクラスの誰かを誘えばよかったのだけど、大抵一人で見に行った。

 私は一人で行動するのが全然平気だったからが、表向きの理由。同時に心のどこかで偶然その人に逢えるのを期待していたのだろう、対して裏の理由。

 先生、生徒の私は、こうしてちゃんと見に行っております。敬礼。


 学校で会うと、どうだった?と聞かれる。そして、彼の感想もたくさん話してくれる。何列目にあったあれがカッコよかったねとか。あの構図は偶然なのか、作為的なのかとか。一緒に行かなくても、ちょっと行ったような気になるくらい。


 運命の人ならば、きっとほっておいても逢えるはず。私は写真を見ながら、見ている人の影も一緒に探していた。偶然ギャラリーで逢うことは、とうとう一度もなかった。


 今でも、その人とは年賀状のやり取りが続いている。隣に彼とよく似た奥さんが写っている。彼女は写真学校の卒業生だった。その人と一緒だったのかな。



 少しあこがれていたその人。

 思い返してみるけど、一緒に行きたいと言ったら、きっと一度くらいつき合ってくれたんじゃないかと想ったりもする。

 でも、そうしなかったのは、偶然こそが大事な気がしていたから。運命の人だったら、きっと逢えるはずだと。そして、逢えなかったから、そうじゃないのだと。自分の気持ちを試していたのかもしれないね、淡い想いの先。

 あんなに学校や暗室で会えたのに、結局は弱い繋がりだったんだなと想う。それに、この不思議な師弟関係も悪くないって、どこかで感じていたんだよね。すべてが恋になるわけじゃない。



 極端な事をいえば、 その写真展の会期期間と空間が、一気に凝縮して合わさってしまえば、同じ処に、同じ瞬間にいられたことになる。


 相当な人ごみに晒されてしまったかもしれないけど、その中で私たちは隣に並んで談笑しながら、同じ写真を見ていたかもしれないね。


 パラレル・ワールドだって、同時にあったかもしれない。

 もしも、あの時、あの選択をしなかったら、別の世界が存在した。


 時間差で歩いた軌跡を辿る。ちょっとロマンチックな気分に浸っていたのかもしれない。時空を超えて想像してみて、とてもすてきだった。



 そして、あれから何年も経って、同じことを想う日が来るなんて、人生は不思議だ。今度は、誰かが、いや君が、私を追いかけてくれるはずだった。


「あなたの言葉を取り入れてしまったら

 僕もその世界が見たくて、溜まらなくなりました。

 きっと時間ができたら、見に行きます。 

 僕のたった一人である『誰かの痕跡を探す』道行です。

 きっと、その誰かの歩いた道を

 誰かの見た世界の痕跡を探して、僕は歩くでしょう」


 そう言ってくれた人。きっとそれは叶わないって、約束は果たされることなく消えていくって、そんなの頭ではわかっていたけれど、目を閉じて想像してみたんだ。空間が重なって、叶って、気づくとそっと隣にいる君の横顔。


 そんな日が来ることは永遠にないって、もう過ぎ去ったのだと知っている今でもね。君と重なったわずかな瞬間をただ思い描くだけで、あの頃の私はしあわせだった。






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