*006 Rion
全く。ライアは本当に全く。
ずっと一緒にいるのに、ライアが何を考えているのか時々分からない。人を殺すのは怖い。そんなのは当たり前だ。私が聞きたかったのはそういうことじゃない。
わかってる。この「人を殺すのは怖い」の中にヒントが隠れているのでしょう? でも、今の私にはきっとわからない答え。ライアは、私のことを思ってヒントしか教えないのだ。それくらいの感情は伝わってくる。いらいらしてしまうが、とても嬉しいことだ。誰よりも私に理解して欲しいから、私は私自身で彼女の心に辿り着き、その答えを共有しなければならないのだ。人から教わった答えじゃない。私自身で彼女を理解しなければならない。ライアはそれを望んでいるし、私もそうありたいと思っている。
「それでも、やっぱり納得いかないものは納得いかない!」
薬の入ったビンを乱暴に並べながら私は小さく叫ぶ。
物に当っている自分が情けない。ライアはそんなイライラどころか、機嫌の悪い姿さえ見たことがない。もう十五年以上一緒にいるのに、この差は何なのだろうか。
「お、リオンちゃん、今日はいい場所を取ったね」
しゃがれた男性の声がする。
顔を上げると、そこには白い髪と白い髭を生やし、高そうなスーツを着た老人が立っていた。杖を持つその姿はまさに紳士そのものだ。
「レインフォールドさん」
スコール・レインフォールド。資産家だ。たった一代で自らの事業を成長させ、国王にその仕事ぶりが気に入られるまでに上り詰めた人物。その内容は人材派遣に相当するものであるが、彼の仕事は少し特殊なものである。
「調子はどうだい? 今日は随分と商品の量が多いようだけれど」
「ええ。在庫が溜まってきたから実演も行って半分くらいに減らしたいなと考えたんです」
ほう、それはいいことだ、と彼は嬉しそうに言った。
「リオンちゃんの魔術、実は間近で見たことがないんだ。是非私にも実演してくれんかね?」
ええ、いいですよ。その代わり、と私は続けた。
「大きなリアクションで人を集めてくださいね。一人のためにやる芸当でもないので」
意地悪く微笑んだ。彼はリピーターなのだ。私の商品を気に入ってくれて、見かけるたびに何かを買っていってくれる。なかなか気さくに話してくれるので、私もかなり打ち解けられたと思う。
「ほう、そんなにすごいことをするのかい? それならば意識しなくとも大きな声で驚いてしまいそうだ」
スーツや杖には似合わない豪快な笑いをする。
「じゃあまず、この腕を見てください」
私は魔術着であるローブの袖を捲って肘あたりまでその腕を露わにする。
「男の私がこう言うと少しいやらしく聞こえるかもしれないが、細くて綺麗な腕だ。傷一つなく色も白く繊細だ。それでいて魔術師らしいごつごつとした感じもある。魔術師としても、女性としても魅力的な腕だ」
そこまで褒めなくてもいいです、と私はそっぽを向く。こりゃ失礼、と彼はまたも豪快に笑った。初対面の男性だったらこの 細 く て 綺 麗 な 腕 で引っ叩いていたところだ。
「じゃあこの褒めて頂いた腕、切りますね」
何の躊躇いもなく、私は懐から出したナイフで私自身の腕を切った。
「な、なんてことをするんだ!」
今までに聞いたことのない彼の声が広場中に響く。良い反応だ。これで皆私に注目してくれることだろう。
「自分の腕を切るなんて! 正気じゃない! 女性なのに傷跡が残ったりしたらどうするんだ! 早く止血を!」
レインフォールドさんは捲し立てるように私に向かって叫ぶ。
何だ何だと野次馬がどんどん彼と私を囲っていく。計算通りだ。周りの人間にも私が今「自分自身の腕をナイフで切りつけた」という事実はしっかり広まっているだろう。
真っ赤な鮮血が腕を伝い肘からぽたぽたと地面に零れ落ちる。腕が麻痺してきた。少し深く切りすぎたかなと思った途端、額から脂汗が吹き出した。レインフォールドさんも顔を真っ青にしている。悪い笑みが零れたのが、私自身でも分かるほど、嬉しくなった。
「さあ、ここからが見せ場ですよ」
私は先程までナイフを持っていた手で脇に置いていた魔道書を拾い上げてページを開く。
呪文の詠唱を始める。商品や魔道書に血が付かないように気をつけていたら変な体勢になってしまって、腕の麻痺よりもこっちのほうが辛かった。
やがて短い詠唱が終わる。本の見開きを切った腕に向ける。
「さあ、これが私の商品です」
ページが光り輝いて傷ついた腕を包む。
暫く。短い時間が経過する。やがて光は収まる。そして怪我を負っていた腕を掲げる。
「おい、治ってるぞ」「すごい」「こんな一瞬で」
口々に驚きの声がする。販促は成功だ。後は売るだけ。
「さあ、これと同じものを仕込んだインスタント魔術「ショートヒーリング」を通常一つ一五〇〇ネインのところを今なら二割引きの一二〇〇ネイン! 一つにつき三回まで使用可能なお得商品はいかがですか!」
「買った!」「私も頂戴!」「こっちには三つくれ!」「俺もだ!」
よし、どうやら売れ行きは好調になりそうだ。はい、並んでくださいね言いながら一つ一つ売っていく。これでまた何人かはリピーターが付くことだろう。我ながら久し振りに良い仕事をした。もう少し実演販売の割合を増やそうか、なんてことも考えた。
購入目当ての客が捌けて、ある程度落ち着いてから、私はレインフォールドさんに向き直る。
「さ、どうですか? レインフォールドさんもおひとつ」
おかげで沢山売れましたし、いつもよりサービスしますよ、と続ける。
いやあ、驚いたよ、と彼は言う。
「リオンちゃんの魔術を生で見られたのはとても良かったよ。しかし、それよりも販売のために自分の腕にナイフを突き立てるなんて、多少の勇気だけじゃあなかなか出来ないことだ。よく肝が座っているよ」
今度は豪快に笑うことはせず、ただ私に向かって微笑んだ。
「まあ、傷も絶対に残りませんし、そう言う部分での恐怖や嫌悪はないですね」
そういうことじゃないんだ、と彼は続ける。
「たとえ綺麗に治るものだとしても、痛いことに変わりはない。自分を傷付ける恐怖だって間違いなくあるはずだ」
間違いない。多少は怖い。だが、もう慣れてしまった。
「自分を切ることはこういう実演以外でもやっているんです。この商品を作る際だって、どれくらいの傷が完全に癒えるのか、値段と加味しながら何度も実験したものですから」
彼はこの答えに更に驚いていた。日常的に行っている事に対しての驚きなのだろう。
「とても熱心だ。しかし、君も女性なのだから、もっと自分の体は大切にしなさい」
彼は私を優しく叱った。それが少し嬉しかったので、気をつけます、と言って少しだけ反省した。
「ところでどうだい、この前の事は考えてくれたかね?」
この前のこと。数日ほど前に彼が私にしてきた提案だ。
彼の家には一人の息子がいる。今は帝国騎士として城内で仕事をしている立派な人だ。会ったことは無いが、街でもたまに名前を聞くため、活躍の見られる素晴らしい人物なのだろうと予想できる。
私は、彼との結婚を先日持ちかけられた。まずは見合いから、それからでも良いと言われたが、私はまだその返事もできていないでいる。
「まだ顔も合わせられていないんだ。見合いとまではいかずとも、紹介くらいはさせてくれんかね?」
私は会うか会わないかで答えられないでいるわけではない。「どう断ろうか」その断り方に悩んでいたのだ。
「じゃあ、仕方がないのでお答えしますね」
私はゆっくりと口を開いた。
「正直、今の生活の状態で色恋や結婚の事は考えられません。きっと結婚を受け入れれば私はレインフォールドの家に入ることになり、それなりに良い生活は出来るでしょう」
少し皮肉も込めて私はそう言って続ける。
「私の目標は、まず一人前の魔術師になることです。それ以外の幸福は、今私の中にはありません」
もしその考えが生まれるとすれば。
「私が帝国魔術師となれた時」
と言って口をつぐんだ。彼は私の次の言葉を待っている。
「その時は、そういう幸せも良いと思うかもしれません。でも、今は駄目です。お会いすることも出来ません。中途半端な気持ちで、人とのお付き合いを増やしたくはありません」
今の私とあなたの関係は商人と客。ただそれだけです。冷たい言い方かもしれませんが、私にはそう考えることしか出来ません。
そう言って、話を終えた。
彼は少し顎に手を当てて何かを思った後、
「そうか、では仕方がない。ではまずは君が帝国魔術師になれるよう応援することにしよう」
そう言って微笑んでくれた。どうやら私の事はしっかりと理解してくれたらしい。
彼はその後、多少の世間話をし、インスタント魔術と飲み薬を何種類か購入して去っていった。ごめんなさいね。と彼の背中に静かに語り掛けた。
『ライア。私にだって女としての魅力、少しはあったんだからね』
グリモワール・メサイア 佐倉 憂 @grief_art
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