*005 Lia

 答えになっていない、とリオンは怒って私を叩いた。隠し事をする私に怒ったのか、私の言った言葉の答えに辿り着けない自分に怒ったのかは定かではないが、彼女が眉間に皺を作ってそっぽを向いてしまったことに違いはなかった。

「私、今日はここで売るから」

 尖った声でリオンがそう言う。

 噴水広場の真ん中のスペースが開いている。他のスペースは他の露店で埋まっているのに。誰かが店を閉めた後なのだろうか。

 リオンはそそくさとその場所で折りたたみ式の椅子と商品を並べるための布を敷いて準備を始めた。

「ライアも、酒場の掲示板は更新されている頃だろうし、もう行ったらどう?」

 酷く機嫌が斜めに向いてしまっている。こうなったリオンはそっとしておくのが一番良いだろう。

「う、うん。そうだね。じゃあ、行ってくるよ」

 私は手を振ってその場を後にした。リオンは準備する手を止めず、手を振り返してもくれなかった。少し寂しいとは思いつつも、酒場を目指す。

 酒場は噴水広場から少し歩いた先。住宅が少し増えてくる場所に建っている。

 周りの建造物と変わらない木造の建築物。一階が酒場兼傭兵仲介、二階は酒場の主人が生活するためのスペースになっている。この酒場は主人と奥さん、その娘さんの三人で経営している。娘さんは十六歳で、十九の私より三つ若い。名をエノーラと言う。私に似た薄いブロンドの髪をしている。違いは彼女の髪の方が細くストレートでサラサラという点だろうか。羨ましい。酒場に来る傭兵や飲みに来る客はほとんどが男性なので、女の私は傭兵としても客としても珍しいらしく、エノーラとは年齢も近いためか、出会ってすぐに打ち解けた。付き合いはもう三年以上にもなる。

「こんにちはー」

 酒場の扉を開けると、からんからん、と良い鈴の音が鳴る。

「いらっしゃい」

 渋い声で返す髭の生えた男性。大きなビール腹がいい貫禄を出している。また太ったかな?

「あ! ライアさんいらっしゃい!」

 今度は可愛らしい少女の声だ。声のした方を見やると、肩に届くか届かないかくらいの髪の長さをした少女が私の方に駆け寄ってきた。

「エノーラ、久し振り」

 彼女がエノーラだ。私よりもほんの少しだけ背の低い少女。年齢を考えるともうすぐ私の身長を抜かしてしまうのではないだろうか。

 それにしても、相変わらず綺麗な髪だ。色は私のものと似ているのに、質感がまるで別物。このまま髪を伸ばしたらきっと似合うだろうに、彼女は仕事には邪魔だからと言って伸びてきたらすぐに切ってしまう。

「ほんとだよ! 一週間以上顔を出していなかったけれど、どうしたの?」

 そう。私は少し前の仕事で懐が多少なり潤ったため、傭兵としての仕事をサボってグリモワールの伝説の文献を漁るのに没頭していたのだ。

「ごめんねー。サボってたの」

 正直に言った。適当な理由を頭の中で探したが、私の頭はそんなに都合よく回ってくれるわけではないようだ。

「もう! この前の護衛の仕事で結構な額を貰ったからって、その日暮らしの生活を続けていたら後になって後悔するんだからね! ちゃんと貯金しなきゃだよ!」

 ぷくー、と可愛らしく頬を膨らましてエノーラはそう言った。この子はリオンと同じくらいに私を心配してくれる。嬉しいものだけれど、母親が二人いるみたいだ。年下の母親って響きはなんだか不思議だけれども。

「うーん、もちろん分かってはいるんだけどねー。それで、今日の掲示板更新はもう済んだ?」

「うん! 今終わったとこだよ! 今日はあんまり傭兵らしい仕事は無いかな。まあ、そのほうがライアさんはいいのかもしれないけれどねー」

 そう言って掲示板の方へ案内してくれる。

「んー、確かに傭兵らしくないって言い方がしっくりくる内容だね」

「でしょ! だから多分今日の客入りはあんまり良くないと思うの! まったく困ったものだよ」

 やれやれ、と彼女はわざとらしくジェスチャーをした。

 今回の掲示板の内容は大半がこうだ。

 友好関係を結んでいる国から観光のためにやってきた客の案内。学校での護身術の特別講師。近々始まる国立記念パレードの準備。夜中の城下町警備。他にも、戦闘がほとんど絡まないであろう依頼書が並んでいる。

「あー、それでも、今回の仕事はほとんどが私好みなんだよなぁ」

「ライアさん好みだからだめなのー!」

「あはは、酷いこと言うねー」

 苦笑いをする。私好みの仕事ということは、血の気の多い傭兵達にとっては生ぬるいやりがいのない仕事ばかりということだろう。

「ライアさん、ほんとに傭兵向いてないと思う! 確かに剣の腕は誰よりもすごいけど、それを戦いに使わないんだもの! いっそのことうちで働いて欲しいな!」

「わー、大胆な勧誘だねー」

 ここまでストレートに言われるともう怒る気すらしなくなってしまう。

「でもね」

 私は続けて話す。

「人を殺すのはとっても怖いことだよ。ううん、人だけじゃない。命を奪うってことはそれ相応の覚悟と責任が必要なんだ。命に感謝して、いろんな亡くなった命を背負って生きていかなきゃならない。多分、エノーラは見たことがないんじゃないかな。命を奪う責任を知っている傭兵を、一人たりとも」

 私はリオンには伝えなかった答えをエノーラに言う。

「人は命の責任を背負うことが出来ない。たとえこの命で償ったとしても、奪った命が戻るわけでも、誰かの心が癒やされるわけでもない」

 真剣な私の声を聞いて、エノーラは真摯に応えるようにじっと私を見つめてくれた。

「だから、私が誰かの、何かの命を奪う時は、それが正しいと思う時だけ。大切な人を守るために、そして、大切な場所を守るために」

 私は瞳を閉じて瞼の裏に思い浮かべる。大切な村。大切な人。そして、この酒場だって。

「これは私のエゴだよ。責任の取れない犠牲なら、その責任よりも私に重くのしかかるものを考える。それを考えたら、何のために戦うべきか、わかるんだ」

 微笑む。この話をしたのはエノーラが初めてだ。今後誰にも言うことは無いだろう。リオンには教えない。彼女には、自分でその答えに辿り着いて欲しい。私の事を心から理解して欲しいから。誰よりも、一番に。

「……ごめんなさい」

 エノーラは俯いて呟いた。自分の発言が軽率だったかもしれないと反省しているのだろう。私はいいんだよ、と言ってエノーラを抱きしめた。

「これは私のエゴなんだから、誰に否定されても、何を言われたって反論することはできないんだから。だから、エノーラはエノーラでいい。私みたいに、エゴに縋って恐怖から逃れなくてもいいんだ」

「うん……」

 こんな時にこんなことを考えるのは少々空気が読めないのかもしれないが、エノーラはなんて可愛らしいのだろう。妹がいたら、こんな感じなのかな、と思いながら、エノーラと温もりを共有した。

「さて」

 私はエノーラに向き直る。

「ちゃんと仕事探さなきゃね」

「そうだね」

 二人で掲示板を見る。他に客がおらず暇なためか、エノーラも仕事探しを手伝ってくれた。この中で考えると、護身術の講師か観光案内のどちらかが仕事としてはやりやすい。エノーラが私に勧めてくれるのもやはり同じものだ。

「んー、そうだねー、時間とのコストパフォーマンスを考えると護身術の講師の方がいいし自分自身の練習にもなっていい感じかな。でも、観光案内で国際的な交流を持てれば指名での仕事も今後貰える可能性を考慮できるし……」

 迷う。リオンにも優柔不断な所は怒られることがある。

「ねえ、エノーラ」

「なに?」

 彼女は微笑んで私のほうを振り向く。

「エノーラは、どっちの仕事を私にやって欲しい?」

 うーん、そうだなぁとエノーラは少しだけ腕を組んで考え、

「やっぱり、護身術の講師の仕事を私はやって欲しいかなぁ」

 それはどうして? と彼女に問うとキラキラとした笑顔で答える。

「だって、ライアさんのかっこいい所が見たいんだもの! ちょっとくらいなら仕事を抜け出せるし、学校見学って名目で見に行くこともできると思うの!」

 ちゃっかりしている子だ。酒場が仲介料を取って、その上私の仕事の見学と、エノーラの憧れである学校にも入ることが出来る。一石三鳥くらいの感じではないだろうか?

「なかなか計画的な犯行ですねー、エノーラさん」

 からかうように私は言う。

「でしょ!」

 無邪気に彼女は言った。

 まあ、困ることも無いし、良いだろう。私はそう思って、この「学校での護身術の特別講師の依頼」を請けることに決めた。エノーラはたいそう嬉しそうだった。

 彼女の笑顔が見れたから、まあこの決定は良しとしよう。

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