短篇 雪下牡丹

東雲 裕二

第1話

薄紅の牡丹が咲いている。雪下に牡丹が儚げに咲いていた。藁に囲まれ大事に、大事にされている大きな蕾が大輪の輝く華となっていた。


「今年も綺麗に咲きましたね」私は見事な季節はずれの花を咲かせた手品師ような年配の隣人に声を掛けた。


隣の家に住んでいる老人は温かいどてらを身に纏ながら、白い手袋で牡丹を取り囲んでいる藁に積もっていた雪を丁寧に退かしていた。


「そうや、今年も綺麗に咲きおったわ」老人は私に穏やかに微笑む「おみゃあさんは牡丹が好きだったねえ」


「ええ」私は塀越しに話す。


老人は再び牡丹を見つめると悲しく呟く。


「今年も……華には可哀想な事をした」


「冬牡丹にした事をですか?」


「……この華は私を憎んでいるのかのう」老人の悲しい言葉は白い息となった。



牡丹には幾つか種類がある。大きく分けて二種、春に咲く春牡丹と冬に咲く寒牡丹。しかし、春牡丹を特殊な方法で栽培をすると冬に咲く冬牡丹へと変じる。だが、これはあくまでも人為的な華に季節を誤魔化す方法、再び通常の栽培へと変えれば春牡丹となる。


老人は牡丹の好事家だった。自分で育てている牡丹は全て種から育てていた。


現在の市場に出回っている牡丹は接木の牡丹しかない。牡丹は被子植物の為、為から育てる事が出来たが余りにも病弱で枯れやすく、華を咲かせるまでは長い時間が掛かった。戦後、牡丹の仲間である芍薬に接木する方法が考案されて比較的病に強くなり、育てやすくなったからだ。


しかし、老人は接木をしなかった。


当然、老人が育てる牡丹の中には華を咲かせる前に病により枯れてしまった事も幾度と無くあった。


「……すまないね。誰もが羨む華を咲かせてやれなくて」老人は悲しそうにそう呟く。


私は一度だけ老人にそれほど悲しむのなら始めから接木ですれば良いのでは?、と尋ねた事があった。


「確かに接木をすれば病にも強くなり華を咲かせやすくなるのう。だけどね、自分の都合で苗を折ることなんて私には出来ない。芍薬にも、牡丹にも可哀想な事じゃ」老人はぎこちなく答えた。


「では、どうして冬に牡丹を咲かそうとするんです?」


その時には、老人は私の問いに答えてくれなかった。



晩秋、間もなく冷たい風が吹き、霜が下り始めようとしている時期。老人は藁を牡丹が植えられている周辺に隙間無く敷き詰めていた。冬牡丹の原理は温かくして春と華に錯覚させる事だった。


老人は慣れた手つきで細い竹で雪囲いを作って藁を掛ける。


その手付きから長年華というものを大事にしてきた事は明白だった。


「おみゃあさん、昔にどうして冬牡丹にするか聞いていたな」


私が華の冬支度に見入っていると老人は話しかけてきた。


「想像してみんしゃい。真っ白な雪の中に紅の牡丹が華開く姿を。私はそれだけを思って冬牡丹にする。華からしてみれば迷惑な我侭じゃ」


老人はぎこちなく笑う。


「牡丹は華の王、素敵な舞台で御披露目しないと王様に失礼ですからね。牡丹にとっては我侭と感じないでしょう。きっと華が映えるようにしてくれて感謝していると思いますよ」


「……そうじゃと良いんじゃが」老人は寂しく呟く。


翌年の夏、老人はこの世から旅立たれた。


牡丹の苗は青々と輝き、老人が旅立った天を仰ぐようだった。


牡丹の苗は老人の息子夫婦が育てる事になった。彼らは華の事に詳しくないのか、家庭菜園の趣味にしている父にいろはを教授してもらっていた。


やはりそこで問題になったのは「接木」、種から育てられた牡丹は今では珍しい。ましてや病に弱い牡丹は素人には難しい。見事な牡丹でしょうと玄人面をする人の牡丹は所詮は接木の病に強いもの。同じ牡丹でも全くの別物であった。


私は枯れ逝くのかと老人の牡丹を憂いだ。




だが、奇妙な事が起きた。牡丹は枯れなかったのだ。


それどころか、冬を目前にし始めた時に牡丹の苗たちが一斉に蕾を付けたのだ。冬の為の支度は一切していない牡丹。冬牡丹は自ずと春牡丹に変わるはずが冷たい木枯らしが吹く中蕾を付けた。


「奇妙な事もあるものだ」私の父は隣人夫婦に呼ばれて蕾を見ている際にそう静かに呟いた。


数日後、雪がちらほらと降り始めた。


そして、牡丹が綺麗に開花する。


誰かに季節を誤魔化されているわけでもない。自分から冬に華を開かせた。


まるで、これが私の舞台と言わんばかりに見事な紅の華弁を極上のドレスとして広げる。


真っ白い雪に紅の牡丹が咲いた。


朝、私が雪かきをしようと庭に出ると、隣人が牡丹が咲いているのを見て驚いていた。


「……恨んでいるなら、自分から冬に咲きますか」私は雪降る空を見て呟く。


牡丹は貴方の事を恨んでいない。


あの咲き方は貴方に見て欲しいと言わんばかりだ。


「雪下牡丹、か」


人から見れば狂い咲きの牡丹。


私から見れば華の王の相応しい雪下牡丹。


今年もまた華の王は白い舞台で雄姿を見せたのだろうか。


私は思うのです。


華の王は老人の想いをしっかりと受け止めていたのだと。そして、安らかに眠っている老人もまた華の想いを受け止めているのだと。



―終―

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短篇 雪下牡丹 東雲 裕二 @shinonomeyuji

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