にごりえ。

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にごりえ。

 小学生でも知っている。地元を流れるこの川が、日本でも五本の指に入るぐらい汚いということを。社会の授業で習うから。先生が「あの川は日本でも……」って結構自慢気に言うので、私は当時それが「人口が多い」だとか「GDPが高い」とかいうのと同じように、自慢に出来ることなのだと思い込んでいた。私の町の川は、お前のところのより汚い、と。

 それほど、この川をせっせと汚しているのは、主に工場から流れてくる大量の廃水なのだけれど、その他に周辺の住民である私たちが、その川に何でも投げ込む習慣を持っているということも災いしている。花火の燃え滓、愛着のなくなった犬ころの死骸、古くなって修理も出来ない自転車、何でもよく投げ込む。もともと汚い川なのだから、自転車なんてうちの犬だったコロなんて、それよりはずっとずっと綺麗な物のはずだ。私たちの間で「埋めてくる」という言葉はしばしば、この川に捨てるということを指す。

 だから、川底の方ではあの世に繋がっているかもしれない、と私は、幼いときから漠然と想像していた。みんな要らないと見なされたらそこへ行くのだ。あの世でなくてどこであろうか。この町の表面に生きることは即ち、私たちがあの世との境にしているこの川をただ汚していくことだった。十七年間ぼうっと、まるで抜け殻みたいに生きてきただけでも、ずいぶんと貢献したものだなと思う。そう思って煙草の火をつけようとしてつかなくてもがく。

 私がこの川について持っていた習慣は、ただ要らなくなった物を捨てに来るということだけでなく、川べりで喫煙することと、学校の勉強を家で出来ないときにぶらぶらと来て、参考書を開いて地べたに座ること、それと友達が私をここで見つけるのを、待つでもなく待つということの三つだった。友達といっても、正確にいうとあきちゃん一人だった。小学校、中学校でも何となく私と遊んでくれる子はいたけれど、途中で私について何かを諦めて去ってしまったから、わざわざ私を見つけて声を上げてくれるような子は、彼女一人だった。

 私が川べりで草むらに直に座り込み、ジャージの短パンを穿いた足であぐらをかき、煙草を吸いながら物理の参考書を眺めている。そうすると橋の上の方から、湿った風に乗ってあきちゃんの「あーっ」という甲高い声が吹き飛んでくる。友達を見つけたら、みんな「あーっ」って言うのだろうか。私は彼女きり友達がいないから知らないけれど、普通に名前とか呼んだらいいのにと思う。彼女は悲鳴を上げるみたいに私を見つけ、私も煙草を持っているとうっかりその手を上げそうになり、人目につくのを微妙に恐れて川に吸殻を放り込む。そんな習慣を持っていた。あと、悲鳴を上げた彼女が近づいてくるのを内心恐れるのも、私の習慣だった。顔を洗ったり髪をとかしたりするのと同じぐらい生活に根付いている、行儀のいい人間になるための震えのような、微かで動かしがたい習慣だった。


 あきちゃんとは、高校の二年生のときに初めて同じクラスになった。私たちの高校は県内でそこそこの進学校で、一番偏差値の高い高校に行けなかった子たちが、次に受けるグループのうちの一つだった。私はそこに、中学のときの担任に励まされて何とか引っかかり、あきちゃんは「お姉ちゃんに負けたくなかった」という理由で受けて受かった。

 私たちはあの高校の、典型的な生徒ではなかったように思う。中学の頃、それぞれの住む地域で一番にはなれなかった子供たちが、大学受験の季節になると、それぞれの方法で自分というものを取り戻そうとしだす。浪人覚悟で最難関クラスに挑もうとする子、やっぱり二番手グループに行こうとする子、大学受験自体を全然放棄する子などがいて、それぞれに十五歳のときの二回戦であるみたいに私には思えた。みんな、担任の先生にそれぞれの手傷っぽいところを鞭打たれてけしかけられていた。

 彼らに比べて、私とあきちゃんには平穏な陣地がある方だった。なぜなら大人からの期待と無縁だったから。もともと優等生らしかったわけでもなく、ラッキーパンチで入っていたから、他の子みたいに自分を回復するために奮闘したりする必要など全然なく、無為にぶらぶらして過ごしていたら、水が低きに流れていくように……成績がどんどん低迷した。

 私たちは二人とも似たようなゾーンにいたらしく、二年の春にいきなり提出を命じられる進路希望票に、私が「医学部志望」、彼女が「メディカルなんとか(たぶん薬学部)」と書いたら、真面目に書けという理由で二人して担任に呼び出された。

 そのときまで私は、茶髪で目立つ感じの彼女と、「怖い」と言われる暗い自分に、馬鹿以外の共通点があると思っていなかったので、似たような進路志望であることを意外に思った。私も彼女も決心は固く、馬鹿だから考え直せと言う担任の言葉は聞き流し、机の上に晒されている進路希望票に記入した名前がともに、三文字で二文字目までがひらがな、三文字目が漢字であるというところに注目していた。


 そのときに初めて、彼女の下の名前を知った。なんとかちゃん、と呼ばれているのは知っていたけれど、漢字なんか知らなかった。私が「えり香」で、彼女が「あき帆」だった。

「親は何考えていたんだろ、」

 初めて私は、自分の名前の表記に対する感想を、共有してもらえそうな他人に会って呟いた。

「私、画数でそうしたって」

 彼女があっさり、自分の存在の不思議なところを、自分で適当に処理してしまっているのを聞いて、私は驚いてつい「私、親に質問したことない」とか、へんな応じ方をしてしまった。そのことが、彼女の笑いを誘った。そのあと、私はへんに本音みたいなことを言った。

「ていうか、要らないんだけど、えり香のか、」

「じゃあさ、取っちゃおうか、要らないところ、私も要らないから」

 そう言うと、彼女は音を立てて私の名前の書かれた進路希望票の、三文字目を潰した。私も彼女の三文字目を潰した。そのときから私たちは互いに、えりちゃん、あきちゃん、と呼ぶようになった。何だかものすごく短い、約束事をお互いに確認し合っているみたいだった。また、遊ぼうね、そうだね、じゃあね、またね。ずっと一緒にいようよ、そんなことを、子供のときは繰り返す。私たちは、子供のときから続いていた名前の、お互いに痛覚を感じない部分を毟り取った。

 とっさに生まれたその同意には、私たちに密かにある「人生の結末を気楽なものにしたい」という願望が、初めから滲んでいたように思う。私たちは二人して笑っているだけで、何となく、私たちの人生の結末を気楽にし合っているような気がした。何も可笑しいことがなくても、まるで不安を払拭し合うみたいに、私たちはよく連れ立って笑った。

 担任に冗談だと思われ、あきちゃんには「その気持ち分かるよ」と言われる医学部という進路に、私は自分の成績では到底届かないことは分かっていて、努力する準備をしようとしていた。二年になると予備校のチラシが家に届くようになり、お母さんはそれらをまとめて私の机の上に置く。私は半ばそれを彼女に対する義務のように感じ、カラフルなチラシの封を切っていった。夏期講習、という文字を見てお母さんに金額をみせると、母子家庭では出せるお金は限られたものだという、ごく当然の説教をされた。

 それで私はアルバイトをすることにした。いくらかかるのか、計算してみたら三年から通うためのお金を集めるには、二年の夏からバイトをしなくてはとても間に合わないと分かった。高校では校則でバイトは禁止されていたから、もし先生の誰かに見つかったら、真面目にこの計算のことを言おうと思った。ただやみくもに違反しているんじゃない、私は、急がないと間に合わないのだ、自分が希望する将来に。


 面接に行く前、私はまるで溺れるみたいにあきちゃんに抱きついた。「ただでさえ暑いのに、」と彼女が文句を言った。「匂いしない?」と私が尋ねると、そんなに不安ならスプレー貸すよと、彼女がエイトフォーを貸してくれた。フレッシュレモンの香とかで、煙草の染みみたいな匂いが消せるのかは疑問だったけれど、自分でも自分の匂いが分からなくなっていたから、他人の判断に従うしか仕方がなかった。高校生を雇ってくれる店は、近所では駅前のマックか喫茶店しかなく、私は後者にした。マックのハンバーガーは、働く前からもう既に飽きていた。後者はどこかひっそりとしていて、子供の頃に一度、親戚の誰かに連れていってもらった覚えがあった。あれも何かの、時間潰しのためだったのだと思う。私はチョコレートパフェを食べさせてもらった。その思い出が、引き出しから出てきたオルゴールみたいに、何だか嬉しかった。光景の微かな輪郭がまだあり、捩子を巻いたら動き出しそうな愛らしい思い出だった。

 私はあっさりと合格した。出来るだけ丁寧な字で書いた履歴書の他に、私はいろいろと自分に有利になりそうなものを持っていた。まず私は、あきちゃんの相方とは思われない程度に見た目が真面目そうだったし、髪も染めたことがなかった。そして人見知りだから、他人の前に出るとごく自然に緊張出来た。私を面接したのは眼鏡をかけたおじいさんで、まるで履歴書を見るような目で、私のぱっとしない風貌を見て一言「真面目そうだ」と言った。来週から来てくれる、と言った声は小さく、私は既にもう彼の習慣に繰り入れられたかのようだった。

「大学受験もこんなに楽勝ならいいのに、」

 と、私がエイトフォーを振りかけておじいさんを欺いたことを報告すると、

「そんなに簡単に成功したらゆるさんよ」

 と、結構本気らしいトーンであきちゃんに言われた。私たちはともに、のろのろと低空飛行で生きてきた同士で出会ったというのに、本気で準備を始めてしまった劣等生の私を、あきちゃんは少なからず疎ましく思い始めていたようだった。私たちはそれぞれ医者になりたく、また、何の痛みでも消化できる薬を扱うひとになりたく、他人がそうなることは希望していなかった。


 家の仕事もろくに手伝っていなかった私は、喫茶店で自己流のへたくそな家事みたいな仕事をして、アルバイトの先輩の大学生の男のひとに困った顔をされた。

「マニュアルとかはないけれど、俺のするとおりにやって」

 私はこんな風に、他人のするとおりに生活してみてと言われて、よくあきちゃんの言う「平穏無事な人生がいちばんだよ」という言葉をふと思い出した。まねすることで、そのとおりにやれるんだとしたら、平穏無事な他人をまねて、そういう一生が送れたらどんなにいいだろう。

 働き出してひと月ぐらいした頃、ドラマの場面に出てくるみたいな、何だか作り物めいた場面に遭遇した。女のひとが罵声を浴びせて、目の前に座っていたおじさんにコップの水をぶちまけた。私はカウンターで呆然と眺めて「きっとこんな場合にも、とっさに取るべき正しい反応というものがあるはずだ」などと愚かな模索をしていた。私の他に誰もいない時間帯だったから、私は誰の真似をして自分を隠すことも出来ず、剥き出しに呆然としているより仕方がなかった。

 攻撃者になった女のひとは、傷んだ髪を盛り上げてごついパワーストーンの数珠をしていて、美人らしかったけれど自分の輪郭を誇張しすぎて、かえって老婆みたいに姿の印象が不吉だった。まるで自分の怒りを模写するみたいに、彼女が乱雑に歩き去った後も、彼女の不満の痕跡のように、辺りに香水の匂いが漂った。

 私は濡れたテーブルを拭こうとして、水をかけられた中年男性の方へと近づいた。彼女をああまで怒らせた彼には驚いたことに、怒らせるだけの攻撃をした気配も、また水をかけられたことへの動揺の気配も全くなく、毎日電流を浴びている家畜のような静けさで、その場に根付いたように座っていた。たとえて言うなら太いハムの断面のような、死んだ肉としての明るさすら妙に感じられ、私はいよいよ彼をまともに見ることが、人間としてしてはいけないことに抵触するのではないかと恐れた。

 私が水の入った灰皿をどけている間も、びしょぬれになった週刊誌をラックから引き抜いている間も、彼はまるで大人のすることを見ている子供のように、無頓着にその動きの傍らにいて、私がテーブルを二度目に拭くときになって、ようやく目の玉だけを動かして「ごめんね」と呟いた。


 私がこのおじさんと交際するようになってから、あきちゃんとの関係は微妙なものになった。もともと劣等生グループのなかで結んだ友情だったと思うし、努力を始めた私のことを恨めしく感じていたことも知っていたので、私はもし彼女に、堕落したなどと詰られるのなら、それは不思議なことであるように感じた。逆に、もし彼女が私の交際を喝采して迎えるなら、その先彼女との友情をどう続けてゆけばいいか、それが見えるような気がした。

 またおじさんとの交際で、私は自分の年齢では発見しなかった寂しさや、人生の厚みというものを感じることに慣れ、自分はまだ若いのになどと、自分の年齢をその考えから切り離そうとする努力を次第に忘れた。私にとって若さは、それが幼さだったときから、生まれたままの私の性質に合わず、つねに私の前に立ちはだかるものだった。

 生まれてから初めのうちは、誰にでも確かにまだ若さがあるはずなのに、私は名前の最初の文字に漢字が付いていないように、初めから若さを剥奪されているような感じがしていた。まだ高校生で、生まれてから一度も、若さというものから一歩も出たことがないはずなのに。おじさんの子供とほんの何歳しか違わず、娘であってもおかしくない年齢だったというのに。


「えりちゃん、すごい馬鹿だよ」

 あきちゃんは私に向かって知れきったことを言った。私は知ってる、と言った。

「だから少しでも馬鹿じゃなくなろーとして、頑張ってるとこ」と、ちょっと喧嘩売るようなことを言ったら、やっぱりと思ったけれどきつく睨まれた。

 いつもどおり川べりにいて喫煙しているときに彼女が来て、そのまま煙草を吸いながら話していたけれど、前からの習慣だと知ってるはずだというのに、それすら「村上さんが吸うから吸ってるの」などと訊いてきて、どうしてあきちゃんは私の気に入らない部分を、出来る限り太らせようとするんだ、まるで家畜みたいにそうでないと困るみたいじゃないか、と言えない言葉として心のなかで呟いた。むかついたことを表明しようとして、わざと嫌がらせで、

「あき帆も吸う?」と吸殻を反対にして差し向けたら、彼女は呪いから顔をそむけるみたいに、要らないとか言い、何故か煙草なのに、

「ヤク中め、」とか言った。

 

 訊いてもいいかな、と大学生の先輩は、わざわざ私にその質問をぶつける前に尋ねてきた。私は何であろうと別にかまわなかったので、いいですよと言いつつ皿を拭いた。

「村上さんとのデートってさ、いつもどこに行ってるの」

「ラブホです」

 と私は言った。想像したとおりの、ぞっとしたような反応が彼の顔をよぎったので、

「冗談です、近所の公園とかです」と私が本当のことを言うと、皿洗いの手を止めて彼は、

「その方が何か気持ち悪いなあ、」と本音らしいものを漏らした。私は、平気でいじっているうちにうっかり取れた乳歯の、気持ちの悪い白さを見つけてしまったような気分で、「失敗したな」と思った。私は、何を嘘ですとごまかしていいのか分からず、そうですよねと言ったけれど、皿洗いの音に掻き消されて会話にならなかった。


「役所に勤める前は、屠殺場に勤めていました、『とさつ』っていって菊池さん、分かりますか、結構、難しい字を書くんですが」

 公園のベンチに座っているとき、村上さんが足元の砂に、棒きれで書いてくれたことがある。こう書いて、それからこうです、と長い時間かかって『屠』という字を村上さんは砂の上に創り上げた。その字の厳めしいことがその仕事の厳しさの表れであるかのように、またそう自慢しているかのように見えた。

 私は以前、生物の授業で豚の目玉を解剖した話を、彼にしていたことを思い出した。死んだ豚の目だと思うと、その視線にぶつかるのも怖かったこと、また普段食卓で見る肉にはああいう目が付いているのかと思うととても怖い、みたいなことを言った覚えがあったが、屠殺のことまでは連想しなかった。

 また、その話のときには、彼は自分が屠殺場で働いていたことは言わなかったと思う。珍しく、私が熱意を持ってした話が、豚の話だったので、彼は内心私を喜ばせる共通の話題を見つけたと思ったのかもしれない。私たちに共通の話題などなかった。彼の目に私の震えは、嬉し気な昂奮のように見えていたことを、このときに私は初めて知った。

「豚のね、頭を殴って気絶させるんです。それで頸動脈を切ってね、失血死させるんです。ハンマーでこうして頭を、」なぐります、と言って彼は素振りするような仕草をした。

「なかなかね、当たりません。やっぱり、可哀想になるから」

 私たちの目の前には三歳ぐらいの女の子とその母親らしい二人連れがいて、パンをちぎって鳩にやっていた。私は少し離れているのに、村上さんの素振りがこの母娘にぶつからないか、それが少し気になった。

「上司はね、すごく上手いんです。もう慣れているから、何も感じないんですね、」

 それを聴いている間、私は三歳ぐらいのその女の子の仕草を見ていた。彼女は、手のなかの白いパンをちぎり、しきりと首を動かしている鳩に向かって投げてみせたり、また母親の真似をして少しフェイントをかけたり、またこちらに向かって来る鳩を恐れたりしていた。

「いずれ自分もそうなるものだと思うんですけれどね、でも、やってみろと言われて出来るものではないですよ。あれは」彼は、ハンマーで殴るものの、それが豚の頭ではなく、背中や尻などにぶつかってしまうということを言った。

「そうなると相手ももう必死です、自分が殺されるんだと分かったときの動物の悲鳴って、菊池さん、分かりますか」

 そう、彼は私を喜ばせようとして言った。私は、豚を追いかけている作業員と、全身痣だらけで逃げている豚のいる光景を頭に浮かべながら、目の前にいる白いパンをちぎっている少女と鳩の群れが、彼らと不思議な相似があるように感じ、彼女たちを見てこの話題をしたのかを訊こうとして、止した。


「受験生」という呼称が、私たちに共通する名前になった。まるで日めくりカレンダーみたいに、私たちの上を覆っていた季節は新しい紙らしい響きで切り離され、殺風景な「受験生」という冷たい冬を思わせる字面の名前で呼ばれることになってしまった。どうしてこんな悲劇をみんな当たり前のこととして呑みこめるんだろう、と私は思った。太陽が昇って来ると分かっていても誰も止められないみたいに、運命が想像したとおりの嫌な局面に差し掛かっても、誰もそれをストップ出来ない。

「えり香の香、を外したみたいに」と、私はあきちゃんの提案のことを言った。

「人生が嫌な段階になったら、べりりって自分から最新の未来を厚く剥がして、その嫌な季節が来るのを防げたらいいのに」たとえるなら人生に三年生の部分などは要らない、ずっと途中まででいい、二年生のままで良いのにどうしてそうは出来ないのだろう。私の学年なのに、なぜ私が決められないのか。

「えりちゃんどうしたの今日暗いよ、」と彼女は笑った。「いつもだけど、今日すごく暗いよ、どうしたの」

 今までで最も憂鬱な春だと思ったけれど、文字通り雪解けの季節でもあった。私が季節のことを愚痴って、彼女がそんな風に言って笑い、私がかつて彼女がしてくれた、「自分の気に入らない部分を消す」という遊びに言及したことが、お互いの間で暗黙のうちに和解の手応えに変わった。季節が過ぎるということは、微妙な変化の堆積でもある。何かが私たちの上に降り積もって、良くも悪くも、私たちはいつまでも同じ感情を持ち続けていることは不可能だった。

 私は喫茶店でのアルバイトの貯金に加えて、お母さんに懇願して補助してもらったお金で、三年生からいよいよ予備校に通えるようになった。あきちゃんもいつの間にか親に頼んで、当たり前のように私と同じ予備校に通うことにしていた。最初にクラス分けテストをやって、その結果の通知が家に届いた。開いたものの私はアルファベットと数字の組み合わせの意味が分からず、自分が先に目指したにもかかわらず、封を開けた封筒を学校に持っていってあきちゃんに「ねえエムいちって何」と尋ねた。あきちゃんは私の肩を乱暴に叩いて、上級クラスだようわあ信じられないと言った。

 彼女によると数学だけ私は上級クラスで、英語と化学は下級クラスだということだった。英語の方が自信あった、と私が言うと馬鹿、あんたいるのここだからねとグラフ上の赤い星を指された。いかにも私がいそうな低い位置で、それが私なのだとすぐに呑みこめた。

「うわああしかもM1って悠木先生だ死ねよもう」と彼女が言うので、

「なんで悠木先生ってひと死なないといけないの」と言ったら、いや死ななきゃいけないのお前だから、死ねよ本当まじで今、と凄い勢いで言われた。彼女の言葉の激しさで、クラス替えしたばかりの教室で私たちが喧嘩しているものと思われて周りがしんとなった。何も知らない他の生徒たちの視線のなかでも、あきちゃんよりしねしね言われている私が攻撃者らしく見られていることを感じた。

 微動だにせずに相手をこうも怒らせている自分にふと、村上さんに近いものを感じた。感電した家畜のような姿で、奥さんをあれほど怒らせることの出来た村上さんのことを思い出し、

(やっぱり村上さんの彼女だからだろうか、私、)

 と、あきちゃんに口にしたら一層死ねと言われそうな内容のことを思った。そして感電した家畜みたいになり、何にも言わなかった。

 

 なるほど単なるイケメンだったんだ、と授業に来て思った。あきちゃんがこだわったM1のクラスは医学部と薬学部の志望者の最上級クラスで、理系にしては珍しいぐらいに女の子ばかりだった。悠木先生は二十代で若くてかっこいいので女の子に人気で、それで他の予備校の子でも数学だけ受けに来るという評判だった。有名だよ知らないの、と言われたけれど全然知らないと正直に言った。確かに言われてみれば芸能人みたいで、いわゆるイケメンていう感じだったけど、こういう女の子が騒ぐような格好いい男のひとに対して、私は興味が全然持てなかった。それは猫が好きでない人間が、猫を飼えないみたいに仕方のないことだった。

 それよりもM1の授業のスピードと難しさに私はおののき、こんなに辛いことの何があきちゃんは嬉しいんだろうと思った。いくら先生がかっこよくたって、問題が難しい方が全然辛いじゃないか。私は、彼女が信条の「平穏無事」を、恋愛のためにあっさりと捨てられるらしいことを感じて羨ましく思った。

 私は何と引き換えになら、私が後生大事にしている、私を傷つけるものとの間にある、柔らかくて重い膜を捨てられるだろう。何もそんな危険な想像をしなくとも、日めくりカレンダーが逆にめくれたり、太陽が西から昇ったりしない限りは、決して剥がされることのない冷たくて重い膜。私が眠りに落ちる前の瞼のように優しいものに感じている、時間というその重い膜を、何となら引き換えられるだろう。そう思いながら私はつらつらと、配られたプリントにある不等号を見た。豚の目を解剖したときのようにばっさりと、機械的にその上に斜線を書いたりしているうちに、恐ろしいM1の授業時間は終わった。そんなことを二、三度空しく繰り返した。

 悠木先生の授業を風邪で飛ばしてしまい、クラスに誰も知り合いのいない私は予習範囲を知ろうとして、予備校のウェブサイトを調べた。そんなところに出ているはずもなかったのだけれど、検索欄で先生の名前を入れたら出てくるのではないかと思い、携帯で先生の名前を変換して入れた。

 検索結果が夥しく画面に表示され、やっぱり有名人だから沢山情報が出てくるのだと思ったけど、そのなかで「悠木武史被害者の会」というスレッドが表示され、私はついクリックしてしまった。

 同姓同名の犯罪者か何かと思ったけれど、どうやら悠木先生のことらしく、生徒で付き合っていたけれどやり捨てされたとか、他校の生徒を妊娠させて中絶させたらしいとか、保護者に殴られて予備校を移ったとか、そんな書き込みがいっぱいあった。本当だと証言するユーザーもいれば、悠木先生に嫉妬する他の講師のなりすましだ、なんて言っているユーザーもいた。 

 この被害者の会で言われていることの何が本当なのか、私には分からなかったが、その話題がパート7まで続いているということはスレッドのタイトルで分かった。私はおかしくて、びっくりして笑いが込み上げてきた。

 これは偽物の笑いだ、本当におかしいわけじゃないとすぐに自分で感じた。自分が、平常心であることを自分に証明したいときの、感情のバランスを取ろうとしてむせるみたいに自分でする、反射的な反応にすぎない。あきちゃん、と呟いたのは、そうした自分の笑いを途中で遮るためだった。

「やっぱり駄目だよ、あっち側に行こうとしたら。何とも引き換えに出来ないよ、私たちは駄目で、平穏無事の方がずっといいよ」

 努力して町の外に行こうとするよりも、「うちらはこっから向こうに行かない方がいいね、」と言っていた彼女の判断こそ正しかった、と思った。彼女には何も言えない、と自分に約束するみたいに思った。彼女は私よりずっと先生に詳しいから、このこともきっと承知しているに違いない。それにもし知らなかったとしても、彼女が平穏無事と引き換えにしたがっていた、愛着の対象を奪う権利など私にはない。

 不思議と、目の縁に熱い滴が溜まって来るのを感じた。部屋の時計の鐘が鳴るのと連なって、玉になった滴が目の縁からこぼれた。

 私は悠木先生に愛着などまるでなかったから、自分が何に衝撃を受けているのかは分からなかったが、平穏無事でないものを求めて努力し始めた私たちの、何かが、ふいに行き止まりに当たった、何だかそんな風に感じられた。熱があるせいか分からないけれど、涙を手の甲で拭ったら滴が熱い気がした。

(どうしよう……もし川の臭いがしたら……)と思い、熱で頭がおかしくなっているんだと思い直し、熱が引いたら手ひどく勉強しなくちゃ、と考えて捻じ伏せるように眠った。


「ねーえりちゃんに訊きたいんだけれどさあ、」と言われて、

「それってデリカシーのないことですか」と、私はあきちゃんに向かって言った。

 村上さんとの交際は自然に、嫌な感じで広まっており、別に彼女でなくとも私にそのことを尋ねるひとの出だしの雰囲気はみんな似ていた。私の喫煙癖や、真面目そうなのにやっていることがやっていることだったりする辺りが、私の印象を一層悪くさせるらしく、私に興味を抱く他人はろくでもない質問を実にこわごわとした。慣れ親しんだあきちゃんまでそれをやると、何だかそういう他人を真似て私をからかっているのかなという感じがして不快だった。

「なんですか、何でもいいよ、」と煙草の煙を不細工な形に吐いて私は言った。彼女が二回目のテストで念願のM1に上がって来てから、私は内心ありとあらゆる覚悟を決めていた。我ながら何て善人ぽいんだろうと思いながら。

「今度彼氏んち泊まるんだけどさ、」と言われて、私は可憐にも彼女が妊娠したとでも言ったみたいにショックだった。うん、と私はかろうじて言った。

「生理とぶつかりそうなんだけど、こういうとき何て言えばいいの?」私は想像と少し話がそれたことに面喰って、穴の開いたような顔つきで彼女を見返すより仕方なかった。

「やるの? 彼氏と、生理なのに?」とすごく馬鹿みたいな順番で訊き返したら彼女はうん、と真剣に言った。すごく馬鹿みたいだな、と私は正直思った。

「生理のときは止めた方がいいんじゃないの……」 

 と私が取り留めもなく、辺りに散乱させていた参考書を引き寄せたりしながら言うと、

「えりちゃん、だからえりちゃんはいつもどうしてるの?」

 私は結構、あきちゃんにそれを言われるとショックだった。

「あきちゃん、私そんなことしてない」

「してるじゃんいつも、あのおっさんと」本当にしてない、信じてよ、と私は悲鳴を上げるみたいに言った。

「あのおじさん私の手も握らないんだよ、それでいて私のこと大好きなの、分かる? 純粋に私のこと好きって言ってくれるの、それでも自分が臭いんじゃないかとか、おっさんだからだとか、妻子がいるからとか、そういうこと気にして私をヒガイシャみたいにしないように、何にもしてこないの、だから誰に見つかっても私が言い訳出来るように、本当に公園で話してるだけなの、この一年ずっとそうだったの、だから信じて」  

 そう私が捲し立てると、

「何だよ役に立たねえな……」と彼女が低声で言った。

「せっかく悪いことしようとして、いいお手本が近くに居ると思ったのに……」

 そう呟くと彼女は、どこへ行くんだか分からないふらついた足取りで、よろめくようにどこかに消えてしまった。彼女が立ち去った後には私の吹きかけた煙が薄く残り、彼女が踏み荒らしたように途切れていた。

(確かに、さっきまであきちゃんがここに居たんだ、夢を見ているわけじゃないんだ……)

 なかなか消えてなくならない煙を見て私は思った。


「えり香ちゃん、今年受験だったよね、こんなにバイトしていて大丈夫なの」と先輩に言われて、

「ちっとも平気じゃないです」と私は正直なところを言った。高校三年生の夏を前にして化学は中級に上げたものの、英語は結局下級クラスのままで、自分でも何をどうしていいものか分からないといった感じだった。またそれを習うための授業料はお母さんの補助だけでは成り立たず、次の引き落としまでにバイト代を貯めておかないといけなかった。

「えり香ちゃんとこ、親は出してくれないんだっけ」

「貧乏なんですうち、お母さんは私の進学にそもそも関心とかないし」

「あれ医学部志望だよね、医者になるってお金かかるしもし仮に受かっても大変じゃんどうするの」

 現実を突きつけられ、私はここで週に何百時間働いたらまかなえるんだろうと呟いた。

「でも塵も積もれば、幸福みたいなものになると思うから」

 と、結構本音で言った。住宅ローンみたいに、夢を一括で買うことなんか出来ないから、

「こうして平穏無事の塵を積もらせて、夢ぐらいにいつの間にか届いていたらいいなって、そう思います」

 きみはまず頭を見て貰った方がいいよ、今日帰りに病院行きなとか先輩に言われているときに、店長のおじいさんが入って来た。彼が店に来ること自体が珍しいことで、また羽交い絞めにして抱くように、小学生ぐらいの男の子を連れているのが何だか異様で、何も言われないうちから私はすぐ「テキだな」とピンと来た。

 私は自分に援助交際の噂が立ってから、攻撃してくる他人の気配というものを掴めるようになっていた。頭の方は、いくら痛めつけるように勉強しても成績が上がらないのに、ただ他人を恐怖する理由を持っただけで、危機を察知する感覚はみるみる鋭くなった。このような不穏な発達の先に未来があるのかと思うと、本当に先輩が言うみたいにお先真っ暗だな私は、と思えた。

「この子がね、あんたによく会いに来るあの男性、いるでしょう。あのひとの息子だって言うんだ――」

 店長が、いまだかつて見たことないぐらいの厳しい目で私を見つつ言った。よく見ると彼は、その男の子を抱きかかえているのではなく、その子が私に殴りかかろうとするのを押さえつけているのだった。

「この子がね、あんたがまだいない時間にここへ来て、一丁前にあんたを出せというから、私が出て行って話を聞いたよ。子供が言うことで、全部本気にする訳にもいくまいが、私なりに考えてそうかと思うようなこともあった。済まないが菊池さん、あんたとこの子で表へ行って、少し話をつけてくれないか。また店のなかで小便なんかされたら私はたまらんよ――」最後は低く唸るようにそう言うと、店長は子供を押さえつけていた手を離し、放たれた男の子が私に殴りかかって来た。

 手におもちゃのナイフみたいな物を持っていて、私は、「ああ本物でなくて良かった、まだ小さいのに犯罪者になることないよ……」と呟きつつ彼の両手首を握った。店には何人かお客さんがいて、私は彼らに何か悟られたりしたら、良いバイト店員として失格だな、などと思いつつ彼を抱きしめ、まるでふざけ合っているみたいにして店の外に出ようとした。

「大丈夫、俺もついて行こうか」と、先輩が背後から言ってくれたけど「いいです」と答えたら、予想外に冷たい調子で響いた。こんな場合に他人が示してくれる優しさは貴重なのに、まるでケッコウですという感じで、冷たく突き返したような態度になってしまった。

「行こう、」と私は手元で暴れている子供に言い、あたかも姉弟みたいな素振りで彼を連れ出した。


 近くで見ると可愛い顔をしている、と思った。太くて濃い眉、真っ黒で大きな瞳、ちょっと日本人離れすらしているように思えた。どれも村上さんの特徴にはなく、圧倒的にこの子は母親の血を引き継いでいるんだな、と思った。決して悪意ゆえにそう思ったのではなく。

「なんねんせい?」と尋ねると、彼は興奮した私のように口ごもった。私がそういう反応をただ見ていると、彼は握っていたナイフを落として、ピースサインを作って示した。なんで平和の象徴なんだよと思ったけれど、それが「にねんせい」という意味で突き出した指なのだと、分かるまでしばらくかかった。

「いま二年生なの、今日は一人で来たの? パパとママはきみがここに来ていること知ってるの?」

 月並みなことを尋ねると、彼は最初はテキに口を開くまいとしていたようだったけれど、私が落ち着いて尋ねているので、どうやら私を、先生とか親とかと同じような種類の「大人」だと認識したらしかった。

「ひとりで、きた」と言い、後は事情を具体的に話すことで私に親しむのを恐れているみたいに、強張った表情でそれきり黙った。彼を抱きしめると、彼は怒りを含んだ動きで暴れた。

「かわいそうに、かわいそうに――」そう言うと一層、彼は私の力に抵抗した。彼の軽い拳を、私は首とか胸とかにぽかぽかと受けた。そうしていると、陽だまりで日光を浴びているみたいな不思議な温かさが感じられた。

「でもね、きみはちっともかわいそうじゃない。きみのパパと私は、ただのお友達よ。他の大人が何て言ったのか知らないけれど、」と私は全面的に嘘を言った。

「いつもね、公園に行ってパンばかり食べてるの。鳩にあげないで。鳩さん、分かる?」

 分からない、と言って、彼は涙と鼻水をだらだらと出した顔で私を睨んだ。私の首の辺りに、彼の涙や涎などがべったりと付着しているのが、彼が離れたときに分かった。

「何にも悪いことしてないのよ、きみのパパは私に」

 最後、こういう言い方をしたのは意地だった。大人相手にそう言えば、何を言われるかは分かっている。

「だからねえ、パパはお友達に会っていただけよ。何にも悪いことなんかしてないの。公園でお友達と遊んでただけ。きみだって、するでしょう、お友達と、きみにも居るでしょう、」と言ったらいない、と言われた。これは案外、本当かもしれないなと思ったので「そう、」とだけ答えた。

 お名前なんて言うの、と尋ねると「むらかみしょうた」と彼はフルネームで答えた。このとき「そう、」と答えた自分の声が、嫌に冷淡な感じで響いたような気がして自分を恐れた。

「しょうたくん、あのねこれあげる」と言い、私はお客さんに貰ってポケットにしまっていた、黒糖の飴玉を手のひらに取りだした。私が包み紙を開く間、彼は案外従順にその過程を見つめていた。私は彼に上を向かせて、口のなかに飴玉を押しこんだ。

「しょうたくん、あのね、これあげるから、溶けるまで呑みこんじゃ駄目」と私はちょっと鋭く注意した。彼は口のなかにその砂糖の塊をこわごわと含んで頷いた。

「それ、そうっと持って帰ってね。おうちに帰るまで。途中で呑みこまないで、ちゃんと最後まで舐めるのよ」

 私は、彼が口のなかに入れてとうとう出さず終いだった、恐らく彼の母親が私に浴びせている言葉を、こんな風にらくらくと片付けてしまった。おうちに着いても、黙っていてね、今日ここに来たことは誰にもしゃべっちゃダメよと言うと、彼は無言のまま頷いた。ほどけてきた飴の味は彼の気に入ったのだなと思った。黒糖の飴って結構好き嫌いがあるのに。

 しょうたくんが無事歩きだすのをそれなりに見送った後、ポケットに入れていた携帯を開いたら、お店の電話番号から不在着信が二件あった。先輩から「まだ戻って来るな」という本文だけのメールがあった。 

 煙草吸いたいな、とふと思ったけれど、休憩室のカバンのなかに入れたままだった。私はカバンのジッパーをちゃんと閉めていなかったように思い、それらの日常のやり方を今更とても後悔した。


 翌日はバケツをひっくり返したみたいな雨で、雨になると髪の毛が特にはねる私としては大変憂鬱だった。肩ぐらいまでの長さのときに一番はねるのだ。

「髪切りに行きたい……」と思い休み時間などつい呟くほどだったけれど、「美容院に行く時間もヒマもない……」と同時に思った。予備校の授業にも出なくてはいけなかったし、なるべく早急にアルバイトも見つけなくてはいけなかった。なるべく問題を起こさないでほしい、自分の身体が、と枝毛になっている自分の毛先を見つめて思った。自分が自力では何も解決出来ないことを感じ、私は物慣れた無力感に見舞われていた。

 すみません、菊池さんていますか、と教室の後ろの戸口に、他のクラスの子らしい女の子たちが二人、妙に緊張しながら立っていた。菊池さん呼んでる、と戸口の近くに立っていた男の子が、机に突っ伏していた私に向かって言った。

 その日、あきちゃんは休みだった。クラスで親しい友達とか他にいない私が、こうして呼ばれるのは何だか不思議な感じで、呼び出そうとしている子も取り次いだ男の子も、ちょっと不審そうに私を見た。私はこの呼び出しに関して知る由もなかったけれど、あんまり嬉しい気持ちが最初からしなかった。

「お父さんが、昇降口のところにいて。迎えに来たからそう言ってくれって。いま下で待ってるからって」  

 と彼女たちは言った。私は父が自分を迎えに来たなどとは最初から信じなかった。街中で熊が出た、と言われるぐらいそんな事件は起こりようがなかった。私は彼女たちを黙らせるようなつもりで勢いよく下に降りた。

 私は私の怒りを模写しながら、階段を下りていたと思う。自分でも自分の上履きの靴音が廊下に響いてけたたましいと感じた。私が怒っているということが、相手に伝わればいいと思った。

 やっぱり村上さんはいた。他の生徒たちに少し避けられながら、レインコートから滴を垂らして、そうして手には子供用の傘を握り締めていた。

「今日は、急な雨だったものだから……」と彼は、唐突に私の学校にまで現れたことの言い訳をした。

「傘がないだろうと思って……、持ってきました」と言い、彼は水色の子供用の傘を差し出した。柄の部分に、むらかみという文字が書かれているのを見たけれど、最後まで見るのを私は止した。

「ありがとうございます、」と言い、私は水色の傘を受け取った。手に取って開いてみる音だけで不思議と、私が怒っていることが空気のなかにふわりと拡がるのが自分で分かった。

「小さい……」と私は、感じたことをつい言った。小学生用の傘だし、私の身体を覆うにはとても小さすぎる。彼はそれにも素直に慌てた様子で、今度は慌ただしくレインコートの前のボタンをぶちぶちと外しだした。なかから、白いかっぽう着みたいな生地が出てきた。ところどころ染みがついていて、胸のポケットにはクリーム色の糸で「村上」と刺繍がされてあった。

「豚を殺していたときの服です」

 彼は、自分がその日着こんできた服装のことを言った。恐らく私が、彼の前で唯一、感激した顔を見せていたのは、豚の目を解剖した話のときで、彼はそれに連なる自分の過去の栄光を語ることで、私を感激させようとしていた。豚の血のついた作業着が濡れないように、また私の前で見せるために懸命に努力してきたのだ。私はわあすごい、とか何だかぼんやりと言った。着てみますか、あなたも、と彼は言い、

「きっとよく似合いますよ、あなただったら」

 と言って乱暴に手首を掴もうとしてきた。私は、とっさにこのひとが変質者扱いされたらいけないと思いながら、帰りますと怒鳴って上履きのまま外に出た。


 予備校の教室に行ったら、他に生徒は誰もいなくて、悠木先生が蛍光灯の下で文庫本を開いていた。私を見ると「びしょ濡れじゃん、」と言い、「事務のひとに言ってタオルか何か貸して貰ったら」と言った。私は「いいです」と言って、濡れたカバンを置いてテキストを出した。雨ですっかりふにゃふにゃに紙が波打ってしまっていて、ノートに書いたサインペンのインクが紫色に滲んでいた。

「今日、誰も来ないと思ってたからなあ」と先生は言い、本を読むことを続けた。私は予習をしていなかったので何もすることがなく、先週ノートに写した問題を手持無沙汰に眺めた。

「今日自習でいいよね、」と先生が言った。

 

 先生の車のなかは黴くさい感じがした。湿っていていろんな匂いが混ざっている感じだった。フロントミラーにお守りがぶら下がっているのを見て、大人でもこんなものを使うのだなと、お守りでなくハローキティのヌイグルミでも見たような気持ちになった。

「菊池さんはさあ、なんでS大に行きたいの、」と、唐突に彼が質問してきた。

「S大の医学部って書いてたでしょ、志望校」と言い、私は彼が自分の志望校を正確に把握していることに内心驚いた。

「なんで知ってるんですか、」と言うとそりゃあ予備校講師だものとか言い、

「俺それ見て勿体ねえなあ、と思ったの。あなただったら多分K大の医学部狙えるよ。今からどれだけ頑張るかだけどね、S大じゃもったいない」

 と言われ、別にどこだっていいんですと言うとどこだってって何、と言われた。

「医学部であれば、どこでも」

 あとは学費が安くないといけないから、だから国公立がいいと思ってますと言うと、

「学費なんか後でどうにでもなるから、とにかく上の方目指してごらん、」と彼は言った。

 住宅街のブロック塀を車のサーチライトがどんどん切り裂いていき、その先にたびたび歩きにくそうに水を踏み分けている住民の姿が映し出された。

「まだ雨凄いね、」電車止まってるもんね、と彼は車を止めながら携帯を開いて言った。私は彼の顔が携帯の画面で淡く照らし出されているのを、自習するみたいに眺めていた。


「別に医者になりたいわけじゃないけど医者になりたいんです、」と私は、先生の胸の辺りで言った。抱きしめられて顔をうずめた状態で喋っているから声がくぐもった。「何それ、」と先生は笑って言った。

「医者になりたいわけじゃないけど医学部行きたいの? どういうこと?」

 と彼は質問するというより、私をあやすみたいに言った。たぶん、先生にとってはいろんなことが好都合なのだろうなと思った。私が成長しないことも、私が努力しようとして立ち止まってしまうことも、私が他人に肯定してもらいたそうにしていることなんかも、たぶんこの種の大人にとって物凄く、みな好都合なのだろうなと感じた。

「私んとこ、親があんまり私に関心がなくて、」

「うん、」

「学費とかも、自分で稼いでほしいっていう感じなんですけど」

「バイトしながら通ってるんだってね、えらいよ」と彼は言った。私はバイトのために授業を飛ばしたことはなかったはずだと思った。ちらとあきちゃんの顔が浮かんだけれど、彼女にとって私はもはや私でない物になり果てているのかもしれないと思い、それ以上考えることを止した。

「出来れば、消えてもらいたいと望んでるんです、」と

 私が言うと、彼は「え、」と言った。

「出来れば、視界から消えてもらいたいって望んでるんです、私の、お母さんは私に、」

 と言って彼の顔を見ると、何だか蛇を踏んだような顔つきで私を見ていた。最初から、こんなことを言いだす生徒は初めてだったのだろうか、と思った。

 

 私は、数学も物理も化学も、英語も全然好きじゃありません。面白いと思ったこともありません。でも、学校の先生に「頑張れ」って言われることの意味は何となく分かっています。それが苦しいばかりであんまり効果はなさそうだということも含めて。

 私のうちは母子家庭で、小学校一年のときに離婚をしました。それまでいたお父さんはどういうひとだったのか、忘れようとした努力のおかげであんまり顔はよく覚えていません。会社は割と家の近くで、車で通っていました。バス停のすぐ近くでもあって、お母さんと一緒にバスに乗って行ったこともあります。私の最初のおつかいはバスに乗って忘れ物を届けてあげることでした。すごく褒められたことは覚えています。お父さんでなくお菓子をくれた会社の女のひとの顔とかははっきりと。

 私は両親の仲が良くなくなっていることを知っていました。原因はもう分からないですけれど、お母さんがとてつもなくお父さんを憎んでいるということは何となく、お母さんの作るご飯の味にも表れているようで分かりました。お母さんの感情と自分の感情との区別がつかなくなり、私は突然泣き出したりして小学校の先生に親を呼び出させたりしました。

 あるとき、お母さんが「お父さんがお弁当を忘れたからえり香が持っていってあげて」と言いました。私は「らじゃー、」とアニメの真似をして言いました。私は、橋桁の上からその包みを落とし、それが落ちていくのを最後まで見届けました。思ったよりも風の抵抗を受けてゆっくりと着水したような気がしました。

 私は子供心に是非、そうしなくてはいけないような気がしてそうしました。そしてもし『どうして届けられなかったのか』と言われたら、『間違って落とした』と言うつもりでした。泣きながら言えば、幼い自分の言う言葉は、そのまま受け入れられるとも信じていました。

 何の証拠もありませんでしたが、私はおにぎりやウインナー、卵焼きといった平凡な中身のどこかに、お父さんを殺す毒が含まれていると信じて疑いませんでした。疑わないあまり、お母さんにも自分の考えのことを打ち明けず、その包みも明るく受け取ったつもりでした。大人にしゃべってもいけないことは分かっていて、私は事故のふりをして包みを失くすことを、川を見て思いついたのです。

 私は予定通りその包みを失くしましたが、自分の辿るべき未来を失えたわけではありませんでした。私はお父さんのもとに向かって何と言うべきか分からず、またすぐに引き返してしまえば、お母さんが次の手を打ってやはりお父さんを殺すかもしれないとも思いました。私は、失った包みが惜しくなりました。 

 へんな言い方ですけど、お父さんとお母さんのどちらかのところに帰るよりも、その包みに付いていきたいと思いました。私は気付くと橋桁をよじ登り、本当に足を滑らせて落ちていました。水にぶつかったときに酷く痛かったことは覚えていますけれど、それからのことは覚えていません。

 私は小さく新聞にも出ました。でもそれは私が落ちたことではなく、私を助けた高校生の男の子の記事でした。K高校ってありますよね、県内で一番って言われるところ。あそこの高校の生徒だったことで、地元では結構、へんな風に歓迎されたみたいでした。見ず知らずの少女を助けようとして、未来のあるその子、死んじゃったから。

 結局私たちを引き上げたのは救助隊のひとだったみたいですけど、私だけが息を吹き返したんです。彼は汚い水を飲み過ぎていて駄目でした。そのまま意識が戻らなくて亡くなりました。

 千羽鶴が一時期沢山、そこの橋桁に掛けられていたんです。「忘れない」とか、鶴の羽にマジックで書かれていて、漢字覚えたての私は指でなぞってそれらを読みました。親戚の家に行くときのような、よそ行きの服を着せられて、お母さんに千羽鶴の前に連れて来られ、『お兄ちゃんに心のなかで有難うって言いなさい』って祈らされたこともよく覚えています。

 当時は、自分を責めたりはしませんでした。何となく、みんなが彼の死を歓迎していて、その儀式のなかで私だけが上手く振舞えないような、そんなもどかしさのなかにいました。

 それがきっかけでもなかったと思いますが、両親はほどなく離婚しました。お母さんが私を引き取り、それまでの生活からお父さんが、そっと出て行くという形での離婚でした。荷物を持って出て行くとき、私の頭のなかにある自分じしんの姿も、お父さんは持って行ってくれたのかもしれません。私じしん、お父さんを抜いた生活に適応するための努力をしたつもりではありますけど、それだけの事件を共有していながら、私は自分が助けようとしたお父さんの顔をまるで忘れました。私を助けようとしてくれた、お兄さんの顔も新聞記事で見て、初対面のように感じたものでした。

 かわいそうなのは、私のお母さんの方です。お母さんは何一つ、忘れることが出来ませんでした。お父さんの荷物がなくなっても、お父さんの子供である私とともに暮らさなくてはならず、またお父さんの包みに何かをしていたのかどうか、真実は分かりませんが、七歳の娘がそれを川へ落とし、自分じしんも橋から落ちたということも妙な事件として記憶に残ってしまいました。

 たぶん、私はお母さんが捨て去りたがっている、過去の生活との唯一のつながりで、お母さんが自分で捨てたいと思うほどの悪意の唯一の証拠になってしまっているのだろうと思います。

 成長するに従って、お母さんはどんどん私のことを忘れようとし始めました。なるべく名前で呼ばなくなりました。食事も、食べる時間帯が違うということもあってあまり作ってくれなくなり、食卓はほとんどお金を置いておくところになりました。おこづかいが欲しいと言ったとき、食事代をあげてるのにまだ何か要るの、と言われたことがあります。

 私はなるほどと思いましたけれど、お母さんにとって私のためにしなくてはいけない義務はもはや「食事を与えること」だけのようでした。私は、私にもいつかあのお弁当が来るのかな、と時々ふと思います。――

 そこまで言うと、先生はもはや女を抱いているという風ではなく、蛇を抱いているような強張った顔つきになっていた。かつてはこのひとの正体を恐れたはずだったのに、私を取り巻くごく普通の反応のひとになってしまった、と思って内心おかしかった。

「それで、きみは医者になりたいと思ったの、その、助けてもらったから」

 と、彼は案外真面目に言ってきた。私はえ、と言った。

「そのときその高校生の子に、助けてもらったから、人助けをしたいと、こういう風に思ったの?」

 私は全然違いますと言って笑った。

 そういう風に考えることを、私は割と他人から堂々と期待されてきました。私のことを、知っているひとは、私が頑張って、未来のあった彼に代わって、未来のある素晴らしい人間になる、ということを期待します。そして、そんな期待を私に突きつけることを、正しいことだと思ってやるんですね。みんなが正しいことだと思っていなかったら、あんなに多くのひとが同じようにやれないはずですから。

 私を助けてくれたのは、結局のところ救助隊のひとです。そしてそれは彼も同じことです。でも私だけが息を吹き返し、彼はそうならなかった。私を助けて、彼を助けなかったもの、それは運です。彼が息を吹き返して、私が駄目だったということだってあり得たんですから。彼にはたまたま運がなく、私にはあったというだけのことでしょう。

 そう思って生きてきたんですけど、と言ったとき、思いがけず私は言葉が詰まった。自分でもこんなところに大粒の本音があったのかと思うと、それ以上吐き出し続けることが急に辛くなった。

 どうした、と先生がふいに、その私の怯えを乗っ取るように微笑んできたので、私は私のこの告白だけは誰にも曲げられてはいけないと思い直して、なるべく明るく言った。

 そう思って生きてきました、でも、そのうち他人も私の事件を忘れていきました。私は生き残った子供ではなくなり、ただの暗くて愛想のない、そしてたびたび母親にショッピングセンターなどに置き忘れられる子供になりました。

 私が流した包みのように、お母さんは私を川に捨ててきたかったのかもしれません。私の包みは二度と戻らずどこかに流されてそのままですが、私は警察に拾われて何度でも家に戻されました。そのたびに私は自分が包みを失くしたことを打ち明ける顛末になっていたら、こんな夜だっただろうと思うような夜を迎えました。

 事件を知らない私の友達が、私を全くの初対面のひととして見ます。初めはみんな子供だから、私が塞ぎ込んでいる理由が分からず、ただ私を妙な子供だと思って遠ざけます。

 私と同い歳の子供が、中学生ぐらいになると、そのうちに私を理解し始めます。ときどき『分かるよ』などと言う子だって出てきました。何が分かるの、と言うと、

『なんか、菊池さんずっと手を離そう、離そうとしながら誰かに連れて行かれてる感じがする、そういうの俺ちょっとだけ分かる』という子がいました。私は自分に罪悪感はないと思いますが、自分を苦しめる楽しみを覚えたことから、中学ぐらいから水の夢をたびたび見るようになりました。

 その悪夢のパターンの一つに、顔のない学生服の男の子に手を掴まれるというものがあったので、『それは学生服を着たひと?』などと馬鹿な質問をしたりして、たとえ話だよと諭されたりもしました。

 私はどうしようもなく、他人に認められたがっているのだそうです。私じしん自分にそんな飢えは見出していないつもりでしたけれど、いろんな立場のひとがそう言うようになりました。

『やれば出来るって証明して、頑張ったらお母さんだってあなたを見直すはず』と私に言い、さっきの先生みたいに志望校を上げるように言ったのも、中三のときの担任です。私は、その女の先生の私への関心を殺ぐために、彼女の言うとおりにしました。それ以上他人に、私が他人に認められないと生きていかれない人間になっていると突きつけられることは、まっぴらでした。

 私じしんそう認めて生きていくことも出来ただろうと思います。でも、私の友達や先生、いろんなひとが私を捕まえようとして、そしてやめました。彼らには私が主張する以上に私がよく見えていて、捕まえても思いどおりにならないこと、それ以上に手傷を食らうということが見えているみたいでした。

 いろんなひとが私の前で、同じ表情を浮かべて私に失望するのを私は見ました。それから水の夢は虹色の千羽鶴の夢に、『忘れない』という文字だけの夢に、私ではなくあくまでも彼の墓場として盛大に飾られていた、あの橋桁の華やかな色彩の残像だけの夢に、変わっていきました。

 私が彼を沈めたんです。私が、彼の襟首を掴んだ感触を、私は水の夢のなかで思い出しました。それは悪夢のために私が創り上げた勝手な想像とは思えないほど現実味があり、残念ながら私が過去の経験を取り戻したのだという実感がありました。

 彼にあって私になかったものは、絶望した人間の身体の重さです。彼は助けようとして沈み込み、私は、彼を沈めたとき自分の身体が浮き上がることを発見しました。彼の向こうに見えた雲がボートのように鮮やかに目に映る夢を見ました。残念ながらそれでも、彼の顔は学生服のように標準的な黒い影になって思い出せないのですが。

 他人が私を見て手を離すのも、私が、結局のところ私を助けようとする人間を沈める型の人間だと、分かって手を離すのでしょう。私について、誰かの手を離そう離そうとしていると表現した男の子は、彼にすがらなければ生きていけない弟妹を沢山抱えていました。育児の困難さの話を聞くなかで、そういえば、あなたはまるでこう見えるという形でそう言われたのです。

 私は、私に語りかけてくれた彼に、まるで彼の弟妹のようにすがって、手を伸ばしかけていたのかもしれない。それに、もう二度と他人を沈めて生き残った人間になるのはごめんだと思って、手を離そうとしているのを見つかったのかもしれません。彼は私、がそれでも憂鬱に、他人と手を繋いで連れ立っていく人間だと、見ていたみたいですが。

 私は高校に入ったときに、十五歳まで生き延びてしまった自分が、それからどう生きていったらいいのかと悩みました。他人に期待されていたみたいに、とびきりの善人になることは無理だし、無駄なことだと思いました。それに本当は他人は私に、善人になることを期待している訳でもないことも、うっすら分かってきました。そう強制することで彼らこそ、自分が善人になったような気分になれるのです。私に、本当に期待されていることと言えば、彼らの期待を裏切ることではなかったでしょうか。

 私はなるべく、他人の影響から離れて、一人で生活が出来るようになりたい、と望みました。それには大学には行った方がいいと思いました。それから理系の方が就職がいいんだと聞き、また専門的な職業だったら自分を自分の力で生かすことが出来ると思い、医者という道を想像してみました。

 その考えに触れること自体、私は冗談から始めなくてはいけなかったことを、白状しなくてはいけないと思います。私を助け、彼を助けられなかった医者に、私がなるということは、私に醜悪な期待を寄せたひとを大いに喜ばせるような感じがしました。

 なぜなら私が他人を、人間を助けることなどが出来ない人間だからです。私にはない善意を持っていた彼が、私の身体に触れられただけで沈んでしまったみたいに、善意のない私が他人の身体に触れたところで、また同じ事件を繰り返すだけでしょう。

 でも、私が溺れる子供ではなく、医者だったらと思いました。溺れていた私が、彼を沈めたことは悲劇でした。罪悪感もないのに私は彼の影を夢に見たし、千羽鶴にひざまずかなければいけない立場でした。

 でも、医者が彼を救わなかったことで、誰かが医者を責めたり、医者にもっと善人になれと、要求したりしたでしょうか。私が引き起こし、医者が最後の仕上げをした彼の死は、結局あんなに歓迎されたではないですか。私は人を救わないことで、他人を幸福にする道がここにあったんだなと発見しました。嫌な過去で、嫌な夢の元手で、お母さんが私を見なくなった原因のことです。

 だけど、私は他人の襟首を掴んで沈めた手を、どうしても自分から失うことが出来ません。何を忘れても、何を思うことがなくても、私は私の両手をどこかに捨てて来ることは出来ません。

 だから私は他人を引っ張る手で、また沈めたいんです。そして、助からなかったことで他人から愛される、そういうひとたちを沢山作ってあげたい。私はこの先、そうやって生きていこうって、十五歳のときに決めて自分に約束したんです――。

 先生は、私を抱きしめて、もういいよえり香ちゃん、よく頑張ったねと言った。

「もうさ、いいよそうやって頑張らなくても」と、彼は言った。雨はいつの間にか止んでいて、車中には舌打ちするみたいな機械音が響いていた。彼は私に座りにくいでしょ、とか足が痛いでしょうとか言い、私の身体を強引に持ち上げた。

 洋服の擦れる音がするだけで、まるで他人からの悪罵を聴くみたいに、自分が今悪いことをしているという実感が湧くのが不思議に思えた。


 煙草に火をつけようとして、何度も失敗した。ライターがうまく作動しないのだ。あきらめてそのまま口に咥えていると、ため息と一緒にふーっと煙が出て来て、あれ、そういうものなのかなと思った。

 あきちゃんが、橋桁にいるのが見えた。あきちゃん、と私の方から声をかけそうになり、彼女に聴こえなかったらどうしようと思って黙った。

 彼女は既に、私を見つけているらしかった。でもいつもの「ああーっ」は、まだ聴かれない。彼女も、それが私かどうか、確かめるまで悲鳴を上げるのを躊躇っているらしかった。そして確かにそうだと弁えたらしい瞬間、両手で口を覆うのが見えた。

 前日の大雨で川が増水しているなか、遺体を引き上げる作業は危険がないよう、慎重に行われていたみたいだった。私の遺体は早朝に見つけてもらったにもかかわらず、引き上げられたのは午後になってからだった。

 私の制服の方が先に水面に浮かび、発見時は一人分の遺体だと思われていたようだったけれど、引き上げるときに私が水中で手を繋いでいて、その先に成人男性の遺体があることが分かり、作業が二人分に増えたことも、現場を混乱させた理由の一つらしかった。

 ようやく引き上げられた私たちは並べて川べりに置かれた。ブルーシートで川の周りは簡単に覆われていたけれど、橋の下を吹き通って来る風で簡単にめくれてしまう。小さな目撃情報が人々の間を通るうちに塊になって、午後には私たちが橋桁から落ちるのを見た、と言うひとまでが現れていた。そんなはずはないと私が言っても、もはや誰の耳にも届くことはない。

 あきちゃんはその、午後になって流れた噂の方を信じたみたいだった。橋の上に茫然と立ち尽くし、口を両手で覆っていたけれど、その顔には叫ばなかった悲鳴が拡がっていた。

 私は、もう誰にも注意されることのない煙草を吸い、地面に落として踏みつぶした。

 それから、そこで煙草を吸いながらあきちゃんに言ったことを思い返し、自分が最後に友達を持っていたことを自分に感謝した。私が信じて、とすがりつくことの出来る相手を持っていたことは、私にとってとても幸運なことだったし、きっとあと少しでそれは幸運なことだったと、自分に証明されるだろうと思った。

 ただ、彼が高校に来た日、彼女が教室にいなかったことが思い出されて悔やまれた。いずれ、彼の着ているものの刺繍から、彼の名前ぐらいは噂で広まる。私がここに漂着したときに、野次馬の噂で、『事件と事故の両面で捜査しているというけれど、女の子の方が殺されたのに決まってる、可哀想になあ、』という声がしたのが聴こえた。

 頼むよ、あきちゃん、と私は内心思い、でも叶わなかったときのことを想像して、「まあいっか、」と言ったら、唐突にはっきりとした声が出たので驚いた。見間違いかもしれないけれど、私の吐いた煙が少し揺れた。

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