20 産声

「お帰りなさい! お姉様!」

 グラスヴェリルのサヤ邸に帰還したソラを出迎えたのは、ヨミだった。派閥本部として機能する屋敷の大きな門の前で、彼女は立ち尽くしていた。いつもなら、ふたつの束になった髪が揺れる様すら愛らしいと思えるのだが、いまはなぜかそう思わなかった。冷静に彼女の姿を認識している。

 面影に幼さを残したまま成長してしまった少女――の姿をしたAFSデバイス。第一世代最強がソラならば、彼女は第一世代最凶というべきだろう。本来の運用を禁じられ、鑑賞用の人形同然に成り下がってしまったものの、その能力は依然として恐るべきものには違いない。

「ああ、ただいま」

 些細な違和感の正体に気づかぬまま、ソラは、ヨミを連れ立って門をくぐった。そこかしこに配置された屋敷の警備員たちは、相手がソラであろうと遠慮なく監視の視線を送ってくる。命令が行き届いている。装置は、こうでなくてはならないのだ。そんなことを思いながらも、ソラはヨミの会話の相手をしなければならなかった。苦痛に感じたのは、ヨミが饒舌だったからに他ならないのだろうが。

 ヨミは、明らかに興奮状態にあった。それは数日振りにソラに逢えたからというのもあったのだろうが、それだけとはとても考えられなかった。原因はほかにあるに違いないのだが、それを追求するには屋敷内という場所が悪すぎた。

 ここはサヤの城と同意なのだ。どこにもサヤの目があり、耳がある。邸内を行き交う人々は皆、サヤの手足も同じであり、言動は全て筒抜けと考えていい。警戒する必要を感じた。なぜかはわからない。

 サヤの部屋へ向かう最中も、ヨミはしゃべり続けていた。昨日の食事のこと、付き人たちのこと、母のこと。とりとめがなく、纏まりもない。ソラには相槌を打つくらいしかできない話題が多かったが、彼女はそれで良かったのかもしれない。

「ふう……なんか疲れちゃった」

 エレベーターホールにたどり着くと、ヨミは大きく息を吐いた。疲労を覚えるほどだ。いかに彼女が喋り倒していたのかがわかる。

 ソラは、そんな彼女の髪を撫でた。

「はしゃぎすぎたんだよ。部屋で休んでいなさい」

「えー」

「わたしはお母様とふたりきりで話がしたいの」

 告げて、エレベーターに乗り込む。屋敷にひとつしかないエレベーターだけが、サヤの部屋へと至ることができる。なんとも不便な作りだが、監視の面を考えると合理的なのかもしれない。

「そっか、そーなのね。うん、わかった」

 いつにも増して物わかりのいいヨミにまたしても違和感を抱いたものの、ソラは、エレベーターのドアが閉じるのを待った。ドアの向こうで、疲れた顔を見せまいと笑顔で手を振るヨミの意地らしさには、ソラも笑顔を返すしかなかった。

 ドアが閉じ、エレベーターが上昇し始めたのを確認すると、ソラは笑みを消した。

 向かうのは、黒の派閥が本部とする屋敷の最上階。そこはすなわち、黒の総帥サヤの世界だ。彼女の支配がもっとも強い領域であり、至るところに仕組まれたカメラが、来訪者の一挙手一投足を見逃さない。カメラが捉えた映像情報は、瞬く間にサヤの頭の中に送り込まれているといわれており、サヤの頭脳は多角的な映像情報を容易く処理するほどのものだともいう。それが事実かは不明だが、事実だと信じられるほどに彼女の存在は化け物染みている。

(わたしがいえたことか?)

 自嘲する。人外に成り果てた自分のような存在にとって、彼女が化け物かどうかなどどうでもいいことだ。たとえ人間ではなくとも、関係は変わらない。支配者と被支配物。主と僕。女王と兵士。魔女と使い魔。

 母と。

(娘……か)

 その言葉を胸中で発したとき、小さな棘が刺さったような痛みが走った。それは本当に些細な痛みで、エレベーターが止まったときには忘れてしまっていた。

 最上階に着いたのだ。サヤ以外には、直通のエレベーターでしか昇ってこられないフロアだ。そのエレベーターも、幹部を含め、特別に許可されたものしか乗ることはできない。

 フロア自体は凝ったものではない。エレベーターから直線に伸びた通路の突き当たりに、総帥の部屋がある。そこがサヤの居室だ。他所に用事がないときは、一日中篭っているときもある。

 長い通路をひとりで進む。肥大した感覚が、無数の視線を認識していた。監視カメラだろう。そのレンズの向こう側に、確かな意志を感じるのだ。

 通路の突き当たりに両開きの扉がある。黒塗りの扉は、それこそ魔女の城と現世を繋ぐ城門だといい、生死の境界だという。魔女の前で生きた心地のする人間はいないのだ。だれもが彼女を母と慕う一方、酷く恐れているというのが、その話でわかる。

 ソラは、サヤを恐れたことはない。支配者として認識し、求められるまま、母と呼んでいただけだ。兵器を運用する装置に感情は要らない――ソラの持論も、いまや崩れつつある。

 感情が、ソラをこの場に立たせている。

 扉の前にまで来ると、通路に取り付けられたスピーカーからサヤの声が聞こえてきた。

『待っていましたよ。入りなさい』

 サヤは、監視カメラだけの情報でソラの到来を知ったわけでもあるまい。ここは彼女の支配する世界も同じ。情報源などいくらでもあった。

「はっ」

 扉に手をかけたとき、ソラに緊張が走った。

 扉を潜ると、狭い通路からは想像しにくいくらい広い空間に出る。《黒》の総帥の完全な私室である、漆黒の立方体。飾り気もなにもなく、見える範囲にはサヤが座るための椅子とテーブル、端末があるだけだ。飾り立てられた執務室とはまるで違うが、これこそサヤの真実に近いのかもしれない。

 サヤは、めずらしく黒のスーツを身に付けていた。少女人形染みた容姿とは酷く不釣り合いな格好だったが、彼女は気にも止めてはいまい。

「カリシアを占拠していた不良品はすべて、処分しました。残骸の処理は《赤》に任せましたが、別段問題はないかと」

「御苦労様。あなたひとりで処理できたそうね。話は聞いているわ。なにか問題はなかった?」

「いいえ」

 即答する。

 何事もなく、無事に終わった。致命的な損傷もなければ、後遺症もない。百を越える不良品など、雑魚に過ぎなかった。塵が集まったところで、風に吹き飛ばされるだけだ。唯一苦戦をしたといってもいいのはゼツだが、彼の敗北は最初から決まっていたのだ。

 遠い昔の約束を果たしたのだ。知らぬうちに交わしていた約束。彼は死に、彼女の血肉となった。

「そう。それならいいのだけれど……こちらはこちらで問題なかったわ」

「裏切りものは見つかりましたか?」

「ええ。既に処分させたわ。……あなた、どこでそれを?」

「ハクが一方的に教えてくれましたが、それもどこまでが本当のことなのか」

「おしゃべりな子ねぇ」

 憮然とした口振りながら、サヤは意に介していないのだろう。むしろ意図した通りなのかもしれない。ソラにある程度の情報を流すことで、判断材料を与えているのかもしれなかった。

「わたし一体ならあの数でどうにかなると思っていたのでしょうか? そもそも、わたしがいなくなったところで、《黒》にはヨミがいる。あの子がいる限り、あなたの支配は揺るぎようがない」

「彼がなぜ《黒》を裏切り、《青》と結んだのかは知らないわ。ただ、あなたが戦闘した集団は、彼が独力で作り上げたものではないのよ。もちろん、《青》の息がかかっているわけでもね」

 それは知っている。だれが最初に裏切り、約束を結んだのか。だれの想いが、ソラとゼツをひとつにしたのか。なにもかも、彼女の記憶の深層の中にある。だから、あの開発者の遺志を継いだものがだれかなど興味はない。なにを望み、なんのためにこんなくだらない茶番劇を開いたのかも言及すまい。

 問うべきはサヤがこの茶番劇をどこまで知っていたかということであり、彼女がなにを望んだのかということだ。そしてこの結果に満足しているのかということも、知っておかねばなるまい。

「総帥は、どこまでご存知だったのですか?」

「おおよそのことは知っているつもりよ。だからあなたひとりに任せた」

 負けるのは相手だと知っていたから――サヤが言外にそう含んでいるのは明らかだった。

 胸が痛む。約束された敗北と勝利。自分の知らないところで取り決められていた死。破滅のプログラム。彼は死に、餌食となった。そして、統合された。

 予定通りに。

 感情が揺れている。いままではこんなことはなかった。完全な装置、無感動な兵器としてあろうとし、それが当然だと思っていた。冷徹に、酷薄に、ただの殺戮機構であるべきだったのだ。それがいまや、人間めいた心の揺らぎを持つようになってしまった。これが完全というのだろうか。これが、プログラムのもたらした結果なのだろうか。

「計画したのはシドウ。わたしが降りてきた当初に出会ったひとたちの中で、AFSデバイスの開発に携わった唯一の人物。彼にしかできないことなのよ。あなたたちフウェイヴェリルの第一世代に干渉するだなんて」

 それはそうだろう。完成されたAFSデバイスは、余程のことがない限り再調整されるようなことはないし、再調整できることなどたかが知れている。

「彼はわたしを抹殺しようと企んでいたようね」

 彼女が嘆息したのは、遠回りな計画だと思ったからかどうか。

「でもシドウは死に、計画は頓挫したものと思っていたわ。まさか後継者がいたなんて考えもしなかった。もっとも、後継者というべきではないのかもしれないけれど」

 その点においては、シドウはサヤを出し抜くことに成功したということだろうか。

 そして、シドウの計画はほぼ完全に近く達成された。不良品の武装蜂起に隠蔽した、ゼツとソラの合一という目的は遂げられたのだ。あとは魔女の抹殺を行うだけだ。それだけで、シドウの願いは叶う。彼の狂気染みた妄想が現実のものとなる。

 だが。

「……変ですね」

「どうしたの?」

「あなたを殺す気が起きないんです」

 正直に告げると、サヤは困ったような顔をした。どうしてかはわからない。元より、彼女の考えなど読めるはずもないのだ。ソラとは思考の方向性が大きく異なっていた。

 そして困っているのはソラも同じだった。

 合一によってソラを完全なAFSデバイスへと再構成し、その力を以てサヤを殺害するという、あまりに気長で、あまりに遠回りな、しかし、プログラムが発動すれば間違いなく完遂するはずの計画は、その成功の目前で頓挫してしまった。

 ひとつのプログラムは発動した。ゼツは死に、ソラはその死を喰らった。自分の中でなにかが変容するのも認めた。いままで以上の力がみなぎっているのもわかる。そして、なにかを為すためにサヤに逢わなければならないと思い、ここまできた。

 だが、いつの間にか、なにもかもが無くなっていた。

 ソラは、サヤがもはや自分とは無関係な存在に思えていた。かつては厳然と存在していた隷属の鎖が、ちぎれ、ばらばらになってしまったような感覚がある。支配者と恐れる想いも、主人と仰ぐ気持ちも、母と慕う感情も、綺麗さっぱり消滅している。そこに虚しさはない。かといって喜びがあるわけでもない。ただ冷静に認識するだけなのだ。

「こんなまどろっこしいやり方をするからよ」

 サヤはなにかを諦めたようにつぶやいたが、シドウが悪いわけでもあるまい。

 正攻法でも勝てはしない――そう思わせるなにかが、この人形染みた人物にはある。魔女と呼ばれるほどの存在だ。彼女は”降りてきた”といった。シドウがいっていたように、天から舞い降りたのは事実なのだろう。AFSデバイスを開発するための知識をもたらしたのも、本当なのだろう。だから、シドウは彼女を恐れ、忌み嫌い、抹殺しようとした。

 シドウが考えついた計画の中で、もっとも確実性が高かったのがこれなのだろう。結果的には失敗に終わったし、サヤにはバレていたようだが。

「ひとつ気になるとすれば、ガラがシドウの計画通りには動いていなかったということかしら。シドウはただわたしを殺すことに情熱を注いでいた節があるわ。わたしを殺すためだけに、全生命を注いでいた。だからわたしは彼が気に入っていたのよ。彼の計画の行き着く先を見てみたかった」

 サヤの言葉は本音なのだろう。だからこそ、ソラを手元に置いていたのだ。シドウの計画を知ってなお、ソラを生かしておくなど、狂気の沙汰でしかない。もちろん、AFSデバイスとして考えればソラは有用であっただろうし、他のデバイスたちよりも遥かに戦果を上げてきたという自負もある。ソラ一体の穴埋めをするためにどれだけのデバイスが必要なのかを考えると、ソラを処分するのは避けたいと考えるかもしれない。が、サヤの思考は、そういう現実的、打算的なものからはかけ離れているように思えるのだ。

 正気ではない。それは間違いないが、彼女が正気であったことなど一度だってないのだ。ことさら驚くことでもない。

 組織を家族化するなど、サヤの狂気の最たるものだ。

 彼女の狂気が、いまの状況を作り上げている――そう考えると、シドウの行動もあながち間違いではなかったのかもしれない。

「あなたがどう変わって、どう殺してくれるのか、想像するだけでぞくぞくしたわ」

 サヤの目が笑っていた。

 ソラは、笑えなかった。サヤの奥に潜む化け物の影を垣間見た気がした。そこに恐怖はない。化け物は化け物を畏れはしないものだ。敵ならば屠る、ただそれだけのことなのだ。

 世界が明確になる。

 光と影しかない。

 敵か味方か。

 たったそれだけの単純な世界が見えている。

 それでいい、と思う。

「でも残念ね。あなたは、わたしを見てすらいないわ」

「首輪が、外れてしまったようです」

 冷ややかに告げると、サヤは哀しそうに笑った。人形めいた顔が、ほんの少し、母親のものに見えた。気のせいかもしれない。

「そう。ヨミが寂しがるわね」

「わたしも……寂しいです」

 少しは、と胸中で付け足すと、心が少しだけ傷んだ。嘘をついて心が傷つくなど、何年ぶりだろう。極めて人間的な心の動きに、動揺を隠せなかった。

 だから、サヤに背を向けた。

「さようなら、サヤ様。もう二度と逢うことはないでしょう」

 背を向けたまま別れを告げるのは我ながら酷い仕打ちだと思わないでもなかったが。

 サヤの反応が気にもならない自分に気づき、静かに部屋を辞した。

 扉が閉じる寸前、サヤが静かに告げてくる声が聞こえた。

「いいえ、いつかまた逢うのよ。それがあなたたちの運命なのだから」

 扉が閉じた。

 立ち尽くし、反芻する。

(運命? わたしたちの……)

 言葉の意味するところはわからなかったものの、得体の知れぬ予感のようなものが彼女の魂を震わせた。魂の奥底から、自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がする。

 顔を上げ、足を踏み出す。

 もうここに用はない。

 では、何処へ?

(いいさ。考える時間はいくらでもある)

 体は軽い。

 力は充溢している。

 視界は広い。

 何処へとでも行けるだろう。

 邪魔するものがあれば叩き潰せばいい。

 自分はもはや一個の化け物だ。

 化け物に、成れたのだ。

 ふと気づくと、屋敷の外にいた。そして、警備のAFSデバイスたちに囲まれている。サヤの指図かと一瞬考えたが、それはなさそうだと思い返す。あの別れの後に刺客を差し向けてくるような無粋さを彼女は嫌う。それも狂気といえるだろう。

「どうする?」

 聞き知った声が当然のように尋ねてきて、彼女は、ああそうか、と理解した。

 ソラは、いつの間にかAFSを起動していたらしい。完全解放(フルドライブ)であり、漆黒の獅子の姿をしたAFSが、彼女に付き従っていたのだ。警備兵たちが、それを攻撃の意志ありと認識した可能性は高い。そして、彼らがそう認識したのも、ソラが変わってしまったからだ。

 ソラは、もはやサヤの支配下になければ、庇護下にもないのだ。

 警備兵たちが、記憶よりも識別コードを優先するのは当然の話だ。彼らは装置だ。一個の機能だ。そうでなくてはならない。そうであるからこそ、愛おしい。ソラが理想とした反応だ。情はなく、容赦もない。

「そうだな……」

 周囲を見回すまでもなく、警備兵たちが次々とAFSを起動していくのがわかる。第二世代のAFS。第三世代よりも極めて強力で、第一世代よりは遥かに劣る程度の兵器群。第二世代が第一世代を相克するには、数で圧倒するのが一番だろう。AFSの能力にもよるが。

 闇色の毛並みをした獅子が、悠然とソラの前に進み出た。一対の翼が大きく広げられる。翼はまるで、流動する闇そのもののように見えた。自我を持っているかのようなダルクの振る舞いに、ソラは目を細めた。

「ここで始まるのもいいか」

「俺にとっちゃ、どこでも同じだ。おまえがいるからな」

 ついさっき初めて聞いたはずなのに耳慣れたダルクの声は、よく考えなくても、ゼツのそれだった。大きな驚きはない。感動も。自分に起こっていた変容とはこれだ。不完全な二体のデバイスを統合した結果がこれなのだ。

 果たして、自我が発現しなかったダルクの欠点は補われた。それだけではない。いままで以上の力の充実を感じる。強大な力。制御しきれるものかどうか。いや、それを支配してこその完全な装置だ。なにも問題はない。

「好きに暴れろ。なにもかも俺が制御してやる」

「調子に乗るな。これが初陣だぞ」

 告げて、半身に構える。頼もしくはあったが、いままでとの勝手の違いに調子が狂うのも事実だった。もっとも、心配はいらない。不完全に分離した存在ではないのだ。それはゼツであってゼツではないものだ。ダルク。彼女の魂から顕現する戦闘兵器。彼女の化身だ。完全な統合は、そこになんの矛盾ももたらさない。

 ダルクが笑った。

「うまくやるさ」

「ふっ、期待している」

 そして、彼女は、三度目の産声を上げた。


                                                 了。

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the Darkness of the Origins 雷星 @rayxin

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