19 末路

 月に一度の定例会議も無事に終わり、ガラは、遅めの昼食を取っていた。

 フウェイヴェリルの首都グラスヴェリル、その北方に聳え立つビルの中にある彼の執務室。そのビルは、《黒》と呼ばれる派閥が管理するビルであり、魑魅魍魎の巣窟とでもいうべきだろうか。実際、《黒》の総帥サヤを初め、有数の幹部は、怪物揃いと言っても過言ではない。

 ガラは、自分がその怪物たちの仲間入りをしていないことを理解している。むしろ、それこそが自分が人間であるという証なのだ、と思わないではない。

 何年立っても外見の変わらない総帥と、それに付き従う怪人たち。

 彼らと顔を付き合わせることになる定例会議は、緊張の連続だ。わずかな失敗が政治生命に関わりかねない。だれもが同僚の失態を願い、失策を祈っている。

(家族?)

 嘲笑いたくなる。他の派閥と同じだ。だれもがみずからの栄達を望み、足の引っ張りあいをしている。上げた足を引っ張られ、転落していったものたちを無数に見てきた。

 母を名乗る化け物の手前、上手く取り繕っているだけに過ぎない。表面上は仲の良い兄弟のように振る舞い、内心では罵詈雑言を飛ばし合っている。虚偽と欺瞞が渦を巻き、野心と欲望が舞い踊っている。さすがに血で血を洗うような惨状は起きてはいないが。

(食い合っていればいいさ)

 温いコーヒーの苦味に顔をしかめながら、ガラは、総帥に寄りかかる連中の顔を思い浮かべた。だれもかれも卑しい顔だ。まるで人間の皮を被った豚のように思えた。そんな連中の末席に顔を並べている自分が、酷く憐れな存在に見える。

(それもこれまでだ)

 まだ、笑わない。声を上げて笑うのは、勝利が確定してからでいい。

 勝利。

 そう、これは戦争だったのだ。

 彼と、黒の派閥の長きに渡る戦い。

 派閥は、敵と戦っていることすら気づいてはいまい。ましてや、敵が内部に、しかも幹部として働いているなど、考えもしないだろう。

 もっとも、この戦争を始めたのは彼ではない。十年前、一介の研究者に過ぎなかったガラを拾い上げてくれた人物こそ、真実に気づき、闘争を始めたのだ。

(シドウ、あなたには悪いが……)

 狂気に満ちた開発者の顔が思い浮かぶ。

 シドウは、フウェイヴェリルのAFSデバイスの研究・開発における第一人者であり、第一世代を世に送り出した人物であった。彼は、AFSデバイスの研究・開発に勤しむ一方、AFSデバイスの基礎理論をもたらし、世の均衡を破壊した存在を倒すべきだと考えていた。

 黒の総帥サヤである。

(あなたは魔女を倒すことでこの大地を呪縛から解き放とうとしていた。だが、もはやどうにもならないところまできているんだよ)

 魔女の到来を以って世界が呪われたというのなら、その根源たる魔女を取り除けば世界は元に戻るのか。否、病は既に深刻な所にまで来ている。天から降り注ぐ黒い雨が約束する破滅は、魔女を排除した程度ではどうにもならないだろう。世界は汚染され尽くした。滅びを待つしかないのだ。

 ならば、わざわざ彼の願いを成就してやる必要もあるまい。

 そう、すべては彼の計画に端を発している。AFSデバイスを用いた反攻計画。それは、シドウが考えうる限りの最善手だったのだろう。事実、十年もの時をかけて醸成された猛毒は、一度発生すれば魔女さえも殺し得たのかもしれない。

 ガラはそれを利用した。彼の稚拙で穴だらけの反攻計画には細工をする余地が数多とあったのだ。

 バグを仕込んだ。

 シドウ謹製のデバイス再構築プログラムに、だ。

 シドウは、ふたつの不完全なものをひとつにすることで完全な装置に作り替えようとした。最初から完全なものなど存在しないという彼の持論に基づく計画は、ソラとゼツのふたりを用いて実行に移された。

 サヤを殺したところで事態は好転しない。それどころか、より悪化させるだけなのだ。毒は撒かれ、大地に染み込んでしまった。なにをせずとも世界は滅ぶ。少なくとも、この大陸は。

 ならば、享楽的に生きるのも悪くはない。人間らしい人生。人間らしい日常。化け物どもとの化かし合いの日々から離れ、もう一度、やりなおすのだ。

 そのためなら、シドウの執念だろうと青の思惑だろうと利用してやる。

 その結果は直に現れるだろう。

 ソラは、ゼツとの戦いに勝つだろうか。不良品とはいえ百体以上のAFSデバイスを用意し、訓練を施してきた。彼らはソラに勝つだろうか。

 負けるだろう。

 ソラは、それこそ不完全な存在とはいえ、それ一体で鉄壁の要塞をも落とす戦略兵器だ。シドウの思惑を遥かに凌駕したところに彼女は君臨している。たとえ数を揃えたところで、有象無象のAFSデバイスでは太刀打ちできまい。

 ではゼツは。

 彼ならば対抗できるだろうか。

(それも否)

 同じ最初期の第一世代、性能差はないとみていい。ゼツもソラも互いに不良を抱えており、そういった面からみても同質の存在といえる。

 しかし、最強と謳われ、AFSデバイスたちの頂点に君臨するソラには敵うまい。戦闘の経験、技量の差、能力の違い、様々な要素がゼツの勝利を限りなく遠いものにしている。彼の実力ではその距離を埋めることはできないだろう。例えそれができたとしても、シドウの仕組んだプログラムが彼の敗北を演出するはずだ。彼は勝てない。彼は敗れるために存在するのだから。

 では、どうするか。どうやってソラを破滅させ、青との契約を履行するのか。

 シドウのプログラムを利用すればいい。

 ゼツが敗れ、ソラが勝利するという脚本の結末を付け加えてしまえばいい。

 ガラはそうした。本当は筋書きそのものを変えようとした。しかし、シドウの仕組んだプログラムはあまりにも複雑にして精緻であり、些細な間違いも許されない代物であった。まさに芸術品といっても過言ではなく、その精巧さにはガラも見惚れるほどだった。プログラム自体を改変しようとは思い立たなかったのはそのためだ。

 彼は付け足したのだ。

 破滅のためのプログラム。ソラがゼツの死体をシドウの思惑通り取り込むことによって発動する、自滅のシナリオ。それで青への義理は果たせる。青はソラの死を以って黒との闘争を加速させるだろう。その争いを外野から眺めるのも一興かもしれない。

(もっとも、俺はもうこの国に興味もないが)

 権謀術数が渦巻く派閥の中にはもういたくはない。AFSの研究は続けてもいいのだが、それも、状況が許せば、ということになるだろう。青との密約により、ガラは普通の生活を得るのだ。青の庇護の元、というのが気に食わないが、それもいずれは出し抜いてやるつもりでいる。

 そんな時だった。

 大気を震わすような轟音とともに扉が吹き飛ばされ、赤黒い物体が扉の破片とともに室内に飛び込んできた。不意に鼻腔を満たしたのは血の臭いであり、床に叩きつけられたのが血まみれの人間だと認識する。

「な……」

 声は出なかったものの、思考停止には至らない。状況を把握するために頭脳も五感も働いている。突然の闖入者――いや、襲撃者か? ともかくもなにものかが犠牲になり、血まみれのまま床に転がっている。死んでいるかもしれない。

 襲われる理由ならいくらでも思い付く。フウェイヴェリルは派閥抗争の真っ只中にあり、彼は黒の派閥の幹部に席を連ねている。青か、白か、赤か。派閥争いには干渉しない立ち位置にいる赤は除外していい。青もだ。彼らとは密約を交わしている。ならば白の連中が襲撃してきたということになるが、だとしても、グラスヴェリルに敷かれた厳重な防衛網をどう破ってきたのか。力づくで突破したとして、その標的が自分というのは割に合わない。派閥本部への襲撃も同意なのだ。場合によっては、派閥同士の全面戦争に発展してもおかしくない。が、そんなことをして誰が得をするというのか。そこを他国に付け込まれては、派閥争いそのものの意味がなくなる。

 いや、そもそも派閥が戦うこと自体、無意味なことだ。

(派閥ではない……?)

 そこまで考えて、彼は、足元に倒れている人間がわずかに動いていることに気づいた。それはこちらに向かって手を伸ばし、なにかを伝えようとしているようあった。血まみれの顔がこちらを仰ぐ。よく知った少年の顔。彼が開発に携わり、直接調整を施したAFSデバイス。ゼツを監視し、見届けるために送り込んだ、彼の片腕。

「リク!」

「逃、げて……ガ――」

 彼は叫べなかった。首から上が蒸発するように消えてしまったからだ。 絶命した少年から視線を上げると、少女がひとり、立っていた。血なまぐさい空間には酷く不釣り合いな少女は、しかし、リク殺害の犯人であることに相違なかった。

 炎のように赤いツインテールが、いまは血の色に見えた。大きく開かれた両目が黄金色に輝いている。第一世代AFSデバイスの証。その凶悪さゆえ、運用を禁じられたはずの存在。黒の総帥サヤの最終兵器。

 ヨミ。

『お母様を裏切り、お姉様を傷つけようとしたそうね』

 言葉は、彼女の口から放たれたのではない。少女は口ひとつ動かしていなかった。しかし、空気の振動が、彼女の意思を余すところなく伝えてくる。問いでもない。断定している。つまりこれは、断罪なのだ。

 言い逃れはできない。言い訳を聞きにきたのではないのだ。裁くために現れた。リクはもののついでだろう。あの少年はきっと、ゼツたちの状況を伝えるために飛んできたのだ。そこを捉えられた。極秘任務のため、彼は不良品として登録していた。だからヨミは遠慮しなかったのだろう。

 すべて、サヤに筒抜けだったということか。

 ガラは、愕然とした。シドウが秘密裏に作り上げたはずの計画は、最初から破綻していたというのか。水は何処から漏れ、決壊に至ったのか。無数の可能性が思考を巡る。

『許さない』

 ヨミが右腕を掲げた。人差し指が、ガラの腹を指していた。衝撃が、ガラの腹部を貫く。なにが起こったのか、彼には理解できなかった。ただ、想像を絶する激痛の中で、視界が空転するのがわかった。体が、自分の意思とは無関係に、前のめりに倒れていく。

 ガラは、死とはこんなものなのかもしれない、とも思った。凄まじい痛みが、急速に薄れていく。意識が混じり、濁っていくのも把握する。そして、ヨミの背後に佇む真紅のAFSと、それにかしずくいくつものAFSを認識した。

(あれが、万軍の主……)

 死の間際、一目見ることができてよかったのかもしれない。諦めがついた。

 数多のAFSを付き従える化け物の中の化け物。幹部として生涯を終えたなら、目撃することなどなかっただろう。

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