18 行方
「さて、話の続きをしよう。どこからだったかな……そう、最初からだ」
ウツキが口を開いたころには、ソラの精神的変調は収まっていた。一時的なものだったのだろう。彼から取り込んだ情報が適切に処理されてしまえば、あとはどうということもないのだ。感情が急激に冷えていくのがわかる。さっきまでの激情が嘘のようだ。目に映るなにもかもが違って見えた。
たとえば、ウツキの思わせぶりな仕草ひとつとっても、なにも感じなくなっていた。
「この街が廃棄物たちの隠れ家となったのは恐らく五年ほど前のことだ。それが明るみになったのが半年前。それまで彼らは街の影に潜むか、あるいは住人として暮らしていたのかもしれない。彼らの存在が明るみになったのは、住人消失事件がきっかけだった。まあ、以前から青の管理が行き届いていないのは指摘されていたことだし、いまさらとやかくいうことではないか。もちろん、おばあさまは青を糾弾したけれど、トカゲの尻尾切りさ。青の報告によれば、カリシアを占拠した不良品の中には第一世代が一体、第二世代が十体以上確認されていた。第三世代を含めると百体以上の大所帯だ。廃棄物とはいえ、十分な脅威となりうる彼らを制圧するために選ばれたのは、ぼくら三人だった。青としては、権力闘争に興味のない赤に処理してもらえれば、願ったり叶ったりだったんだろう。青みずからが直接手を下さずに済むんだからね。戦力を損ないたくないのは、どこも同じなのさ」
「だが、わたしになった。委員会の決定が覆ったのか? なぜだ」
「青も黒も、一枚岩ではなかったということかな」
ウツキが嘲るように微笑したのを、ソラは見逃さなかった。赤に属する彼にしてみれば、日夜権力闘争に明け暮れる連中が愚かに見えて仕方がないのだろう。哀れで、愚かな人間たち。だがそれは、人間故の特権なのかもしれない。人間であることをやめてしまった自分たちには理解できないなにかがあるのかもしれない。それを夢想するのは馬鹿げた話だが。
「黒――つまり、君のお仲間の中に裏切り者がいたのさ」
「裏切り者……」
「青と繋がりを持っていたその男の進言によって、黒の総帥が動いたんだよ。君のお母様の発言力は委員会でも最強だ。決定は覆り、再考された。結果、君ひとりの派遣という結論になってしまった」
「総帥が、わたしひとりで十分だと判断しただけではないのか? 現に……」
「君は死にかけた。死んだときの保険に用意されたぼくらが出なければなくなるほどに、君は劣勢に立っていた。そのままいけば、裏切り者の思い通りになっていたんだよ。君を失えば、黒の力は大きく減る。権力を欲する青にしてみれば、赤に協力を仰ぐよりよほど良い結果を得られたんだろうね」
「だがわたしは勝った」
「結果として、ね。そしてそれは、彼が君を欲していたからだろう? 彼は君を殺せなかった。君は彼を処分するつもりだった。この違いは大きい」
ソラは反論しようとして言葉を飲んだ。いうべき言葉が見当たらない。彼の言い分に間違はなかったのだ。ゼツに窮地に追い込まれたのは事実であったし、ゼツが本気で殺しにかかってきていれば結果は違っていた可能性も十分に有った。
彼は、ソラを取り戻そうとしていた。
殺し合うつもりもなかったのだろう。それが彼の弱みだったのだ。ソラ自身が、彼の弱点だった。だからソラは勝てた。彼を殺し、その死を呑み喰らった。いまこうしてウツキと対峙していることができるのも、彼が手を抜いていたからに他ならない。
それもこれも、仕組まれていたことだ。いまのソラにならわかる。プログラム。不完全なものを統合し、より完全なデバイスとして再構築するための。
「だがそれも、青に君を売った奴からすれば誤算だろうね。君の敗死の報告を今か今かと待ち受けているに違いないのに、届くのは君の勝利だ。驚く顔が目に浮かぶよ」
顔なんて見たことないけど、と付け足した彼の目には、やはり哀れみの色があった。ウツキは人間という種を見放しているのだ。AFSデバイスに開発される以前からそうだったが、開発され、人間ではなくなって以降、その傾向がより顕著になっていった。
自分はどうだろう。ふと考える。以前の自分はどんな性格で、どんな考え方をしていたのだろう。思い返したところで、見当たるものはなにもない。思い出せないのだ。以前の自分の姿、心の形が、影すら失ってしまったのか。いや、ついさっきまでの自分の影すら思い出せない。
どうして?
自問したところで、答えが出るはずもない。
ソラは、諦めて頭を振った。
「どうでもいいさ、そんなことは」
「そうか、それもそうだね。しかし君はどう考える? 君の聡明なお母様は、どうして君を派遣するという暴挙に出た? 相手がゼツでなければ君は死んでいてもおかしくはなかった」
「勝つと、信じていたからだろう」
「どうかな?」
彼はそれこそ、こちらの弱点でもついてきた気でいるのかもしれない。しかし、サヤの真意などどうでもいいことだ。いまさら彼女の望みがわかったところで、もう終わったことだ。もはや覆すこともできない。任務は完遂された。失敗作の烙印を押されたAFSデバイスは全滅し、カリシア占拠の首魁ゼットことゼツも殺した。殺し、その死を喰らった。
結果、ソラの中でなにかが変わり始めている。動き出した変容を止める手立てはない。サヤへの反逆を誓った開発者が仕組んだ、必殺のプログラム。
(不完全なふたつを、ひとつの完全な装置へと作り直すための……)
そのための反乱。そのための任務。そのための戦闘。そのための贄。
ゼツが最後まで拘りを捨てきれなかったのも、プログラムのせいだ。彼がソラを殺せば台無しになる。彼は敗れなければならない。殺され、喰われなければならなかったのだ。
予定調和。
(馬鹿げている)
ソラは、吐き捨てるように胸中でつぶやいた。なにもかもがシナリオ通り。仕組まれたプログラム。人為的な運命。笑いたくなった。声を上げて笑い飛ばすくらいしか、この虚しさに対抗することはできそうもない。
「なにかいったかい?」
ウツキが困ったような顔をしている。ソラの黙考が長引いたからだろう。沈黙に堪えられないのが、彼の弱点といえば弱点か。とはいえ、致命的な弱点とはいえない。沈黙では、彼は殺せないだろう。
ふと、物騒なことを考えている自分に気づいて、彼女は苦笑を漏らした。結果、ウツキはさらに疑問符を浮かべてきたが、ソラはそれを無視するように答えた。
「いや、なにもいっていない」
ウツキの遥か後方、天使たちが獲物を探して浮遊している様が見える。神々しい姿とは裏腹の行動。あまりにぞっとしない光景だ。だが、それは生物として正しい姿にも思える。死肉を食らうのは、生き物としてのありふれた、当たり前の姿だ。それを生き物と呼べるのならば。
自律型武装魂魄。
魂の実在を証明し、兵器へと転用した悪魔の様な技術によって生み出されたものたち。彼女のダルクも同じものだ。生物とは違うようであり、同じようである。
こちらの視線を追ったのだろう、ウツキが謳うようにいってきた。
「死の雨が降り注ぐ中で、死を謳う天使たちが数多の死を貪り、死人のごときぼくたちがありふれた生を謳歌する。冗談みたいな話だね」
「饒舌だな」
「愉快なのさ」
「いいさ。どうでも」
告げて、彼女は背を向けた。心底どうでもいいことだ。彼の心情など、知る必要もない、なにが愉快で、なにが不愉快なのか。他人の感情を邪推する必要はない。
「行くのかい」
「帰るよ。後はよろしく」
ウツキが息を飲むのがわかったが、ソラは取り合わなかった。ダルクを伴い、その場を離れる。
(らしくない)
そう思う。事後処理とはいえ他人を頼むなど、自分らしくなかった。だからウツキは戸惑い、返事さえできなかったのだ。傍若無人こそがソラの代名詞だった。
それはいまや過去のものとなりつつある。いま、この身に起きている変容は、これまでのすべてを何処に置き去りにしてしまうものなのだろう。
ダルクが、名残惜しそうに街を一瞥した。ダルクもまた、変わり始めている。自我の芽生え。彼は彼になろうとしている。
それが無意識に理解できた。その変化を止めようとも思わない。止めることも出来ないが。堰は崩れたのだ。どれだけ取り繕おうと、溢れだした水を押し留めることは出来ない。それはやがて激流となり、洪水を呼び、ソラの中のすべてを変えてしまうに違いない。そこに哀しみはなかった。
感傷に浸っている場合ではない。
状況は終わった。
不良品の処分は完了し、任務は完遂した。
あとは、還るべき場所に還り、報告するだけでいい。それだけでいい。
(本当にそうか?)
自問する。
やるべきことがある。やらなければならない使命がある。そのためだけに開発され、そのためだけに今日まで生きてきた。そのためだけに彼は犠牲となり、そのためだけに彼の輩も命を落とした。
「行くか、ダルク」
ソラは、そのときになって初めて、みずからの半身に問いかけた。漆黒の獅子は、ただこちらを見た。黄金色に輝く瞳は、なにを訴えてくるわけでもない。ただ、こちらを見ているだけだ。しかし、ソラはその瞳の奥に確かな思惟の蠢きを感じた。
変化。
成すべきことを成すためだけの。
「魔女の元へ」
だからこそ、行かなくてはならないのだ。
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