第21話 《番外編》 観察者と副会長

 高校の入学式、俺はある女性の武術に魅せられた――――

 彼女の武術は美しく、華やかで、軽やかで、完成された美を持ち、完了された強さを持つそれは少なくとも俺の心を射抜き、俺の全てを打ち砕いた。

 彼女の名前は神原紗智。中国拳法を得意とする武術家で、容姿端麗、秀才の完全な人間であった。あった、と言うのも、彼女の強さはそれよりも輝かしい栄光を持つ少女によって抵抗することなく打ち臥せられた。まるで、遥か高みから見下ろされるような神原紗智を見て、俺はある決意を心に潜め、己の強さをひたすらに隠し、いつの日か、その少女を敗北させることを目論んだ。

 だが、それすらも否定され、心の奥からやることのなくなった俺は1年経った今、自由主義と自らを偽り、ヘラヘラと何もかもを笑う道化へと変化していた。

 そんな俺を、真摯に受け止めてくれたのは、春日原燿。親友にして、悪友の切り離せない友人。彼は、吽雀高校最弱のレッテルを貼られた正真正銘の最弱である。そんな彼だから、俺は信じることができたのかもしれない。高校二年の最初。俺が学校を休むことが日課になりかけていた時、彼が不意に声をかけてきたのだ。


「お前、南雲金鵞っていうのか。いい名前だな」


 そんな他愛も無い言葉が、なぜか俺の心に光を差した。話す友達がいなかったわけではない。むしろ、ヘラヘラと笑う道化となった俺には話し相手はたくさん存在した。それなのに、こいつの言葉は他の誰よりも透明で、ほかの誰よりも質量のある言葉に思えたのだ。

 俺はいつものようにヘラヘラと彼の会話に付き合った。時に面白く、時に笑いかけるように話していると、授業が始まるがゆえに会話を終了しようとした、最後の少年の言葉が俺に衝撃を与えた。


「いやー。お前とはいい友達になれる気がするよ。だからさ、そうやって面白くもないのに笑うの、やめたほうがいいぜ? それがお前だって言うなら仕方ないけどさ。多分、そうじゃないんだろ?」


 ニッコリと悪意のない笑いに、俺は恐怖を感じた。ほかの誰もが気がつかなかった事実に、たった数分話しただけの少年が気がついた。俺の嘘が下手なわけでもなく、彼が嘘を見破った。これほど……これほど面白いことがあるだろうか。

 俺は恐怖すると同時に、久しく感じていなかった面白さや楽しさ、好奇心というものが潤いを取り戻したかのように湧き出てくるのを感じた。

 今の俺があるのは、大部分は春日原燿が原因だ。昔の道化は未だに存在する。だが、昔みたいに自らを偽り続けることはできなくなった。なぜなら、偽ったところで彼に気がつかれてしまうから。彼は馬鹿で、鈍感なくせに鋭くて、どうでもいいことにすぐに首を突っ込むやつだから。だから、俺は偽ることを諦めた。

 そのせいか、今は全てが輝いて見える。日差しも、葉に濡れる雫も、青空も、友人も、敵も、仲間も、何もかもが美しく、神々しく輝いている。

 これが、生きているということなのか。遠い昔に忘れた感覚を、俺は取り戻しているのか。とにもかくにも、俺はこの人生というのが楽しくて楽しくて仕方がない。

 そんな時だ。俺が、再び彼女に出会ったのは。


「よ~。副会長さんじゃないか~」

「……南雲金鵞、こんなところで何をしているんですか? 今は授業中のはずですが?」

「それはこっちのセリフだぜ~。授業中なのに屋上に何の用だい~?」

「はあ……少しだけ、疲れただけですよ」

「何か、あったのか~?」

「……いえ。別に」


 悲しげな彼女を見て、俺は少しだけイラついた。なぜかはわからない。でも、ただただムカついた。

 その後、俺はおもむろに情報屋の下へ。彼女の近況を聞き出し、彼女が脅されていることを知った。許せなかった。可愛らしい女の子を脅す輩が。輝きを汚す者たちが。

 だから、俺が鬱憤晴らしにそいつらを血祭りに上げた。約百人ほどの人数だったが、第二位を瞬殺した俺ならば問題はない。むしろ足りないくらいだった。全てが終わったあと、廃工場に一人の少女が走ってやってきた。外は雨が降っていたみたいで、少女は傘も差さずにやってきたようで、体はビショビショだった。果たしてその少女は神原紗智だった。俺が、なぜか汚されることを嫌った少女だったのだ。

 彼女は、廃工場の内部の有様を見て、呻いた。


「どうして、こんなことを……これは私の問題で――」

「そこにいた、ムカついた、だからやっただけさ~。それ以外の理由なんてないよ~」

「嘘です。情報屋から聞きましたよ。私のことを探っているって。あなたは、情報屋から私が置けられた状況を知って、出て行ったって」

「ああ、探っていたさ~。お前さんは強いからな~。俺は、強い奴が好きだからな~」

「下手な嘘は、つかないでください」


 キッと睨みつけられることに少しの動揺も見せないように、俺は心を安定させていた。ここで動揺を見せればわかってしまうから。理解されてしまうから。俺自身が、理解してしまうから。

 気づいちゃいけなかった。わかって欲しくなかった。俺が……俺が恋をしているなどと、誰にも理解されたくなかった。

 でも、分かってしまった。俺は、俺のした所業を前に涙を流す少女を見て、理解してしまった。彼女もまた、無自覚のまま、誰かを好きになっているのだと。その相手が、多分俺なのだと。

 自意識過剰だ。気持ち悪い。最初はそう思った。だから突き放そうとした。でも、できなかった。離れることが、これ以上に無く悲しかったから。突き放すことが、心苦しかったから。


「私は……私はあなたにこんなことをして欲しかったわけではありません! 私は校内第二位です! だから、これくらいのことは――」

「じゃあ、どうして欲しかったのさ~。お前さんは、誰にどうして欲しかったのさ~」

「それは……私は、誰の助けもいらなくて。全て私一人の力で……」

「そんなことは無理だよ~。人っていうのは、できることが限られてるのさ~。どう足掻いても、生きている間にできることはそう多くないんだ~。悲しいけど、仕方がないことなのさ~」

「あなたは、あなたって人は……」


 再び涙が流れた。俺はそんな彼女の涙をぬぐい。一つの提案をする。

 その悲しみを根絶するために、最善の提案を。


「俺とジャン拳をしよ~。俺が勝ったらお前さんのメアドをくれよ~。逆に、俺が負けたら俺のメアドをあげるよ~」

「な、なんですか。その試合は。ふざけてるんですか?」

「真面目さ~。さあ、するか~? しないか~? 俺はどっちでもいいぜ~?」

「……いいでしょう。受けて立ちます」


 そして始まったジャン拳。初手は神原紗智。高速の攻撃が俺を狙って放たれる。そんな攻撃をあっさりと避け、俺はニヤニヤと面白そうに彼女の攻撃を弾き、避け、躱し、時に跳ね返して遊んでいるかのように楽しむ。

 これだ。これだったんだ。俺が見たかったのは。いや、守りたかったものはこれなんだ。認めよう。俺は彼女が好きだ。そして、彼女の武術が大好きだ。踊るように放たれる攻撃は、リズムを踏むように迫り来る攻撃は、華やかで美しく、完成された輝きを持つ、世界にたったひとつしか無い芸術だ。

 彼女を汚すことは許されないし、彼女を笑うことは許さない。彼女をおとしいれるなど言語道断だ。彼女は自由に舞う蝶のように、時には素早く殺戮する虎のように、美しく凶暴でなければならない。


「そうだ~。お前さんは、そうでなくちゃいけないだ~。第二位が、うじうじと悩んじゃいけないんだよ~。上に立つ奴が迷えば、下にいるやつが迷う。お前さんは、弱い者たちの光なんだ~」

「何を、言っているんですか!」


 思い攻撃が俺の胸を突いてくる。どんと、大きな音を上げながら強大な振動を得た俺の体は、倒れようとするが、こんなにも楽しい闘いを終わらせまいと俺の意思が立つことを命令する。

 やがて、崩れ去る俺の体を見て、勝ちを盲信した神原は驚きを隠せなかった。通常なら気絶する攻撃を受けたはずなのに、俺が立ち上がり、攻撃をしたことに彼女はひどく驚いたのだろう。速さも、重さもない攻撃を受けて、彼女は倒れゆく俺の体を抱き支えた。

 勝負で、俺は負けた。だが、意思で彼女は俺に負けた。彼女は微かに笑うと、ずれたメガネを直してこう言った。


「私の、負けですよ。南雲金鵞、あなたは私を負かした二人目の人物です」


 その時の笑顔を、俺は忘れていない。きっと、これからずっと忘れないだろう。あの、なによりも輝いていた笑顔を俺は忘れない。



 時は進み、冬。俺はまたしても彼女が苦しい心境にあることを知った。それは、生徒会長が行なってきた停学処分者の恨みや黒い感情の浄清。元々仕事の多い生徒会で、生徒会長への恨みが大きくなってくると仕事が山積みになる。そこで、俺は情報屋に頼んで生徒会長の家を教えてもらい、観察者として仕事を始めた。いつ何時に生徒会長がどのような人物と戦ったのか。それを全て把握して、敵対勢力の名前も全て手に入れてきた。

 だが、深刻化してきていた問題はいつ爆発しても不思議ではないと言って良かった。その爆発が小規模で何回も起これば、流石に生徒会での処理は難しくなる。ならば、と。俺はすべての爆発を一回で終わらせるために作戦を立て始めた。

 情報屋では手に入らない情報を手に入れ、俺はそれを出汁にどうかできないかと考えるが、圧倒的に足りないピースがあった。

 それは敵にリーダーがいなかったこと。恨みを持っている者たちは多数存在していた。しかし、その誰もが誰の命令も聞かない問題児であった。ゆえに、一団としての形成が難しかった。

 どうすればいいものかと考えていると、一人の女性が俺に声をかけてきたのだ。その女性はこの高校の理事長で、ジャン拳システムを形成した創始者の一人の竜胆雀羅。彼女は、俺に、


「どう? 私と組んで、この学校の闇を一掃しないかしら?」


 と甘い誘いをかけてくる。

 俺としては嬉しい誘いだった。どうすればいいかわからなかったことだけあって、絶対的権力者と手を組めるのは非常に嬉しい誤算だ。

 彼女の計画はこうだった。俺が握っている生徒会長の秘密を今度停学処分から復帰する少年に教え、その少年に全てをやってもらうというもの。

 まず、その少年、万丈には生徒会長の秘密を渡した。本当はこれだけで良かったんだ。だが、生徒会長がその秘密を守り通す理由を知った俺は愕然とした。生徒会長は中学時代に秘密を知られていじめを受けていた。そのせいで秘密が漏洩することを極端に嫌がっている。

 それを知って、俺はこの計画が失敗すると考えた。なぜなら、この計画の最後の部分に存在するのは万丈を含むすべての問題分子を排除すること。例え弱い奴らだとしても数があれば強敵に匹敵する。四天王だって倒せてしまうかもしれない。

 そう危惧した俺は、最終兵器をつぎ込んだ。しかし、最終兵器が作動するにはある操作が必要だ。最終兵器を作動させるために俺は万丈に春日原燿の家を燃やすことを命令した。

 そう、最終兵器とは春日原燿だ。避けることなら右に出るものはいないとされる鬼才の親友。彼を投入するにはある操作、特定条件が必要だった。彼は戦う武器を、武術を持っていない。避けるだけでは万丈に勝利するには足りなかったのだ。

 だから、春日原燿の家を燃やし、我が親友に修行する時間を与えた。生徒会長ならば親友に最適な武術を提供することができると踏んだ上で。

 そして作戦は成功した。親友はその天賦の感性のおかげで臥雲七海の心の闇を見出し、その闇に自ら近づいた。そして、必然的に親友は生徒会長の家に趣き、その間に万丈が家に火をつける。警察は理事長が止めると言っていたので何とかなったし、無事親友は武術を学ぶことができた。

 すべてのピースは揃った。万丈を含めるすべての問題児は、万丈の手によって潰されたのだ。知らずのうちに、命令されるがまま動いていた万丈は自らを潰すための男を育成させる手伝いをしていたとは思いもしないだろう。

 果たして、作戦は大成功だ。生徒会長の秘密を餌に、親友を出汁に使って、生徒会の仕事を生徒会にさせることで、面目は保たれ、全ては万事解決するはずだった。

 誤算といえば、放火の疑いで俺が二年に残留。四天王も生徒会長の自主残留に乗っかって二年に残留。親友も問題を起こしたとして残留することになったということだけだ。







 さて、我が親友が大怪我で学校を休み出してはや一週間。学校では生徒会長の残留の噂を聞きつけ、学校に来ないモノたちが続出。世紀末みたいな静けさの中で、俺はいつもどおり屋上で授業をサボっていた。

 春は花粉がすごいというが、それ以上に学校の周りに咲く桜の綺麗さと言ったら言葉が失われる。そんな圧巻の景色の中で、俺は春の到来を真摯に受けていた。

 そんな時だ。屋上のドアが開き、一人の人物が入ってきた。


「やはり、ここでしたか」

「おやおや~? これはこれは副会長さんじゃないですか~。どうしたんだい~?」


 屋上へやってきたのは珍しく髪を縛らずに下ろしている副会長だった。


「あなたなら、ここにいると思いましてね」

「おお~? なんだかストーカーされているのかな~?」

「人聞きの悪いことを言わないでください。誰があなたをストーカーすると言うんですか」

「それもそうだな~。じゃあ、何の御用だい~?」


 メガネのズレを直しながら、副会長はスタスタと俺の隣、桜がよく見えるベストプレイスまでやってくる。そして、温かい風でなびいた髪を手で押さえ、必死に抵抗していた。

 その姿が面白くて、俺が微かに笑うと、


「何を笑っているんですか?」

「いいや~? 少し、面白くってな~」


 副会長に怒られてしまった。それすらも面白くて、俺はまた笑った。それが気に入らなかったようで副会長は少しだけ頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。

 すぐさま俺はフォローを入れるように言葉を放った。


「まさか、こんな日が来るとはな~」

「こんな日? どんな日ですか?」

「お前さんと、こうやってのんびりと桜を見られる日だよ~。一年の時はありえないと思ってたんだぜ~?」

「何を言ってるんですか。誘ってくれれば、私だって見に行きますよ。桜は、嫌いじゃありませんから」

「そうなのか~? こりゃ、失敗したな~。もっと早くに誘っておくべきだった~」


 アチャーと、わざとらしく言う俺を見て、副会長が笑った。年相応のその笑顔は、とても綺麗で、桜が滲んでしまうような感覚に陥った。

 だからだろう。俺が、こんなことを言ったのは。


「こないだの賭け。覚えてるか~?」

「あなたが勝ったら私の知られたくない秘密を。私が勝ったらあなたと本気の勝負。でしたね。結局どちらが勝ったのかといえば……あなたが勝ったわけですが。私が知られたくない秘密とは、なんですか? 昔の、ことですか?」

「いいや~? 今のことさ~。そ~だな~。ただ教えるのはつまらないし~。また、俺と賭けをしようじゃないか~」


 俺の言葉に、副会長は首をかしげた。なぜ、賭けをしなくてはいけないのかと質問したそうな顔を置いておいて、俺は深く深く呼吸した。

 ここで読み違えていたら、大恥だな~。もしかしたら二度と学校に来たくないとか思っちゃうだろうな~。でも、そろそろ俺も我慢の限界だ。これ以上、俺のこの気持ちを隠しておけるほど、俺も大人じゃない。だから、伝えよう。再び道化の仮面を被って、面白おかしく、そう、エンターテイメントのように。


「俺と、ジャン拳しよ~。俺が勝ったらお前さんには俺の彼女になってもらう。お前さんが勝ったら――――」

「私が勝ったら、あなたには私の彼氏になってもらいます。もう二度と、無茶はさせませんからね? 私の仕事を増やすことがないように、重厚に監視してあげますよ」


 そう笑いながら言う神原に、俺は心からの笑顔を見せた。

 そして、ジャンケンを行って、先攻後攻を決め、俺たちは五歩ずつ下がる。まさか、ここまで計画通りになるとは思わなかった。いや、思い通りになるとは考えていなかった。

 世界は思った以上に残酷で、冷徹だと思っていた。だけど、見方を変えれば世界はきっと自分にとって美しい景色を見せてくれる。うじうじと悩んでいないで、動かなかければならないのだ。

 自由主義を掲げ、不真面目を好む俺には生きづらい世界だ。でも、一人でも、少ない人数でも味方がいれば、理解者がいてくれるなら、そんな世界もいいかな、と思ってしまう。

 見つめ合う俺と副会長。その目には、負けないという意思がはっきりとあって……。


「さあ、行きますよ」

「ああ、いつでもいいよ~」


 武闘家は拳で語る。という言葉があるように。武術を習得した俺たちは、こういった方法でしか語り合えない。苦しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、楽しかったことも、全ては拳が語り合うことだ。

 二人の思いが交差し、ぶつかりあった。果たして、勝者は――――

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