二年生(7)

「今日はお疲れ様」

 恩田と二人、寮へ帰ったところで、玄関で声をかけられた。甲斐だ。塚原はすぐに彼へ向き直った。

「なんかごめんな、今日は」

 甲斐のクラスへは、塚原の母親も一緒に行ったのだった。母は上機嫌でパンケーキを食べ、甲斐と盛り上がっていた。そこでも終始、塚原は蚊帳の外。見かねた甲斐の恋人である先輩が塚原の相手をしてくれた。

「ううん。塚原のお母さんに会えて楽しかったよ」

「めんどくさかったろ。俺は久しぶりに先輩に挨拶できてよかったけど」

「全然。大丈夫だったって」

「由太のお母さん、想像とは全然違ったなあ。それにしても」

「そうか?」

「目元はそっくりだけど」

「それはよく言われる。昔から」

 三人が食堂のそばを通り過ぎたところで、松谷と出くわした。「あ!」と叫んだ塚原の後に、甲斐が声をかけた。

「松谷、今日は来てくれてありがとね」

「うん。美味かったよホットケーキ」

「すみれちゃん、甘いもの好きなんだ」

「結構好きみたい。クレープとかも食べたがったし」

「すみれちゃん?」

恩田が不思議そうに声を挟んだ隙を狙って、塚原も口を開いた。

「お前さあ、その定家さんとさあ――」

粘着質な声を上げた途端、心底うざったいというような松谷の冷たい視線が突き刺さった。それはあっという間に塚原の罪悪感を多方向から刺激し、唇が閉じる。甲斐がこつん、と塚原の頭を軽く小突いた。

「こら」

「……はい」

甲斐がこのような振る舞いに出るということは、本当にまずいことだと理解していたので、塚原はうなだれた。ちょっとした仕返しをしたかっただけだ。

「言っとくけど、付き合ってないから」

 一連の様子を冷ややかに見ていた松谷だったけれど、肩をすくめてそう言った。

「あ、そう」

「まあ、そうしてもいいかもしれないけど。俺も向こうも、今のところそういうの求めて会ってるわけじゃないし」

 彼らしい言い草だった。文化祭でわたあめを渡した後、思わず釘付けになってしまった二人の姿を塚原は思い出す。彼女がまとう爽やかな風のような雰囲気。一見、松谷にはそぐわないようで、しかしごく自然に馴染んでいた。思えば塚原が見ている彼も、彼自身の一面でしかないのだ。自分と同じように。

「それなら悪かった。ごめん」両手を上げて謝罪した。

「別に気にしてねえから、一々謝んな」

 塚原のからかいなど、松谷にとっては子犬がじゃれつく程度のものなのだろう。

「でも二人見てて、お似合いだなーとは思ったよ」

「そりゃどうも」

 じゃあな、と甲斐の肩を叩いて松谷は歩き去る。携帯電話を手にしていることからして、これから彼女と話でもするのかもしれない。

「何かこう……いい感じになるといいよね」

 甲斐が柔らかく笑ってそう締めくくった。隣の恩田が肩をすくめ、塚原は心からうなずいて笑い返した。



 その夜、部屋に恩田を呼んで、塚原は母のことについて何度目かの礼を言った。恩田はくすぐったそうに笑って首を振った。

「いや本当、大丈夫だって。つーか俺の方が親子の会話に口挟んじゃってごめん」

「いやいや、マジでお前が言ってくれなかったらモーニングコールとかされる羽目になってた。マジ助かった。本当ごめん」

 ベッドに座ったまま頭を下げる。恩田はその顔を上げさせ、頰に軽く口付けた。まばたきを繰り返す塚原と目を合わせ、穏やかな声で言う。

「由太のこと、だらしないと思ったことないって言ったろ。それは今もそうだよ。俺はそのままのお前が好きだし、そんなことでこの先嫌いになったりすることなんてない。けど、お前はどうにかしたいって思ってるんだよな」

「……うん」

静かにうなずくと、恩田も同様にうなずいた。

「だったら、協力するよ。お前がこないだ言ってたこと、今日、何となくわかった」

 淋しい気持ちがないかといえば嘘になる。恋人だからこそ甘えてほしいという思い。けれど、本人が変わりたいと望むなら、恩田は一番に応援するべき立場にいるのだ。それが、どんなに些細なことであっても。

 何と言っても、恩田は塚原の恋人なのだから。

 そうして塚原が変わることで、より多くの人に好かれたり認めてもらったりすることができるかもしれない。恩田は彼の良いところをよく承知している。甲斐や松谷たちもそうだろう。それ以上に、もっとたくさんの人々に。そうなれば、彼の将来はもっといい方向に向かうに違いないのだ。きっと。大げさかもしれないけれど、今日、恩田はそう思ったのだ。

「……ありがとう」

 塚原がそう言って腕を伸ばす。恩田も彼の身体に腕を回した。優しく抱きしめると、あの何とも言えない新しい感情が塚原を満たした。恋人の背中越しに、自分の手のひらを広げてみる。

 そうか、と塚原は気づいた。

 身体に力がみなぎってるんだな、これは。

 隆生がくれた、新しい力。

「俺、頑張る」

「無理はしなくていいからな。あと、急ぐ必要もないんだから」

すぐに恩田がいつもの口調になったので、塚原は思わず吹き出してしまった。腕を緩め、相手の額に自分の額を合わせる。

「うん――」

返事は途中から恩田の唇に引き取られた。二人はやがてくすくすと笑いあいながらベッドに転がって、じゃれ合うように口づけを交わし合う。

 高校二年生の七月。今年もまた色々な出来事があるのだろう。今年一年だけでなく、この先、そのもっと先も。それを彼と共有しながら過ごして行く。曖昧なものも不確かなものも数え切れないほどあるけれど……。今は、今日はそれだけでいい、と塚原は思った。


(終)

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