二年生(4)(*)

 昼休み。恩田のクラスである一組に塚原と、その日は甲斐もやって来て、三人で昼ご飯を食べることになった。六月も半ばで、気温は高い。早くも空調が入った教室内で、恩田の席は送風口の真下であり、快適に過ごせるのだ。

 話題はもっぱら二週間後に迫った文化祭についてである。

「へえ、四組は縁日なんだ」

甲斐の声に、塚原は笑って肩をすくめた。

「話し合いでさ、一時間もしないうちに決まった」

「さすが寮長だな」

「いや、確かに寮長はすごいけど、決まったのはマジでノリだった。寮長関係なく。逆に大丈夫かなってちょっと思うくらい」

「なんかその感じわかる気がする」

「恩田んとこは?」

「うちはプラネタリウム」

「すげえ。そんなん作れんの」

塚原が目を輝かせて身を乗り出し、恩田の笑みを誘った。

「黒い布に星図書いて穴開けるだけだよ。あとはどれだけ遮光できるか」

「電気つけたまま遮光するってかなり難しくない? 日も入ってくるし」

甲斐は苦笑している。恩田も困ったというように頭を抱えた。

「そこなんだよなあ。布だけでいくらかかるかわかんなくってさ。視聴覚室使えれば一番良かったけど、あっちは映画研究部が使うし」

「そうだね」

「いいなあ。面白そう。絶対観に行く」

「面白そうだよね。つーか予算気にするんなら分厚い布とか買わなくても、スーパーでダンボールもらってきてさ、それをペンキとかで黒く塗ったら? それか安い布貼るか。天井は布がいいだろうけど、壁とかはそれで大丈夫でしょ」

「――そっか、なるほど!」

恩田が背を伸ばし勢いよく応じたので、塚原も甲斐も声を立てて笑った。鶏の唐揚げを頬張ったまま、彼は席を立ちクラスメイトの元へ行く。何やら伝えると、クラスメイトたちはなるほど、とかいいじゃん、と声を上げ、振り向いて口々に甲斐へ感謝の言葉を投げかけ始めた。

「甲斐、一組の救世主じゃん」

野太い声が響く中、塚原が目配せすると、甲斐は可笑しそうに笑った。柔らかく包み込むような、彼らしい笑顔だった。

「俺が言わなくても、いつか誰かが思いついたって」

 聞けば、甲斐のクラスは喫茶店をやるらしい。

「定番中の定番だけどね。俺が淹れたコーヒー、飲みに来てよ」

「へえ、コーヒーとか出すの」

「コーヒーと手作りパンケーキ。外部の女性狙いだから。うちのクラス」

ホットケーキミックスと、絞るだけの冷凍ホイップクリーム、缶詰のフルーツを使えば、菓子作りに縁のない男子高校生でも、それなりものができあがるはずだという。なるほど、男子校では多くの生徒が敬遠しがちなスイーツを扱えば、大きな目玉として女性客を呼び込める。さすが、と塚原は感心しきりだった。



 週に二回のご褒美の日。早々に塚原の部屋を訪ねた恩田は、ベッドに潜り込んで部屋の主とおしゃべりもそこそこに、キスを交わし抱き合っていた。

 相手の唇を受け止めて、しばらく味わう。最初にそれを始めた日から、キスはその合図となっていた。深く舌を絡ませながら相手の身体に触れ、その中心を撫でさする。叫び出しそうな歓喜と欲望がその度に恩田の頭と身体を満たし、色々な考えを飲み込んでしまうのだ。

 慣れたもので、もうシーツを汚すこともなかった。衣服を整えたら、まだ熱い息をつく彼の身体を引き寄せてかき抱く。まだ鎮まっていない体温に満足する。

 しばらくお互いの鼓動の音を聞いていると、眠気が降りてくる。特に塚原は眠りにつくのがとても早い。それは恋人になる前から知っていた。

「りゅうせい」

「うん?」

「目覚ましかけたから……俺、明日自分で起きるから……」

意識のほとんどを眠りに奪われながら、腕の中の恋人は懸命に唇を動かしてそう言った。そのあどけない様子が庇護欲をそそる。恩田は塚原を抱き直し、その髪を撫でた。

「大丈夫だよ。俺が起こしてやるから」

「……いや……」

頰をすり寄せるようにかすかに首を振る。けれど背中をとんとん、と軽く叩いてやるうちに、塚原は眠りについていた。

 ああ、食べてしまいたいくらいってこういうことなんだよなあ。

 心から幸せを感じながら目を閉じる。しかしふと、気づいたことがあった。

 そういえば、塚原は先週辺りからまた目覚まし時計をセットするようになっていた。恩田と一緒に寝るかどうかに関係なく、毎日だ。

 ――……ごめん。先、行ってていいから……。

 そう言って恩田の手を遠慮することもあったような気がする。何か寝ぼけているのだろうと思って、気にも留めていなかった。

 別に、そんなことしなくても俺が全部やってやるのに。

 閉じられたまぶたに唇を寄せる。

 元々恩田は人の世話を焼くタイプというわけではない。どうもこの感情は塚原相手にだけ生まれるものらしい、というのは以前から気がついていた。全く苦にならないのだ。塚原自身もごねたり抵抗したりすることがないのも大きい。半分眠っているようなとろんとした目で、こちらの言うことを素直に聞いて世話を焼かれている姿のなんと無防備でかわいらしいことか。朝っぱらから下心丸出しで襲いかかりたくなるほどだ。一方で逆に、その衝動を抑えつつ服など脱がせて着替えさせるのもたまらなくいい。美味しそうな果実を口に入れず、あえて香りだけを味わうような感覚。恩田にとってそれは立派なスキンシップなのだ。

 翌朝、目覚まし時計の甲高い音に塚原は目を開けたけれど、またしても起き出すことはできなかった。恩田は布団から抜け出し、それら二つの音を止めた。


 どうも塚原は自分の朝の弱さを自分でどうにかしようと努力を始めたらしい。尤もそれは半年前にも実践していたわけで、努力を再開したということだろう。

 恩田の話を聞いた甲斐は、楽しそうにくすくす笑った。夕食後、風呂を済ませて部屋でのんびりくつろいでいるときだった。話とは、朝の塚原の態度の変化についてである。

「えらいじゃん、塚原。ちゃんとまた自分で起きられるように頑張ってんだ」

「別にそんなことしなくても、俺が起こすって言ってんだけどな」

頭の後ろで手を組んで、恩田はベッドに横になる。

 なぜそこまで塚原がこだわるのか、恩田には不思議でならなかった。休日も学校がある日も、毎朝起こしに行くのだから何も問題ないではないか。起こしに行く自分も全く苦ではない。むしろ楽しい。ずっとずっと朝が弱くて構わないとすら思っているのに。

「きっと恩田に頼りたくないって思ってんだよ」

「どうして」

「恋人だからねえ」

「恋人だからこそ俺が起こしてやるんじゃん」

勢い込んでそう返すと、甲斐はますます楽しそうに笑った。

「ああもう、塚原って本当かわいいね」

「俺のだ」

横目で甲斐を睨む。

「わかってるわかってる。そうだ、明日は十五分くらい遅い時間に迎えに行けば。塚原起きてるかもよ」

「それに何の意味があるんだよ」

 だいたい、いつも目が覚めたらそのまま塚原の部屋へ向かうのが日課になっている。着替えも準備も朝ごはんもすべて一緒に済ませるからだ。それを十五分遅くと言われても、その間何をしろと言うのか。二度寝をするのもつまらない。起きたらすぐに大好きな恋人の傍に行きたいと思うのが当たり前ではないか。寝起きの顔も見れなくなる。

「お前、塚原にべったりだねえ」

恩田の主張を聞いた甲斐は、処置なしというように肩をすくめた。「恋人だから」という意味がいまいちはっきりしない。けれど甲斐の方は塚原の意図を了解しているようで、正直なところ面白くない気分になるのだった。

「普通だよ」



 塚原が以前実践していた「よく眠る努力」のいくつかは、恩田にアドバイスをもらったものもあって、当時はそれが一通り習慣となっていた。寝る時間を一時間早めること。携帯電話やパソコンは夜十時以降使わないこと。軽いストレッチを行うこと。部屋の電気は薄暗くしておくこと――などだ。しかしその一方で恩田自身が塚原の部屋を訪れることはなかったわけで。彼と付き合いだしてからというもの、それまで習慣となっていたことが、恋人の訪問というイベントによってあっさり忘れてしまう結果となったのだ。それが三ヶ月にも及べば、「その習慣をしないこと」が新たな日常になってしまう。以前のように習慣化させるには、それなりの期間、意識的に努力を継続させる必要があった。


「なあ、今日はもう寝ていい?」

 例によってベッドの中で抱き合いキスを交わしていたときだった。いつもなら、この後服を脱いでもう一段階手やら口やら使ってするところだ。恩田は少し驚いた。

「え、眠い?」

まだ夜の十時半だ。意図せず声が硬くなる。塚原は決まりが悪そうに一度目を逸らして答えた。

「いや、めちゃくちゃ眠いってわけじゃないけど……あの、ほら、寝溜めってできないって言うし」

「寝不足か」

「寝不足っていうか、起きられないっていうか」

「授業中に眠い?」

「そこまではないけど……」

口を尖らせて言う塚原を、恩田はそっと抱きしめた。

「大丈夫だよ、俺が起こしてやるから」

寮生活を送っていれば、二人きりになれる場所も時間も数えるほどしかない。ただでさえクラスが離れて顔を合わせる機会が減ったというのに。

 抱きしめた相手の身体がしぼむ。塚原が大きく息をついたのだ。どうも真剣に考え込んでいるらしい。そんなに深刻に悩む必要はないだろう。沈んだ空気をむしろ変えたく思って、恩田はうつむいた彼の顔をのぞき込んだ。

「由太さ」

「うん?」

「卒業した後の進路とか考えてる?」

 唐突な話題の切り替えに、塚原はやや戸惑いながら答えた。

「え、全然。まだ二年になったばっかだし……」

「なりたい職業とか、卒業したら地元に帰りたいとか」

「いや、全然考えたことなかった」

「そっか」

戸惑いながらも、恩田の意図が気になったのか、塚原はおずおずと訊き返してくる。

「……隆生は考えてんの」

「いいや。でも、お前が行きたいところとか、就きたい職業があるんなら聞いとこうかなって。将来のために」

「将来?」

「お前との将来」

 塚原が大きく目を見張ってこちらを見つめた。驚きに言葉を失っている様子だ。

 驚かせたか。

 少し気恥ずかしい思いもあるけれど、それは恩田の本心だった。本当にそう思っているのだ。だから「これはただ俺が勝手に妄想してるだけなんだけど」と前置きして続けた。

「俺は卒業したら、由太と同じ大学に行きたい。専攻が違うなら、場所が近い大学でもいい。二人で同棲したいんだ。お互い両親が許してくれないなら、社会人になってからでもいい。俺、いい大学に行っていい会社に入るから」

「え……」

「由太とずっと一緒にいたい。大人になっても、歳取っても」

驚いた表情のままみるみる赤くなった恋人の頬に触れる。見た目よりずっと熱を持っていた。口はあわあわと動くが声が出ていない。恩田を見つめているというより、目が離せない状態といってよかった。

「毎朝俺が起こしてやるって前言ったけど、そういう意味だから」

 柔らかく微笑んでそう締めくくる。塚原にとっては、たぶん、必殺の一撃だろう。彼はとうとう耐えられなくなったようで、タオルケットの中に潜り込んで膝を抱えてしまった。


 そんな状態の塚原を、恩田が黙って放っておくわけがなく。またそんな状態の塚原が、恩田のおねだりを断れるはずもなく。


 恩田は同じようにタオルケットに潜り込み、耳元で囁いた。何度かやったことはあるけれど、はっきり「して」と言われたのは初めてだった。まったく、「好き」だの「愛してる」だのありふれた言葉なのに、なぜ彼が言うだけで心も身体も煽られてしまうのか。いやそれが自分にとっても快感だから、がぶ飲みして酔ってしまうのだけれど。

 タオルケットに潜り込んだまま、彼の下着をジャージごと下ろして、現れたそれに口付ける。丁寧に舐め、咥え込む。たいてい難しいことを考えている余裕はなく、ただひたすら行為に没頭していたのだけれど、今日はそれに加えてはち切れそうなほどの欲望が身体を支配している。思いつく限りのいやらしい行為が次々と頭の中で膨らんでいく。彼と目があったとき、自分が彼以上に欲情していることを思い知らされた。

「由太、そのまま、からだ……こっちに持ってきて」

 恩田がタオルケットを剥ぎ取り、横になったまま塚原の身体を引き寄せた。同じように下着を脱がされ、ぱんぱんに張り詰めていたものをべろりと舐められる。全身が快感に震えた。

「ぁ……ちょっ……」

抗議というには甘すぎる声だった。身体はそれだけを求めて猛っていたのだから。

「そのまま続きして」

ずるりと飲み込まれ、それどころではない。けれど、どうにか息をついて自分も行為を再開する。

「……は、んん、」

 お互いに相手の太ももを掴み、舐めて、吸って、転がして。夢中になって耽るうちに、薄暗い部屋の中で、眩しさに似た強烈な何かがいくつも弾けるのを脳裏に感じていた。もう何をどうすればいいのかもわからない。羞恥に飲み込まれながらも抑えは効かず、あっという間に昇りつめ、塚原はものの数分で果てたのだった。



 朝きちんと起きるために早く寝ようと思っていたはずなのに。恩田には申し訳ないけれど、そういうことの回数を減らしてもらおうと思っていたのに。……明らかに昨日は自分が我慢できなかった。小さな自己嫌悪と、羞恥が塚原の頭をショート寸前に追い込む。

 ――いや恋人にあんなこと言われて、その後あんな風におねだりされたら。燃え上がらない男なんているわけないじゃん。

 放課後、トラックを走りながら唇を尖らせ、塚原は頭の中で言い訳をする。

 陸上部の活動中だった。ともすれば昨夜のことを思い出してしまう。ペース配分は問題なく、距離もそう短くないせいだ。

 ――その後二人で耽った行為は置くとして。昨夜の恩田の発言に、塚原はかなり驚かされていた。

 まさか、高校卒業後、さらに社会人になってからのことまで恩田が考えているとは、全く予想外だった。もちろん塚原だって恩田と長く恋人関係を築きたいと思っている。けれどそれはなんとなく、ぼんやりとした願望でしかなかった。同棲、両親に許し、と言っていたけれど……まさか恋人だと親に紹介でもするつもりなのだろうか。塚原はそんなこと考えたこともない。したがって、万が一自分の両親にそれをうちあけた場合、彼らがどういう反応を示すかということを考えたことすらなかった。

 昨夜は酔いしれた恩田の言葉は、酔いから醒めた頭で考えてみると、随分と突拍子もないことのように思えてくる。

 そう思いながらも部活の後、ラウンジのテレビに釘付けになった。足を止めた塚原に、共に寮に帰ってきた松谷は一度テレビと塚原を見比べたけれど、「先行くぞ」の一言ですぐに食堂へ歩いていく。

「今日は話題の温泉旅館に来ています。見てください! このお湯。とろっとろなんですよ〜」

 旅番組らしかった。露天温泉につかる女性キャスターがはしゃいだ声を出し、両手で湯をすくっては落としてみせる。湯船の外、そばの石床にしゃがむ着物姿の女将らしき年配の女性がなんとかかんとか、温泉の有効成分について話して聞かせる。

「まさに美人の湯です。もうお肌つるつる〜」

 ソファには数人の寮生が同じくテレビを見ていたけれど、塚原ほど熱心でないのは明らかだった。携帯電話を手にしていたり、隣の者と談笑している。

 あれいいなあ――

 とろっとろかあ。隆生ぶちこんで、ぬるぬるにしたいなあ――

 気づけば文字通り物欲しげに指をくわえていた。そんな煩悩まみれになれば、寝つきも悪い。やっぱり翌日も恩田に起こされた塚原だった。

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