二年生(3)
塚原の所属する長距離陸上部は、今年めでたく三名の新入部員を獲得した。これで来年の廃部は免れることとなる。活動存続のための部員数の下限は五名と決まっており、二年は塚原と松谷の二人しかいなかったので、三年生の引退後、人数によっては廃部の可能性もあったのだ。塚原は心から安堵した。
一方で甲斐が部のマネージャーとなることについては、部員は歓迎したけれど、顧問の先生から反対された。
「お前がいる間はいいが、卒業する前に後釜を探せるか? 後釜がいないとなってから一年に雑用を教えるとなると大変だろう。そもそも人数も少ないし、仕事という仕事もあまりないぞ。短距離の方と兼任っても、そっちはもういるからな」
三つの部の顧問を兼任していて、特に長距離陸上部の指導には熱心でないと思われていた先生だったけれど、それは少々誤りであったらしい。彼の言い分は至極まっとうなもので。三年生の新部長と二年生の三人は、仕方なく引き下がることにした。
「じゃあ、大会のときとか、人手がいるときには手伝いに行きますから声かけてください」
甲斐はこだわりなく笑ってそう言ってくれた。
新入部員のうち一人は寮生でもあって、塚原や松谷と顔を合わせればすぐに駆け寄ってくる。人懐っこい性質らしく、一年年長の二人に対しても物怖じせずに話をし、大きな口を開けて笑う。朗らかな生徒だった。
「毎日恋人とご飯って決めてないんですね」
そんな後輩がある夕食中、塚原にそう言ってきた。平日の夕食だけは部活の関係で恩田とは別の場合もある。塚原の隣に松谷、その向かいに後輩が座っていた。
「ああ、まあ」
こいつに隆生のこと話したことあったっけ、と思いながら返事をする。やっぱり、と後輩は目を輝かせた。
「なんでお前が知ってんの」
塚原と同じ疑問を抱いたらしく、松谷の方が問う。怪訝そうな彼の表情(普通の生徒ならたじろぐところだ)にも怯むことなく、後輩はやや興奮した様子で今朝見た光景を話し始めた。洗面所での、塚原と恩田の毎朝の日常風景である。――少なくとも、本人たちにとっては。
ああはい、と途端に松谷は興味を失くしたように返事をする。
「こいつらは付き合う前からやってたけどな」
「マジっすか。てか恋人ってどうやったらできるんですか」と興味津々の様子で後輩は尋ねてくる。ふいに塚原は胸の辺りにむず痒さを覚えた。「恋人」という響きのなんと甘ったるいことか。ついこの間二人で服を脱いで耽った行為が頭の中で断片的に再生される。
「……いや、俺もよくわかんない」
応じる声が少し平坦なものになったのは気恥ずかしさの裏返しだ。それを誤魔化そうと親子丼をかき込むこととなる。とはいえ隣に座る松谷に言わせれば、「恋人」なんていう言葉よりもまず恥ずかしさを感じるべきは、毎朝の洗面所での寝癖直しだろうということになるけれど。
「やっぱ男らしく自分から声かけて、デートでエスコートとかして、プレゼントとかするんですか」
「俺全部やったことないわ。あ、いや告白は自分からしたけど」
「マジっすか! 塚原先輩ってたまに男らしいですよね」
「たまに、って」松谷が吹き出す。
「たまには余計だっつの」
松谷へは一睨みを突き刺しておいて、テーブルの下、失礼な後輩のすねを蹴る。いってえ、と彼は箸を取り落として悶絶した。こんな風に制裁を加えても、数分すれば調子を取り戻す彼の打たれ強さは、もはや尊敬に値するほどだ。
食事が終わり、友人とラウンジで落ち合うという後輩を残して食堂を出た。二人並んで廊下を歩きながら、塚原は深いため息をついた。対する松谷は無言である。
「……男らしさかあ」
「何か言いたいならきちんと会話の形を取ってくださーい」
続く思わせぶりな塚原のひとりごとに、松谷はいつもの調子で返してきた。常の応酬でむっとした塚原だったけれど、気を取り直して訊いてみた。
「なあ、かっこいい男ってさ、どんなん?」
「なんで俺に聞くの」
「今横にいるから」
面倒くさそうな表情でちらりと塚原を見やった後、松谷は言った。
「かっこよさの定義なんて人によってばらばらだろ」
「……まあそうだけど」
当たり前の理屈を放られて、塚原は唇を尖らせる。松谷はそんな彼をまたちらりと見て続けた。
「そういうことなら恩田に聞けよ」
「恩田に聞いたら意味ないじゃん」
鼻にしわを寄せ、腕組みをして塚原はぼやく。松谷は両手を頭の後ろに組む。彼は塚原より身長が高いので、少しだけ歩幅が大きい。
「何考えてるか知らねえけど、気になることは直接本人と話すべきだと思うね」
「…………」
ついに塚原はしかめ面になって、大きく鼻息を鳴らした。
松谷の方はふと足を止め、携帯電話を取り出すと、「じゃあな」と軽く塚原へ手を上げて去っていく。どうやら電話が入ったらしい。彼は最近夕食の後誰かと電話していることがたまにある。遠ざかるスリッパの音を聞きながら、塚原は考えた。
かっこいい男。男らしい男。
塚原にとってのかっこいい男とは、自律していて、変に言い訳したり格好つけたりもせず、弱きを助け、堂々としていて潔い人物だ。後輩の言った「デートでエスコートとかして、プレゼント」などができる人物というのはなんとなく上辺だけ上手くやる印象が強く、かっこいいとは思えない。まあ、女子からすればうれしいことばかりなのだろう。
けれど塚原の恋人は、恩田である。今の塚原に足りないものは何か。以前からはっきり自覚している。とにもかくにも「自律」である。やっぱり自分のことは自分でできるようにならなければ。
だから数日前、クローゼットの奥にしまいこんでいた二つの目覚まし時計を引っ張り出したのだ。何ヶ月ぶりだろう。しかし結局、まだ上手くいってはいない。今朝も恩田へ「支度は自分でするから、先に行っていてくれ」と言ってみたのだけれど……寝ぼけていると思われたのか、いつも通り、彼は塚原に付き合ってくれた。
もういっそ、恩田に世話焼きを遠慮してもらうよう言ってみようか――
いやいやいや!
塚原はぶんぶん首を振った。恥ずかしくなる。馬鹿か。遠慮してもらうように言うこと自体がおかしいのだ。そんな状態を作り上げてしまっただらしない自分のせいなのに。自分の世話は自分でする。当然のこと。それだけだろう。
七月初めには、学校で文化祭が開催される。
塚原のクラスの企画は、「縁日」に決まった。クラス全員の明確な意志によって決まったというより、誰かの思いつきが教室の中を転がるうちに大きくなり、高揚した空気が決めたと言ってよかった。
「俺お面作りたい。クソだっせえやつ」
「いやだっせえやつなら売れねえだろ」
「俺は射的のおっちゃんになる」
「うち実家にわたあめ作れるやつあるから送ってもらうわ」
「たこ焼き作りてえ! たこ焼き!」
「金魚駄目なの? じゃあメダカは?」
話し合いの最初の数分とは打って変わって大盛り上がりだ。ぽんぽん飛び出すクラスメイトたちの玉石混合の提案を、例の「寮長」が冷静に吟味して可否を決める。書記となった塚原はそれを受けて忙しく黒板の前で動き回った。
「……なんとか形になりそうだな」
教室内のざわめきの中、担任の先生に代わって教壇に立つ寮長のつぶやきが耳へ届いた。
「え?」
「うちのクラスって体育以外はあんまやる気ないじゃん。文化祭どうなるか正直怖かったんだよね」
「でも寮長、委員に立候補したじゃん」
「だからだよ。ギリギリになって泣きついて来られでもしたら困る」
「へえー……」
ため息交じりの声が出る。恩田とは少し違った意味で彼もまた大人だ、と塚原が思ったのはこのときだ。身長はさほど変わらないのに。
同じ年に生まれて、同じ年齢を重ねてきたのに、どうして彼らのような大人っぽいやつと自分やクラスメイトたちのような子供っぽいやつができるのだろう、と素朴な疑問を覚えた。そして、どうしたら自分も彼らのようになれるのだろう、とも。
「面倒なことも楽しそうなことも、この学校にいる以上やんなきゃいけないことだ。やりたくないなら退学すりゃあいい。義務教育じゃないんだから。でもそんなこと弁えてんのは、このクラスに半分もいないだろうし」
純粋にこういった学校行事を楽しめるほどに興味もなく、また単純でも幼くもない。かといってサボるほどに明確な反抗意思を持っているわけでもない。結果として多くのクラスメイトは、消極的に参加するしかないというのだ。塚原はといえば、ただ単純に楽しい文化祭ができあがればいいな、と思っていたので、その部分でいえばクラスメイトの大半とも、そして目の前にいる寮長とも温度差があるのだった。
「まあ、みんなノリはいいから、始まっちゃえば大丈夫だって」
「まあな」
それぞれの班分けも終わり、あとは各班ごとにアイデアを出し合って作業を進めることとなった。
その夜、塚原は二つの目覚まし時計を五分おきにセットし、机の上と、ドア付近に置いた。恋人に甘えない、自律した人間になるためのトレーニングだ。
明日の朝、恩田が部屋へやってきた時にはすでに起きて着替え始めている、というのが理想だ。いつものように着替えをベッド横に準備し、立ち上がって大きく深呼吸をした。
「よし、寝よう」
しっかり決意をしてベッドに入った塚原だったけれど。翌朝、ぼんやりと意識を覚醒させた彼が視界に捉えたのは、恋人のふわりとした微笑だった。
「そろそろ起きろ」
「りゅうせい……」
「最近目覚ましかけてんだな」
意外そうな声が降ってくる。うん、と答えるのが精一杯だ。どろりとした眠気が全身に及んでいて、複雑な言葉が出てこない。
ああ、失敗だ……。
言うことを聞かない身体を操ろうとするけれど、既に心身共に覚醒している恩田の動作に敵うはずもない。彼はいつものように喜々として塚原を起こし、着替えを手伝い、洗面所へ手を引いて連れ出した。
――せっかく整ってた体内時計、また狂わせやがって。
いつかの松谷の言葉がよみがえる。そうだ。俺の身体は恩田に甘えきってまた堕落しようとしている。毎日小さな努力を真摯に積み上げていくことでしか自分を律することはできないのに、堕落するのは一瞬。まったく、積み木遊びではあるまいし。自分のだらしなさに嫌気がさす。
もっと頑張らなくては。
半年前にはできていたことだ。同じ日常をもう一度、ゼロから積み上げよう。
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