二年生(2)(*)

 大きな被害もなく無事台風が過ぎ去り、寮内に平穏が戻った後のこと。例によって恩田は塚原の部屋に向かった。今日は二人で一緒に寝る予定なのだ。

 別に毎日一緒に寝ても誰に文句を言われるものでもないのだけれど(部屋を抜け出したことがばれない限り)、塚原が甲斐を部屋に一人残すことを気にしたのだ。

「俺は元々一人部屋だったから気になんないけど、甲斐は前まで先輩が部屋に来てくれてたんだからさ。先輩も卒業しちゃって、隆生もこっちに来るんじゃあ淋しくなったりしないかな」

 困ったように眉を下げる塚原の表情を見て、恩田は自分の浅はかさを省みずにはいられなかった。そんなこと、一つも考えが及ばなかったからである。高校二年生にもなって淋しい淋しくないもないだろうけれど、恋人と離れ一人夜を明かすのは、時につらいものもあるかもしれない。

 話し合った結果、毎朝塚原を起こしには行くけれど、「お泊まり」は週二回と決まった。恩田には不満がないではないけれど、まあ我慢ができなくなったら会いに行けばいいだけのことだ。甲斐に一言断って、廊下を歩いて数十秒。ドアには鍵がかかっているけれど、塚原の朝の弱さと一人部屋であることの心許なさを寮母さんに訴え、一〇〇号室のスペアキーを手に入れた恩田である。開けて奥のベッドに潜り込めばそれでいい。何ら問題はない。



 部屋の電気を消したら、いつものように二人でベッドに潜り込む。カーテンの隙間から月明かりが差し込んでいた。どちらからともなく身体を寄せ合い、キスを交わしながら腕を回して抱きしめ合った。

 そろそろいいかな。

 薄暗い視界の中、目を閉じてキスに応じる塚原を見ながら、恩田は何十回も考えたことをまた頭の中に取り出した。付き合って三ヶ月。関係は良好。男と付き合うことが初めてというこの恋人も、恩田との触れ合いに馴れてきたように思える。そろそろ関係を進展させてもいいのではないだろうか。

 何よりもう、恩田の方が我慢の限界に近づいてきていた。甘い口づけに陶然と目を潤ませる塚原を見ていると、頭からかぶりついてしまいたくなるのだ。一〇〇号室に同室はいない。ベッドは一つ。お膳立ては完璧だ。あとは美味しくいただくだけなのだ。それを阻むものは何一つない。そう考えれば、この状態で三ヶ月待つことのできた自分に、恩田は改めて感心する。

 それもすべて――大好きな彼のためだ。

 以前に宣言した通り、もう彼を傷つけることはしない。それは恩田の心の中にきちんと根を下ろしていて、これまで恩田の欲を抑えることができたのはこのためだった。

「なあ、由太」

 だから、彼に対しては何よりもまず誠実であろうと思う。

「うん?」

「もうすぐ、付き合って三ヶ月だよな」

「うん」

塚原は微笑みながらうなずいた。恩田も笑って彼の顎をとらえ、唇を合わせる。鼻先を触れ合わせた。

「……こういうのも、もう平気か?」

「平気ってか、最初から嫌だと思ったことねえけど」

当たり前のようにそう言われて、頬がゆるむ。だらしなくにやけ面になってしまった。わかってはいたけれど、うれしいことには違いない。抱きかかえた腕に力を込めて、引き寄せる。相手の首元に顔を埋めるようにして続けた。

「俺も……その、嫌じゃないっていうか、むしろめちゃくちゃうれしくて。あ、いやもちろん、別にくっついてなくてもキスとかしなくても、お前が傍にいるだけでうれしいんだけど、」

 鼓動がどんどん高鳴ってくる。どんな風に話を持って行くか何度もシュミレーションしていたはずなのに、いざ彼へ伝えようとすると、意図しない言葉を発してしまう。落ち着いて話をすることで彼を安心させたいのに。

「……うん」

恩田の緊張が伝わったのか、塚原の声が少しぎこちない。ぴったりと合わさった身体から鼓動の早さは手に取るようにわかるはずだ。それも少し恥ずかしい。

「できるなら……もっと触れたいし、そろそろキスだけじゃなくて、もっと……その、色々したいって思ってて。お前がもし嫌じゃなかったらっていうのが大前提だし、無理させるようなことも絶対しない」

顔を離して塚原を見つめる。彼の体温が少し上がった気がした。まばたきを繰り返し、口が薄く開いている。

「由太は、どう、かな」

「……えっと、うん」

照れくさいのか、塚原は一度視線を外した。

「俺も、したいと思ってるし」

「……そっか」頭の中で一斉に花々が咲き乱れて、恩田はとりあえずそう返事するのが精一杯だった。拒否されることはないだろうとわかってはいたけれど、現実に彼の口から答えが出てくると、自分の気持ちが制御できないほどあふれ出しそうになる。

「あ、けど、男同士のその辺とか、わかんないことばっかだけど」

「うん。いきなり色々始める気はないし、大丈夫」

 ようやく緊張から解放されて、身体の強張りが解ける。しかし腕の中にいる塚原は、考えをめぐらせるように瞳を一周させた後、あっけらかんとした口調で言った。

「ところでさ、男役と女役、お前どっちなの?」

 過剰反応したのは、恩田の喉だった。思いきりむせて咳き込む。塚原はその反応に驚き、大丈夫か、と背中を撫でてくれる。不意打ちだった。恩田が彼を気遣ったつもりで言わずにいたことを、彼の方が真っ直ぐ突いてくるとは。

 基本的に無垢な「お子様」のように思える彼も、同い年の男。性欲もあれば、興味もあるに決まっている。「わかんないことばっか」というのは知識が全くない、ということではないのだ。恩田がそれを忘れそうになるのは、どこまでも甘く甘い、彼自身の願望のせいだった。

 まっさらで何も知らない、他の誰も触れたことのない恋人のすべてを、自分の手でひらきたい。見たい。そして色々教えたい。そうすれば彼の頭の先から爪先まで、さらに心も自分だけが独占できる。――蜜のように甘い願望。

 当然そんなものの存在をまったく知らない塚原は、さらにいくつかのきわどい(と恩田は考えて話さずにいた)質問を重ねて恩田を愕然とさせた。答えを聞いて「へー」と興味を満たし納得がいったというように声を上げるのがまた予想外だった。もっとうろたえたりするものと思っていたのに。

「……全然知らないわけじゃなかったんだ」

情けなくもそう口に出してしまった恩田を、塚原はきょとんとした顔で見つめた。

「だってお前と恋人になれたし。少しくらいは知っとかないと」

「知っとかないとって」

「だから、まあ、ちょっと調べた」そこでようやく恥ずかしさを覚えたか、目を伏せ笑ってみせた。「つっても、結局あんまよくわかんなかったけど」

 そのとき、恩田の脳裏によみがえる記憶があった。中学時代、塚原には彼女がいたということ。聞いた話からして身体の関係はなかったようだが、いずれはそういうこともするつもりだったはずだ。それを考えれば、下調べをするのは彼にとって自然なことなのかもしれなかった。

 当時、彼女とはどこまで行っていたのだろう。半裸の女子中学生を組み敷く乱れた制服姿の塚原をつい想像してしまい、一瞬、倒錯した昂りを覚えそうになる。

「それにほら、こんだけくっついてると流石にわかるし」

そう続けた塚原は、たった今恩田の脳裏で性欲にまみれている人物とは別の人間のようにあっさりしていた。

 恩田はそれを聞いて赤面せずにいられない。隠せるものではないから割り切っていたけれど、身体は触れ合うだけで反応してしまうのだ。キスを始めれば、もう抑えられるものではない。それに塚原の方の反応も手に取るようにわかるので、調子に乗って押しつけたりしたこともあったのだ。

「……隆生?」

 恩田はまた塚原の胸元に顔を埋めた。熱いため息をつく。

「……あー……ごめん。あーやばい。めっちゃ恥ずかしい」

「お互い様じゃん」

「気持ち悪くない? こういうの」

わかっているくせに、恩田はまた答えを聞きたがった。

「そんなことないって。お互い様だって今言ったじゃん。わかるだろ」

塚原は素直に答えてくれる。確かに彼の身体の反応も……今少しかたくなっているのも、わかる。

「由太」

「うん?」

「じゃあさ、ちょっと今……触っていい?」

 額を塚原の胸に押しつけたまま、やけっぱちで恩田は言った。一瞬、塚原の身体が強張ったけれど、彼は恩田の頭に頬を擦り寄せるようにしてうなずいた。

「いいよ。なら、俺も触りたい」



 早くも恩田の望みは一つ、叶うことになった。ベッドに潜り込んだまま、抱きしめ合ってキスを交わし、服の中に手を差し入れ、お互いの肌の感触を確かめ合った。胸、腹、背中、脇腹、腰、尻と、その前。ジャージも下着もすぐに邪魔になって、ぎこちない手つきでそれらを膝まで下ろす。

 昂ったそれを彼の手で拘束され、それだけでいってしまいそうになる。彼のも熱かった。与えられる快感に急かされて、自分の手の動きが疎かにならないようにコントロールするのが精一杯だった。最初は唇を合わせて舌を絡ませたりしていたけれど、そんな余裕もすぐになくなる。普段からは想像できない、色に染まった激しい彼の息づかいに、恩田の頭は沸騰しそうなほど興奮した。

 次第に塚原の手に力が抜けていき、彼が先に果てた。その頃には恩田も塚原を気遣う余裕がなく、彼の手に自分の手を重ねて最後までたどり着いた。

 しばらく抱き合ったまま呼吸が整わない。シーツを少し汚してしまったことが頭をよぎったけれど、とりあえず一旦忘れることにした。

「由太、大好き」

「……俺も」

 そう答えた塚原の姿は、恩田の想像以上だった。前髪が汗ではりつき、目許や頬どころか全身真っ赤になっている。着ているTシャツは恩田がまくり上げたので、その裾からつんと尖った胸の突起がのぞく。彼が口の端からこぼれそうだった唾液を拭ったとき、恩田の頭の中で、何かが決壊した。

「うわ、おい!」

 彼をベッドに押しつけ、上からのしかかって力任せに抱きしめた。脚を絡める。驚いた声を上げた唇にかぶりつこうとして、勢い余って鼻にかぶりついた。恩田としてはどっちでもよかった。むしろどっちも食べてしまいたいほどだった。

 さすがに苦しくなったらしい塚原から背を何度も叩かれ、恩田はようやく唇を離した。

「びっくりしたー」

「……いや」

「隆生、意外に肉食系」

「だって、お前が……」

慌てて口をつぐむ。塚原が問うような視線を向けたけれど、首を振った。

 だってお前があまりにもエロいから、なんて初日から言うわけにはいかなかった。



 翌朝。恩田が目を覚まし、携帯電話で時間を確認した直後。目覚まし時計のけたたましい音が部屋中に鳴り響いた。神経を引っ掻くような大音量に、反射的に身体が竦む。たまらずベッドから起き出して、机の上にあったそのスイッチを押して止める。

 ――目覚まし時計……いつの間に。

 意外な思いがして、ベッドで横になっている恋人を振り返る。彼はもぞもぞと寝返りを打ち、重たい瞼を必死に開けようとしていた。けれどすぐに眠気に引っ張られたのか、目を閉じる。その様子に微笑を誘われる。

「由太、おはよう」

「ん……う、ん」

 優しく頬を叩くと、かろうじてうなずいた。いつものように抱き上げるようにして身体を起こしてやる。すると塚原の腕がおぼつかなく動いて、恩田の胸を押さえた。

 まるで、彼から距離を取るように――

「由太?」

寝ぼけているのか。

 恩田は驚いて相手を呼ぶ。

「……いい」

塚原はそのまま膝を抱えてうずくまった。

「……ごめん。先、行ってていいから……」

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