第一章 趙始初陣


「いそぎ陣容をととのえ、三千の兵をひきつれ加勢せよ」

 ちち趙佗ちょうたから出陣の命令がとどいた。十六歳の初陣である。趙始ちょうしは踊りあがって喜んだ。

 趙成など供まわりの郎党が常になく神妙な顔つきで、祝いの口上をのべた。

 翌朝、趙始は勇んで番禺ばんぐう(いまの広州)を出立した。向かうは象郡の郡治(郡政府の所在地)・臨尖りんせん、いまの広西南西・崇左すうさである。

 はやる心を抑えきれない趙始は、初陣の興奮を満面にみなぎらせ、馬上で夢を馳せていた。

「功名手柄をたて、初陣を飾るのだ」

 目的地が近づくにつれ、緊張でからだが小刻みに震える。これが武者震いというものか。

 敵は甌駱アウラク国、駱越らくえつ族の国だという。都城は古螺コーロア城、いまのベトナム・ハノイ郊外にある。

 ベトナムには、もともと紅河デルタ上流に文郎ヴァンランと呼ばれる国があり、代々 雄王フンヴォンという王が支配していた。その文郎国を、蜀から南下してきた安陽王アンズォンヴォンが滅ぼし、建てたのが甌駱国だという。すでに五十年を越えているから、安陽王も後代であろう。古螺城は、天に向かって螺旋状に渦を巻く大きな城砦である。

 かれらは出撃のさい銅鼓どうこを打ち鳴らし、変幻自在に兵を動かしては、敵の意表を突くことで知られている。

「どう攻めてこようが、かならずきょはある。その不備や油断を衝いて、われこそ敵の大将を討ちとってくれる」

 敵の力は未知数といっていい。ましてやいくさ経験のない初陣である。憶測が憶測を生み、妄想で興奮がよりつのる。勝利への期待が、いやがうえにも高まってくる。

 南海郡治のある番禺からは、ほぼ西へ向かって進む。いまの広西 梧州ごしゅう・桂平から貴港・南寧なんねいへと、珠江水系に沿って内航船が使える。川の利用できない地は、騎馬と徒歩で行軍する。南寧を抜ければ、崇左は指呼の間である。

 いまの南寧は広西 壮族チワンぞく自治区の区都である。「緑城」の異名をもち、「城は緑中にあり、緑は城中にある」と詩に詠われている。「城」はシティと読みかえてもいい。日本と違い、まち全体が城壁に囲まれている。いまのベトナム国境 友誼関ゆうぎかんまでわずか百八十キロ。ぎゃくに広州からは八百キロもある。

 船で下り、嶺南の原野を駆けて、もう十日あまりになる。眼前に、天と地がつながったかと思えるほどの大平原が広がっている。

 天空は紺碧に染みとおり、平原は緑で覆われている。ゆく風が頬にここちよい。この季節、中国の北方に位置する中原ちゅうげんの多くはまだ雪を残している。人びとは厚い衣を身にまとい、背中を丸めてゆきかっていることだろう。

「なんという違いだ」

 この地は一年中、緑の絶えることがない。河川が領域を縦横に穿うがち、清らかな水が潤沢に流れている。しかし、その大地に人影はまばらである。緑の処女地といっていい。

 進むにつれ、拳骨を突き上げたかっこうの奇妙な岩石の山が点在し、異土への興味をかきたてる。大地の色がしだいに赤みを増してくる。臨尖が近い。若者はもういちど身震いした。妄想が消し飛んだ。


 嶺南を征服した秦が、南海・桂林・象郡の三郡を設置したのは十年まえである。

 その秦もすでにない。始皇帝崩御のあとをうけ、中原で群雄が覇を競い、結果、漢を建てた劉邦が玉座を仕留めた。希代の英雄項羽ですら、天を恨んで散華した。

 嶺南をべる南海尉は屠雎としょ任囂じんごうを経て、いまは趙佗が引継いでいる。

 中原は戦後の復興に忙しく、南方にかまう余裕がない。趙佗はひそかに、嶺南割拠の機をうかがっていた。

 嶺南征服戦争の開戦時、趙佗は秦の始皇帝の近侍をつとめていた。常に皇帝の身辺近くに侍り、警護する役目である。かつて巡幸の途次、張良の鉄槌投擲事件があり、咸陽微行中、刺客団に襲われたりもした。始皇帝の身代わりとして、いつでも命を投げ出す覚悟がなければつとまらない職務であった。

 嶺南開戦から四年目、前線の指揮官南海尉の屠雎が戦死し、後任に次席の任囂が推された。任囂は副官に趙佗の起用を打診した。任囂は趙佗が兄とも慕う、同郷の先達である。

 おりしも四回目の全国巡幸の帰途にあった。急使をうけ馬車を停めた始皇帝は、その場で任囂の起用を決断し、趙佗にたいし戦場への直行を命じたのである。

「増援の軍勢二万は、嶺北の軍営に駐屯する予備軍をもって充てる。それを直属軍としてひきつれ、ぞんぶんに働くがよい」

 そこまでいうと、始皇帝は馬車の小窓をあけ、趙佗を眼前において、つけくわえた。

「嶺南平定のあかつきには、ちんがため南海のはるか先まで遠洋航路を拓くのだ。ゆめ、誓いを忘れまいぞ」

 趙佗は始皇帝の玉詔をおしいただき、脳裏に、あらためて「琅邪ろうやちかい」を刻みこんだ。

「はっ、永久とこしえの代まで、未来永劫、お誓い申しあげます」

 拝礼し、巡幸の隊列を離れた趙佗は、嶺南に向かって悍馬にひと鞭くれた。

 戦死した南海尉屠雎は、良くも悪くも「暴秦」の象徴であった。横暴な秦、激しく荒々しい秦を代表していた。屠雎は中原でおこなった施策を嶺南の占領地に導入しようとした。しかし性急に過ぎた。説明もそこそこに新法を強制したから反発が起きた。かれはいまの広西地域で西甌族の族長 譯朱宋えきしゅそうを呼びだし、説得を試みたが拒否され、だまし討ちにした。これが西甌族人の怒りに火をつけ、収拾がつかない混乱を巻きおこした。乱戦のさなか、屠雎もまた陣中で討ち死にしたのである。


 任囂・趙佗正副将軍ひきいる新たな秦軍は楼船に分乗し、ふたたび嶺南に攻め入った。かれらは説得工作を優先し、和戦両様の構えで、地域によって臨機に対応した。玉砕を覚悟していた西甌族は困惑した。

 族人にたいし、まず停戦を呼びかけた。応ずるものには、希望する開墾地へ集団で移住させ、衣服・食糧・住まいなどを提供した。一族挙げて投降するものには所領をかえし、従来の組織が温存できるようはからった。

 はるかな奥地に山砦を築き、敵対を意思表示するもの、あくまでゲリラ戦による徹底抗戦をつらぬき、和平交渉に応じようとしないものだけが掃討作戦の対象であった。

 過去三年余にわたる膠着状態から解き放たれた新たな秦軍は、かつての秦軍とは面目を異にした。開戦時に開削した運河・霊渠れいきょを通じて大量の糧食と軍用物資を、嶺南に運び入れた。同時に多数の民間人を移民として送り込んだのである。

 秦軍はまず後方をかためた。ついで着々と陣営を進め、各地に城砦を築いた。送り込まれた民間人がそれぞれの経験や技術を駆使して、戦場下での街づくりに挺進した。あたかも殖民地開拓団の様相である。

 任囂・趙佗の再侵攻軍は、またたくまに嶺南地域を制圧した。まず広東を完全に占拠し、南越族を支配下においた。ついで、いまの広西などの西甌地域で、西甌族の反抗を一挙に鎮圧した。その後、さらに南下し、駱越族をいまのベトナム方面へ駆逐した。

えつ(広東・広西)一帯をほぼ攻略した秦軍は、戦争の終結を宣言した。中原同様、嶺南にも郡県制を導入し、南海・桂林・象郡の三郡を設置した。嶺南は史上はじめて、中国の統治下におかれたのである。

 ときに紀元前二一四年。日本は縄文から弥生に移行する過渡期にあたる。大陸文化の影響が徐々に社会生活に反映され、稲作の発生が確認されている。

 嶺南統治のかなめは、三郡の郡治である。南海郡に番禺、桂林郡に布山(いまの広西貴港)、象郡に臨尖、それぞれに郡の役所を設けた。

 趙佗は南海郡に属する竜川りゅうせん県令を拝命した。竜川県は広州の東北百八十キロ、いまの河源かげん市を中心とする一帯である。戦国の荒武者が一転、郡尉任囂のもとで政務を学び、県内の経済開発にとりくんだ。

 一方、任囂は南海郡尉の名のもとに、嶺南三郡を統べ、将来の独立割拠に備えていた。

 しかし秦末、中原の群雄争覇をよそに、ひとり病に没した。後事を託されたのが竜川県令趙佗である。

 趙佗は南海郡を掌握し、任囂の遺訓に沿い、嶺南の中原に通じる街道や関所を封鎖し、外からの侵犯を遮断した。内にあっては秦朝派遣の悪徳官吏を一掃し、後任に自己の腹心をあてた。統治基盤をかためたうえで桂林・象郡を併合し、秦朝瓦解後の嶺南を統括した。

 しかし象郡の南方に駱越族の甌駱国が勢力を張り、趙佗への服属を拒んでいた。

 独立割拠を企図する趙佗のまえに、安陽王が立ちはだかり、南越建国に待ったをかけていたのである。


 趙始は秦の首都 咸陽かんようで生まれ育った。

 任囂病死のあとをうけて、竜川県令趙佗が南海尉となった年、趙始は父のもとへ引き取られた。十二歳になっていた。秦の二世皇帝 胡亥こがいの二年目にあたり、翌年、胡亥は自殺に追い込まれる。秦の命運は旦夕に迫っていた。

 母もともにと願ったが、母の離京は許されず、都に留めおかれた。やむなく母とわかれ、趙始は一族の郎党にともなわれ、はじめて番禺にきた。父との再会は七年ぶりだったが、ほとんど初対面といってよかった。

 父は逞しかった。顔も腕も日に焼けて赤銅色に輝いていた。ひっきりなしに人が出入りし、また自身も忙しくたちふるまっていた。

 再会の日、父は母のことを訊ねた。托された衣服と手紙を父に手渡した。父は手紙を読み終えると衣服に手を合わせ、

「すまぬ」

 とひとこと漏らした。それ以来、母のことは口にしていない。趙始にたいしては、

「都を忘れ、嶺南の男として、強く生きろ」

 とだけいった。

 首都咸陽では、年少ながら学問と武術の修行を欠かさなかった。都では同学のものに引けをとらない水準だと自負していた。しかしこの番禺にきて、学問はともかく、武術ではからきし歯が立たなかった。

「実戦と稽古の違いだ」

 都からつれてきてくれた郎党が、笑いをこらえて指摘した。名は趙成という。趙氏一族につらなる武人である。趙始の武術の師を担った。剣も矛も弓も、かれにはかなわなかった。馬くらべでも後れをとった。

「焦ることはない。背丈が伸びるにつれ、腕も強くなる」

 そのことばどおり、一、二年でぐんぐん身長が伸び、かれを越した。同時に武術の腕も互角に近づいた。

「海を見たことがあるか」

 番禺に着いてまもなく問われたが、まだ知らなかった。見たことがないと答えると、

「いずれ見せてやろう」

 といい、数日後、船をしたてて海に出た。十人くらいの少年少女が一緒に乗り込み、珠江を下って、南海に出た。

 はじめて目にする海は、おどろくほど大きく、果てしなかった。波がしぶき、波頭が光った。息詰まるほどの感動に圧倒された。

 趙成が合図すると、少年たちは着物を脱ぎ、海に飛び込んだ。もりを持つもの、籠を腰に下げるもの、さまざまだった。かれらは潜ったきりしばらく出てこなかった。

 趙始は趙成を見やったが、かれはそしらぬ態で、帆をあやつっていた。ほどなく海面に浮かび上がった少年らが手にしたものを見て、趙始は仰天した。銛に突き刺した魚、籠いっぱいの昆布や貝、こどもながら、かれらはいっぱしの海人かいじんだった。

 翌年には趙始もかれらと一緒に海に潜り、りょうをした。翌々年には帆をあやつり、船を動かすことができるようになっていた。趙始もいっぱしの嶺南の男に成長していった。


 南越割拠をまえに、趙佗は象郡を奪取した。しかし象郡の南方には、なお甌駱国があり、完全な制覇にはいたっていない。安陽王の服属は絶対に必要だった。しかし安陽王はしたがわず、やむなく趙佗は全軍を結集し、嶺南統一の最終戦に打って出たのである。

 趙佗の遠征軍は、趙始の一軍をふくむ嶺南各地の軍団が臨尖に集結するのをまって、さらに南下し、古螺城を包囲した。

 安陽王の側近に皋通こうつうという神人がいた。神人とはたぐいまれな神通力をもつ人の意である。

 皋通は神弩しんどの製作に通暁し、安陽王の補佐役をつとめていた。

 神弩は一発で百人を射殺するという、驚異的な殺人兵器である。百本の矢あるいは百個の石塊をいちどに放つことができる。兵百人に匹敵する強力な大型弓弩装置と思えばよい。

 趙佗はなんどか攻撃を仕掛けたが、前線を突破できなかった。そこでひとまず兵をひき、戦略を練りなおした。神弩が進撃をさえぎり、戦闘は両軍一進一退の膠着状態にある。趙佗は趙始を和議談判の全権大使として古螺城へ派遣し、戦局の好転をはかろうとした。

「趙始よ、心してゆけ。敵に神弩があるかぎり、わが方に勝ちは望めぬ。和議談判に名を借り、敵方の油断をみすまして、かの神弩を掠奪せよ。掠奪がかなわぬときは破壊せよ」

 偽りの和議大使である。まだ若い趙始は内心 忸怩じくじたるものがあったが、父王の密命にしたがった。同行の武士らは決死の覚悟を面上にめぐらせ、力強く気勢を上げた。

 安陽王は勝利に驕っていた。無敵を誇る趙佗の遠征軍を足止めにしただけでも勝ち戦といえる。上機嫌で和議の使節をうけいれた。

 安陽王は皋通が神人であることを理解しようとしなかった。ずば抜けた高級技術者であることを認めようとせず、正当に評価しなかった。神人相当の厚遇を怠ったのである。

 皋通は失望し、安陽王のもとを去った。去り際に捨て台詞を残した。

「わが神弩をよく保持しうれば興り、さもなければ亡ぶ」

 精一杯の抗議であったが、あいにく安陽王の耳にはとどかなかった。王は祝宴のはしごで多忙をきわめていたのである。

 安陽王に媚珠びしゅという公主がいた。三女である。駱越各族長の戦勝祝賀の対応に忙しい安陽王にかわって、媚珠が趙始の訪問をうけた。

 媚珠は趙始をひと目見て、その風姿のみやびやかさに思わず息をのんだ。優雅な中原の貴公子にはじめて出会ったのである。

 開拓地の荒削りながさつさとは対象的に、趙始は端正で、磨きぬかれた耀きにつつまれていた。予期せぬことに触れ、茫然とした媚珠は思わず立ちくらみ、よろけそうになった。

「あ、あの」

 生まれてこの方感じたことのない恥じらいに、媚珠は戸惑った。

「いかが召された。ご免」

 床に崩れようとする寸前、趙始が駆けより抱きかかえた。からだ中が火照かえり、媚珠は己が身をもてあました。

「媚珠」とは婉媚なる宝珠、つまりしとやかで美しい宝をいう。女性にたいする最高の形容である。安陽王がかくあれかしと期待を込めて命名した掌中の玉である。期待にたがわず媚珠は美しく成長した。しかし本人にその意識はまったくない。無垢のまま、飾ることを知らず、女の自覚を封じたまま、こんにちにいたったのである。

 巧みに武器を駆使し、荒馬を乗りこなし、海に出れば放胆に帆をあやつる。男勝りの自然児として奔放に育った。女の姿こそ借りてはいたが、荒くれ男を叱咤し、ときに励ます、怖いもの知らずの公主であった。

 そんな媚珠が、その日から変身した。侍女の東玉とうぎょくは心得ていた。東玉の母は乳母として媚珠が出生以来、仕えてきた。乳母の役割を終えたころ、母は東玉と交代した。東玉は公主と同い年である。ふたりはあたかも双子の姉妹のように育ってきた。あどけなさを残したまま、乙女になりかけた、そんな年ごろである。

 戦乱の世、野獣が横行する未開の原野が領土を蔽っていた。環境もあったろうが、男どもに伍して戦場をかけまわる公主を、怪しむものはいなかった。男も女もない。強いものだけが自己主張を許される時代である。弱いものは隷属する以外に生きるすべがなかった。

 媚珠の変身に周囲のものは戸惑ったが、東玉だけは媚珠の変身の理由を理解していた。

 一方、密命を帯びた趙始である。和議の大使とはいえ、態のいい人質に違いない。ひとまず休戦に持ち込んだが、戦闘が再開されれば、真っ先に生贄となる。警護の目を盗み、城内で神弩の秘密を必死に探った。おのずと媚珠に近づき、神弩のありかを尋ねた。

 媚珠は趙始の意図を察していた。趙始を知って、媚珠ははじめて女の意識をもった。恋に目覚めたのである。否やはない。父王を裏切ってまでも、趙始についてゆく覚悟を決めていた。媚珠は東玉に命じ、手引きさせた。

 神弩は城外で使う。そのため城門の脇に格納されていた。人の背の三倍以上はある大きな設備である。木製の車がついている。前後左右に方向がかえられる。動力は備わっていない。移動するには人力が必要である。数名の供まわりのものだけでは容易に起動できなかった。時が迫っていた。掠奪がかなわなければ、破壊する以外にない。趙始は決心した。

 折からの豪雨にまぎれて、神弩をのこぎりで引き切った。本来、鋸は木材を引き切る工具であるが、刑具としても使用された。「刖罪げつざい」、足切りの刑に用いたのである。巨大な弩弓は脚を切られ、奇声を発して前のめりに崩れ落ちた。

 趙始は媚珠をともない、古螺城を脱出した。馬駈けは、日ごろ修練怠りないふたりである。追っ手をはるかに引き離し、味方の陣営に立ち返った。供のものも、続けて脱出した。

 趙始は息せききって、ただちに復命した。

「でかしたー」

 趙佗は、息子の功を称えようとしたが、とっさにことばを呑みこんだ。かたわらで思いつめた目を虚空に漂わす媚珠を、一瞥したからである。

 かわりに、媚珠にいたわりの声をかけた。

「疲れたであろう。ゆるりと休むがよい。お父上のことは、わしに任せてくれ。悪いようにはせぬ」

 安陽王を気遣う公主むすめの心情を思いやったのである。

 趙佗はふたたび兵を起こし、進撃した。安陽王は悠然と構え、敵軍の到来を待った。神弩の威力を過信していたのである。

 しかし神弩はすでに両断され、神妙の技は封じられていた。神弩を失った甌駱軍は張子の虎も同然である。趙佗軍の猛攻撃にさらされ、たちまち壊滅した。

 壊滅のまえ、神弩が破壊されたことを知って、安陽王は烈火のごとく怒った。媚珠はすでに陣営を抜け出ていた。侍女東玉が引き出された。東玉はすこしも悪びれず処断にしたがった。安陽王は東玉を公主媚珠の身代わりに斬殺した。そのため史書には、媚珠が処刑されたこととして記されている。

 処刑は紅河のほとりで執行された。斬首刀が一閃し、東玉は地に伏した。おびただしい血潮が紅河の水面を真紅に染めた。カラス貝がこの水をふくみ、やがて胎内に真珠を宿した。真珠貝に生まれかわったのである。

 いくさのさなかである。放置された東玉の遺体は、心ある人の手によってひそかに古螺城に運ばれ、城内の井戸に葬られた。井戸の主はいつしか媚珠と誤り伝えられた。のちに紅河で真珠を得た人が、この井戸水でその真珠を洗うと、耀き透きとおるばかりに鮮やかな色つやをみせたという。その後、この井戸は「明珠井めいじゅせい」と呼ばれることになる。

 安陽王はことの次第を東玉から打ち明けられていた。「掌中の玉」がみずから選んだ道である。安陽王は次代の若者たちの選択を諒とした。あえて侍女を身代わりとしたのである。

 趙佗から投降を呼びかける密書がとどいていた。趙佗に服属しさえすれば、王位も所領も安堵するとの好意的条件である。

 しかし安陽王はこれをうけなかった。

公主むすめをよしなに」

 といいおき、彩色して美麗に飾ったさいにうち跨って海に入ったのである。戦国武将の最期の心意気であろうか。

「ために海水は分かれて道を開き、三尺の通路となった」

 と伝えられている。

 伝説の世界に旅立ったのである。

 

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