ブーケを君に

好実ココ

第1話

俺が友人であるユウの妹・ユリちゃんに初めて会ったのは彼女が小学校に入学した年。


ユウとユリちゃんは10歳年が離れている。

年が離れているせいで、ユウは妹にどう接していいのかわからないらしい。

それに、ユウは学生ながらに演奏家でもある。

ユリちゃんと接する時間があまりないそうだ。


だが、傍から見ている俺から言わせてもらうと『無自覚妹馬鹿』だと思う。

事あるごとに『ユリが~』と言ってくる。

うん、口を開けば『ユリが~』である。

ほんの些細な出来事でもユリちゃんのことに関する出来事で一喜一憂している。


ユリちゃんの方はユウを『兄』として尊敬しているらしいが、ユウほどの親愛(?)はないみたいだ。

まあ、それはユウのユリちゃんへの接し方のせいかもしれないけどね。

ユウはピアノを通してしかユリちゃんと接することが出来ないらしい。

なぜ、普通に『勉強見てあげるよ』とか『ご飯を一緒に食べよ』と言えないのだろうか。

一度、ユウに聞いたことがあるが

「ピアノの事ならいくらでも語れるけど……ごくごく普通の小学生の女の子が好む話題がわからない」

という事らしい。

これにはさすがに俺も呆れた。

そんなの普通に会話していれば気づくだろうに。

学校での出来事とかいくらでも話題はあると思うんだけどね。

ユリちゃんが可愛らしく学校での出来事を報告してくる話の中にいくらでもヒントはあるのに……

俺ですらわかったぞ。と思ったが黙っていた。

ユリちゃん相手にアタフタしているユウを見ている分には楽しかったから。



ユウとユリちゃんの関係がギクシャクした時期があった。

あれはたしか、ユリちゃんが小学校5年から6年に進級する時期だったと思う。

その頃の俺はユリちゃんとは顔を合わせる機会は少なかった。

ユウが自慢げに見せてくれる写真だけが俺の知るユリちゃんだった。


「ユリが突然ピアノをやめると言い出したんだ」

ポツリポツリと話すユウ。

「俺はユリも俺と同じ演奏家の道を進むと思っていたんだ」

俺も何度かユリちゃんがピアノを弾いている所を見ている。

確かにユウには多少劣るものの、同年代の子に比べれた突起出た才能を持っていると思う。

だけど、ユリちゃんは演奏家になるつもりはないことを俺は知っている。

「理由をなかなか言わないから怒鳴ってしまったんだ。そしたら『お兄ちゃんに私の気持ちなんて一生わかんないわよ!』って逆に泣きながら怒鳴られた」

机に頭を乗せウジウジしているユウ。

俺は小さくため息をつく。

「お前、知らなかったのか?」

「え?」

「ユリちゃんね、小学校2年生の頃からずっとお前と比較されていたの」

「は!?」

「『お兄さんは素晴らしい演奏家なのに……』って会う人会う人全員が同じこと言うわけ。コンクールで何度も入賞しているお前と比較してね。誰一人としてユリちゃんの音を聞いていなかった」

「…………」

「ユリちゃん、人前では『兄のピアノは素晴らしいですから』って笑っていたけど、一人になると泣いていたよ。『お兄ちゃんはお兄ちゃん、私は私なのに』って」

そのたびに慰めていたのが俺なんだけど……

ユリちゃんは俺にとって可愛い『妹分』

泣いている姿は見ていたくないほど俺も可愛がっていた。

ユリちゃんには笑顔が似合うと思っている。

「もし、お前が言われたらどう思う?」

「へ?」

「『ご両親は素晴らしい演奏家なのにあなたの演奏は……』ってピアノを弾くたびに難癖付けられたら」

「そんなの親は親、俺は俺だって……」

「ユリちゃんはずっと言われ続けていたんだよ。お前のファンに」

目に見えて凹むユウだが、事実だ。

多分、ユリちゃんにとってピアノを弾くという事が苦痛になり始めたのだろう。

弾けば弾くほど優秀な兄と比較されるから。


ユウとユリちゃんのぎくしゃくとした関係は一年近く続いた。

ただ単にユウがヘタレすぎて、謝れなかったというだけだと思うが……




俺がユリちゃんと直に会うのは数年後。

転任先の学校でだった。

たまたま母校の教員枠に空きができると先輩から連絡があったので申請したら通り、母校の教師となった。

そこで会ったユリちゃんは俺の知っているユリちゃんではなかった。


時間の流れを思い知った。

小さかった女の子は、華が咲いたように美しく成長していた。


『妹』として、一人の生徒として見ていたはずだった。


でも、それが不可能なほどにいつの間にか俺はユリちゃんに嵌っていた。



キッカケはユリちゃんと友人たちの些細な会話。

放課後に音楽室のピアノで遊んでいたらしい彼女達。

ユリちゃんのピアノを聞いてユウのファンである子が『兄とは大違い』というセリフを言っていた。

それはユリちゃんとユウにとっては禁句に近い言葉だ。

ユウがファンとの交流会の時に『自分と妹の演奏を比べる者にはファンを名乗ってほしくない』と毒づいた時は一時期ネット上で荒れ、熱狂的なファンはSNSやブログで『なんで本当のことを言っているのに!』と騒いでいたようだが、ユウが妹を大切にしていることを知っていた(一部でシスコンであることがばれていたらしい)ファンがユウの考えを支持したことで、ファンの間では『ユウとユリの演奏を比べてはならない』と暗黙のルールが出来上がっていた。


「兄は兄。私は私。私は兄のコピーロボットじゃないんだけどな」

笑いながらユリちゃんはピアノの鍵盤を撫でていた。

その瞳はひどく傷ついていたように見えた。

「でも、同じ環境で育ったなら……」

なおも言い続けるユウのファンの子を他の子たちが止めようとするがその子は聞く耳を持っていないらしい。

「お兄さんほどじゃなくてももうちょっとマシに弾けるんじゃない?」

どこか上から目線の彼女に俺はこの時、イラついた。


「お兄さんはお兄さん、君は君なのにね。家族に偉大な演奏家がいるというのはお互いにつらいね」

俺の登場にユリちゃんを貶していた子は顔を真っ赤にさせて慌てる。

「シン……白鐘先生?」

「俺にも経験あるな。俺の場合はイトコが天才と持て囃されたバイオリニストだったからよく比較されたよ。『同じ教室、同じ先生に習っているのに全然違うんだね』って」

俺の家族も音楽一家。

父は元指揮者、母はピアニスト兼作曲家。

叔父と叔母はチェリスト、イトコはバイオリニスト。

俺とイトコは同じ年でバイオリンだけではなく学校の成績なども常に比べられていた。

俺は早々にイトコの才能に気づいてバイオリニストの道は諦め、音楽を教える道に進んだ。


「ねえ、君は同じ環境で育てばみんな同じように育つと思っているの?じゃあ、君たちは同じ学校で同じ教師に勉強を教わっているのに、成績がバラバラなのはなんでかな?」

意地の悪いことを言っている自覚はあるし、教師らしからぬ言葉でもあることも分かっている。

だけど、言葉が口から飛び出していく。

俺の問いに誰も答えが出せず、視線を反らされる。

その中でユリちゃんだけがじっと俺の方を見ていた。

「さあ、今日はもう帰りなさい。下校時間はとっくに過ぎたぞ」

パンと手と一度だけ叩いて音楽室から追い出す。

その時にユリちゃんだけを呼び止めた。

ユリちゃんのクラスメートたちはそれに気づかず音楽室から出ていった。


「よく、我慢したね」

俺とユリちゃんだけになった音楽室。

俯いていたユリちゃんの頭を軽くなでると驚いたように顔を上げた。

その表情は今にも泣きだしそうだった。

「もう、何を言われても傷つかないって思っていたんだけどな」

ぽつりとつぶやかれた言葉に胸が苦しくなった。

「やっぱり悔しいって思っちゃう自分が嫌になる」

無理やり笑顔を浮かべるユリちゃん。

「悔しいなら見返してやろう?」

「え?」

「毎週火曜日と木曜日の放課後なら俺も時間あるからピアノを見てあげられるよ」

「え?え?」

「悔しいんだろ?」

ポンポンと昔のように頭を軽く叩くと小さく頷くユリちゃん。

「じゃあ決まり」

「ありがとうございます。白鐘先生」


『白鐘先生』か。

確かに今は『先生』だが妙な違和感を感じる。

昔のように『シン兄さん』とは呼んでくれないんだなと感傷的になってしまう。


ユリちゃんとの秘密のレッスンは彼女が高3の夏休みまで続いた。

最後のレッスンの時、俺は彼女に告白された。

『好きです』と。

俺はその告白に驚きつつも嬉しいと思っている自分がいた。

いつの間にか俺は彼女に囚われていた。

彼女の言動に、行動に目が離せなくなっていた。

だが、俺は『教師』で彼女は『生徒』だ。

小説や漫画の世界じゃない。

『教師と生徒の恋愛』は危険が多すぎる。

嬉しいと思いつつ、俺は彼女の告白を断った。

今はまだ『教師』と『生徒』だから。

曖昧な、中途半端な理由を付けて、彼女に少しの未練を残すような言い方をして……


数か月後の卒業式の後、改めて俺の方から告白しようと思ったから。



告白を断った数日後、俺はユウに呼び出された。

出会い頭に殴られた時は反射的に殴り返そうとしたがユウの表情を見たら握った拳を下ろしていた。


その時、聞かされた話は衝撃以外の何物でもなかった。

「…………その事、ユリちゃんは?」

「知っている」

悔しそうに手を握り締めているユウ。

「でも、普通に暮らしているじゃないか」

「日常生活には支障はないらしい。学校の体育の授業程度なら問題もないから。ただ、いつ何が起こるか予測が付かないから本当なら周知したいけど……」

ユウから語られたのは俄かに信じがたい話だ。


ユリちゃんが20歳まで生きられる確率1%だなんて。


「……20歳の誕生日を無事に迎えれさえすれば……」

俯き、絞り出すような声を出すユウ。

目の前に置いてあるアイスティーの氷が音を立てる。

「お前がユリちゃんの病気のことを知ったのはいつ?」

「5年…いや6年くらい前かな?両親の海外転勤が決まった時に頑なにユリを絶対に連れて行くというから問い質したら話してくれた」

どれくらいの沈黙が流れただろうか。

ふいにユウが口を開いた。

「シンには感謝している」

「え?」

「お前のレッスンを受けた日はユリはすっごく嬉しそうだったからな。あんな嬉しそうなユリを見たのはいつ以来だろうか……」

その一言が嬉しくもあり、辛い。


「あと2年と少し」

その期間が何を指しているのかわからなわけではない。

「その2年と少し。あいつに告白するのを待ってくれないか」

「え!?」

「ユリが卒業したらお前から改めて告白するつもりだったんだろ?」

「……!?」

「気づかないとでも思ったのか?モロバレだったぞ…………といっても気づいているのは俺だけだけどな」

くすくす笑うユウ。

ユウの言葉の意味が分からない。

普通は逆じゃないだろうかと思うんだが……

って、俺って最低だ。

自分の命が残り少ないとわかった人から告白されてユリちゃんが素直に喜ぶわけがないのに。

俺が何も知らなければ違ったかもしれない。

だけど俺は知ってしまった。

ユリちゃんのことを好きな事には変わりはないし、大切にしたいと思っている。

それでも『あとどれくらい一緒にいられるのだろうか』と怯える日々を過ごすことになることを考えると……きっと態度に出てしまう。

それによってユリちゃんが傷付くのが容易に想像できてしまう。


「ユリは負けず嫌いだって知っているだろ?」

クスリと笑うユウ。

「お前に振られたことをバネに『絶対にいい女になって後悔させてやるんだから。負けてたまるか!』って息巻いている頃だと思うよ」

ユリちゃんが?

確かに負けず嫌いではあると思うけど……

物静かで、大人しいイメージが強い。。

「ああ、お前に見せているユリはごく一部だよ。お前だってユリの前だとカッコイイ年上の男を演じているけど、素はユリの前でポーカーフェイスを保つのがいっぱいいっぱいの純情青年だもんな」

からかうようなユウに反論したくてもできないのが事実。

といってもユリちゃん相手限定なんだけど。

「なんで、ユリの前でだけそんな態度なんだろうって考えたら、すんなり納得できたよ。ああ、こいつはユリのことが好きだから情けない姿を見せたくないんだなって」

呆れたようなでもどこか嬉しそうな顔をするユウ。

「今まで付き合ってきた女の時はそんなことなかったのにな」

「今までは同年代だったからな」

過去に付き合ったことのある元カノのことを思い出すとユリちゃんと正反対な肉食系だったなと思う。

中には結婚まで考えたことがある人もいたが、なぜかその先に踏み出せなかった。


***


あっという間に卒業式の日を迎えた。

あの告白がまるでなかったような日々。


式は淡々と進み、あっという間に終わっていた。

3年の担当をしていた先生方は中庭で別れを惜しんでいる生徒たちに囲まれて涙ぐんでいる。

俺のところにも少なくはない卒業生が挨拶に来ては離れていった。

ふと、校舎の入口を見るとユリちゃんが一人で校舎に入って行くのが見えた。

挨拶の列が途切れたところで俺も校舎に向かう。


不思議と足は音楽室に向かっていた。

音楽室のある4階にたどり着くとピアノの音が聞こえて来た。

この学校に伝わる伝説の曲。

誰が弾いているのかすぐに分かった。


俺はそっと音楽室の扉を開き中に入る。

ピアノに向かっていたのはやはりユリちゃんだった。

ユリちゃんは入ってきた俺には気づかずピアノを弾き続けている。

最後まで弾き終わるのを待って俺は拍手を送る。


あの夏の日よりも輝きを増していた音。

俺の心を惹きつける音色。


俺の存在に気づいて驚いている彼女の元に向かう。


ユリちゃんの背後に回り、抱き囲むように鍵盤に手を乗せ、音を響かせる。

「ねえ、ユリちゃん。急に進路先を留学にしたのはどうして?」

夏休みを終え、新学期が始まってしばらくたった頃、彼女の担任が慌てていた。

ユリちゃんが進路先を大学進学から留学に変えたという。

両親に確認を取ったり、ユウに連絡したりと慌ただしくしている担任を横目に俺は少なからずショックを受けていたんだと思う。

あの夏の日まで、俺はユリちゃんに進路の相談を受けていたからだ。

ユウの希望(我儘ともいう)を組んで近場の大学に進学するという事でほぼ確定していた。

すぐにユウに問い詰めたかったが、きっとはぐらかされていただろう。


留学を決めたのは俺が告白を断ったことが原因ではないという。

あの夏の日の告白も振られることを前提にした事だとも教えられた。

上から覗き込むように彼女の見ると、一瞬だけ視線が合わさったがすぐに逸らされた。

「逃げるのをやめようと思ったの」

ピアノを愛おしそうに撫でるユリちゃん。

『逃げるのをやめる』

それは病気の事なのだろうか。

それとも俺との関係か……


関係も何も『教師』と『生徒』というあいまいな関係しか残っていない……

それに『逃げるのをやめる』ということは正面から立ち向かうという事だろうから……

病気の事だろうと俺の中で結論付けた。



「私は私の道を進みます」

顔を上げ、鍵盤に指を置くユリちゃん。

「最後だからちゃんと聞いてくださいね」


ユリちゃんの指先から奏でられたのはこの学校に伝わる伝説の曲。

相思相愛ながら反発しあっていた男女が卒業式の日に素直になるきっかけになった曲。

いつしか過去の出来事は『久遠の絆』と呼ばれ、この曲がきっかけで卒業式の日に結ばれたカップルは幸せな未来が待っていると言われている。



俺もこの学校の卒業生だから伝説の内容は知っている。

この曲に込められた本当の意味

・・・・・

も。



そっとユリちゃんの背に自分の背を合わせるように腰掛ける。

ピアノに集中しているユリちゃんは気づいていない。

目を閉じると背中から伝わる温かさに彼女が『生きている』事を実感する。


ユリちゃんの奏でる音が一つ一つ俺の心に積もっていく。

彼女の想いがどんどん降り積もっていく。


最後の一音が空気に消えていく。


「それがユリちゃんの答え?」

俺の問いに答えはない。

「勝手に解釈しちゃうよ。一応俺もここの学校の卒業生なんだけど」

「……ご想像にお任せします」

彼女の答えに俺はいい方向に考えてしまう自分に苦笑する。

この曲を俺だけのために弾いたという意味……

伝説の裏に隠された曲に込めた意味『求愛』と受け取ってしまう自分に。



ピアノの蓋が閉じられると共にユリちゃんから離れる。

背中に感じていた温かさが消えていく。


「白鐘先生、いろいろとありがとうございました」


深々と頭を下げるユリちゃんに俺は声が出なかった。


「お元気で」


俺が声を掛けることもないまま、ユリちゃんは笑顔を浮かべて音楽室を出ていった。


一人残った音楽室。


先程まで感じていたぬくもり全てが消えていく。


ピアノの蓋をあけ、先ほどまで彼女が奏でていた曲をなぞる。


何を思って彼女はこの曲を俺一人の為

・・・・

に弾ていたのだろうか。





***


その日の夜、ユウから電話があった。

ユウの後ろからはガヤガヤと人が行きあう声やなんかのアナウンスが聞こえてくる。

『シン、ユリは今日出国する』

「え?」

『今ならまだ間に合うかもしれないがどうする?』

ユウの声は「早く来い」と言っている。

時計を見て家を飛び出した。


スマフォのアプリを使い最短時間で空港までたどり着けるルートを辿る。


早く!

速く!

ハヤク!


ほんの数秒が長く感じる。


俺が空港にたどり着いた時、ユウは出国ゲート近くで手を振っていた。

「必ず、必ず会いに行くからな」

ユウの視線の先にはユリちゃんが笑顔を浮かべて手を振り返していた。

彼女はそのまま、俺に気づくことなく出国ゲートの中に消えていった。


「ユウ」

肩を震わせているユウに声を掛けるとユウは今にも泣きそうな顔で振り返った。

「すまない。一つ前の便にキャンセルが出て……何とかギリギリまで粘ってみたけど……」

謝るユウに俺は横に頭を振る。

「仕方ないよ。ただ、コレを渡したかったなと」

小さな包みをユウに見せる。

「それは?」

「昔、誕生日にプレゼントとして渡したことがあるサシェ」

「サシェ?」

「香り袋と言った方がわかりやすいか?」

「ああ、ユリがいつも持っているあれか……あれ、お前からのプレゼントだったんだな」

俺はそれをユウに渡した。

「これをユリちゃんに渡すも渡さないもユウに任せる」

「は?」

「これに俺の想いを詰めてある」

サシェの香りに気づいたユウはクスリと笑う。

「お前、ほんとユリが絡むと思考が乙女だな」

「…………うるさい」

言われなくても分かっている。

渡したサシェがラベンダーの香り……つまり『いつまでも待っている』という意味を持っていることくらい。

散々、母から花言葉を教わったからな。


ユリちゃんが小さい頃……小学校4年生の頃までは毎年誕生日プレゼントを贈っていた。

1年生の時は当時彼女が大好きだと言っていたキャラクターの文房具セット。

2年生の時は本を読むのだが楽しいと言っていたから文庫サイズのブックカバー。

3年生の時は手作りの栞づくりに嵌っていたというので押し花にできる花。

最後に渡したのがラベンダーのサシェ。

母がポプリやサシェを作るのに嵌っていて俺も作らされていたモノだ。

特にラベンダーを中心に作っていたので我が家はいたるところでラベンダーの香りが漂っている。

その影響で、俺の服や持ち物にも香りが移り、それ以降ラベンダー以外の香りを身に纏うことがなかった。



ユリちゃんが『留学』した2年後。

ユウから『ちょっくらユリの誕生日祝ってくるわ!お前はどうする?』という軽いメールが届いた。

その文章の裏には俺以上の恐怖を抱えているようには見えない。

去年、ユリちゃんに病気のことを知っていると伝えたらご近所さんから苦情が来るほどの大喧嘩をしたらしい。

それでもユウから『ユリは元気だ!心配するな』とユリちゃんとのツーショット写真付きでメールが届いた時はほっとした。

また、ウジウジといじけるんじゃないかと思ったが、すぐに仲直りしたらしい。


俺は仕事があるから行くことはできない。

本当はすぐにでも駆けつけたい。

だからユウに頼んだ。


一枚のメッセージカードを無事に20歳の誕生日を迎えた彼女に渡してくれ…………と。


たったそれだけ。

ただし、俺からとは絶対に教えずに…………



***



彼女はそのまま留学を続けた。

日本に帰ってきたのは数年後。


ユウから帰国する日を無理やり聞き出し、空港まで出向いた。


俺を見つけた彼女は驚きつつも嬉しそうに俺に向かって駆けてきた。


「おかえり、ユリちゃん」


何年かぶりに見た彼女は魅力的な女性に成長していた。

小さなブーケを差し出すとブーケと俺を交互に見るユリちゃん。


「俺が君にあげたいのはラベンダーではなく、この花なんだ」


ユウから俺が託したカードはラベンダーの花束に添えて渡したからと報告を受けたのが、ユリちゃんの誕生日から一週間経ってから。

理由を聞いたら、メッセージカードからラベンダーの香りがしたからだとか。

「それに、ずっと待つつもりなんだろ」と言われて否定できなかった。


ユリちゃん以外の女性に心が振れない…………動かされなくなっていた。

同僚や上司に何度か女性を紹介されたが、友人以上の関係になることはなかった。


「今更だけど、それが今の俺の気持ち」

ブーケを受け取ったユリちゃんの目に涙が溢れていた。

そっとハンカチを当てると

「ずっと待っていてくれたの?」

上目遣いで俺を見つめる彼女に小さく頷く。


信じられないという表情を浮かべた彼女だが次の瞬間、俺の腕の中にいた。


小さく聞こえて来たのは「ありがとう」という言葉と俺の背に回された手。


ここが人目のある場所だとか忘れて俺は彼女を抱きしめていた。


様子を見に来たユウに引き離されるまで……


ユウからコンコンと説教を受けている俺の隣りには俺の想いを込めたブーケを抱え込んだ彼女が嬉しそうにほほ笑んでいる。


やっとスタートラインに立った俺と彼女。

この先、何があるのかは誰にもわからない。


だけど、彼女への想いだけは変わらないだろう。

彼女の腕の中にある赤のチューリップに囲まれたたった1本の紫のチューリップがなによりの証拠。


『永遠の愛』『不滅の愛』という花言葉をもつ花を彼女に捧げたのだから。

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