第5話
二人の男が部屋に入ってきた。
「よお、ホーマ」
眠そうな目で声をかけた男は長身を上から下まで黒づくめの服で統一し、やや長い金髪をしていた。麻薬中毒患者のような暗い目で、本人は麻薬なんてやらないと言っているがホーマは怪しんでいる。裏社会で生きる男、ギャリーだ。後ろに控えるもう一人は革鎧を来て、腰に剣を下げた坊主頭。長身のギャリーより頭一つ分高い大男だ。ギャリーの仲間であり用心棒であるらしいが、ホーマは名前を聞いたことがなかった。
「やあ、ギャリー。いつものだろ?」
ホーマはポケットから金の入った袋を取り出し、相手に渡す。ギャリーは中を見て、半分ほど硬貨を取り出す。みかじめ料の徴収だ。
「儲からないか?」
「いつも通りさ」
ホーマは笑った顔を作る。相手の職業も今やってる事も少しも好きではないが、この男は無意味に暴力を振るう馬鹿ではないし、子供達にある程度の安全を保証するために必要な相手だった。衛兵は頼まれてもこんなところには来ないからだ。
ホーマは現状をどう打開するか考える。ギャリーをこのまま返すべきか。あえて引き止めてナーベを牽制するか。しかし、無駄な抵抗をしているとナーベに思われて、本来なら殺すつもりはなかったのに、機嫌が悪くなって殺そうと決めるかもしれない。
(この二人がいたところであの人に勝てるはずないだろうしな……)
ナーベの言ったとおり、ギャリー達を早く退出させようと彼は決めた。強者を前にして弱者は財産を差し出すか、慈悲を願うしかない。
「大変だな。お前は期日前にきっちり金を払ってくれるから俺は助かるよ。たまに逃げたり、上がりを誤魔化したりする奴がいるからな」
袋を返し、ギャリーは笑って言った。
「俺だって利き腕がなくなるのはご免だよ」
ホーマは右手をひらひらと振る。彼のグループを騙した者は利き腕を切断される決まりだ。そしてホーマは右利きだが、左手でも字が書けるよう練習をしている。切られた時のためだ。ギャリーの言っていることは事実で、ホーマは子供達と一緒に得た儲けを誤魔化していた。彼もやりたくはなかったが、子供達や自分が病気になった時に備えるため仕方なかった。儲けを正直に言えばみかじめ料が上がり、神官への治療費が払えなくなる。
「頼むから誤魔化さないでくれよ。決まりとはいえ、俺だって腕を切るなんてしたくない。もしもの時はお前の腕も小さい連中の腕ももらうと仲間の一人は言ってるが、まあ、それはさせないつもりだ」
「よくわかってるよ」
ホーマは怯えを必死に隠した。彼の集団は効果的に相手を恐れさせる方法を知っているらしい。
「それじゃあ、次回も頼むな」
「ああ」
無駄に世間話をする気もないのだろう。ギャリーは帰ろうとする。ホーマは相手に帰ってほしいような欲しくないような複雑な気分だった。少なくともギャリーと話している間はナーベの「審判」を受けずに済むからだ。その時、ギャリーの目が部屋のあるもので留まった。なんだろうかと彼が見てみると机の上にある例の紙束だった。
「そこの紙、ずいぶん色が良いな」
「ん?」
こいつ目敏いにも程があるぞとホーマは思う。しかし、言われてみるとこの殺風景な部屋であの純白さは異常に目立つ。ナーベという突然の来訪者がいなければ、その程度の予想はでき、他のボロ紙の下に隠すなり、服の下にでも隠していたかもしれないが、そんなに気が回る状態ではなかった。ナーベが消えた時、彼はとくに考えもせず机の上に紙を置いた。その結果がこれだった。
「ああ……、高級店でチビたちが拾ってきたやつだ。紙を買う金なんてないのは知ってるだろ?」
「……ああ、そうだったな。文字を教えてるんだっけか」
ギャリーは無表情に言った。頼むからあれに興味を持たないでくれとホーマは祈る。
「どこかでたくさん紙を手に入れる方法って知らないか?チビどもがすぐ使い切るんだよ」
ホーマは話題を変えるためにその質問をした。しかし、それが仇となった。
「今、話題を変えようとしたな?」
ギャリーがホーマの目を見て言った。
「え?」
ホーマは演技力を総動員してとぼけるが、ギャリーは何かを感知したらしい。他人の弱みや秘密を探って生活しているような男だ。その嗅覚は極めて鋭いのだろう。一歩前に踏み出し、再びホーマの目を見る。
「ホーマ、あれはただの紙か?」
ホーマは大きく息を吐いた。ギャリーは完全にあの紙を怪しんでいる。ここから話題を変えるのは不可能だ。こいつは馬鹿でないと思っていたが、ここまでとは。どうして裏社会の仕事などやめて衛兵に転職しないのだろうと彼は思う。頭のよい犯罪者をどんどん捕まえてくれるだろうに。
「あれはチビたちが拾ってきた。これは本当だ。ただ、内容がまずいものなんだ」
思いつく嘘がないため、ホーマは正直に話す。自分がじわじわと崖に近づいている感覚がした。ギャリーはつかつかと歩き、その紙に手を伸ばす。その手が止まった。紙にホーマの手が置かれたからだ。
「ギャリー、これを見なかったことにした方がいい」
ホーマは始めてギャリーに敵対的ともいえる行動をとった。彼は真剣に目で訴えながら考える。おそらくギャリーは自分がまずい手紙か資料を手に入れてしまったと考えているのだろう。それは紛れもない事実だったが、ギャリーに見られると事態がますます悪くなることくらいは彼にもわかった。
「それほどのネタか?」
ギャリーは少し驚く。
「ああ」
ギャリーは馬鹿ではない。王国軍の幹部や役人のように、脅すには危険すぎる相手がいると知っている。ホーマは相手が察してくれることを願った。これは自分だけのためではなく、ギャリーの身の安全のためでもあるのだと。
「店の裏帳簿ってわけじゃなさそうだな。軍か、それとも役人の不正の証拠か?」
答えを知ったらこいつはどんな顔をするか。ホーマは苦笑したくなった。
「ギャリー、頼む」
「まあ、お前はいつも上がりを期日までに収めてるし、何度か頼みを聞いてもらったこともあったな……」
「そうだろう?」
引いてくれるか。ホーマは淡い期待を抱いた。
「腕と引き換えでどうだ?」
「腕?」
ホーマは思わず聞き返した。
「お前の腕一本と引き換えにその紙を読まない。その覚悟があるか?」
ギャリーはつれてきた用心棒に視線を送り、相手は腰から剣を抜いた。どちらもその目は冗談を言っていない。ギャリーとはいくらか冗談を言い合える仲になったと思っていたが、すべて勘違いだったとホーマは思い知る。
「お前の覚悟を確かめたいんだ。俺は覚悟のある奴には敬意を表する。切った後でやっぱりその紙を見せろなんてふざけたことは言わない」
ホーマは必死に考える。落書き帳といってもいい数枚の紙切れのために腕を犠牲にするなど馬鹿げている。それにギャリーが腕を切ったあとに約束を破って紙を見る可能性もあるではないか。だが、この紙を見せた場合、ギャリーも自分も命をとられるかもしれない。4人の子供達は誰が世話するのか。真っ白な紙を見るがそこに解答が書かれているはずもない。しばらく時間が流れ、彼は決断した。
「わかった。一応聞くが、どうせ利き腕だろ。上手く切ってくれよ」
ホーマは最悪よりマシな方を選んだ。ギャリーは馬鹿ではなく、自分を殺しはしないだろう。それに対してナーベは未知だ。どこまでするのか全く読めない。最良のケースは自分が腕を切られ、ギャリー達が帰り、ナーベに紙を渡して話が終わることだ。それ以外のケースでは自分は死ぬ可能性がある。絶対に腕を切られる道と死ぬかもしれない道。どちらもろくでもないが、選ぶ道は明らかだ。本当に運が悪いとホーマは思った。しかし、運が尽きたわけではなかったらしい。
「その話、待ってくれる?」
氷の声が部屋に響いた。
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