第6話

話は聞かせてもらったわ、とばかりに入り口にナーベが立っているが、最初からいたことをホーマは知っている。振り返ったギャリーと用心棒の顔は見えないが、その表情は簡単に想像できる。

「それは私のものなの。返してもらえる?」

「あんたは……」

ギャリーの声には驚きと困惑があった。

「返してもらえる?」

ナーベの顔には何の感情も窺えない。怒っているわけでも焦っているわけでもなさそうだ。ホーマにはそれが逆に不気味だった。

「いや、落し物は落とし主に返すのが決まりだ。これはあなたのものなんだね?じゃあ、返すよ。いいだろう、ギャリー?」

ホーマはむこうに加勢することに決めた。正直、したくはないが、抵抗するより協力して機嫌をとるほうがいい。やはり弱者は強者に慈悲を願うしかないのだ。

「ああ、そうだが……」

ギャリーは一瞬何かを考えたらしい。

「これは捨ててあったものと言ってただろう、ホーマ?都市法ではゴミを拾っても持ち主に返す義務はないはずだが?」

やめてくれとホーマは言いたくなった。おそらくギャリーはそれが魔術師ナーベの何らかのまずい手紙だと推測したのだろう。ある意味、それは当たっている。もちろんギャリーも相手を本気で怒らせる気はないはずだ。一人で軍に匹敵する存在と戦って勝てるはずがない。だからここは相手がどこまで怒るかを計りつつ、法律を盾にとって情報の確保に動いているのだろう。彼から見ればギャリーが法律を盾にとるなどふざけた行為ではあるが。

「……そう」

部屋に霜が下りそうな声にホーマは鳥肌が立つ。

「ギャリー、これは俺が拾ったものだ。俺がどうしようと問題はないだろう?」

「いや、その理屈は通らないぞ」

ギャリーは反論した。

「お前の子供達がゴミを回収できるのは俺達が保護しているからだ。そこを否定するならこれから先俺達は一切協力しないってことでいいのか?」

板ばさみだとホーマは思った。彼は二匹の獣の口に引っ張られる状態になった。戦力的にはナーベに加勢したいが、ここでギャリーに恨まれると自分も子供達もロクな未来が待っていない。彼は救いを求めるようにナーベを見た。彼女は一瞬視線を外す。また、誰かと話をしているな、と彼は思う。

「じゃあ、買い取るわ。いくら払えばいいの?」

これはホーマにとって意外な発言だった。最悪、この場の全員を殺して紙を奪い返すんじゃないかと恐れていたが、むこうも穏便に解決する気はあるらしい。同時に、これはギャリーの望んだ展開だろうとも思う。結局のところ、彼らは金しか求めていない。紙の内容を見なくても金になるならそれで良いのだ。

「そうだな」

ギャリーは顎に手をやった。おそらく頭の中では相手の経済状態を考え、猛烈な勢いで計算が行われているだろう。いくら吹っかける気か。ホーマは固唾を呑む。

「金貨百枚」

ホーマは死を覚悟した。

「冗談だ。金貨1枚」

その言葉にホーマは安堵しつつ、ナーベの様子を見る。彼らの収入が噂通りなら金貨1枚など小銭だろう。だが、ナーベは気づいているだろうか、と彼は不安になる。問題は紙そのものより情報だ。ギャリーがここで引いてもあとで自分から情報を聞き出そうとするはずだ。魔術師ナーベは読み書きがまだできない。その情報でどんな利益が得られるかはわからないが、決して知られたくはないだろう。

(ということは、やはり紙を回収したあとに俺の口封じを……)

彼の心に重たいものが広がる。しかし、ナーベが口にした言葉は意外なものだった。

「金貨百枚ね。いいわよ」

ホーマとギャリーは一瞬石になる。

「いや、百枚は冗談で……」

ギャリーはありえない金額に動揺したようだ。

「百枚じゃ少ない?じゃあ、千枚」

ありえない金額が十倍に増え、ギャリーは言葉を失う。

「二千枚。五千枚。一万枚」

ナーベは数を増やしてゆく。

「十万枚。百万枚。一千万枚。一億枚」

「わかった!もういい!」

ギャリーは絞首台に立たされた人間のように叫んだ。

「この件からは手を引く。二度と口に出さない。約束する」

「……そうなの」

ナーベは無表情のまま言った。ホーマはギャリーに遅れて彼女の発言を理解した。あの値段はギャリーの命の値段なのだ。取引が成立すれば殺され、あの世で金を受け取ることになる。そう言われていることをギャリーはすぐに理解したのだ。

(これが強者のやり方なのか)

ホーマは思った。ギャリーは本当に口が上手く、交渉の席についたら最高位冒険者でも苦労するだろう。しかし、ナーベはそんなことをしなかった。圧倒的強者は交渉のテーブルに座らず、それをひっくり返して剣を振りかざす。それで話を終わらせることができる。最初に交渉に乗る振りをしたのはナーベか彼女と魔法で話をする何者かの遊びだったのだろう。一個で軍に匹敵する存在だからこそできる解決法に彼は驚嘆した。

「そこの男に二度と近づかない?」

ホーマを指してナーベは言った。

(ああ、俺から話を聞き出さないようにするためか。とすると、俺は殺されないのか?)

ホーマの中で小さな希望が生まれた。といっても、すぐに状況が変わるかもしれず、決して楽観的にならないように努める。

「ああ、約束する。殺されたくないからな」

ギャリーは怯えた顔でそう言い、すぐに部屋から去った。


「行かせてよかったのですか?」

ナーベラルは小さな声で聞いた。

「ちょっと待て。……うむ。良し。あっちの男達の問題は解決した。しかし、そいつはなかなか大したやつじゃないか」

アインズは楽しそうに言い、その声はナーベラルの頭の中だけに響く。

「お前の秘密を知られないためにあそこまでするとは」

「腕一本など大した事ではありません」

ナーベラルから見れば腕を切り落とすなど大した事ではない。ルプスレギナやペストーニャなら簡単に治癒できるからだ。

「人間の世界では手足の再生はかなり高位の魔法らしい。大金も必要だとか。こいつの身分を考えれば一生治せないことを覚悟してああ言ったのだと思うぞ。簡単に治せる立場の者とは言葉の重みが違う」

それなら少しは認めてやろうかとナーベラルが思ったかはわからない。ただ、反論はしなかった。

「では、さきほどは中断されましたが、あれに魅了の魔法をかけますので、そのあとは……」

「待て、ナーベラル。紙を回収すればユグドラシルの文字が他所へ流れる危険は消える。そいつの記憶消去もユグドラシルの文字の部分だけにしようと思う。もちろん他にお前の秘密を知ってる人間がいないかを聞いてからだが」

「記憶を全て消さなくてもよろしいのですか?」

ナーベラルは不思議そうに聞いた。

「そいつがお前のことを口外する勇気はないだろう。もちろん魅了で確認するがな。それより、そいつの利用法を思いついた」

「この人間に、ですか?」

ナーベラルは目の前で立ちすくむ汚い格好の人間を見る。こちらが会話の最中であり、邪魔すると命が危ないとわかっているのだろう。相手は不安を顔に出したまま審判を待っている。

「それとナーベラル、お前の今回の失態への罰を考えていたが、今、それも決めた」

「はっ、この命で謝罪を」

「いや、その必要はない。ナーベラル・ガンマ。そいつの利用法でもあるのだが、お前には一つの屈辱を与えよう」

アインズは審判を告げた。

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