第3話

「ご苦労さん」

若者は子供の頭を撫でる。子供も彼も服装はみすぼらしいが、不潔というほどではない。

「髪が伸びてきたな。そろそろ切るか」

「いいよ、ホーマ。俺、伸ばしてみたいんだ」

子供は小さな反抗をし、彼は笑った。

「馬鹿を言うな。不潔っぽくて印象が悪くなるんだ。俺だって短いだろ?格好で同情は誘いたいが、シラミや垢があると途端に嫌われる」

自分の茶色い短髪を指差してホーマと呼ばれた若者は言った。彼は4人の孤児達に金の稼ぎ方を教え、悪事を働かないよう注意しつつ、成長を見守っていた。彼らを養っているなどとホーマは言うつもりはない。子供達も働いているのだから。今日も一人の子供が同情を誘えた店のゴミから役に立ちそうなものを持って帰り、彼がその仕分けをするところだった。

彼は子供が持ち帰ったゴミやガラクタを順番に渡され、それらがいくらになるか考える。何かの製品に使ったであろう布や木、汚れた紙。食べ物は食あたりが怖いので食べるかどうかは慎重に決めなければならない。木やクズ紙は鍛冶屋などへ薪代わりとして売れる。破れた服などあれば大収穫なのだが、それは高級宿でもそうそう捨てられるものではない。

「一度着た服は二度と着ないなんて貴族もいるらしいが、この宿にそいつは泊まってないかね。ん?」

彼は子供が最後に渡した数枚の紙束に目を引かれた。

「ずいぶん質がいいな」

彼は紙の白さに驚いた。まあまあ状態の良い紙は漉き返して質の劣った紙、つまり再生紙にするための原料としても売れる。それともう一つの理由のために孤児達に機会があれば集めさせているが、その紙の雪のような白さは貴族が手紙を書くのに使いそうな一級品だった。折り目はなく、表面は滑らかで何かの処理を施しているのか光沢まである。新品で買えばかなりの値段になるはずだ。ひっくり返すといろんな単語がかなり汚い字で書かれ、それと一緒に見たこともない文字も書かれている。

「こいつも王国語の勉強中か?」

高級宿の客に異国からの旅人でもいるのだろうとホーマは想像する。片面だけを使って捨ててしまうことはありがたいような勿体無いような複雑な気分だった。

「うーん、これをそのまま商品として売れたらいいんだが」

「字を消したら売れない?」

子供は無邪気に聞いた。

「ああ、俺達がやってるみたいにか。無理だな」

ホーマは苦笑した。木炭で書いた文字なら腐ったパンで擦れば文字をいくらか消せることを彼らは経験上知っている。しかし、綺麗には消せないし、この紙のようにインクで書かれたものはどうにもならない。木炭もインクも綺麗に消せるのは魔術師の魔法だけだ。そして、そんな依頼を魔術師に出せば大金がかかる。赤字どころではない。

「こんな高級紙は初めてだ。惜しいなあ。でも、いつもどおり勉強用に使って、あとで古紙と一緒に売る以外には……」

「げえ、また字の勉強するの?」

子供は嫌そうな顔をした。これがホーマが紙を集めさせるもう一つの理由だった。貧民街にしては珍しく、彼は文字を読める人間だった。子供達に読み書きを教えるため、状態が良かったり余白の多い紙は持って帰るように言っていた。

「読み書きはできるようになったほうがいい。字が読めれば必ず職につけるとは言わないが、きっと役に立つ」

ホーマは真剣に言った。彼はいろいろと計算して子供達に貧しい格好をさせて市民から同情を誘っているが、彼らが大きくなればその効果はなくなる。文字が読めれば何かの職につけるかもしれないと期待していた。それに、子供に施しをしてくれるのは神殿や優しい市民だけではない。裏仕事をする人間に小金で雇われて悪事を手伝う。そんな孤児が大勢いる。もちろん人生は綺麗ごとばかりでは渡れないし、自分の意志で裏社会へ行くならそいつの勝手だと彼は思っている。しかし、自分が使い捨てと知らずに利用され、衛兵に捕まる子供達は哀れだった。

「綺麗な字が書けるともっと良いんだ。ああいうところで相手の価値を計ってる人がいて……ん?」

ホーマは再び文字の書かれた面を見たが、ある部分を読んで背筋が寒くなった。横棒に斜線、横棒、曲線に点が二つ。謎の異国文字で書かれた単語の意味はわからない。しかし、その下に自分達の言葉でナーベと書いてある。その名前は彼でも知っている。美姫という二つ名を持つ魔術師。この街で絶対に怒らせてはいけない住人の一人だ。

権力者、富豪、暴力者、戦闘者、敵に回したくない相手はいろいろいるが、魔術師を怒らせると何をされるかわからない恐怖がある。透明化や転移もそうだが、部屋から一歩も出ずに相手を殺せる魔法もあると聞く。その魔術師の中でこの都市最強と噂される人物の名前がなぜ書かれているのか。書かれているいくつかの単語から推測するに何かの祝い状から単語を書き写したらしく、王国語の基本的な仕組みがわからず、必死に解読しようとしていることが推測できた。

「そういえばあの宿に泊まってるんだっけ」

最高位の冒険者チームがこの都市最高級の宿に泊まっているのは彼も知っている。そのおかげであの宿は現在「この都市で最も安全な場所」と言われている。そこから拾ってきたこの紙にナーベの名前があることをふまえると彼の中で一つの推測が生まれた。魔術師ナーベは王国語の勉強をしているのではないか。しかもまだぜんぜん読み書きができないのでは。

「ねえ、どうかした?」

ホーマの不安な顔が子供にも伝染している。

「いや、なんでもない」

ホーマは笑顔を作りながらも自分がまずいものを見た気がした。この紙を彼が持っているなど本人は知るはずもないし、捨ててあったのだから何も問題ないはずだ。彼はそう自分に言い聞かせたが、不安は濃いインクのようにべっとりと心についたまま落ちなかった。

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