第2話
焼却炉はすぐ見つかった。やや太目の男が炉の前に立っており、その脇には空になった布袋がいくつか置いてある。どうやら全て燃えたようだとわかり、ナーベラルは安堵する。
「おや、どうかされましたか?」
男はナーベラルに驚いて声をかけた。
「いいえ、ゴミが全部燃やされたか確認したかっただけよ。全部燃えたのなら問題ないわ」
こいつもあの紙を読んでないか魔法で確かめたほうがいいだろうとナーベラルは考えた。しかし、男の様子が少し変だった。
「全部……」
男の顔に不安の色が見えた。
「どうかしたの?」
「あ、いえ、なんでもありません」
男が一瞬目をそらしたのをナーベラルは見逃さなかった。この男は何かを隠している。彼女は躊躇なく魅了の魔法をかけた。
「私が捨てた紙を読んだ?」
「いいえ」
「私に何を隠しているの?」
「ゴミの一部は子供が持っていきました。全て燃やしたわけじゃありません」
「なぜ持っていかせた?」
ナーベラルは怒りを向けるが魅了のかかった男は目をとろんとしたままだ。
「あいつは孤児なんです。金になりそうなものがないか探しに来るので。こんな場所で孤児がウロウロしてたらうちの評判が落ちるから追い出せと言われてるんですが、可哀想だから見て見ぬ振りをしてます」
くだらない。ナーベラルは心底そう思った。お前達のやることは全て意味や価値などない。お前達が気を払うべきことはただ一つ。私達を不快にさせないこと。それを守っていれば少なくとも私は殺さないでやる。なのになぜこうも不快にさせるのか。殺意の芽がみるみる成長し、巨木になる。この男を焼却炉に入れてやりたいと彼女は思うが、そういうわけにもいかない。
「そいつは私が捨てた紙を持っていったか?」
あんな紙切れの集まりを持っていくわけがない。ナーベラルはそう期待した。
「わかりません。ただ、あまり汚れていない紙はいつも持っていきます」
ナーベラルの中で巨木に雷が落ちた。足元がふらつく。
「そいつはなぜ紙を持っていく?」
「知りません」
「そいつはどこに住んでいる?」
「知りません。ただ、貧民街のどこかでしょう」
さっきまで煮え滾っていた心が冷え切り、重たいものがナーベラルの心に広がる。ああいう場所には行くなと命令されている。もはや至高の御方に失態を報告し、指示を仰ぐしかない。一般市民を殺すなという命令があり、そして責任は主に自分にあると理解しているため、ナーベラルは拳を握り締めてその場に立ち尽くした。
「まず言うが、お前がその場所へ子供を探しに行ってはならない」
アインズは
「別の問題が起きるかもしれない。シャドウデーモンたちに探させて、お前も巻物の
「はい」
「私は忙しくてそちらへ行けない。お前達で探すのだ」
「アインズ様、此度の失態について私に何卒罰を」
「今回は不運もあったが、確かにお前の失態だな」
ナーベラルは首に冷たいものを感じる。処刑用の刃が当たる幻覚だ。恐怖はない。命令があれば自分の手でその刃を引くだけだ。
「後日、罰を決めて言い渡す。今はその紙の回収が先だ。それにはお前の名前を書いてあるのだな?」
「はい。何箇所か名前があります。羊皮紙にあった単語も多く書いてあるので紛れていますが」
「そしてその単語の意味はわからないと」
「申し訳ありません」
「そこを謝る必要はない。私もわからないのだ」
アインズはそう言うが、ナーベラルはひたすら頭を下げる。
「孤児なら字は読めないだろうし、仮に読めるものがいても意味がわからないかもしれない。ただ、万が一にもアレを誰かが理解したらまずい」
アレとはユグドラシルの文字のことだ。これが「魔術師ナーベは字が読めない」とは別にあの紙を人に見られてはならない理由だった。ナーベラルが勉強に使った紙には王国語についてナーベラルが推測したことや思ったことをユグドラシルの文字であれこれ書き込んである。「魔術師ナーベが字が読めない」それだけを誰かに気付かれるだけなら、実を言えばそんなに危機ではない。この都市で名声を高めた戦闘のプロについてそんな噂を流す勇気のある者がいると思えないし、仮にいても周囲は戯言と思ってくれるだろう。しかし、もしもユグドラシルのプレイヤーがあの紙とナーベの名前を見たら、余程の馬鹿でない限り「ナーベはユグドラシルから来て、王国語を勉強中なんだな」と思うはずだ。もちろん相棒のモモンの正体も察しがつくだろう。ナーベラルのミスは非常に危険なものだった。
「ロケートオブジェクトが使えないのは残念だな」
「申し訳ありません」
アインズの呟きにナーベラルは何度目かの謝罪をする。特定物品を探索する魔法ロケートオブジェクトは簡単に曲がったり折れたりする形状が不安定なものを探索できない。これが事態をさらに面倒にしていた。
「いや、できないことに愚痴を言っても仕方ない。すぐに捜索にかかれ」「はっ」
ナーベラルは部屋に潜む者達に指示を出した。
「はあ」
アインズはため息をついた。ナーベラルの失態は責められて当然のものだったが、話を聞く限り、王国語の勉強に一所懸命だったために起きたミスだ。アインズもそれがどれだけ大変かは知っており、かつ、自分が少しも王国語を勉強していないことに対して後ろめたさがあるため、あまり責めたくない気持ちがあった。
「いや、仕方ないんだ。時間がなさすぎて……」
アインズの仕事量は膨大だった。戦士モモンとしてのエ・ランテルでの活動。これだけで一日の半分以上は潰れる。そこで作った資金の管理、アウラが建設している偽ナザリックの進行度の確認、セバスたちが送ってくる王都情報の確認、ナザリックでのアンデッド召喚、そしてシャルティアを精神支配した未知の敵への備え。食事も睡眠も必要としない体ではあるが、時間はどれだけあっても足らなかった。
「王国語で自分の名前だけは書けるようになったが、それ以上はなあ……」
元のオツムが鈴木悟であるため、異世界文字の習得などどれだけ時間がかかるかわからない。それに、この世界でのアインズの仕事の優先順位として文字の習得はそれほど上位に来るわけでもない。最悪、アイテムや魔法で代用できるのだから。しかし、無視できることでもない。いつ戦士モモンとして人間の見ている前で文字を読む必要性に迫られるかわからないから。そんな時に脇に控える魔術師ナーベが文字を読めれば非常に心強い。自分に時間がない以上、ナーベラルに王国語の習得を任せるしかなかった。
「いっそ
アインズは禁断の方法を考える。ワールドアイテムの効果を除けばおよその願いをかなえてくれる超々レアアイテム。緊急事態に備えるために一切使っていないが、時折、その誘惑に駆られる時があった。
「待てよ。どうせなら文字を読めるより頭脳自体を強化してもらう方がよくないか?」
アインズは少し考える。
「支配者としての品格があって、頭脳明晰で、行儀作法を身につけていて、あらゆる分野に精通している。そんな存在に……」
そこまで呟いてアインズは頭を抱えた。
「それってもはや俺じゃないだろ」
アインズは自分のありもしない脳みそを交換する光景を想像し、自分の案を却下した。今はまだ自分を捨てないで、努力を続けようと決める。支配者失格であることが確定するその日までは。
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