番外:執事ユリウスの緩やかな一日(下)

「この口調が気に障ったならごめんなさい。でも私、もう15年近くこんな話し方なのよ。旦那様にも奥様にもこう。外に出るときは流石にきちんと話すけど、肩が凝って仕方がないのよねぇ」


 行儀悪く木製のカウンターに体を預けたユリウスは、目を白黒させる店員に向かって笑いかける。先ほどの慇懃な紳士然とした態度から打って変って砕けた口調になったバトラーは、空気がおいしいと言わんばかりに肩を上下させた。


 ボニールンゲン男爵邸を出てロイズを探しに旅に出た時から、彼の口調はこのままだ。女になりたいと望んでいたわけではないが、どうしてだか所謂「男らしい口調」というものには常に違和感を覚えていた。


「石工職人って、未だに旧制度が残ってるのよねぇ。男じゃなかったら工具に触れないとか、そういう風習って、仕方がないことだとは思うけど息が詰まるわ」

「私は、別に男になりたい訳じゃ……ただ、私のほかに店を告げる人間がいなかっただけだ」

「そう、偉いじゃない。私なんて両親も仕えてた家もほっぽり出して、それで今の旦那様のところにお世話になってるんだもの。親不幸の私なんかよりよっぽど素晴らしいことよ」


 ユリウスはティーナにも自分の過去を話したことがない。求められればその都度話すことはあるだろうが、こうして自分から何かを話すということはバトラーという身分も相まってほとんどないことではあった。


 未だに男性優位の不文律が存在する職人の世界で、この少女はどれだけさまざまなことを我慢してきたのだろうか。年頃はティーナともそう変わらないであろうその姿を見て、ユリウスは内心で溜息をついていた。違和感の正体は、どうやら演技を見破られまいと肩に力が入っていたことであったらしい。


「親御さんはご存命なの?」

「母さんは、二年前に死んだ。父さんは生きてるけど、腰を痛めて石を持てるような状態じゃないんだ。子供は私しかいないし、結婚する当てもないから」


 口をとがらせる少女に、ユリウスは困ったように微笑みかけた。


「あら、苦労したのねぇ。それで店を継ぐのに、男の真似事を?」

「真似事じゃない! お前だって、女の真似事をして……恥ずかしくないのか!」

「残念なことにこれっぽっちも恥ずかしくないのよ。旦那様は男らしい方だけど生まれには拘らないし、奥様は身分が高すぎてそんな些細なこと気にも留めないのよ。屋敷の皆も、最初こそ驚くけれど大体慣れてくれたわ」


 肩を竦めて微笑むユリウスに、少女はとうとう何も言えなくなった。ぐっと言葉に詰まったまま彼を睨み付けるが、その頬は恥ずかしさと強がりで赤くなっている。

 そんな彼女の様子を見かねて、ユリウスは見本として置いてあった守り石を一つ手に取った。


 女性の手によるという見方を除いても、文句なしに美しい。

 研磨の細やかさ、石に入る模様の計算された角度、周囲の装飾品――これらすべてをこの少女が一手に担ったとするならば、それは恐るべき才能である。当代随一の石工でさえ、ここまできめの細かい作業を行うには相当の時間が必要だろう。


「……ねぇ、あなたコレ、一人で磨いたの? どれくらい時間がかかったのか教えてもらえないかしら?」

「ここにいた職人は、父さんが働けなくなったら皆出て行ったよ……石を磨くのも装飾を施すのも、全部私の仕事だ。その程度なら、ひと月もかからない」


 何か言いたげに眉をひそめた少女に、ユリウスは両手を合わせて嬉しそうに笑みをこぼした。


「素晴らしいわ! だったらその水色の石、もう一つ頂ける? ウチの奥様にも是非差し上げたいのよ」

「奥様……? まさか、貴族にか!?」

「そういうことはあんまり言っちゃいけないんだけれど……まあ、それなりにね。早いところ私たちも坊ちゃまやお嬢様が見たいし、一つ頼まれてくれないかしら? あぁ、私の方から正式に書類を送るから、お嬢さんの名前も聞いておかなくちゃ」


 キョトンとした顔でユリウスを見上げた少女は、それからやや考える仕草を見せて顔を伏せた。

 やがて何かを決意したようにもう一度顔を上げると、ユリウスをまっすぐと見据える。


「ステラ。ステラ・ゴーシュ」

「そう、ステラ。いい名前じゃない。男にするには勿体ないわよ」


 依頼料代わりの前金を幾つかおいて、そのままユリウスは店を後にする。

 残ったステラは前金というには多すぎる量の金貨と、ユリウスの言葉を思い出しては動けずに立ち尽くしているばかりだった。



 リリアに贈る石が出来たと連絡があったのは、それから一月と半分が経った頃だった。

 出来上がった石細工を持って、ステラがワイズマン邸を訪れた。もっとも彼女の店の前に馬車で乗り付けたのはユリウスであったが、驚くべきはその服装だ。


「あらぁ、いいじゃないいじゃない! やっぱりあなた、そっちのほうが断然可愛いわよ!」


 生成りの質素なワンピース。恐らくステラが思いつく精一杯のおしゃれなのだろう、手首に巻かれたブレスレットは、深い緑色のものだった。聞けば、彼女の守護石だという。


「緊張してるの? 奥様は優しいから、そんなに変な力入れなくてもいいわよ」

「緊張しない方がおかしいだろ!? お、お前言わなかったじゃないか! お前がワイズマン家の執事だなんて――」

「旦那様はいないわよ? お仕事中だもの」

「そうじゃない! ワイズマン家の奥方っていったら、あのロスガロノフの姫君じゃないか! 身分が高すぎてって、まさかそんな大貴族だなんて思わなかった……」


 屋敷の前で足を踏み鳴らすステラに、苦笑したユリウスは自らの左手を差し出した。女性をエスコートするというのは、バトラーにとっても大切な仕事のうちの一つだ。口調から誤解されがちだが、およそ紳士的な立ち居振る舞いはユリウスもトーマに引けを取らないほど完璧に近いものである。


「ではこちらへどうぞ、お嬢様。主が首を長くして待ち構えているのです」


 茶目っ気たっぷりに片目を閉じたユリウスに、ステラはただ顔を真っ赤にして彼を睨み付けることしかできなかった。




「あなたがこの石を?」


 お気に入りのカジュアルドレスに身を包んだ屋敷の女主人は、それを見るなりに表情を明るくした。

 最も由緒正しく王家に最も近しい貴族、ロスガロノフ公爵家出身であるというティーナは、そんな肩書きの欠片も見せずステラの手を握った。


「とても綺麗ですね。女性らしい細やかさや、優しさが滲み出ている様」

「お、女の私の手では石が穢れてしまうと、そうは仰られないんですか?」

「そんなこと言わないわ。あなたの腕が確かだっていうのはユリウスから聞いていたし、私も旦那様も素晴らしい才能は伸ばすべきだと思っているもの」


 慈母の様な笑みを浮かべるティーナに、ステラはとうとう何も言えなくなった。主人の背後に控えるユリウスの表情をちらりと覗けば、彼は穏やかな笑顔を浮かべてその様子を見詰めていた。


「きっと、これを受け取る子も喜んでくれるわ。小さな頃からずっと私についてきてくれた子だから……本当にありがとう、ステラさん。これからも是非、素敵な作品を作り続けてね」


 その後微笑みを絶やさないティーナにこれでもかともてなされ、ステラは一日生きた心地がしなかった。甘いお菓子をたんとお土産に持たされ、また遊びに来てくれとまで言われてしまった。無論ステラは仕事で来たわけだが、そのあまりの歓待ぶりに世辞と分かっていても背中がむず痒くなるようだった。


「ごめんなさいねぇ、奥様、最近お寂しいのよ」

「寂しい? あんなに沢山の使用人に囲まれても?」

「ずーっと奥様の傍にいたメイドがね、結婚を機に一度田舎に戻ったのよ。旦那様もお忙しいし、こうして誰かと長い時間話していたのは久しぶりだわ。少なくとも、また来てくれっていうのはお世辞じゃないわよ」


 帰りの馬車の中で、ユリウスはそんなことを言った。

 曰く、あの女主人は世辞を言えるほど計算高い人間ではないという。


「旦那様とそっくりで真っ直ぐなお方だもの。きっと心からまた来てほしいって思ってるわ。勿論、私も。それにあなたがもっと腕を磨けば、じき辺境伯家お抱え石工なんてのも夢じゃないわよ。そしたら私が毎日お菓子作って工房に持って行ってあげるわ」

「だ、だったらもっと男らしくなってみせろバカか……!」


 ぎこちなく顔を逸らしたステラの様子を、ユリウスは楽しそうに笑いながら観察していたのだった。

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疫神騎士と田舎姫 玖田蘭 @kuda_lan

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