第12話 狙われない人間たちのカレーライス教室(1+1=???)、そして深夜の男女による熱中と、誘惑にも負けず必死に耐える現代に生息する草食系男子を見よ

 日が沈み始め、空が赤く染まる。


 三尾森さんは寝室の隅に引きこもり、膝を抱え込んで座っている。やがて自宅の電気がなくなるという事実に、彼女は絶望し、ぶつぶつと独り言をしている。


「……やだ……」


 三尾森さんは突然ベッドに向かってダイビングジャンプし、枕を抱えてベッドの上をローリングする。

 彼女は泣きながら、自分の心境を大声で叫んだ。


「この便利な生活を手放したくない! 毎日食事作りたくない! 映画を見ながらダラダラしていたい! エアコンつけてずっと昼寝していたい! カキ氷で頭をキーンってやりたい!」


 文明の利器に頼り、クリーチャーから狙われる苦労も知らない彼女は、ここまでダメ人間になっていたのだった。彼女の泣き叫ぶ悲痛な声がマンション中に響き渡っていた。


     * * *


 三尾森さんの自宅のキッチンで、早田は自分の荷物を広げて非常食のレトルトカレーを湯銭で温めていた。カレーライスにするため、炊飯器も使用している。米の炊き上がるのとカレーが温まるのを待つ間、隣の寝室から聞こえる三尾森さんの叫び声を聞きながら、早田くんは考え事をしていた。


「……この人に助けを求めたのは失敗だったかな……」


 彼女には「この先に起こるであろう危険を察知する力が皆無」と言っても過言ではない。しかも太陽光発電に限界があることを知っただけであそこまでショックを受けるとは予想できなかった。


 ピッピー、ピッピー、ピッピー!


 早田くんの考え事を遮るように、炊飯器から炊き上がったことを知らせる電子音が鳴る。その炊飯器は早田くんが三尾森さん宅のキッチンから見つけたもので、棚の隅で大量の埃を被っていた。


「しかし、あれだけ埃を被ってたってことは……パンデミック前から使われてないってことだよな」


 早田くんは炊飯器の蓋を開け、付属品のしゃもじで白米をかき混ぜながらそのときの様子を思い返す。


「まさか、パンデミック前から加工食品生活なのか?」


 白米を軽くかき混ぜた早田くんは、それを盛りつけるための白い皿を食器棚から取り出す。

 そのとき、早田くんは指の感触に何か違和感を感じた。


「ん? なんだこれ?」


 早田くんは人差し指でその皿の表面をなぞってみる。ザラザラしたようなネバネバしたような物体が表面にこびりついており、その感触が彼に気持ち悪さを抱かせた。


「え? これ、油!? 汚ねぇ!」


 それは何かの料理から出た無色の油が洗われずに残って固まったものだった。


「あ、洗わないと……」


 早田くんは急いでその皿を流し台の中に置き、食器用の洗剤とスポンジを探した。


「え、嘘だろ……?」


 彼女のキッチンにあったスポンジには大量の汚れが付着しており、触るとグチュグチュする。


「何ヶ月同じスポンジを使っているんだ……? それと、洗剤はどこだ……?」


 早田くんは流し台の周りや棚の奥を探した。その結果、彼女の家に、食器用洗剤はなかったことが判明した。


     * * *


 早田くんは三尾森さんの分のカレーライスも作り、一緒に食事もしたが、そのとき二人の間に会話はなかった。三尾森さんは決して早田くんの方を見ずに、落ち込んでいるせいなのか下を向いて食べている。一方、早田くんはチラチラと彼女を覗き込みながら食事を進めた。


(この女とは明日でおさらばしよう……)


 カレーライスを口に運びながら彼は考える。


(せっかく同じ体質の人間に会えたのは嬉しいが、こんな人間が傍にいたんじゃ自分の生活すら危うくなる……)


「ごちそうさま!」


 早田くんは三尾森さんよりも先に食べ終わり、流し台へ皿を持っていった。古いスポンジはゴミ袋の中へ入れられ、同じマンションの隣の部屋から拝借した洗剤とスポンジで皿を洗う。


(生存者同士で助け合えば、足し算方式で1+1=2みたいに大きな結果が出せると思っていたが、こいつと組めば確実にマイナスへ転じるだろうな……)


 早田くんは三尾森さんに距離を置き始めていた。


     * * *


 完全に夜になり、早田くんは自分が就寝する場所へ向かっていた。既に場所は決めており、彼は三尾森さんの自宅から出て、数メートル歩いたところで足を止める。


「まあ、ここでいいよな」


 そこは三尾森さんの隣の住宅で、先程洗剤とスポンジを借りた部屋だった。

 最初、玄関に鍵はかかっていたが、借りる際に三尾森さんの自宅のベランダから侵入し、内側から開錠しておいたのだ。部屋に住人の姿はなく、外出中にパンデミックに巻き込まれていなくなったのだろう。三尾森さんの自宅と比べて手入れがされていないので、部屋全体に少し埃を被っている。しかし初対面の女子と同じ部屋で寝るのは抵抗があるうえに、彼女の部屋も汚いので、早田くんは部屋を一緒にしたくなかった。


「あいつと寝るよりはマシだ……」


 寝室に入ると、彼は窓を開け部屋の空気を入れ替え始めた。涼しく気持ちのいい夜風が彼の顔に当たる。


「あ……」


 早田くんはベランダに出て、手摺に寄りかかり、そこからの景色を眺めた。

 市街地の電灯は消えていてかなり暗い。空気を汚すような物質を排出する工場はもう稼動していない。そのため、星空の輝きがいつもよりも一層増している。


「……綺麗だ……」


 彼はしばらくそのまま景色を眺めていた。


(明日、早朝にここを出よう。事を始めるなら早いほうがいいし、あの女に気づかれたくない)


 早田くんは十分に部屋の空気を入れ替えると、寝室に戻ってシングルベッドに潜り込み、眠りについた。


     * * *


 一方、三尾森さんもベッドに潜り込んでいたが、なかなか寝付けなかった。


「だめだぁ、不安で寝れない……」


 三尾森さんはこのマンションへの入居時に、管理会社の職員から聞いたある言葉がずっと心の中に引っかかっていた。


「このタイプの部屋は人気があるタイプでして、今なら壁紙を好きな柄に選べるオプションがついてきます。太陽光発電の設備もありますから地球環境にも優しいんです」

「えっと……このマンションは外見が綺麗ですけど、新しい物件なんですか?」

「そこまで新しい物件ではありませんが、築10年となっております」

「そうですか……」


 このときの会話を三尾森さんは思い出していた。


「早田くんが言っていた10年っていう太陽光発電の寿命が正しいとすると……」


 三尾森さんは普段使わない頭脳をフル回転させて、現在の状況を整理する。


「これまでに発電システムがメンテナンスを受けていないなら、いつシステムが止まってもおかしくない状況だよね……」


 三尾森さんは恐怖した。

 彼女はベッドから起き上がり、部屋の電気を点ける。


「もう、不安で完全に目が覚めちゃったよぉ」


 彼女は立ち上がり、部屋の隅から最新型のテレビゲーム機を引き出した。


「何か、不安を消すものがほしくなっちゃった」


 テレビの電源を入れ、入力コードをつなぎ、棚から取り出したゲームソフトのディスクを挿入する。ベッドの上で正座し、コントローラーを強く握った。


「よっしゃ、やるぞぉ!」


 テレビの画面に映し出されたのは、人気FPSゲームシリーズの最新作のタイトルだった。


「まぁ、早田くんも若い男の子ですからぁ? いつ襲ってくるかも分からないですしぃ? 早田くんを警戒するっていう意味でも起きていましょうかぁ?」


 深夜になっても起きて遊んでいるという背徳感が、彼女をおかしなテンションにさせる。

 三尾森さんは無線のヘッドホンをかけ、ゲームをスタートさせた。コントローラーをガチャガチャと動かし、迫り来る兵士を撃ち抜いていく。


「よぉし! いいぞ! ここだぁ!」


 三尾森さんはゲームに熱中し、独り言が徐々に大きくなっていく。


「あぁっ! ダメだって、そこでグレネードはだめだって!」


 ドガン!


 敵の兵士が、彼女のアバターの足元に手榴弾を投げ、ゲームオーバーになる。


「もうほんと! クソゲーだわ! これは!」


     * * *


「うるせぇ……」


 隣の部屋で寝ていた早田くんは、三尾森さんの大音量の独り言に目が覚めた。


「何やってんだ、あいつ……」


 部屋の時計を見ると午前1時だった。


     * * *


「あれ、もうこんな時間?」


 三尾森さんは寝室の目覚まし時計を見て時刻を確認する。


「あれぇ、早田くん、襲ってこないのぉ? これだから草食系男子はぁ……」


     * * *


「草食系男子で悪かったな」


 早田くんは三尾森さんに聞こえないようにベッドに潜ったまま返事をした。


     * * *


 三尾森さんは再びゲームへ意識を集中させる。

 またしても、敵がグレネードをアバターの足元に投げてくる。


「ああっ、そこっ……ああん! ダメだってそれは……!」


     * * *


「本当に何やってんだ、あいつ……?」


 早田くんは彼女の声に耳を澄ませずにはいられなかった。


「……あぁん! そこはダメなんだかぁっ! ……ひゃっ! ……あぁん! だっ、ダメぇ……!」


 彼女の途切れ途切れの変な声が、早田くんに色々な妄想をさせる。


「ダメだ、ダメ! 今はちゃんと睡眠をとらないと! 僕は早朝から作業するんだから!」


 早田くんは心の奥底から沸き起こる「見に行きたい!」という誘惑を断ち切り、ベッドにさらに深く潜り込んだ。


     * * *


 深夜3時近くになっても、三尾森さんはまだゲームに熱中していた。彼女のゲームする姿勢が変化し、正座から体を横にしてだらしない格好になっている。


「まだまだコンプリート要素あるなぁ、このゲーム」


 ゲーム内の通貨でアバターの装備を強化していたときだった。


 ブツン!


 三尾森さんの部屋の電気が一斉に消えたのだ。ライトもテレビもゲーム機も、全ての電気家具の電源が落ちている。


「え?」


 彼女の部屋は一瞬で暗闇になる。


「……まさか?」


 三尾森さんは太陽光発電システムに何か不具合が起きた、ということを想像した。早田くんの話では、ソーラーパネル自体の寿命はそれなりに長いらしいが、それに付属するパワーコンディショナという電力を変換する機械の寿命は短いらしい。また、寿命に達していなくても徐々に発電効率も下がっていくらしい。


「あああっ! どうしよ! 早田くん!」


 三尾森さんは暗闇の中を、物に当たりながら走り、自分の部屋を飛び出して、早田くんが泊まっている部屋の玄関前まで来た。


「早田くん! 早田くん! 大変なの! 助けてよぉ!! 開けてよぉ!!」


 三尾森さんは部屋の玄関をバンバン叩き、呼び鈴をガンガン鳴らした。


「もう、部屋が真っ暗なの! 電気が消えちゃったの! 私、これからどうしたらいいか分からないのぉ!」


「うるせえ!」


ガンッ!


 早田くんは出てきた。

 外開きの玄関が勢いよく開かれ、近くにいた三尾森さんの顔面に扉の角が直撃する。


「べぶっ!! ぎゃあああっ! 鼻がぁ……!」


 三尾森さんは顔を押さえながらその場にうずくまり、痛みに耐え切れず泣き出してしまった。


「……ぐずっ……ふぇぇん」

「……」


 早田くんはしばらく棒立ちし、体を丸めて泣いている彼女を見ていた。このとき、彼は三尾森さんに対して「申し訳ない」という気持ちは一切なく、心底イラついていた。


「用件を早く言わないなら、僕は寝るぞ?」

「……ねぇ、早田くん」

「何?」

「あなた、女の子泣かせて、それでも男の子なのぉ!?」

「はぁ? 知らないよ、そんなの! お前が勝手にドアにぶつかってきたんだろ?」

「ちゃんとドアの向こう側くらい確認しなさいよ!」

「……」


 このとき、早田くんは思った。


(……これ以上口論を続けても無駄だな。適当にこいつの話を受け流して、早めに眠ろう……)


「そ、そうだな。僕が悪かったよ……。痛くないか? 大丈夫?」

「あ……う、うん。もう大丈夫……」

「それで、用は何だ?」

「急に電気が消えちゃったの。早田くんならどうにかならないかなぁ?」

「は? 直せってこと?」

「うん!」


 三尾森さんは眩しく邪気のない笑顔で返事をした。それと対照的に、早田くんの顔は行き場のない怒りで引きつり、目元と口元が震える。

 早田くんは彼女と関わったことを深く後悔し始めていた。

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