第9話 世界の混沌と終焉の中で人々が願うのは平穏と奇跡と彼女を導く人材(特に人材が重要になってくる)しかしそこに立ち塞がる無気力という名の怪物集団

 マックスが三尾森さんの前から消えて3日経過した。マックスは一体どこへ消えてしまったのか、その疑問が彼女の頭から離れない。あの日からずっと暴風が続いている。そのため、外は薄暗く、今が昼なのか、夜なのか、忘れてしまいそうだった。


「多分、これ、台風なんだよね……」


 台風のことを伝えるお天気お姉さんはもうテレビに映らない。そもそも天気予報がない。


「マックス、元気にしてるかなぁ……」 


 最近、彼女はベッドの上でじっとして過ごしている。マンションに備え付けてある太陽電池の蓄電が悪いのか、家電製品の調子が悪い。カップラーメンに入れる熱湯を温めることがうまくいかず、クーラーボックスに入っていた非常食で我慢している。キッチンの机の上にはそのゴミが散乱していた。


「マックス、どこ行っちゃったの……?」


 マックスと一人会話していた時期が懐かしい。三尾森さんはその頃の様子を思い出しながら、タオルケットを頭深く被り、眠りに就いた。


     * * *


 その夜、三尾森さんは夢を見た。夢の舞台は彼女が住むマンションの一室だった。


「あれ、マックス。なんだ、まだボックスの中にいたのね」


 マックスを入れていたボックスの中にまだ入っていて、彼女はそれに気づいていないだけだったのだ。


「よしよし、おなか空いたでしょ?」


 三尾森さんがマックスを両手で抱え上げると、マックスが徐々に重くなっていく。


「あれぇ、なんか君、重くなってるよ?」


 抱えきれないほど重くなり、彼女が床に下ろすとマックスはどんどん大きくなっていく。


「ど、どうしたの! び、病気?」


 三尾森さんと同じくらいの大きさにまで成長し、太くなった脚が結んであった水色のリボンを破った。


     * * *


 そこで目が覚めた。


 彼女が起き上がると、寝室のカーテンから強い光が漏れていた。停滞していた台風が完全に過ぎ去ったのだろう。


「気持ちのいい天気だね」


 カーテンを開けた彼女はそう呟いた。窓の向こう側には、雲一つない青空が続いている。


「きっとマックスは大丈夫。元気に食べて生きてるよ!」


 清清しい青空は、彼女をそんな風に思わせてくれた。彼女の顔には笑みがこぼれ、心の中のモヤモヤは消えていた。


 勿論、「マックスが元気で食べている」ということは人類の危機を意味するが。


     * * *


「さあ! ラーメン買いに行くぞぉ!」


 三尾森さんはお気に入りのワンピースを着て、マイバッグを持ち、自宅マンションを飛び出した。正確には「買う」のではなく、「放置してある物品を盗む」である。


     * * *


 もう少しで行きつけのコンビニエンスストアに辿り着きそうになったとき、三尾森さんはある事実に気づく。


「ああっ! いつも行くところはもうカップ麺ないんだった!」


 何度も足を運び、その度に大量の食糧を持ち帰っていたために、その店にはカップ麺類の他、お菓子や飲料も並べられていない状態になっていた。店の倉庫部分にも入って食料を調達したことがあり、そこの品も全て持ち帰った記憶がある。


「あ~、そうだったぁ……。無意識にいつもの場所行っちゃうって怖いなぁ……。きっと脳味噌が不必要なエネルギーを消費しないように考えてるのをやめてるんだね、これは」


 自宅から近くて通いやすかっただけに、これは彼女にとってショックだった。


     * * *


 こうして三尾森さんは別の店を探すことになった。街の幹線道路周辺はコンビニエンスストア業界の競争が激しく、何件もの店舗が並んでいたことを記憶している。


「おお、けっこうあるじゃん」


 店を1つ見つけると、他にも店が多く見つかる。道路の向かい側やその道路を50メートル下ったところなど、業界内での競争が熾烈を極めていたことが分かる。


「じゃあ、早速、このお店から……。こんにちはぁ」


 電力供給が途絶えて反応しなくなった自動ドアを手で開け、彼女は店内に向かって声をかけた。当然ながら反応はない。


「おっじゃましまーす。ひぇぇ……」


 カウンター近くには店の制服を着た死体が転がり、異臭を放っている。その強烈な臭いに三尾森さんは鼻をつまんだ。頭に大きな傷があり、ゾンビになった後、誰かが無力化したのだろう。


「肝心の食糧はどうかしら……?」


 カップ麺やお菓子の類はほとんど棚から消えていた。コンビニスイーツは僅かに残っているが、消費期限を大きく越えているため、三尾森さんは持ち帰ることを躊躇った。


「食べられるものは生存者さんが持ち帰ったのね……」


 それでも缶で保存されている飲料はかなり残されていた。ペットボトルと比べ、蓋の開閉を自由に出来ない缶はサバイバルでの応用が利きにくいと判断されたのだろう。残されているのは珈琲や緑茶などが中心であり、利尿作用が強いためサバイバルでは不利になることも考慮した可能性も高い。


「まったく、もったいないんだから……」


 三尾森さんは置いてあった缶珈琲5本をマイバッグに入れた。それだけでマイバッグはかなり重くなった。

 自動ドアが閉められていたのはゾンビの侵入防止のためだろう。三尾森さんは自動ドアを元の状態に戻し、別の店を探した。


     * * *


「ねぇ、あそこ。誰か来てる」


 幹線道路に駐車されているキャンピングカーの中から三尾森さんを覗く生存者の影があった。二人組の男女で、三尾森さんと同じ年齢層だ。男の方は金髪の長髪で、日焼けで肌が黒くなっている。女の方は黒髪でポニーテールをしていた。


「生存者だな……」

「助けた方がいいのかな?」

「それは止めた方がいいだろ。こっちはここら辺の店から食料を見つけるのに精一杯なんだ。それに、ここら辺はまだ柄の悪い連中がいるだろ。あいつらの仲間だったらどうする気だ?」


 金髪の男が言う「柄の悪い連中」とは、マックスとムカデと首なし犬によって全員捕食された男たちのことを指すが、この二人は彼らがあのようになったことをまだ知らない。


「でも、それは大丈夫なんじゃない? だってほら、あの子、武器なんて持ってないよ?」

「マジかよ。あいつ武器なんて持たずにどうやって生きていく気なんだ?」

「私、ちょっと様子見てくる」


 女の方がキャンピングカーを飛び出した。


「お、おい! 分かったよ、俺も行く」


 それにつられて、男の方も飛び出していく。こんなゾンビだらけの状況にも関わらず、武器を持たずに出歩く生存者はかなり珍しく、二人は彼女に好奇心を刺激されたのだった。


     * * *


 三尾森さんは別の店舗へ移動する途中、缶珈琲の蓋を開けた。カポッと音が鳴り、珈琲独特の香りが彼女の鼻腔に届く。


「あぁ~、やっぱりいい香りだねぇ。たまには珈琲もいいですねぇ」


 彼女は独り言で珈琲のレビューを始める。


「では、一口いただきましょう。うん、おいしい」


 珈琲の味なんて苦いことしか分からないので、彼女は適当なことを言っている。


「非常においしかったです。皆さんも是非飲んでみてください。以上、三尾森美緒チャンネルでした」


 彼女には誰とも会話できないストレスが溜まっているのだ。


「最後まで動画を視聴いただき、ありがとうございました。チャンネル登録もよろしくお願いします」


     * * *


「何なんだ、あいつは。一人でごちゃごちゃ喋ってるぞ」

「しっ、聞こえるわよ」


 生存者の二人はこっそり三尾森さんを尾行していた。三尾森さんの本質を見極めて助けるべきか検討していたのだ。


「あいつはこのパニックで頭がおかしくなってるんだ。もう放っておこう」


 金髪の男は三尾森さんに見切りをつけているようだ。キャンピングカーに戻ろうとしたため、ポニーテールの女が彼を引き止める。


「も、もうちょっと様子を見ようよ、カズキ……」


     * * *


「全部飲んじゃったな……。どこかに空き缶捨てるところはないかな……」


 三尾森さんは空になった缶を逆さにして振った。中から珈琲が1、2滴こぼれる。彼女は前方にゴミ箱を探し、遠くを見つめた。


「あった、あった」


 彼女が見つけたのは、さっきの店舗とは別の会社が経営していたコンビニエンスストアである。店の駐車場の隅に缶専用のゴミ箱が設置してあった。彼女はそこまで歩こうと思ったのだが、駐車場の手前で立ち止まってしまう。


「これ、ちょっと深いよね……」


 駐車場に巨大な水溜りが出来ていたのだ。ゴミ箱へ接近するためには、この水溜りを通過しなければならない。水溜りはアスファルトのほとんどが引き剥がされたようになくなった場所にできており、茶色く濁った泥水は先日の台風で溜まったものだろう。三尾森さんは水溜りの傍に立ち、奥を覗き込む。水はかなり泥を含んでおり、水深を予測することが出来なかった。


     * * *


 水溜りの奥深く、泥を被った巨大な目玉が三尾森さんを見ていた。彼女からが見えなくても、からは彼女の姿をはっきりと捉えていた。


     * * *


「今、普通のスニーカーだし、入らないほうが無難か……」


 三尾森さんは駐車場を通過してゴミ箱へ行くことを諦めた。しかし、空き缶を捨てることを諦めたわけではない。


「エース4番、三尾森美緒、振りかぶりまして……」


 三尾森さんは空き缶を野球ボールに見立て、野球選手のピッチャーと同じ構えをした。


「投げたっ!」


 自分を自分で実況しながら、彼女は空き缶を思いっきりゴミ箱に向かって投げた。空き缶は水溜りの上を弧を描きながら飛んでいく。


 カラン!


 空き缶がゴミ箱を外れてアスファルトに落ちるのと同時に、周辺にその音が響く。


 その瞬間……


 ザッパアアッ!


 水溜りの底から巨大な黒い生物が地上に向かって飛び出す。その生物は硬質化した皮膚に覆われ、人間のような二足歩行を可能としている。手足には巨大な尖った爪が並び、長い鞭のような尾が宙をくねくねと動いていた。


「うぉっ、びっくりしたぁ……」


 この出来事には三尾森さんも流石に驚いた。


 グルルルッ!


 その生物は呻り声を上げながら、空き缶が落ちた地点を見つめている。少し開いた口からは、鋭い歯が何本も綺麗に並んでいるのが見えた。


「もしかして寝ていたのを起こしちゃった? ごめんね」


 三尾森さんは両手を合わせて謝罪した。


     * * *


「な、何よアレ!」


 突如水溜りから現れた謎の巨大生物に、三尾森さんを尾行していた二人組みは目が釘付けになる。


「お、おい。あの女大丈夫なのか!」


 ポニーテールの女はじっとしていられず、三尾森さんに向かって大声を上げた。


「そこのあなた! 早く逃げて! こっちよ!」

「バ、バカ! やめろ! 大声を出すな、カオリ!」


 水溜りの前に立っている女はこちらを向いた。その表情には緊張感が全く見られず、口を開けてポカンとしている。


 グオオオオオオッ!


 一方、巨大生物の方はカオリの大声に反応し、地を揺るがすような咆哮を上げる。咆哮により発せられた衝撃波が周囲にいた人間を襲った。二人はその衝撃に耐えられず、耳を塞いでしゃがみこむ。


「きゃああっ!」

「ぐっあああっ! 何だよ、こいつの声……!」


 巨大生物は水溜りと三尾森さんを飛び越え、真っ直ぐ二人組の方へ走り出した。その巨躯は走るだけで地響きを生み出す。


「に、逃げるぞ! カオリ!」


 地響きが彼らの方へ近づいていく。巨大な生物は逃げていく獲物の背後から黒い腕を伸ばし、鷲掴みにする。


「カ、カズキぃ!」


 掴まれたのは金髪の男だった。爪が彼の腹部に深く食い込み、血液が地面へと垂れていく。カズキは最後の力を振り絞り、カオリに向かってメッセージを伝える。


「逃げ……るんだ……カオリ……はや……く……」


 巨大生物は彼を口元へ運び、頭部を噛み千切った。さらに、その味を確かめるかのように、ゴリゴリと音を立てて噛み砕く。


「いやあああぁぁっ!」


 カオリの目から涙がこぼれる。


「嘘よ、そんな……」


 その生物は無情にもカズキの残った体を全て飲み込むと、その場で立ち尽くすカオリに目をつけた。カズキからは逃げろと言われたが、そんな気力は彼女に残っていない。


「あなたのいない世界なんてもう考えられないよ……」


 彼女が逃げ出す気配はない。ただ、自分も死を迎え入れようと待つだけだった。


「……今までありがとう、カズキ……」


 カオリの頭上から、男の血液で赤く染まった爪が勢いよく振り下ろされ、彼女は真っ二つに引き裂かれた。


     * * *


「この世界は無情だね。愛が足りないよ、愛が」


 惨劇を近くで見ていた三尾森さんはそう呟いた。その呟きに反応するように、どこからか声が聞こえてくる。


「それを助けようとしない君も、なかなか愛が足りないと思うけど」


 小さい声だったが、彼女には確実に聞こえた。声の質から、その主は若い男性だと思われる。


「えっ、どこにいるの?」


 三尾森さんは周辺を見渡したが、誰も見当たらない。


「こっちだよ」


 声の主が現れたのは、巨大生物のすぐ傍だった。カオリの死体を一心不乱にグチャグチャと貪る黒い背中が陰となり、三尾森さんからは見えていないだけだった。

 つまり彼はさっきまで巨大生物の正面にいたことになる。


「君も、狙われないの?」


 三尾森さんは質問した。彼は巨大生物を横目に、彼女の方へ向かってくる。


「そうだよ」


 彼は返答した。そして彼も同じ質問を彼女に向かってぶつける。


「君も狙われない人か?」

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