☆ 子供時代

 東京を含め、世界でいくつかの沿岸都市が二〇~三〇メートルも海に沈み込んだのは、もう五年も前のことになる。

 その前から起こっていた地球の急冷下現象で、北極、南極、両極の氷が増えていたため、都市の浸水被害は軽減される。

 もっともそのとき、ぼくはある事情でおじいさんの家に居たので直接被害を受けたわけではない。

 けれども、今にして思えば疎開先となったその土地は東京郊外から数時間程度の場所だったから、怖ろしい地響きと地震は体験している。

 空には虹色の筋雲がかかっていたような気がするが、当時八歳だったぼくには、その意味するところをわかりもしない。

 ぼくの暮らした場所の近くでもいくつもの家が潰れ、土砂崩れが起きる。

 でも不思議と人々の泣き叫ぶ声を聞いた記憶がない。

 ひっそり閑としていて、川のうねり、風の音さえ、消えていたような記憶がある。


 実際そのとき、ぼくは何処を見ていたのだろう?


 誰かと手を繋いでいた感触がある。

 相手の顔は憶えていないが、状況からいって、おそらく叔母さんだったのだろう。

 町に買い物に行ったか、甘いものを食べに連れて行ってもらったか?

 叔母さんは、いつでもとてもぼくを可愛がる。

 とにかく、その揺れを体験したのは家の中ではない。

 小さな橋の近くの路端。

 そのとき風がびゅうと吹いて、ぼくを足もとから攫おうとする。

 それを止めてくれたのが、おばさんの手の強い力。

 もしあのとき吹き飛ばされ、小さな濁流に飲み込まれていたら、その後ぼくは伯父さんに会うこともなかったし、またぼくの頭の中にEATの種が撒かれ、密かに育ちつつあったことも知らずに済んだだろう。


 それが今どういう意味を持つことになるのか、考えることもなく……。

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