同轍

 昼の食堂の込み具合は、まさしく足の踏み場もない。下手に足元から注意をそらすと、すぐに床に置かれた誰かの鞄を踏むことになる。そして、ほら、「あ、すいません」と僕が頭を下げると、鞄を踏まれた学生は、会釈して鞄を自分に寄せる。椅子の背にかけるなり、テーブルの下に置けばいいものを、そして、ほら、また誰かが君の鞄を踏む。


 僕はいつも通り、窓向かいのお一人様スペースに落ち着く。後ろのテーブル席では、五、六人の学生が空の食器を挟んで談笑している。言い訳するように、僕には友達がいないわけでもないけれど、あくまでつるまないだけなのさ、と考えてもいい。でもそれは半分。もう半分は、お昼ご飯を一緒に食べるような友達が極端に少ないという事実と、そんな友達とも、僕はあまり話したくないという自意識過剰を混ぜこぜにした自尊心。


 窓の外を、学生たちがひっきりなしに、左から右へ、右から左へ、どこか行く場所があって、行く場所を求めて歩いている。ある人は友だちと話しながら、ある人はヘッドフォンをかけてうつむきがちに、またある人は自転車で人の合間を縫っていく。ぬかるんだ地面に、自転車の轍が浮かび上がるように刻まれる。


 お昼ご飯を早々に平らげて、僕は彼らの内の一人になって歩く。

 僕にまだ行く場所はない。だから、行く場所を求めて歩く。

 僕の前を行くニット帽の学生は、楽器のギグバッグを背負っている。大きさからしてベースらしい。すると、僕の横を早足で抜けたかと思うと、ニット帽の彼に話しかける学生がいる。彼もまた、丈の長いコートにギグバッグを提げている。こっちはギター。あっちはベース。そっちは明るい。こっちは暗い。にっちもさっちもいかない。僕はそっちに行けない。僕は振り返り、元来た道を、後ろ髪を引かれながらまた歩く。


 子どもの頃、そりゃ今も子供だけど、もっと幼い頃。僕は自分を特別な存在だと思っていた。僕のどこかには秘められた才能が眠っていて、将来いつかそれが芽を出す。誰かが僕の才能を褒め称え、何かきらきらしたものを、僕は手に入れる。言い表せない根拠に確信を抱いて、僕はそう漠然と思っていた。

 そしてそれは、きっと僕だけじゃなかった。誰もがそうなんだ。誰もが自分は特別だと思って、事実、数少ない誰かは特別になる。だから僕らはまた、自分にも特別になれる力があると思っていた。けれど、「どこか」も「いつか」も「誰か」も「何か」も、大抵は一つか二つしか明らかにならず、僕らは特別になり得ながら、特別でない将来に賭けるしかないのだ。


 自分が特別だって思う事は誰もがあてはまるだろうし、そして、そうではないと自覚するのも、子どものうちにすることだろう。自分が才能に恵まれない凡愚であると、月並みで面白みのない愚者であると、そう、高校生の頃くらいなら、誰もが知っている。大人になる前から、僕らは自分が特別じゃないことを知っている。

 だけど、知ることと、信じることはまた違うのだ。

 僕は特別になりたい。何かを成し遂げるのか。手に入れるのか。創作するのか。発見するのか。教授するのか。惹起するのか。解決するのか。まだ分からない特別を、僕は大事に温めているのだと信じていたいんだ。

 果たしてそれは僕だけか?


 ところが、僕みたいな特別になりたがる人間を、社会は疎む。あるいは、疎むような気がする。誰もが他人の携帯電話を覗くのを倫理的に悪いと思っていながら、やっぱり気になって覗き込む、ダブルスタンダードなダブルシンクを、僕のような人間は、つまり多くの人間は、恐れるのだ。

 愚者は世間に溢れている。

 自分を愚者と知りながら、愚者でないことを装う人たちで溢れている。


 朝間降っていた雨は上がった。雨は止んだ。雨が『止がった』と書くと、なんとなく洒落ている。キャンパスを貫く街路樹の紅葉を通して、高い空から天使の梯子が降りている。雨が降り、はしごが降りる。

 愚者たちが雑然とした行進をしている。僕もその中で、彼らに従い、抗い、行きつ戻りつ、行く場所を求めて歩いている。

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水車 笹山 @mihono

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