ざまあみろ、青春

早見千尋

 高校最後の授業の日は、雨だった。

 ざまあみろと思った。


 高校三年、一月末。

 中学三年の今頃は、まさに受験直前のシーズンで、私をはじめクラスメートたちは今までにないくらい一生懸命に打ち込んだ。それ以前に私立専願で受かった人なんて、みんなに気を使って縮こまっていた。

 ……それなのに。


 それなのに高校は、夏の終わりごろにみんな推薦で専門に入りやがった。合格したのはいい。だけどそれで浮かれ上がってふざけてるのはどういうことだ。この時ほど、自分の高校のレベルの低さを恨んだことはない。四年制大学を受験する私は、そんな浮かれ三昧な友達を尻目に中三のときと同じように勉強に打ち込んだ。


 ……いや、もう友達でもないのかもしれない。

 もうとっくに進路が決まってしまった彼らは学校に来ていく服だの、一人暮らしだバイクだ免許だ、といった具合に、どんどん「これから」のことを決めていった。

 私はまだ、「これから」を決めるための準備をしている。段階がひとつ違う。


「大学決まった後とか、まだちょっと考えられないかなー」 

 なんて私は、もう彼らとはとっくに世界が違っていた。


 唐突な疎外感。教室の中で、世界が二分してしまったような感覚。

 同じ人間だと思っていた友達が、急に宇宙人になってしまったようで、腹立たしくもあり。




「……羨ましかったんだ」

 電気を付けていない暗い教室に、私の声は驚くほどよく響いた。サアーっと涼やかな雨の音。雨の冷気が、鉄筋コンクリートの校舎を這って、私の足元にたまってゆく。


 校舎に残っている生徒はほとんどいない。この大雨で部活は中止、生徒は速やかに帰宅しなさいという校内放送が流れたからだ。なぜ私がここにいるかというと、単純に帰るタイミングを逃したから。未練がましく残るクラスメートに付き合っていたらたまたま最後になってしまって、なんとなく教室にいるだけだ。幸い、家は地元だ。帰ろうと思えばすぐ帰れる。


 高校生活最後の授業の日だというのに、私たちは携帯で記念撮影もそこそこに解散したのだった。蛍光灯の明かりは、私のいる教室棟と向かいにある、職員棟に少しだけ。


 真っ暗な廊下、教室。教室棟と職員棟は中庭を挟んだ異世界のよう。

 この半年間、幾度となく襲ってきた疎外感が、また私を飲み込もうとしていた。


 私は自分の席を立った。隣の友達の机を触ると、何かを彫り込んだような手触りがする。携帯電話の光を当てると、数年前の卒業生のもののようだ。


 短いメッセージの後に、ご丁寧に「××年×月×日、晴れ」と添えてある。

「おあいにくさま。今日は雨ですよ、先輩」


 この彫り込み、使っていた子は事あるごとに邪魔だ邪魔だとぼやいていたのを思い出す。私の机にも、真ん中に無意味な穴が開いていえる。プリントを書くときに油断すると、シャーペンをひっかけて穴をあけてしまうので大変だった。


 一つ前の席へ。結構仲が良かった子のはずなのに、最後まで一緒にお弁当を食べなかった。そういえば、彼女はいつも違うクラスの子に呼ばれていた。

 ……最後くらい、同じクラスの子と食べればよかったのに。


 彼女の机は、几帳面な彼女らしく落書きひとつない。天板の板がざらざらしているところを見ると、最後に消しゴムで綺麗にしていったのかもしれない。


「詰めが甘いなぁ。こういうの、ちゃんと雑巾で拭かないと後で目立つのに」

 なんて思ったけど、自分が拭いてやるほどお人よしではない。

 あとの席は男子の席。さすがに男子の机をまじまじと見るのは憚られたので、一つ段差を上がって教壇に立つ。


 あまり見慣れない景色だ。

 整然と並べられた、けれど古い机。荷物一つ残っていないロッカー。昨日までアルバム制作の掲示があった、後ろの黒板。高校の教室はといえば、誰もがそう答えるに違いない、という光景だ。


 ふと、肘をついてつぶやいた。

「三年間、なーんにもなかったなぁ」


 恋もしなかった。

 大して部活に打ち込んでいたわけでもない。

 勉強も頑張っていたけど、そんなに成果は出なかった。

 推薦をとった友達とは、違う世界の人間のように感じた。

 体育祭も文化祭も、期待外れの出来だった。


 ドラマのような、マンガのような、子供のころに焦がれた高校生活はここになかった。

 誰もが同じように思っているだろう。今ここにいる私が思っているように。

 空っぽの教室は、空っぽの私の青春みたいだ。


 あーあ、と誰にいうでもなくぼやくと、パチン、とスイッチを入れる音がした。

「あれ、どうしたの?」

 入り口には、びしょびしょの友達。彫り込みの席の子だ。


「なーんとなく、このまま帰っちゃうの寂しいなぁって残ってただけ」

 私はいつも通りに答えた。本当はそんなこと、思ってないんだけど。


「あはは、意外と懐古しちゃうタイプか。私はね、忘れ物取りに来たんだ。ほら、明日担任が見回りした時に、なんか残ってたら即処分っていってたじゃん?」


 友達は自分の机の奥をごそごそと漁る。あった、と出したのは何かのメモ用紙。

「何かってひどいなぁ、あんたとの回し手紙だよ? 一応さ、思い出になるかもと思ってとっておくことにしたんだ」

 微妙にコメントに困る話題である。ちなみに私は、回し手紙をいつまでも持っていたりしない。


「あはは、そんな顔してる。じゃ、悪いけど私は次の電車があるから帰るね。卒業旅行の件、あとでメールするから!」


 じゃ、と快活に言ってパタパタと足音を立てて去っていく。明日にでもまた普通に登校してきそうなぐらい、普通の別れの挨拶。私みたいに、ぐちぐちと考える奴と彼女と、どうして仲良くなれたのか不思議だ。

 最初の出会い、と思い出してみると高一の時に席が近くて、それで。という感じだ。

 普通に仲良く遊びに行ったししゃべった。何か大きな喧嘩もしたわけではない。


 ……本当に何もないじゃん。高校生活。

「こんな何もない高校生活で、本当に成長できたのか? 私」


 教壇の上でまた頬杖をつく。友達が蛍光灯を着けたので何もない教室が余計よそよそしく感じる。電気がついていないほうが、まだ雰囲気があってよかった。

 ……なんだか興がそがれた。雨の音もだいぶ弱くなっている。帰り時だ。


 自分の机にまとめてあった鞄を持つ。クラスの子は最後まで荷物を貯めて鞄がパンパンだったけど、私はさっさと持ち帰っていたので今日は軽い。順調すぎる最後にまた、なんだかなぁという気持ちが強くなる。

 蛍光灯を消して、教室を出る。三年生の教室は二階だ。あっという間に昇降口についてしまう。

 最後に担任あたりが声をかけてくれたのならまだ何か思い出ができたのかもしれないが、おそらく職員棟にいるだろうから、多分それはないだろう。

 履き慣れたローファーに履き替える。撥水加工がしてあったこの靴も、最近はすぐびしょびしょになってしまう。

 傘立てにある自分の傘を―――ない。


 なかった。

 ピンクのテープが巻いてあるだけのビニール傘がなかった。

 残っているのはボロボロのビニール傘が一本。おそらくはこの傘の持ち主が、私の傘を持って行ったのだろう。間違えたのか、わざとか。


「最悪」

 職員室から傘を借りるか、と踵を返しかけたが待てよ、と足を止めた。


 ―――最後の最後に、高校生らしいこと、できるかもしれない。

 雨の日に高校生が走る。ドラマだと大体それは恋人とけんかして走り、最後に虹が――って流れだけど、この際、気にしない。それは我儘というものだ。


「………やるか」


 進路が決まって違う世界に行ってしまった友達とを繋ぐ、「高校生」というキーワード。

 後々彼らと話す機会があったら、高校生らしいことをした思い出を話すだろう。きっとこれは笑い話だ。不運にも、最後の日に傘を持っていかれてしまったのだから。


 撥水加工のとれたローファーで、傘立ての前を通り過ぎた。鞄は幸いなことに軽い。

 真っ暗になりかけた曇り空。雨はもう、かなり弱くなっている。


 帰るなら、いまだ。

 軽い鞄を頭の上にして、制服が濡れるのも構わず走った。


 濡れたアスファルトのにおい。校舎はもう、誰もいない。日の落ちかけたこの時間では、どうがんばったって虹は見られない。


 現実はこんなものだ。





「―――ざまあみろ、青春」

 


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ざまあみろ、青春 早見千尋 @shimayun0724

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