宴で舞う

 殿声でんせいという有難くも面白みもない別字を頂戴した頃には、たびたび宴の誘いがあった。これも勤めのうちと考えて、ひととおり顔を出して上官に酒を注いで、楽の批評などして下手な詩を詠じ吟じたりしては、宴を楽しむふりをしていた。

 だが次第に声もかからなくなり、こちらから無理に出掛けていく理由もなく、だから宴などずいぶん久しぶりのことである。

 昔馴染みの朋輩ともも珍しい男が来たものよ、と酒を勧めてくれる。

 春官侍礼宗伯じれいそうはくが王宮の近郊に持つこの寮は、庭園の美しさで知られている。異国とつくに工匠たくみに命じて造作させた湖池いけに舟を浮かべ、そのを見渡すと竹林や木々に鳥や鹿が見え隠れする。その鳴き声も、月夜も、詩を吟ずるには格好で、少しでも詩の腕に覚えのある者はこぞって宴にかけつけ、侍礼宗伯に取り入ろうとする。

 その様子に馴染めずに、それが宴から遠ざかった理由であることを思い出した。

 今宵はいかがしたのか、とからかう朋輩には、いつもと逆のことを言えばいい。仕事が片付いたのだと。

 ……托陽に連れ出された、というのが本当のところだとは思うが、当の本人は宴の場にいないようだし、噂の種を自ら撒くような愚かな真似はするものではない。

 欄干に額を擦るようにして寄り掛かり、月を見た。

 十三夜月。

 春の、朧月である。

 露台の端、朋輩と、酒。

 おぼつかぬ心地でこの宴に身を置く。

 ……詩を吟ずるには、確かに良い風情なのだった。

 耳には池舟ふねからの音曲が微かに届く。

「俺は酔っている……」

 それが口に出て、己の耳に聞こえるのか、胸中の声か、それさえ危うい。


 旧来くらい いにしえ想う露台の端

 てん仰ぐ 季春はるの朧月夜

 われ 彼地かのちの景色も知らず

 ただうそぶく 管弦覚束なしと


 綜白は父も母も知らない。

 母は異国とつくにの血の混ざった女だったらしいが、帰らぬ父に耐えかねて頼った遠縁の元で綜白を生み、産後の肥立ちが悪く死んでしまった。出自も何も、その故地さえわからない。

 遠縁だという夫婦は綜白を持て余して領主である鄭家に小者こもの仕えに出した。片手で年を数える頃である。

 鄭家に子がなかったために里子の扱いを受け、どうにか科挙を受けることができ、今がある。

 幼い頃の記憶はほとんどない。ただ、姉がいた。

 鄭家に出され、会えなくなった。暫くして、その姿が消えた。

 聞いても答えてくれる者はなかったから、今もどうしているかわからない。

 月に故地を想う、詩歌の型がある。だが、その故地を思い描こうにも、その情景は綜白の記憶にないのだった。

 成年してから母の所縁ゆかりを探そうとしたが徒労に終わった。父を知る者は元よりいない。

 ……綜白は扇を収めた。

 詩を吟じ、舞終えたから。

 露台に、吐息が満ちた。

 池を見やると、そのほとりの篝火かがりの下、托陽と目が合った。邪気のない笑顔を向けていた。

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