人影を射狙う

 よく整備された港の護岸、その背後に建ち並ぶ石倉や会所をこの入り江から見たのは初めてだ。……いつも、見えるのは皆が忙しく立ち働く、騒がしくも華やかな港だったから。

 啓泰は弓弦ゆづるの張りをもう一度確めながらそう思った。副船が弩弓の届く距離へだたりに入ろうとしている。

 港に人影は無い。啓泰の考える弩弓の届く範囲というものは、護岸の端に立って海に射る距離だから、倉の物陰から射るならばまだ届かない。

 だが、高楼たかどのから遠目利く斥候うかみが見ているのなら、己がこの長弓を手にしていることはすぐにそうと知れる。それだけで弩弓を弾くのをためらうだろう。それだけの隙があるのなら、浩阮が切り伏せる。

 強くはないが、風がある。その分、征箭そやは流されるが、啓泰はその一点の狙いを外すことがあるとは思わない。

 狙いを付けたのは一点。港に立ったひとつの影。

 大袖を重ねた礼服姿は市舶司しはくしのものだ。だが啓泰の記憶にある市舶司は人当たりの良い貧相な老人で、今、港に在るはその人物とは似ても似つかない。確かにこの航海たびの間に任期が切れて王都みやこに戻るとは聞いていて、その後任が着く前に港を出た。……だが、その後任が今港に在る人物なのだろうと、その姿だけで判じるには鷹揚がすぎるというもの。

 皆の吐く僅かな息遣いさえも聞こえそうだ。不思議な程に物音がない。

 畳んだ帆を潮風がなびかせている。重石いかりを下ろしているものの、波が海船ふねにあたり船体からだを揺らす。波が船首くびを回して向きを変えてしまわぬように僅かに櫓を漕ぎ動かす。

 音が、あるはずだった。

 皆、張り詰めた空気の中で息を殺している。

 今、無事を祈る者は、……誰の無事を祈るというのだろう?

 副船は護岸に達していた。その帆のために若君の姿が見えなくなる。

 汐迅は腕のよい水夫かこだ。瞬時、港を離れることができる。帆の向きを素早く変えて、自らも護岸をなす巌を蹴り、櫂を漕ぐ。

 だが、その帆が啓泰の定めた狙いを覆い隠した。

 弓引いて矯めた啓泰の腕に、汗が流れた。

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