理想と現実の影

 近付いた港に人の気配は無かった。……常にこの港は忙しなく動く人々が行き交う。それが無いだけでこんなにも違って見えるのかと把栩は思った。

 浩阮と爺、そして水夫かこの一人、汐迅せきじんの三人が随行するのみ、それはこれまでと違い過ぎるものだ。

 その理由わけを思い浮かべようとしても、今の把栩には徒労にすぎず、これより先のことを思い描くことも適わないのだった。

 これより先……おかに、港に降り立つより先のことを。

 事態ことをいち早く見定め決を下さねばならぬ。

 何の為に。

 海船ふねで待つ皆のために? それはもちろんそうなのだった。だがどこかそう考えるには違和感がある。

 街の皆のために? 事態を素早く収めることは確かに彼等のためだろう。……蜂起した者とされた者のの立場の違いを無視するのならば。どちらにことわりがあるかなど、どちらでもよいのだ。

 尚家のために? 托陽のために? 

 それはそうなのだった。己の拠って立つ場所は常にそこにあるのだから。

 だが、そういうことではない。

 己のために?

 その問いにも、把栩は首を振ることができた。違う。そうではない。

 ……それは「揮尚」という名の大幟旗はたのためだ。

 それだけは、汚すわけには、いかない……。

 なぜそのように思うのか、把栩には言葉にすることができない。

 結局はその大幟旗を、「揮尚」を、いずれは超えるのだと見定めた己のためなのだと。

 そういうことなのかも知れなかった。

 だがその大幟旗は「こうであるべきだ」と把栩が思い定めた「理想ゆめ」とどこが違うだろうか。「こうあらねばならぬ」と心に決めて行く路の末と現実とは、掛け離れているものではなかったか。

 心に思い描く行く末は、いくらでもやり直しの利くものだ。現実うつつはそうではない。

 街の誰からも慕われた「揮尚の托陽」の姿は、把栩が幼い心に描いた理想に過ぎなかったのだろうか。その証に、この現実を思い描いたことがなかった。

 人の心は見えぬものなのだった。それを忘れていたために「本当の街の姿」を見誤っていたということか。

 本当はいつ街の皆が蜂起してもおかしくはない、そんな状況だったのかも知れない。それとも把栩がこの街を離れた半年の間に急激に事態ことが変わったのかも知れない。

 ……それすら思い量る術のない。それが己の最大の過失あやまちなのだ。

 蒼穹に在る日輪が落とす己の影が、把栩には酷く昏いものに感じられた。

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