歩揺と勾玉と
民の多くが
近隣諸国の
尚家の当代の
この尚都を広く知らしめたのは彼の功績であり、彼の
尚氏の賜った
把栩は二年前に
托陽は把栩の出仕のために散財することを嫌った。官位を得るにはそれなりの高官の推挙が要る。その謝礼の相場は驚くほど高額で、大船が一度の
父の考えは知らぬが、把栩自身は「揮尚」の名をいづれ継ぐときが来るならば、そのときまでにははっきりと父を超えていたい、それが尚家の若君の密かな願いだった。
そのためにはこの海を知ることが必要だった。幼い頃から托陽の大船に乗り、交易の湊を渡っていたが、刀帯の儀を終えて己の大船を与えられてからは一年のうちの大半を海ですごすようになり、伊都にあるのは三月に満たない。
今回の
島々にとって海原を越えてくる大船は、陸の恵みをもたらす。どの島でも把栩は
だが荷の取引となれば歓待の大きさとは話は別で、どの島でも厳しさを味わった。王宮などでは「揮尚」など王帝から離れればただの
そのただの商人がいなくば、太刀の
厳しい取引の中で、把栩は数よりも見た目の美しさ、質の良いものを多く集めた。その場で損をしても、国に戻れば元ではすぐに回収できると踏んだのだ。
爺はそれも手立ての一つでしょう、と言って苦く笑った。他の手を使ってほしいのだとは分かったが、今の把栩ではそれは難しいことも爺は察していて、だからそれ以上は言わない。ただ思うようにやらせてくれてどうにもならなくなるまで手助けをしないのが爺なのだ。
その爺が止めなかったところを考えると、まだどうにもならぬわけでもない、仮に益が薄くとも、勉強代だともでも思っているのだろう。
少々悔しくもあるが、それは己の未熟なためで仕方ない。だが次の取引ではそうはさせぬよう、駆引きを身に付けねばならぬ。
そんな思いを抱えながら島の市をそぞろ歩いていたとき、把栩の目に入ったものがある。
把栩は思わず足を止めた。居眠りをしていた
老人は把栩の身なりを頭の上から足先までを不躾に見定めるように目つきでじろり見てから、胸元を指してその
それを聞いて耳を疑い、同時に未熟さをからかわれたのだと思って、顔をしかめた。
把栩の勾玉は
ところが老人は笑った。そんな顔なさることはねぇ、こいつは見る目のある
これだけの
「あんたぁ、
老人は把栩を店裏の
この高床となっているのはこの辺りの島に普通で、少々の高波で島が
男が入ってきた老人と把栩に気付いて手を止め顔を上げたが、また元の作業に戻っていく。男の手元には細工物、それを小さな手槌で叩き延ばしながら整えていくのだ。
ではこの男があの
把栩は老人の腰掛けた反対側の空いた床板に座した。
「この男の作った物を、
老人はだが、首を振った。
「
男は海の時化たある日、小舟で流れ着いた。言葉が違うので
老人の孫が懐いたため、しばらくのつもりで置いてやった。男はいつからか
「それでここに
把栩から受取った勾玉はまた男が磨きなおして
今でも男の言葉は片言で、殆ど話すこともない。この
把栩が他の島の言葉で話し掛けて見たが、男は困った顔で笑うばかりだった。
先ほどまでの悔しさは不思議と消えた。この海のどこかに男の
そこに在る者たちは托陽の名を知らず、素晴らしい
急に森から開けた草原に出たように目の前が広がった気がした。
……行けぬ
人が海に流されて生き延びられるのはせいぜいがひと月、
把栩はそれから
そのいくつかの島の言葉に似た言葉や表現があれば、その島の先に求める男の生国があるはずだった。
だが流されてから十年近く経っているというのに男の話す言葉はたどたどしく、舌足らずに聞こえる。どの島の言葉も特に分かるようではない。それは把栩が考えるよりも遠方から男がやってきたという
諦め切れずに、男から幾つかの言葉を教えてもらった。いつか、というただの
それほどのことが今の把栩にできるはずもなく、またせねばならぬ必然性もない。
それでもこの広い海の更なる広がりを知り、その先にあるものに惹かれた。把栩には、それは入り日の海……金色に輝く海原にも似た、決して誰にも冒すことのできぬ無垢の存在のように感じられたのだった。
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