歩揺と勾玉と

 伊都いとは元は王帝の直轄領、御県みあがたであったが、数代前に尚家が賜った。

 民の多くがいさりを生業としていた小さな湊は、深い入り江に造作されて大船うみふねの並ぶ大湊みなととなった。

 近隣諸国の商人あきなりひと水夫かこたち、異国とつくにの者が街を歩き、交易あきなりの恩恵を受けた民が皆豊かに暮らす伊都は、この国にあって唯一最大、人の住まう大都みやこ、とまで謳われて「尚都しょうと」と呼ばれるようになった。

 尚家の当代のおさ托陽たくよう交易人あきなりひとたちの去来いききに心砕き、また自らも大船ふねを海原に駆ることで人とたからを動かし、その財で街を整えることで民の信用と思慕を得てきた。

 この尚都を広く知らしめたのは彼の功績であり、彼の嗣子むすこ把栩はくもまた十五の若年ながら海を渡り尚都に益をもたらしている。

 尚氏の賜ったかばねは「」、托陽自身の官職は王の身辺警護にあたる僕臣ぼくしんの長、大僕たいぼくである。位階くらいでいえば中の下、さほどの高官ではないが、平時から王の側近くに仕えてその信頼を得て「揮尚きしょうの托陽」といえば欠けることのない素晴らしい人物の意をもって称えられ、その代名詞のようなものになっていた。

 把栩は二年前に刀帯たちはきの儀を済ませていたが、未だ官位を授かっていない。無位のまま王都みやこ王宮みあらかに参内することもないわけではないが、祭典まつり大宴うたげの際の楽曲にしょうの合わせ手として召させるほかに王宮に赴くことはあまりない。

 托陽は把栩の出仕のために散財することを嫌った。官位を得るにはそれなりの高官の推挙が要る。その謝礼の相場は驚くほど高額で、大船が一度の航海わたりで得る財ほどにもなった。科挙に向けての学問を強いられたこともなく、教師を雇ったことさえない。

 父の考えは知らぬが、把栩自身は「揮尚」の名をいづれ継ぐときが来るならば、そのときまでにははっきりと父を超えていたい、それが尚家の若君の密かな願いだった。

 そのためにはこの海を知ることが必要だった。幼い頃から托陽の大船に乗り、交易の湊を渡っていたが、刀帯の儀を終えて己の大船を与えられてからは一年のうちの大半を海ですごすようになり、伊都にあるのは三月に満たない。

 今回の船旅たびはこれまでで一番長いものとなり、大海うみに散らばるように在る幾つもの島々を巡って取引を繰り返し、おかでは、めづらかなものを手に入れてきた。

 島々にとって海原を越えてくる大船は、陸の恵みをもたらす。どの島でも把栩は島長おさに大仰なもてなしを受けた。初めて寄った島も多かったが、どの島でも托陽を知らぬ者はなかったし、その嗣子むすこと知って大きな歓待を受けた。中には顔を見て言い当てる者もあって、把栩は父の成し得てきたことの大きさと超えねばならぬものの大きさを目の当たりにし目の眩む心地がした。

 だが荷の取引となれば歓待の大きさとは話は別で、どの島でも厳しさを味わった。王宮などでは「揮尚」など王帝から離れればただの商人あきなりひとだ、などと揶揄もされているが、それは正しくはない。少なくとも「ただの商人」となって財を得ることの難しさを知らぬ者がそれを言うのは愚かなことだと把栩は思っている。

 そのただの商人がいなくば、太刀のを飾る玉石たまのひとつも得られぬのだ。そう揶揄するような者に限って希少な玉石を手に入れたがる。……多少値をふっかけたとしてもそれと気付くこともないものだ。

 厳しい取引の中で、把栩は数よりも見た目の美しさ、質の良いものを多く集めた。その場で損をしても、国に戻れば元ではすぐに回収できると踏んだのだ。

 爺はそれも手立ての一つでしょう、と言って苦く笑った。他の手を使ってほしいのだとは分かったが、今の把栩ではそれは難しいことも爺は察していて、だからそれ以上は言わない。ただ思うようにやらせてくれてどうにもならなくなるまで手助けをしないのが爺なのだ。

 その爺が止めなかったところを考えると、まだどうにもならぬわけでもない、仮に益が薄くとも、勉強代だともでも思っているのだろう。

 少々悔しくもあるが、それは己の未熟なためで仕方ない。だが次の取引ではそうはさせぬよう、駆引きを身に付けねばならぬ。

 そんな思いを抱えながら島の市をそぞろ歩いていたとき、把栩の目に入ったものがある。

 歩揺ほようの付いた釵子かんざしである。真珠しらたまを中心にあしらい、翡翠ひすいを周りに配し、歩揺は紅珊瑚の装飾かざり。使われた玉も見事なものだが、これだけの細工を施すにはよほど熟練てだれ技術わざが要る。それが無造作にも見世棚みせさきに置かれていたのだ。もったいつけて最後に店奥からうやうやしく出してくるような品だというのに。

 把栩は思わず足を止めた。居眠りをしていた棚番みせばん老人じじを揺り起こしてあたいを聞いた。

 老人は把栩の身なりを頭の上から足先までを不躾に見定めるように目つきでじろり見てから、胸元を指してその勾玉まがたまと代えられる、と言った。

 それを聞いて耳を疑い、同時に未熟さをからかわれたのだと思って、顔をしかめた。

 把栩の勾玉は碧玉あおるり、さほど高値の付くほどの質ではなく、その曲がりの大きさからひと昔は型の古いものだと誰が見ても分かる。おまけにいつも身に付けているからいつのまにか擦れて雲ってしまっているのだ。

 ところが老人は笑った。そんな顔なさることはねぇ、こいつは見る目のある御仁おひとにしか売らねぇんだ。お若いのにこいつの凄さがお分かりとは、大したもんだ。

 これだけの装飾かざりをつけた品を並べておけば、店奥には余程の品が在ると思われる。その店奥から出した見栄えだけは良いものを買って行くような輩がいる。

「あんたぁ、はじめからこの釵子かんざしをお求めになった。だからお渡しするんでさ。良い目利きだ」

 老人は把栩を店裏の苫屋とまへと招いた。通りと違って雑然とした界隈の、どこにでもあるような苫ではあったが、土間の奥に一応の上がりしきがしつらえてある。

 この高床となっているのはこの辺りの島に普通で、少々の高波で島が潮水みずに浸かっても困らぬようにしてあるのだ。島によって少しずつ高床の形が違ったりするものだが、この苫の形はこの島によくあるものではなく、苫屋全体を高くしてあるわけではなかった。

 男が入ってきた老人と把栩に気付いて手を止め顔を上げたが、また元の作業に戻っていく。男の手元には細工物、それを小さな手槌で叩き延ばしながら整えていくのだ。技師わざひとである。

 ではこの男があの釵子かんざしを作ったのだ。

 把栩は老人の腰掛けた反対側の空いた床板に座した。

「この男の作った物を、海船ふねの荷にしたい」

 老人はだが、首を振った。

釵子かんざしはお渡ししますがね。……この細工の良さはこいつにしかできねぇもんで。右から左へ、てなこたぁしてないんですよ」

  男は海の時化たある日、小舟で流れ着いた。言葉が違うのでおかから来たのかと思い、陸の者と会わせたが通じない。余程遠くの海から流れたらしかった。

 老人の孫が懐いたため、しばらくのつもりで置いてやった。男はいつからか見世棚みせさきの品に細工を施し始めた。付いた玉を挿替すげかえ、歩揺ほようを付け、叩いて整える。そのうちに鍍金やきつけ箔貼はくはり象嵌はめこみ螺鈿かいすりまでも手掛けるようになった。どれもこれも見事な細工で、流される以前の生業だったようだ。

「それでここに工房しごとばを建てた、てぇわけなんですよ」

 把栩から受取った勾玉はまた男が磨きなおして手纏たまき玉釧くしろ首環くびのわ佩飾はきものなどに仕立て直す。だから損はしないのだという。

 今でも男の言葉は片言で、殆ど話すこともない。この技術わざを弟子をとって教えることはできにくい。大船ふねの荷となるほどのまとまった数を用意するのは無理だろう。

 把栩が他の島の言葉で話し掛けて見たが、男は困った顔で笑うばかりだった。

 碧玉あおるりの勾玉を首から外して老人に渡し、釵子かんざしと取替え、把栩は市の通りに戻った。

 先ほどまでの悔しさは不思議と消えた。この海のどこかに男の生国ふるさとがある。未だ見ぬ国、島が在る。

 そこに在る者たちは托陽の名を知らず、素晴らしい技師わざひともいる。

 急に森から開けた草原に出たように目の前が広がった気がした。

 ……行けぬところではない。

 人が海に流されて生き延びられるのはせいぜいがひと月、海船ふねならばさほどもかかるまい。男が流された季節、潮の流れで方向むきは絞られる。

 把栩はそれから出航ふなでまでの間、足繁く老人の見世棚と男の工房に通った。老人に呆れられるほどに根気よく男いに話し掛けた。把栩はいくつもの島の言葉を解しているから。

 そのいくつかの島の言葉に似た言葉や表現があれば、その島の先に求める男の生国があるはずだった。

 だが流されてから十年近く経っているというのに男の話す言葉はたどたどしく、舌足らずに聞こえる。どの島の言葉も特に分かるようではない。それは把栩が考えるよりも遠方から男がやってきたというあかしだった。

 諦め切れずに、男から幾つかの言葉を教えてもらった。いつか、というただの希望のぞみと若者らしい好奇心であって、それらと現実うつつの間にある大きな隔たり、叶うにはあまりにも乗り越えねばならぬことの多さは、把栩は承知していた。

 船長おさの一存であるかなきか、行く先も分からぬような船旅たびができるはずもない。国を氏をかばねを家をうからを、すべてを捨て、そして私財たからのすべてをそのために注ぎ、水夫かこたちを一から集めなくてはならぬ。

 それほどのことが今の把栩にできるはずもなく、またせねばならぬ必然性もない。

 それでもこの広い海の更なる広がりを知り、その先にあるものに惹かれた。把栩には、それは入り日の海……金色に輝く海原にも似た、決して誰にも冒すことのできぬ無垢の存在のように感じられたのだった。

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