出発。(その12)

「こ……これから、どうするんです?」

 そうたずねた禄坊ろくぼう太史ふとしに、風田かぜたが逆に聞き返した。

「ここから次の集落まで……家の密集している地区までは、遠いのか?」

「あと一キロ近くあると思います。この場所は、さっき通過した集落と次の集落とのちょうど中間点くらいでしょうか」

「そうか……なら『噛みつき魔』たちに銃声を聞かれた可能性は低いが……猫のこともあるし、できるだけ早く移動した方が良いだろう。現状、どこよりも安全なのは移動し続けているクルマの中だからな。そのためにも……」

 風田は軽トラックを見た。

「あの邪魔なトラックを移動させないと……禄坊くんは、この爺さんに銃口を向け続けてくれ。爺さんが目を覚ましたら、動かないようにおどすんだ」

「わかりました」

 太史がうなづいたのを確認して、風田は気絶している老人の横に片膝かたひざを突いてポケットを探った。

「軽トラをわざと通行の邪魔になるよう駐車させたのが爺さんの仕業しわざなら、イグニッション・キーを持っているはずだ」

 鍵を老人のポケットから出して、メーカーの刻印を確かめる。軽トラックと同じだった。

 軽トラまで歩いて行き、運転席に乗り込んでエンジンを掛けてみる……掛かった。

「当たり、だな」

 つぶやきながら、風田はトラックを運転して邪魔にならないように道路わきに駐車しなおした。

 老人のところへ戻ると、太史が次の指示を求めて来た。

「この爺さんは、どうします?」

 アスファルトの上に倒れた老人が「ぐぅ」とうなった。意識が戻りつつあるのかもしれない。

 風田は「どうしたものか」とあごいた。

「あとをけられるのは、嫌だな……とりあえず軽トラのキーは俺たちが預ることにしよう。そうすればクルマで追いかけられないで済む。ある程度離れたら、鍵は適当な場所に放り投げておけば良いさ……念のためその猟銃も預っておこう」

「りょ、猟銃を取りあげるんですか? か、勝手にそんな事したら、銃刀法違反ですよ……ああ、いや、その前に窃盗罪か」

「そうなんだろうけど……こっちとしても出来るだけ危険を回避しなけりゃいけないからな……まあ、非常事態という事で勘弁かんべんしてもらうさ」

 太史に言い訳をして、風田は振り返って甥の速芝はやしば隼人はやとに言った。

「隼人くん、ハイブリッド・カーの荷室に俺の鞄がある。ノートパソコンの入った黒い鞄だ。持ってきてくれないか?」

 隼人が「はい」と返事をして鞄を取りに行った。

 甥から鞄を受け取り、風田は老人の横に再度ひざを突き、ハンターベストのポケットから次々と弾薬ショットシェルを取り出して鞄の中に詰めていった。

(ほんとうに安全のため……なのか?)

 老人のポケットを探って弾薬を鞄に詰め込む風田の姿を見て、太史は、風田の「危険な老人から銃を取りあげる」という言いわけに疑問を感じた。

(ひょっとして弦四河げんしかわさんから取り上げた銃を風田さん自身が使うつもりなのか)

 弾薬をせっせと鞄に詰める風田の姿をボンヤリ見ていた太史に、誰かが「禄坊くん」と声を掛けた。ハッと我に返って声の方を向く。

 結衣ゆいだった。

 父親の死体から離れ、いつの間にか太史のすぐ隣に立っていた。

「その猟銃、私に貸してちょうだい」

 思いつめた表情で、押し殺した声で、右手を太史に突き出しながら大剛原おおごはら結衣が言った。

「どうするつもりですか? な、何を考えているんです?」

 結衣の様子に何か不穏なものを感じて、太史が聞いた。

 全ての弾薬を鞄に詰め終わった風田が、立ち上がって結衣を見た。

 結衣が少し苛立いらだった声で、重ねた。

「良いから、その銃を貸してちょうだい」

「禄坊くん……結衣さんに銃を渡すんだ」

 風田が結衣に加勢し、それから隼人に鞄を渡しながら言った。

「隼人くん、これをハイブリッド・カーに戻して置いてくれ。それからクルマの中に入って、目を閉じて耳をふさいでいなさい。沖船おきふね奈津美なつみさんにも、目と耳をふさぐように言うんだ」

 大人たちの会話に尋常ではない何かを感じて、隼人は、叔父の言葉に素直にうなづき、鞄を持ってハイブリッド・カーの後部座席に潜り込んだ。

 甥がクルマの中に入りドアを閉めたのを確認して、風田が太史に言った。

「禄坊くん、君にとって、この老人は大切な人か?」

「え?」

「高齢で認知能力が低下し、精神に変調をきたし、君を『宇宙人』呼ばわりして銃口を向けたこの老人を、それでも君は大切に思うのか?」

「い、いや……別に『大切な人』って訳じゃないですけど……あくまで親父の猟師ハンター仲間ってだけで、ぼ、僕にとっては単なる知り合いっていうか……」

「だったら……、結衣さんに猟銃を貸してやれば良い」

「風田さん、それは一体どういう意味……」

 聞き返そうとした太史の猟銃に、いきなり結衣が手を伸ばした。

 じれったそうな顔で、強引に銃を奪い取ろうとする。

「あ、危ない! 結衣さん! ぼ、暴発しますよ!」

 言いながら、なぜか抵抗する気が失せて、太史は両手の力を抜いた。結衣と二人で銃を奪い合って、本当に暴発してしまうのも嫌だった。

 結衣は、太史から奪い取った銃の銃口をアスファルトに横たわる老人の体に向け、いきなりその脇腹わきばらを思い切りった。

「起きろ! くそじじい!」

「ぐえっ」とウシガエルのような声を出し、老人が脇腹を押さえた。

 顔が苦痛に歪んでいる。薄っすらと目が開いていた。意識が戻ったようだった。

 結衣は、自分を見上げる老人の胸を白いスニーカーで踏みつけ、猟銃を老人の左肩に突き立てて、引金ひきがねを引いた。

 轟音。

 老人の肩の骨と肉がぜ、真っ赤な血しぶきの花がアスファルトの上に咲いた。

 至近距離から発射されたスラッグ弾が枯れた肉体を貫通して路面で跳ね返り、森の中へ飛んで木の幹に当たり「カンッ」という甲高い音を響かせた。

 悲鳴を上げ、道路の上で回る老人の姿を呆然と見つめる太史。

 瞳に憎しみの炎を燃やして老人をにらむ結衣。

 眉間にしわを寄せ、にがい顔で老人を見下ろす風田。

 クルマの中で目をきつく閉じ、耳を塞ぐ隼人と奈津美。

 SUVの後部座席で同級生を見つめる美遥みはるれい

 結衣が再び怒声を上げた。

「痛いか! 苦しいか! もっと痛がれ! もっと苦しめ! ど畜生が!」

 ぐちゃぐちゃに破壊された老人の左肩に銃口を潜り込ませ、すり鉢の中のすりこのように銃身で老人の骨と肉と神経繊維をね回した。

 老人の絶叫が森に響き渡る。

「ど腐れ爺じいが! 死ね! 死んで地獄に堕ちやがれ!」

 千切ちぎれた肩肉から銃身を引き抜き、今度は血まみれの銃口を老人の右目に当て、そのまま頭蓋骨をアスファルトに押し付けるようにして銃口をずぶずぶと右の眼窩がんかに潜り込ませた。

 老人に苦痛の叫びを上げるひまを与えず、引金を引く。

 後頭部が爆発し、路上に血と脳漿で染め上げられた大輪の花が咲いた。

 跳弾が森の葉を揺らし、どこかへ飛んで行った。

 残響が消え、五月の良く晴れた田舎道に静けさが戻る。

 誰も動かなかった。

 最初に結衣が小さく「くそっ」と声を発した。それを合図に、人々の時間が再び動き出した。

 二発の弾丸を撃ち尽くしからになった猟銃を、「もう興味が無くなった」とでも言うように、結衣が投げ捨てた。

 老人に殺された父親の死体も、自分が殺した老人の死体も見えないクルマの陰まで走って行き、しゃがみ込み、両手で顔を覆い再び泣き出した。

 血まみれの死体を挟んで、風田と太史が向かい合った。

「本当に、これで、良かったんですか?」

 風田をにらみ、太史が聞いた。

「風田さん……あなたの下した判断は、?」

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