出発。(その13)

「こ、これじゃ復讐じゃないですか。私刑リンチですよ! お父さんを目の前で殺されて気が動転している結衣さんに猟銃を渡したらこうなるって、分かっていたんだろ? それなのに、あんた……殺人ほう助は重罪だぞ」

 禄坊ろくぼう太史ふとし自身が動転し、鋭い語気で風田かぜた孝一こういちをなじった。

 興奮する禄坊に、風田が低い声で言い返す。

「禄坊くん、落ち着けよ。このじいさんは人殺しだ。最初に大剛原おおごはら警察官を殺したのは、この爺さんだ……そのむくいを受けて自分が殺されただけだ」

「殺されただけ……って……正当な手続きも踏まずに、裁判官も弁護士も居ないこんな路上で『むくい』もも無いでしょう」

「禄坊くん、君は、裁判官や弁護士が居ないと? たった今、我々の仲間が……我々のリーダーになるかもしれなかった人が殺されたという事実を認められないのか?」

「そ、そういう話じゃないでしょう! 大剛原さんが死んだ……亡くなったことに関しては僕もショックを受けてますよ……まして結衣さんは、目の前でお父さんを……でも、だからって弦四河げんしかわさんが死んで良いわけじゃないでしょう! 弦四河さんは高齢で認知能力に問題があったんだ。彼に責任のすべてを押し付けるのはこくってもんでしょう? ある意味、大剛原さんが死んだのは誰のせいでもない偶発的な事故や災害みたいなもんだ……誰にもどうしようもない事だったんだ」

「そうだ。この爺さんは高齢で認知症で我々にとってはだ。そして、結衣さんは、今のところ我々の仲間で、まだ若く、頭も良く、おそらく身体的な能力もそこそこ高い。もしかしたらこれから集団生活を営む上でかもしれない……結衣さんの心の鬱屈が晴れるのなら、我々の仲間を殺した認知症老人の命は、だ」

「風田さん、正気か? ……あんた、今、すげぇ事言ってるぞ……人の命の重さを天秤にかけ、自分勝手にを振るい分けるって言ったんだぞ?」

「ああ。自覚してるよ。平和な世の中なら、絶対に許されない言いぐさだろうな。文明社会でこんなことを言ったら、真っ先に言った俺自身が吊るし上げられるだろうさ。だがな禄坊くん、文明社会なんて御立派ごりっぱなものは、もうこの世には存在しないと思った方が良い……そして……君も、大切な人を守るために誰かを殺す日が絶対にやって来る。……。その日のために覚悟を決めることだ」

「覚悟……なんて……」

 そこで禄坊太史ふとしは言葉に詰まった。自分でも気づかないうちにうつむいて唇を噛んでいた。

「さあ、こんな路上で長々と議論している場合じゃないだろう……『みつき魔』がいつ現れるか分かったもんじゃない」

 そう言って、アスファルトの上に投げ捨てられた猟銃を禄坊に渡した。

「これは君が持っていろ。我々の中では銃の知識が一番ありそうだ……せっかく手に入った強力な武器だが、禄坊くん以外の人間には使いこなせないだろうからな……あとで隼人はやとくんに弾丸たまを持ってこさせる」

「し……死体は、どうするんですか……こ、は」

 銃を受け取り、足元に横たわる老人の体を見下ろし、禄坊が言った。

「放っておいても問題は無いだろう。この老人自身が集落まるまる一つを皆殺しにして農道の上に死体を放置していたからな。今さら死体が一つ増えたところで何でもない」

「風田さん……あんた、だんだん、まともな感覚が麻痺まひして来てるんじゃないか?」

「そうかもしれない……否定は、しない」

 め息まじりに言った風田から視線をらし、禄坊は大剛原の死体を見た。

「あっちは、どうするんですか? 大剛原さんの遺体は」

「そうだな……さすがに大剛原さんは路上に置きっぱなしじゃ可哀そうだ……結衣さんの手前もあるし……森の中の、農道から見えない場所に横たえるくらいの事はしておくか……禄坊くんも手伝ってくれ」

 風田は、頭部を撃たれ路上に仰向けになっている警察官の死体へ歩き始めた。

 猟銃のスリングを肩にかけ、禄坊太史も後を追った。

 近づいてみると、大剛原の顔面も弦四河老人と同じようにひどく損傷していた。後頭部が内側から爆発したようになって、辺りに血と脳漿のうしょうき散らされている所も一緒だ。

 一瞬、迷ったが、ここは年長者の責任だろうと風田は自分から損傷の激しい頭部の側に回った。

「俺が上半身を持つから、禄坊くんは足を持ってくれ」

「わ……わかりました」

 禄坊が足の側に回る。

 風田は、死体の肩を抱いて壊れた頭部が衣服にれるのは嫌だな、と思い、まだ死後硬直の始まっていない両腕を持ち上げた。

「どこへ持っていくんですか?」

 突然、声をかけられ、風田が振り向くと、いつの間にか横に大剛原結衣が立っていた。頬に涙の乾いた跡があった。

「お父さんを、どこへ持っていくつもりですか」

「え? ああ……も、森の中に横たえようと思って……」

「嫌っ!」

 突然、結衣が叫ぶ。

「お父さんを、こんな山の中に……しかも、あの腐れ痴呆爺ぼけじじいのそばに放置しておくなんて、絶対に嫌!」

 さすがに、風田も戸惑う。

「ゆ……結衣さん……君の気持ちも分かるが、ほ、他にどうしようも無いんだ。まさか車の座席に死体……いや、君のお父さんを乗せるわけにもいかないだろう?」

「嫌っ! とにかく、嫌っ! お父さんをこんな山奥にたった一人で残すぐらいなら、私も残る! 私を置いて、みんなさっさと行けばいいわ!」

 そして、父親のかたわらに跪いて「絶対にここから動かない」という意思表示の目で、風田を見上げた。

「結衣さん……」

 困惑顔で(どうしたものか……)と結衣を見下ろし小さくめ息をついた後、ふと視線を外して禄坊の方を見ると、彼は横を向いて何か別の物を見ていた。

 その視線の先には、弦四河老人の軽トラックがあった。

「とりあえず、あれ、使いませんか?」

 禄坊が風田に言った。

「おあつらえ向きに、荷台にはブルーシートと、重石おもしがわりのコンクリート・ブロックもある……」

 良いアイディアだと風田も思った。片膝をついて、死体の横に座る結衣を見た。

「分かったよ……結衣さん……大剛原さんの遺体は、あの軽トラックに積もう。運転は禄坊くんに任せれば良い。今は、とりあえず皆が休める安全な場所を探すのが先決だ」

 結衣は無言で風田を見つめた。

 それを「イエス」のサインと受け取り、立ち上がって、禄坊に「軽トラを持ってくる」と声をかけ、軽トラックの方へ歩いた。

 運転席に乗り込み、エンジンをかけ、ギアをリバースに入れて大剛原の死体近くまで移動させる。

 車が停止したところで禄坊が後部のを外して、たたんでブロックを乗せてあったブルーシートを取って大剛原警察官の横に広げた。

「あとは俺たちに任せて、結衣さんはSUVに戻って少し休みなさい」

 風田は、「でも……」と渋る結衣の腕を取って半ば強引に立ち上がらせ、同級生たちの待つSUVの方へ体を向けて背中を押した。

 それでも未練がましそうに振り返った結衣に、「大丈夫だから。俺と禄坊くんにまかせなさい。さあ、早く行きなさい」と、風田は少し強い口調で言った。

 しぶしぶSUVの方へ歩いて行く後姿を見ながら、風田が禄坊に向かってつぶやいた。

「やれやれ……ちょっと、面倒な事になったな……まさか死体と一緒にドライブなんて……」

「家族としては、当然の心理でしょう。僕だって、同じ立場ならそう思うかもしれない」

「そうなんだろうけど、さ。もう、そういうが通用する世界じゃないかも知れないんだが……とにかく決まったことだ。さっさと作業を終わらせて、一刻も早くこの場所から立ち去ろう……禄坊くんは足を持ってくれ」

 風田が頭を持ち、禄坊が足を持つ格好で「一、二の、三」で死体を持ち上げる。

 破壊された頭部がガクンと後ろにり、割れた頭部から脳みその残りがアスファルトの上に垂れた。

 胃がギュゥと収縮し、思わず嘔吐しそうになるのをやっとの事で風田はこらえた。

(結衣さんをSUVに帰したのは正解だったな……こんな浅ましい父親の姿を見たら、錯乱するかもしれない)

 横に広げたブルーシートの上に死体を置き、血や脳漿がこぼれ出さないように注意深く包んで、さらにシートごと持ち上げ、軽トラックの荷台に乗せた。

「ふう……」

 後ろを閉めて、禄坊が汗のにじんだ額を手首でこすった。

「これで、いったん大剛原さんの死体の問題は解決したとして……これから、どうするんですか? 僕たちは、この死体と一緒に何処どこへ向かえば良いんですか?」

「……問題は、それだな……」

 風田もあごの汗をぬぐう。

「正直、明確な意図と意思を持ってF市に向かっていたのは大剛原さんと……禄坊くん、君だけだ。……大剛原さんは、F市の県警本部に行くという目的。君は、実家に帰るという目的……長期的には皆それぞれ思う事はあるのだろうが、今日明日で言えば、とりあえずみんな大剛原さんについて来ただけだ」

「じゃあ、どうするんですか? その大剛原さんはもう居ませんよ」

 風田は「うーん」としばらく考え込んだあと、禄坊にたずねた。

「禄坊くん、君はもちろん、当初の予定通り実家に帰るんだろ?」

「ま、まあ、とりあえずは……」

「君の家は、市街地にあるのか?」

「い、いいえ……F市周辺部です。この辺とそう変わらない、田んぼと山の境界線上にある小さな集落です」

「そうか……じゃあ、俺たちも、とりあえず君と一緒に君の家へ行ってみることにするよ」

「ええ?」

「君だって、家に帰るには自動車が必要だろう? この軽トラックを君が運転するのは良いとして、自分一人で家に帰るつもりか? じゃあ大剛原さんの死体は、どうなる? 結衣さんは?」

「それは、その……」

「とにかく、いったん君の家へ行って、そっから先はそれから考えよう。君はこの軽トラで俺らを先導してくれ。二番目が俺のハイブリッド、最後が女子大生たちのSUVだ。合図その他の決まりごとは同じだ……前の車がまったら、後続車も必ず停まる。後ろの車が停まりたい時は、パッシング・ライトか手を振って合図する」

「わ、分かりました……」

「じゃあ、頼んだぞ。軽トラの鍵は付けっ放しにしてある」

 風田は最後に禄坊の片をポンッと叩き、自分の車へ戻ろうと数歩あるいた所で「おっと、忘れていた」といった感じで振り返った。

弾丸たまを隼人くんに持って来させる。それまでは出発しないでくれ。今のところ、その猟銃が俺たちにとっての唯一の武器だ。そして、それを扱えるのは、今のところ君だけだからな……」

「分かりました」

 禄坊の返事を確認して、こんどこそ振り返らずに風田はハイブリッド・カーの方へ歩いて行った。

「まったく……完全に風田さんのペースにめられてしまったな」

 中肉中背、これと言って特徴のない三十代サラリーマンの、しわの寄ったスーツの背中を身ながらつぶやいた。

「大剛原さんが死んでしまった今、この寄せ集めグループのリーダーは、自動的に最年長の風田さんが引き継ぐ……って、事になるんだろうけど……何でもかんでも風田さんのペースで決められるのは、なんだか釈然としないよ」

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